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2022/07/24

日経新聞にチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの拙者訳『パープル・ハイビスカス』の書評が

前回の投稿から、あっという間にひと月が過ぎました。この間にいろんなことが起きて、心がざわつきますが、忘れないうちに記録しておきます。

 23日の日経新聞に、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの拙者訳『パープル・ハイビスカス』(河出書房新社)の書評が掲載されました。

 評者は「アフリカの文学」についての、いまや彼女の右に出る人はいないと思われる研究者であり翻訳者でもある、粟飯原文子さん。

 ナイジェリアという国を舞台にした作品の背景をきちんと書いてくれました。アディーチェが26歳のときに発表した初作『パープル・ハイビスカス』は、15歳の少女カンビリが語る、崩壊していく家族の物語であり、少女自身の成長物語でもあり、作者アディーチェの故郷への熱い思いが行間からじみ出てくる作品です。


粟飯原さん、丁寧に読み解いてくれて、ありがとう!

以下、部分的に引用します。

***

>興味深いのは父親が単なる狂信的な悪人ではなく、複雑で孤独な人物として描かれているところだ。歪(ゆが)んだ愛の形や矛盾含みの正義感には、ミッション・スクールの規律と懲罰を含む教育、ナイジェリア独立後の痛みに満ちた現代史の影響も垣間見える。


>冒頭の「家族の絆が崩れはじめた」から始まる時代背景には、クーデターの勃発によってさらなる混乱に陥る国家の姿がある。(中略)


>作品では暴力的な父親、国の動乱や悪政という否定的な面が目立つ。とはいえ、それは著者が愛を込めて故郷と向き合い、どれほど欠陥や困難があろうとも、より良い未来のあり方を信じる姿勢の表れである。「何度かやって失敗しただけ」という叔母の言葉にはその信念と誇りが読み取れる。


>(中略)叔母の庭に咲く希少な紫のハイビスカスがカンビリたちの庭でも根づいて蕾(つぼみ)をつけたように、再生の明日が予感される。


🌺

***

2022/05/20

スイカズラと『パープル・ハイビスカス』

 夕暮れの散歩の途中で見つけた花、名前が思い出せないので少しだけ持ち帰って、「カズラ、花、5月」で検索すると一発で出てきた。

 スイカズラ

 あまい香りをあたりにふわりと漂わせている。

 青空の下で昨日、撮影した、出来立てホヤホヤの拙者訳、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ『パープル・ハイビスカス』の写真と並べて見る。なんとなく色調が似ているのだ。


 2022年5月20日の発売記念に。


2022/05/11

アディーチェ初作『パープル・ハイビスカス』、発売です!

 お待たせしました。チママンダ・ンゴズィ・アディーチェのデビュー作パープル・ハイビスカスが、今月20日に河出書房新社から発売です。(追記:5.18ネット書店で「在庫あり」になりました!

異端になることを恐れるな。たった一度の自分の人生を生きるために  西加奈子

 舞台はナイジェリアの南部エヌグという町、主人公カンビリは15歳の女の子。裕福だけれど、とても厳格なカトリック信者の父親の、強い支配のもとに暮らしています。兄のジャジャとは、ことばではなく、もっぱら眼差しで会話をするような暮らしです。

 父親の妹で大学講師のイフェオマおばさんが、それをみかねて、兄と妹をスッカの家へ招いてくれます。おばさんの家で、いとこたちが自由に自分の意見を言い合う様子にカンビリは心底びっくりして、最初はガチガチに緊張しながらも、だんだん外の世界に目覚めていきます。

 おばさんの家によく訪ねてくるアマディ神父に、いとこたちは辛辣な疑問を投じて、議論の花を咲かせています。一言もしゃべらない内気なカンビリを心配したアマディ神父は、彼女をサッカー場へ連れ出して、思い切り走ることを教えてくれます。うっとりするような美声のアマディ神父に、カンビリは淡い恋心を抱きますが……

 イフェオマおばさんはガーデニングに凝っていて、家の前の花壇には赤ではなく、紫色のハイビスカスが咲いていました。兄のジャジャがその茎を家に持ち帰って育てるのですが。。。自由という色を秘めた、紫色のハイビスカス。

 この作品には、発表当時JM・クッツェーからこんな賛辞が寄せられました。

 宗教的不寛容とナイジェリアという国家の酷薄な面に、あまりに年若くしてさらされた子どもの、繊細で心に沁みる物語。          J・M・クッツェー

            

 2003年に米国南部にある小さな出版社アルゴンキンから出た、アディーチェの初めての長編作品。『半分のぼった黄色い太陽』や『アメリカーナ』にくらべると登場人物も多くないし、人間関係もそれほど入り組んでいないので、初めてアディーチェの作品と出会うには、この本が最適かもしれません。 

 

2021/10/20

フンボルト・フォーラムで基調講演をするチママンダ・ンゴズィ・アディーチェ

2021年9月22日フンボルト・フォーラムで基調講演をするチママンダ・ンゴズィ・アディーチェのフルスピーチです。



アフリカからヨーロッパへ持ち去られた美術品について、非常に厳しくも希望にあふれた指摘をしています。瞠目!

2021/02/19

アディーチェ『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』が出てから約4年

 チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』(河出書房新社)が出たのは2017年の4月だった。あれからもうすぐ4年。

 まだ4年とみるか、もう4年とみるか、人それぞれでずいぶん違うかもしれないけど、4年前にこの翻訳書を出すとき自分が考えていたことと、いま感じていることの差に呆然とする。4年前の3月末、見本ができてきて、これは家族みんなにプレゼントしなきゃ、と思って息子、娘、夫の妹、などに手渡したことを覚えている。ちょっとドキドキしながら。そう、「フェミニスト」という語を見て、みんなどんな反応をするかな、とドキドキしながらだったのだ。

 でも、あれから4年がすぎてみると、フェミニストという語はとりわけドキドキするような語ではなくなった。どこにでも出てくる。別に特別なことばじゃなくなった。すごい変化があったということだ、この4年間に。

 本が出た年の5月末、B&Bで作家の星野智幸さんと「"フェミニスト"が生まれ変わる」というイベントをした。このときもまだドキドキは続いていた。なぜ We Should を「私たちは〜」と訳さずに、あえて「男も女も〜」と訳すことにしたか、そのときも話題になった。あのころは、「私たち」とすると、そこに男性読者が自分も含まれていると当たり前のように、すっと感じるだろうか? その疑問が、当時は避けて通れない「重たい」課題だったからだ。自分には関係ない、と素通りする男性が圧倒的に多いだろう、と訳者も編集者も考えた。それは絶対に避けたい、そう思った。

 次々とセクハラ事件の被害者が声を上げたのはこの年だった。夏になって、神田でイベントが開かれたときの熱気もすごかったけれど、じわじわじわっ〜と広がっていった「フェミニズム」という語へのポジティヴな動きは、翌年12月にチョ・ナムジュ『1983年生まれ、キム・ジヨン』(斎藤真理子訳・筑摩書房)が出て決定的なものになった。一気に火がついた。それまでにもいろんな本が出ていて、勢いは野火のように広がっていった。2019年春にはフラワーデモが始まった。

 どれだけ、これまで、みんな、ガマンしてきたんだろう。どれだけ、これまで、みんな、思っていても言えなかったんだろう。どれだけ、これまで、みんな、ことばを奪われてきたことに気づかずに生きてきたんだろう。気づいてことばを発しても、無視され、変人扱いされ、後ろ指さされてきたんだ。。。

 さまざまな思いが駆けめぐる。そしていま、バックラッシュと言われようが、なんと言われようが、これはもうそんな一過性のものじゃないんだと、多くの人たちが思っている。大きく何かが変わった。風穴があいて、シフトが変わった。認識を改める時期にきたのだ。風向きだけじゃない。大地に亀裂が走って、川がザンブリと波打って、この流れはもう止まらない、止められないところへやってきたのだ。マグマのように意識の下で燃えるもの。

 ようやく。

 この4年間にいろんな本が出た。韓国の文学が多いけれど、それだけじゃない。説教したがる男たちの「マンスプレイニング」を白日の元に晒した名著とか、男性が自分の「男らしさ」を検証する本も出るようになった。まだまだこれから、だけど。

 2017年5月のイベント@B&Bは「すばる」に掲載されて、「ハッピーなフェミニスト」としてウェブで読むことができる。We shoudを「私たち……」と訳しても、男性読者がそれは自分のことでもあると思う日がくるといいなあ、と思ってから4年。いまなら「私たち」と訳してもいいだろうか、いいような気が「ちょっとだけ」している。

 この4年間の変化は大きい。ジェンダー指数が低い日本社会にも、ようやく春がくるだろうか。。。もう引き返すことはできない。後ろはないのだ。崖っぷちまで全員が来てしまったのだ。そう、「私たち」「男も女も」「女でなくても男でなくても」みんなが。

 昨日、『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』の何度目かの重版見本が届いた。

2021/02/12

「対等な関係でありたい」──今読みたい世界のモノガタリ、最終回

『英語教育 3月号』に「対等な関係でありたい」という文章を書きました。今読みたい世界のモノガタリ、第6回・最終回です。

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの短編集『なにかが首のまわりに』のなかの同名の短編作品について書いてください、と編集部から依頼があったのですが、これは、いくつかのアンソロジーに入っている短編で、すでにいろいろ話をしたり書いたりしてきた作品です。

最初に日本語訳になった2007年の時点では、まだ「アメリカにいる、きみ You in America」というタイトルだったのが、2009年に英語版の短編集が出たとき The Thing Around Your Neck となって、そのまま文庫化された短編集(2019)のタイトル──なにかが首のまわりに──になりました。

 今回は、最初のバージョン(2001)と最終的なバージョン(2009)の大きな違いについて書きました。そう、最後のところです。そこが決定的に変わったのです。

 付き合ってきた裕福な白人の男の子に対して、ラゴスに帰る主人公が空港で、見送りにきたその男の子と別れる場面。


──アメリカで「裕福でリベラルな」両親に育てられた若者の屈折した性格、その両親に対して彼が抱く不満(これは「きみ」には理解できない)などには変化がなく、書き換えられたのは、良かれと思って一方的に「きみ」にプレゼントを買ってくる若者への「きみ」の感情と態度で、そこに決定的な変化が書き込まれている。なぜいつも自分が「もらってばかり」になってしまうのか、という理不尽さが行間からにじみ出てくるのだ。

 「きみ」はわずかな賃金からピン札を選んで故郷ラゴスの母親に送金する。でも手紙は書かない。書きたいことはたくさんあるのに書けないのだ。ようやく書いた手紙に、母親からすぐに返事が来る。そこには父親が死んだとあった。恋人ができてアメリカ社会の仕組みを発見しながらすぎていく暮らしのなかで、父親が死んだことも知らずにいた、と「きみ」は泣き、自分を責める。

 故郷へ帰るとき、飛行場まで送ってくれた彼を「きみ」はしっかりと抱きしめる。ところがそのシーンが大きく書き換えられて……


 具体的にどう変わったのか、この続きは『英語教育 3月号』で、ぜひ!

 2月13日発売です。

2021/01/06

「チママンダ」は創作された名前だった! わお!

 チママンダ・ンゴズィ・アディーチェがラゴスで思いっきり饒舌に喋っている動画です。

なんと、「チママンダ」という名前は『パープル・ハイビスカス』が出版される直前に、ロンドンのお兄さんの家に泊まっているとき、思いついた名前だった!



 両親が彼女につけた名前は、ンゴズィ・グレイス・アディーチェ。セカンドネームのグレイスはお母さんの名前でもあった。カトリックでは十代になってから受ける堅信式で自分の洗礼名を変えられるようで、アディーチェはそのとき「アマンダ」という名前を選びます。中等学校からはずっと、アマンダ・アディーチェと名乗っていた。ところがアメリカの大学に留学すると、同じ大学生のなかに何人も「アマンダ」がいた。6人だったかな? それで作家としてデビューするとき、もっと自分らしい、イボ文化に根ざした感じの名前にしたい、と思って考えついたのが「チママンダ」だった。「ンゴズィ」を残したのは、平凡な名前だけれど、その名前でずっと過ごした幼いころも大切だと思ったから、と。


2020/12/11

訳者あとがきってノイズ?──『ブルースだってただの唄』復刊を祝って


 この本(傍点)はあとがきを書くために翻訳した──と冗談まじりに口にしたのは、忘年会には少し早い、楽しい酒席でのことだった。するとテーブルの端から「訳者あとがき」について原稿依頼が飛んできた。締め切りまで間があったので、それは頭の引き出しにしまい込まれた。ところが、冬だというのになにやら薄暗がりでつぶつぶが芽を出して、光を放ちはじめた。あれはひょっとしたら、口から出まかせではなくて本当だったんじゃないか、本当にあとがきを書くために翻訳したんじゃないのか、とつぶつぶが問いつづけるのだ。

「この本」とは昨秋、新訳したJ・M・クッツェーの初作『ダスクランズ』(人文書院刊)のことだ。そういえば翻訳作業のスケジュールでは、あとがきを書く時間を二カ月と最初から見積もっていたんだ。約四十枚と編集担当者にも伝えてあったじゃないか──増えたけど。仕上がった訳をそばに寝かせて、あとがきを書いた。取り憑かれたように、二十四時間そればかり。あそこはやっぱりこうかもしれない、ふと浮かんだことばを書きつけるため、真夜中にがばっと起きあがってキーボードに向かう、そんな日がつづいて「J・M・クッツェーと終わりなき自問」がぼんやりと形になっていった。


 二〇一七年三月下旬にクッツェー研究の第一人者デイヴィッド・アトウェル氏が来日して事実関係をあれこれ確認できて、あとがきはとてもすっきりしてきた。だが、それにも増して自分でもはっきりさせたかったのは、一度日本語になった作品をあらたに訳し直す理由である。この作家は一九七四年に『ダスクランズ』を出してから現在までどんな作品を書き継いできたか、その作品群を一望にするとなにが見えてくるか、それは書いてみなければ分からなかった。クッツェーという作家を日本に紹介することになった拙訳『マイケル・K』の出版からでさえ、ほぼ三十年が過ぎている。作家を見る視点を日本の読者、世界の読者がどのように変化させてきたかも探りたかった。寝ても覚めてもとはこのことか、と思いながら遅い春の日々を送った。さて。


 翻訳はね、コンテキストが生命よ!──と藤本和子さんはいった。八〇年代初めにわたしが翻訳をやろうと思ったときのことだ。きっかけは、これまでにも何度か書いてきたが、「女たちの同時代 北米黒人女性作家選 全七巻」との出会いだった。その編集翻訳をやってのけたのが藤本さんと、朝日新聞社図書編集室の故・渾大防三恵さんだ。一九三九年生まれの藤本さんは、この仕事を三十代後半から四十代にかけてやったことになる(驚嘆!)が、そのとき『塩を食う女たち』という黒人女性の聞き書き集も出している(岩波現代文庫に入ったのは本当に嬉しい)。


 選集には「女たちの同時代」とあるように、同時代を生きる黒い女たちの圧倒的な声があった。その力強さと存在感に打ちのめされて、貪るように読んだ。知らないうちに自分は「衰弱」していたのではないかと気づいたのだ。気づけばあとは回復をめざすのみで、そのパワーをもっぱらアフリカン・アメリカンの女性たちの作品群からもらったのだ。

 怒涛の六〇年代末から七〇年代初めにかけてたまたま学生時代を送り、四苦八苦しながら子育てのトンネルに入り、出口に光が見えたのはこの選集と『塩を食う女たち』を読んだときで、あれはわたしにとって生き延びるための文学だった、といまも思う。だから翻訳紹介をするときは呪文を唱えるように、コンテキスト、コンテキストとつぶやいてしまう。藤本さんからは、ただの紹介屋にはならないで、とも言われた記憶がある。わたしがそう受け止めただけかもしれない。ところが。


「あとがきはノイズだ」と言う人がいると聞いた。唖然とした。

 アフリカから出てくる文学や、アフリカにオリジンをもつ作家を紹介するとき、その背景を解説するだけでかなりの分量になる。たとえ詳細に書いても、受け手の網の目が粗いときは思うように伝わらない。そんなもどかしさを体験してきた者に「あとがきはノイズ」とはびっくりするような主張だった。そこからは、あとがきなどなしに読者は作品とじかに接する方がいいと言う「正論」が響いてくる。作品の真価は作品のみで理解されるべきだと言い切れる強さがにじみ出てくる。だが、その強さはどこからくるのだろう。

 目を凝らし、耳をそばだてて観察すると、おぼろげに見えてくるものがある。「あとがきノイズ論」を支えているのは、かりにそこにあっても、目に見えるものだけが存在して見えないものは無、と断言できるマジョリティゆえの強さではないのか。ラルフ・エリソンの小説『見えない人間』を思い出す。人間以下のものとして無視されてきた存在が書くことで可視化され、書かれることで存在を主張しはじめる、そのことをこのタイトルは示している。


 敗戦後、日本に入ってくる情報は圧倒的にアメリカから、となった。それを世界の情報をめぐる「非対称性」と言ってみる。わかったようで実感の伴わない表現だ。でもほら、バドワイザーに訳註はいらないけど、チブクビールはどう? ワシントンといえばすぐに当たりがつくけど、アブジャと言っても「?」となるでしょ。かく言う筆者もメルカトール図法の歪みから頭を解放するため、就職したての娘に地球儀を買ってもらったのは何歳の誕生日だったか。それを見て、おお、イスラム世界のなんと広いことか、とため息をついたのだった。そして世界を、地球上の人間の営みの全体像を、地球儀に乗って爪先立ちするつもりで想像してみるのだ。眼球の表面にごしごしと、懐疑というブラシをかけて。


 アフリカ大陸南端で生まれた作家の作品を三十年前に翻訳しはじめたわたしは、「アフリカに文学あるの?」という問いに出くわすたびに絶句してきた。チママンダ・ンゴズィ・アディーチェのTEDトーク「シングル・ストーリーの危険性」が世界を駆けめぐったころから、さすがにそんな、あからさまに差別的な質問を面と向かって言う人は少なくなったけれど。アフリカ大陸は、面積だけでも日本が約八十個すっぽり入る広さで、国の数はゆうに五十を超えるのだ。どれほど多種多様な人たちが多種多様な文化をいとなんできたか、いるか。「暗黒大陸」として学んだ者(わたし)が蒙を啓かれることに遅すぎはしないのだと、今日も地球儀を引き寄せる。


 なにをわたしは言いたいのだろう? 文学作品を日本語に訳して出版するプロセスで、あとがきがノイズだと言えることが、どれほど特権的かということだ。もちろん場合にもよるが、そこにはいちいち説明しなくても、読者がすでに作品の背景や文化をある程度知っている、あるいは知らなくていい、という前提が暗黙の了解としてある。それがいかに特権的なことか。イギリスの文化、フランスの文化、と言い換えてもこれはある程度あてはまるだろう。日本とアメリカとヨーロッパだけが「世界」の中心ではないのだと陳腐なことをまた言わなければならないのだろうか。でも「欧米」とひとくくりにする乱暴な物言いが「あとがきノイズ論」では生き生きとよみがえるのだ。


 一歩踏み込んで、もう少し奥行きをもって見てみると、そのアメリカでさえ、たとえば黒人文学と呼ばれるものは、ある程度の歴史的、社会的背景を浮上させる解説がなければ伝わりにくいことがわかるだろう。その事実と早い時期から向き合ったのが先述した「北米黒人女性作家選」だった。全七巻の各巻に、丁寧な解説と日本で書くことを仕事とする女性たちの「応答」の文章が添えられていた。ントザキ・シャンゲの『死ぬことを考えた黒い女たちのために』の巻末には、先日他界した石牟礼道子さんがエッセイを寄せている。つまり、読者の社会内部の「見えない存在」を照らし出す網が、国境や言語を越えるつながりとして準備されていたのだ。


 そこには、六〇年代南部アメリカの公民権運動、都市部の貧困対策として子供たちに給食を提供することから始まったブラックパンサーの運動、それらをくぐり抜けて滋味豊かな果実として生み出された黒人女性作家たちの作品と、その全体像を伝えたいと腐心する編者たちの熱意があった。通信手段は郵便、電話、テレックス等に限られ、インターネットはおろかファクスさえない時代だ。作品を日本語に移し替えて読者に手渡すときの立体化、コンテキストの可視化への努力がそこからはひしひしと伝わってくる。アフリカン・アメリカンのアート作品を全巻にあしらった美しい平野甲賀氏の装丁によるこの選集は、出版文化賞にあたいするきわめて先駆的な仕事だった。当時のアカデミズムには逆立ちしてもなし得ない性質の仕業だったのではないか。しかし、時代はバブル期へ向かい、その後の流れはアメリカ発のミニマリズムへと舵を切り、他者と関わらないことを強く決意する端正な文体の小説が読まれる時代へと向かった。


 いま、顔を黒塗りするミンストレルショーに差別のニュアンスがあることが指摘される時代を迎えて、ようやく奴隷制をめぐる歴史は過去のものではないと認識されるようになったのだろうか。だとすれば、これまで翻訳文化が「主に」追いかけてきたアメリカは「白い」アメリカだったと知るべきだろう。それが認識の地図を激しくゆがめてきたことも。


「訳者あとがき」はノイズなどではない。とはいえ、どれほど調べて書いても、それに代価が支払われるわけではなく、やればやるほどボランティア性が高くなる作業だ。それでも、訳者あとがきは、そばにあるのに見えなかった世界を示す広角レンズになる。広い視野から世界を見渡すパースペクティヴ装置にもなる。「コンテキストがすべて」とは、そのことを言っているのだろう。それは日本語文学に風通しのよさを吹き込む「同時代性」をも指差している。

 それで『ダスクランズ』の新訳とあとがきはどうなったかといえば、視界は良好、クッツェーの現在地を伝える最新作『モラルの話』を、なんと英語のオリジナルより先に出すため翻訳中(二〇一八年五月刊行)、とお伝えしておく。


(岩波書店「図書」2018年5月号掲載)

2020/11/12

アディーチェ『半分のぼった黄色い太陽』が女性小説賞のベストに!

 twitter や facebook にアップした記事や情報は、後から探すのがなかなか大変なので、備忘録のためにこちらにも

 チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの『半分のぼった黄色い太陽』が、女性小説賞のウィナー・オブ・ウィナーズに選ばれました。元記事はこちら

 1995年からオレンジ賞、ベイリーズ賞と名前を変えながら25年間続いているこの賞は、英語圏文学で過去1年間に女性作家が書いた小説が対象で、これまでに、日本でも何冊も訳されているゼイディ・スミス、アリ・スミスなどが受賞しています。
 いまはラゴスにいるアディーチェ、12月の6日のオンライン受賞イベントに登場するようです。
 今回ベストに選ばれた『半分のぼった黄色い太陽』は、1960年に英国から独立したナイジェリア国内で起きたビアフラ戦争(1967-70)を舞台に、2組の男女のラブストーリーとして展開されます。語り手がウグウという田舎生まれのハウスボーイで、彼が物語の流れや、戦争に巻き込まれていく人たちの姿を伝える役割をしています。
 ふたつの恋の行方がどうなっていくのか、ハラハラ、ドキドキしているうちにいつの間にか戦争へ。まだまだ大丈夫だと思っていた戦火がすぐ足元に迫って、もう後戻りできないところへ人を追い込んでいく、その様子がとてもリアルに、しかも歴史的な視点をしっかりおさえて重層的に描かれています。

 日本語訳は、単行本は品切れですが、電子書籍ならいつでも!

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2020.12.9──12月4日にガーディアンにこんな記事'I am a pessimistic optimist' Chimamanda Ngozi Adichie answers authors' question)が載ったので備忘のために。

2020/10/29

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェが短篇「ズィコラ/Zikora」を発表

今年の夏はアサガオがたくさん咲いて、その花を見ながら翻訳する作業を「アサガオ翻訳」などと言ったりしていましたが、訳しているのはチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの初作『パープル・ハイビスカス』です。

2003年に出た長篇で、2004年のハーストン・ライト遺産賞、2005年のコモンウェルス作家賞の初小説賞を「アフリカ」と「世界」の両方で受賞した作品です。2004年のブッカー賞のロングリストにも残り、同年オレンジ賞の最終候補にもなった作品です。

 さらに、この作品をドイツ語に翻訳した訳者ジュディス・シュヴァーブがカルプ市ヘルマン・ヘッセ賞を受賞しています。賞金がなんと1万5000ユーロ!

 そして昨日はアディーチェが短篇作品を発表、というニュースが飛び込んできました。7年ぶりだと報じられて、さっそく読みました。Zikora/ズィコラ。アマゾンのキンドルのみの発売です。

 

Zikoraズィコラとは、ナイジェリア人女性の名前です。シングルマザーとして赤ちゃんを産む緊張感にあふれる場面から始まる物語ですが、いつものようにぐんぐん読ませます。どうしてシングルマザーとして赤ちゃんを産むことになったか、赤ん坊の父親とはすごくうまくいっていたのに、妊娠した、と告げた途端に、彼は去っていくのですが、それが何故なのかズィコラにはわからない。

 それまでは、すごくうまくいっていたと思っていたのに。2人は弁護士なんです。ズィコラはナイジェリア人、相手の男性は父がガーナ人、母がアフリカン・アメリカンという説明があるだけで、どのような家庭で育ったかといった詳細はあまりわかりませんが、ズィコラ自身の母や父とのなかなか面倒な関係は物語を読むにつれて、だんだん見えてきます。

 全体で100枚ほど。アディーチェの新境地です!

   

2020/03/27

フラットシューズのチママンダ

コロナウィルスのブレイクアウトが心配されている東京で、週末をどうすごすか? 食べ物、飲み物を確保して自宅で、自室ですごす。これまで読みたかったのに読めなかった本をかたっぱしから読破する。観たいと思っていた映画や動画を観る、というのもひとつの方法だと思います。料理というのもいいなあ。すぐに結果が出て、滋養豊か。

 チママンダ・ンゴズィ・アディーチェのこれまでの動画のなかでも、特におすすめの一本をあげておきます。「エコノミスト」のSacha Nautaがインタビュアーになって、マンチェスターで行われたイベント、白熱したやりとりが展開されます。とくにterfについて突っ込まれたアディーチェの、明快な応答が聞けます。(昨秋このブログでアップしたものですが、再掲!)

 注意して見ると、いつもピンヒールに奇抜なドレスに凝ったヘアスタイルで決めるアディーチェが、このときはシンプルな白い服に紺色のフラットシューズ。髪もゴージャスながら自然のアフロです。

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マンチェスターで10月5日に行われたチママンダ・ンゴズィ・アディーチェのトークの実況中継。OPEN FUTURE FESTIVAL.


以下に大雑把な内容を。(あくまで粗い聞き取りですので引用はお控えください。)

 まずアイデンティティについて質問された彼女:アイデンティティというのは外部からの要求によって変わる、たとえば、最近もUSAの空港でプレミアの列にならんでいたら、あなたはあっちだと指差されたのはエコノミーのほうだった。これは肌の色で判断したからで、ナイジェリアではありえない。ナイジェリアでは、エスニシティか、ジェンダーによって分けられる。だからアイデンティティというのは外部からの問いによって、いくつにも変わりうるのだ、と述べている。だから自分としてはそれをたったひとつに狭めることはできない。

ストーリーテリングについて、作家として、と問われると:もっといろんな声がでてくることが必要だと強く思う。文学作品を読むということは、可能性として、自分の体ではない体から発せられる声を聞くことだと思う。書くというのは、自分の体ではない体から発せられる声を書くことでもある。どんな声であれ、わたしを呼んでいるならその声を物語に響かせていきたいと。

 これまでアフリカ、アジア、ラテンアメリカの物語は長いあいだ、そこの出身の人たちによって語られてこなかった。だから、ロンドンの書店に行っても、本がコロニアルなテイストでならんでいることが多い。もちろんそれは大事よ、だってイングランドはナイジェリアを植民地化してきたんだし、歴史としては……中略……でも、数日前の香港を見てもわかるように、世界中の土地は過去にずっと取り憑かれつづけている。

 それから、『アメリカーナ』について、かなり突っ込んだ質問がきて、アディーチェも非常にクリアに答えている。もう少しニュアンスをつけて、と編集者からいわれたが、それは、もう少し正直さ=あからさまにいうことを控えて、ということだった。

 なんでも比較的率直に語る英語社会で、「もう少しニュアンスを」といわれたとしたら、このニュアンスだらけで空気を読めとかいわれる日本語社会では、どうなるんだ😅?なんて思いながら最後まで見ましたが、最後のほうでオーディアンスから質問が出て、それに真っ向から答えるチママンダ、そして白熱の議論が展開されるようにもっていく司会のジャーナリストもなかなか。

 あとは動画をじかに見てください。

 もしも日本にチママンダを呼ぶなら、同時通訳があいだにはさまるとしても、これくらいの丁々発止のやりとりができるステージになるといいなあ、と思います。
 

2020/01/18

ニューズウィークにも掲載されました

今日は朝から雪がちらちら。そしてだんだん本格的に降ってきて、風もでてきて雪の華が舞っています。窓ガラスを透して見る雪の華は美しいけれど、やっぱり寒い!

「物語はイズムを超える」翻訳家・くぼたのぞみと読み解くアフリカ文学の旗手・アディーチェ

Torus に載ったインタビューがニューズウィークにも掲載されました。タイトルが少し変わっています。「アフリカ文学の旗手」とあるので、「旗手」という語を調べてみました。手元の辞書にはこうあります。

 旗手:  団体しるししての旗を持つ役目の人。
      ②ある運動の先頭に立って活躍する人。

 ふむふむ。グループの先頭に「代表」として立ち、そのグループのサインのような旗を持つ人のことなんですね。たとえばオリンピックの開会式のときに各国の選手団の先頭に国旗を持って歩く人みたいな。
 だとしたら…………アディーチェ自身は、そう呼ばれることをどう思うだろうなあ、という素朴な疑問がちらりと脳裏をよぎり、「アフリカ文学」というくくりについても再度、考えました。

 こんなふうにタイトルはTorusのときから少し変わり、写真も1枚、入れ替わっていますが、インタビューの内容に変化はありません。最後のほうにクッツェーも出てきて、クッツェーとアディーチェが訳者にとって「補完しあう」関係であることもしっかり書かれています。より多くの人に読んでもらえると、嬉しい!


2019/12/26

TORUS にインタビューが載りました

「物語」が「イズム」を超えるとき


 秋の日の昼下がり、まだ緑の木の葉が揺れる川の近くの公園で写真を撮って、それからカフェで数時間、話がはずみました。さあ、そろそろ、と腰をあげるとき、外はもう暗くなっていて......。

 アフリカとか、フェミニズムとか、移民とか、今年文庫になったチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの『なにかが首のまわりに』と『アメリカーナ』を中心に話をすると、どうしても「アフリカ」「アメリカ」「ヨーロッパ」という三つの地点が視野に入ってくる。わたしにとって翻訳という仕事を始めたのは、南アフリカにかかわりだしたときで、最初に出たのがJ・M・クッツェーの『マイケル・K』でしたから、もう30年以上むかしのことになります。

 これまでクッツェー8冊、アディーチェ7冊、訳してきました。年齢は親子ほども、いやそれ以上ことなるアディーチェとクッツェーですが、訳者にとっては、アフリカ大陸で生まれ、そのこととまっすぐに向き合って書いてきた作家として、補完しあう関係にある、そんな話をしました。これまでの仕事をふりかえる大変よい機会をいただきました。Merci!

 あっちこっちに飛んでしまう話者の話を、きちんとまとめて記事にしてくださったKさんとSさんに感謝します。

2019/12/23

東京新聞「土曜訪問」に

東京新聞(中日新聞)の夕刊(2019.12.21)に記事を書いていただきました。facebook でも twitter でもシェアしたけれど、備忘録のためにここにも貼り付けておきます。

「土曜訪問」──最も深い読者になる


クッツェーの翻訳者として話を聞かせてください──という依頼で、あれこれ話しました。わたしが翻訳に向かった動機や、初めての訳書『マイケル・K』など、これまで訳したものについて。
 とても熱心に質問して、中身の濃い記事にまとめてくださった記者のMさん、どうもありがとうございました。

2019/11/30

河出文庫『アメリカーナ』上下巻──みほんがとどいた!

ピンポーン! 🎉🎉🎉🎉🎉 ‼️

宅配便の人が押すボタンといっしょにとどきました。
河出文庫に変身したチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの
『アメリカーナ』上下巻! 12月6日の発売です。



午前中にとどくはずが、なかなかこない。待っていたのです。夜になってようやくやってきました。ほっとして、今日はもうその安堵と嬉しさだけで十分!
帯のことばが、なんだかまぶしい。そして怪しい。



2019/10/18

最近のチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの動画

マンチェスターで10月5日に行われたチママンダ・ンゴズィ・アディーチェのトークの実況中継。OPEN FUTURE FESTIVAL.


以下に大雑把な内容を。(あくまで粗い聞き取りですので引用はお控えください。)

 まずアイデンティティについて質問された彼女:アイデンティティというのは外部からの要求によって変わる、たとえば、最近もUSAの空港でプレミアの列にならんでいたら、あなたはあっちだと指差されたのはエコノミーのほうだった。これは肌の色で判断したからで、ナイジェリアではありえない。ナイジェリアでは、エスニシティか、ジェンダーによって分けられる。だからアイデンティティというのは外部からの問いによって、いくつにも変わりうるのだ、と述べている。だから自分としてはそれをたったひとつに狭めることはできない。

ストーリーテリングについて、作家として、と問われると:もっといろんな声がでてくることが必要だと強く思う。文学作品を読むということは、可能性として、自分の体ではない体から発せられる声を聞くことだと思う。書くというのは、自分の体ではない体から発せられる声を書くことでもある。どんな声であれ、わたしを呼んでいるならその声を物語に響かせていきたいと。

 これまでアフリカ、アジア、ラテンアメリカの物語は長いあいだ、そこの出身の人たちによって語られてこなかった。だから、ロンドンの書店に行っても、本がコロニアルなテイストでならんでいることが多い。もちろんそれは大事よ、だってイングランドはナイジェリアを植民地化してきたんだし、歴史としては……中略……でも、数日前の香港を見てもわかるように、世界中の土地は過去にずっと取り憑かれつづけている。

 それから、『アメリカーナ』について、かなり突っ込んだ質問がきて、アディーチェも非常にクリアに答えている。もう少しニュアンスをつけて、と編集者からいわれたが、それは、もう少し正直さ=あからさまにいうことを控えて、ということだった。

 なんでも比較的率直に語る英語社会で、「もう少しニュアンスを」といわれたとしたら、このニュアンスだらけで空気を読めとかいわれる日本語社会では、どうなるんだ😅?なんて思いながら最後まで見ましたが、最後のほうでオーディアンスから質問が出て、それに真っ向から答えるチママンダ、そして白熱の議論が展開されるようにもっていく司会のジャーナリストもなかなか。

 あとは動画をじかに見てください。

 もしも日本にチママンダを呼ぶなら、同時通訳があいだにはさまるとしても、これくらいの丁々発止のやりとりができるステージになるといいなあ、と思います。
 

2019/10/07

『文藝』に斎藤真理子さんとの対談が

今日発売の雑誌『文藝』(2019 冬号)に斎藤真理子さんとの対談が掲載されています。
 8月25日にB&Bで行なわれたイベント「今日も眼鏡をふいている──翻訳・移民・フェミニズム」を起こしてまとめたものです。対談のタイトルは:

 新たな視野をひらくアディーチェの文学

「ジャンピング・フェミ・トーク」になるかも、との予測どおり、当日はあれこれ話が飛んで、これは終わりそうもないわ、とわれながら感じていました。
 あがってきた文字原稿を見ると、アディーチェをめぐる話になっていました。さすが! そりゃそうですよね。チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの2冊の本『イジェアウェレへ フェミニスト宣言、15の提案』と文庫『なにかが首のまわりに』のW刊行記念なんですから。😆

 そうはいっても、こうして読むと、ちょうど10年の年齢差のある2人が体験した80年代の話が圧倒的なリアリティをもっている、とあらためて感じます。「潮干狩り」の話なんかとてもシンボリックで、しかもリアル。
 翻訳をめぐる話では、クッツェーのことはすでにブログに書きましたが、歴史的な出来事を作品化するハン・ガンとかアディーチェなど、若手の作家たちの話もしたんだった。
 当日、会場へいらっしゃれなかった方も、いらっしゃった方も、ぜひ!

2019/09/06

動画:ソウルで講演するチママンダ・ンゴズィ・アディーチェ

8月末にソウルの梨花女子大学を訪れて講演をするチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの動画がアップされました。

 アディーチェは8月17日に上海のブックフェアで基調講演を行って、その足で韓国を訪れました。先日のメールにその簡単な感想が書かれていましたが、8月20日の梨花女子大で行なわれた講演のようすを見ても想像できるように、ソウルでは大歓迎を受けています。ホールは満席、ステージの裾にあがって膝をかかえながら見入っている人もいます。(たぶん学生!)



 アディーチェは、ジェンダーをめぐるさまざまな問題点を具体的に述べながら、性暴力についてはっきりと語っています。なぜそれが「暴力」としてきちんと扱われないか、それは女性が男性とおなじ人間として対等に認められていないからだと分析しています。この不平等をことばにすることが、無意識に内面化されている問題点をあらわにする第一歩だと。法律を変えることは大切だけれど、マインドセット、つまりものの見方や考え方を変えることはもっと重要なんじゃないかと。
 そして、男性には性衝動を抑制できいない動物的、野性的なものがあるとするなら、そんな野性的な存在に社会を統御する政治的権力をもたせるわけにはいかないと。けだし名言です。

上海で、2019.8.17
さらに、歴史的な視点も入れながら突っ込んだ話もしています。たとえば韓国ではかつて女の子は10歳で結婚させられたけれど、いまはそうじゃない、これは文化が変わったからだ。「文化」は民族が存在し維持されていくことに必要だけれど、それは人が作ってきたものだから変えられるし、実際に変わってきたのだと。
 ちいさいときから男の子、女の子をジェンダーの慣習の枠内におさまるように育てることが、無意識に、いまの男尊女卑「文化」を保持することにつながる。男の子は泣いちゃいけない、強くなくちゃいけない、と刷り込まれて育つと、やさしさを見せることは自分が弱いことを認めることになりはしないかという恐れになっていくと。この話には『イジェアウェレへ』で指摘されていることも重なるけれど、さらに発展させる視点も含まれていて、とても興味深い。

ソウルで、2019.8.20
また、成功する女性は完璧でなければいけないというプレッシャーもおかしいと。法律違反をした女性の政治家が「女だから」という理由で男の政治家なら受けないバッシングを受けた例をあげ、あたりまえだけど、女性には善良な人も悪意にみちた人もいて、それは男性とおなじだと。成功する女性が男性以上に完璧に「善」でなければいけない、という考え方はちがうだろうと。

 アディーチェからきたメールには、日本にもまた行けたらいいな、みたいなことばがならんでいました。機は熟しているようです。どこかが正式に招待して、大きなホールで講演をし、それがTVに流れるという展開になってほしいものです! チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの再来日が近いうちに実現しますように! 
 そんな祈りをこめて記録としてここに残すために、上海とソウルでの写真をtwitter から拝借します。悪しからず!
 

2019/08/11

読売新聞にアディーチェ『イジェアウェレへ 』が!

今朝の読売新聞の書評欄は、特集「読書委員が選ぶ夏休みの1冊」です。

そこに岸本佐知子さんがチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの『イジェアウェレへ フェミニスト宣言、15の提案』(河出書房新社刊)を選んでくれました。やった!

──フェミニズムは別に難解でもおっかなくもない、要は人間として対等に扱われたい、自由な個でありたいという意思の表明なのだと気づかせてくれる。

とあって、これはもう、このささやかな本が読み手にいちばん伝えたいところかも。そこがぎゅっとつかみとってあって嬉しい、嬉しい。
「読みおわったあと、この手のひらサイズの美しい本を、きっと誰かにプレゼントしたくなるだろう」って、涙です。岸本さん、どうもありがとう!


2019/07/31

8月25日イベントの予約始まりました

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの『イジェアウェレへ フェミニスト宣言、15の提案』と『なにかが首のまわりに』(河出書房新社)W刊行記念で、斎藤真理子さんととことん話します。申し込み受付が始まりました。


今日も眼鏡をふいている──翻訳・移民・フェミニズム


     くぼたのぞみ × 斎藤真理子


8月25日午後3時~  場所は:下北沢B&B

申し込みは こちらから



<イベント紹介>
パソコンに向かって、原文と日本語の訳文をにらみながら、ふっと翻訳作業の手を止めて眼鏡をふく。画面から目を離して、曇った眼鏡を丁寧に布でふいていると、そうだった! と気づく。クリアになった眼鏡をかけなおし、またパソコン画面を見ると上手くいかなかった理由がわかる。軽くうつむいて眼鏡をふく一瞬が、作品をつらぬくコンテキストを探る動作になっていたのだ。

アフリカ社会で妹が兄を鋭く見つめる「セル・ワン」、主人公が成長していく「イミテーション」「なにかが首のまわりに」、未経験の歴史の痛覚「ゴースト」、少子化社会で子育てするとは不安を手なづけることなのかと問いたくなる「先週の月曜日に」、マンスプレイニングとパターナリズムの典型の物語。ナイジェリアと米国へ移民する人々の暮らしが絡まる短篇集『なにかが首のまわりに』を読むと、そうか、女たちはどこでもずっと「フェミニズム」の中身を生きてきたのだと気がつく。

 アフリカ発/系の文学を訳してきたくぼたのぞみと、韓国フェミニズム文学の大ヒットを生んだ斎藤真理子さんの、話しはじめたら止まらない「ジャンピング・フェミ・トーク」です。びっくりするような話が飛び出すかも。