ジョン・クッツェーのCoetzee の発音は、このブログにも、『マイケル・K』の訳者あとがきにも書きましたが、クッツェー [kutsé:] です(左の作家自身の手紙dated Jan. 1991 to Mr F)を参照してください!
下から二段目のパラグラフに、My family name is pronounced /kutse:/. The /u/ is short, the stress falls on the second syllable, the syllable break is between the /t/ and the /s/.とあります)。
オランダ人が南アフリカへ移住したことでさまざまに変化した名前ですが、作家本人が「クッツェー [kutsé:] 」だといっているのですから、これはもう疑問の余地がありません。というか、直接面と向かって質問し、Exactly! とおっしゃる作家のことばをこの耳で確認した者としては、あくまで彼の意思を尊重しなければなりません。
ところが、先日ちょっとびっくり、という体験をしました。
来日したデイヴィッド・アトウェルやジャン=ミシェル・ラバテさんたちは「クッツィー」と発音するのです。クッツェーの弟子であるアトウェルさんには、「いや、クッツェーだ、作家本人にも確かめたのだ」と上の手紙のコピーもお渡ししました。
以下に三つの動画を貼り付けます。最初の部分をよく聴いてください。クッツェーがアデレード・ライターズ・ウィークで最初に My name is John Coetzee. と自己紹介をしています。
まず、2008年、シリ・ハストヴェットを紹介するところ。
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次に、2008年、デイヴィッド・マルーフを紹介する動画。
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さらに、2010年、ジェフ・ダイヤーを紹介する動画。
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どう聴いても、クッツェー、です。クッツィー、ではありませんね。
この間違いは、英語という言語には [e:] という長母音がないことからくるものと思われます。
Wikiの英語版 も「クッツィー」です。(↓付記参照: 訂正されました!)何度かわたしも修正を試みたのですが、上の動画を参照として貼り付けても、英語には [e:] という長母音がない、とはじかれました。
英語圏の人たちは、クッツェーという英語で書く作家が自分のオリジンにこだわって名前はオランダ語風に(1980年代まではアフリカーンス語風といっても通ったはずで、クッツェー自身もアフリカーンス語風の発音だといっていましたが)読むという主張が受け入れられないのでしょうか。もちろんオランダ語圏ではごくふつうに、クッツェー、と発音されています。(2010年の70歳の誕生日を祝って、アムステルダムで開かれたイベントの動画などを参照してください。)
またデイヴィッド・アトゥエルさんにクッツェー自身から来た説明(上の手紙)を見てもらいました。オランダ語に、[e:] という長母音は存在します。英語内にすんなり入らない音は、作家本人の意思であっても、受け入れられないのでしょうか。あるいは2009年のBBCの情報が、誤って理解されているのかもしれません。
そのBBC情報ですが、2009年に『サマータイム』がブッカー賞のファイナルに残ったときBBCから問われてクッツェー自身が答えたもののようです。その
BBCのサイト には「
kuut-SEE 」と表記され、この後ろ部分を英語を母語とする人たちは[i:]音と読んだようです。ここが決定的な間違いなのですが、[e:]という音をもたない言語を母語とする人たちには、英語で作品を書くノーベル賞作家が英語の発音以外の音で自分の名前を発音するということが受け入れられなかったのかもしれません。どうなんでしょうねえ。
Wikiの頑固さについては、いろいろ複雑な要因はありそうですが、なんだか英語的テンプレートによる世界観の肥大がここにもあらわれていると思わざるをえません。グローバル言語の英語だけで世界を見ようとする世界観には大きな違和感を感じると、クッツェー自身が『ヒア・アンド・ナウ』で吐露していましたが、その片鱗がこんなところにもあらわれているのでしょうか。
さて、オランダと長いつきあいのある日本は、これをどうするか?
オランダ語とも長いつきあいのあった日本語は、これをどう受け入れるか?
グローバル言語である英語圏の勢いに乗るのか、それともオランダ語をオリジンとして自分の名前の音にこだわりつづけているJMクッツェー自身の意思を尊重するのか。英語圏文学にたずさわる人たちの良識、歴史観、アイデンティティー観などが問われる場面でしょうか。アルファベットのままいけたらいいのですが、日本語ではなにしろ原音に近いカタカナ表記をしなければいけないわけですから。
ちなみに、南アフリカでは、クツィア、クツィエ、といわれることが多く、このことをジョン本人にたずねると、It's a dialect. それは方言です──という返事が返ってきたことは
以前ブログに書きました 。
まあアルファベット言語圏では表記さえ正しければ、それをどう読もうと、読み手のバックグラウンドによって差異が出るのも当然で、個々の「なまり」についてはどれが「正しい」とはいえないのですが、それはあくまでアルファベット言語圏内の話で、カタカナにしなければならない日本語圏内の翻訳者は苦渋の選択を迫られますが。
訳者としては作家本人の主張を尊重して「クッツェー」とします。
ただ、ラグビーなどで Coetzee という監督が来日して新聞や雑誌などで「クッツェー」と書かれているのを見ると、あああ、と複雑な思いです。おそらく南アフリカ出身の彼らは、南アフリカ社会で呼ばれているように、自分は「クツィア」だと主張するかもしれないからです。😅。
付記:文面を少し修正しました。
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付記:2017.5.29現在、Wikiの英語版をのぞいてみると [kut'se:] となっていました。訂正してくださった方に感謝します!
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付記:2018.6.20現在、Wikiの英語版では、発音記号がなくなり、下欄のノートにコメントが載るようになりました。作家自身は「クッツェー [kutsé:] 」と発音する、としながら「現代のアフリカーンス語ではクツィアで、BBCは「クッツィー」としたのだろう、と苦渋の理屈をつけていますが、さて、リンク先のBBCにはこうあります。(下線は引用者)
We have a letter from JM Coetzee himself in our files, written in response to our query, making this very clear and, as our policy is always to say people's names in the way that they wish, that is what we have recommended ever since.
つまり、BBCとしては「常に当人の希望に沿った言い方を推奨してきた」とあります。とすると、クッツェー本人が「クッツェー [kutsé:] 」だといっているのですから、本人の希望に従うのが妥当、というのがBBCの選択。「クッツィー」がBBCの選択というのは誤解ということになりますね。