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2015/09/06

ペティナ・ガッパの新作長編が出ていた

ペティナ・ガッパの新作です。最近、あまり追いかけていなかったのですが、出ていました。次は長編、というニュースを聞いてから、かなり時間がたちましたものね。


The Book of Memory (Faber & Faber)

 主人公はちいさいころに自分は売られた、9歳のとき、売ったのは父と母だった、と述べるアルビノの女性。養父を殺したために裁判にかけられて、判決を受けた。その女性が弁護士に語る物語。どんな話なんだろう。ガッパのことばでは:

 人種のことを書かずに、人種のことを書きたかった("I wanted to write about race without writing about race.")とのこと。

 ここでガッパのBBCの最新インタビューが聞けます。

 第1作目の『イースタリーのエレジー』はクレスト・ブックスから出ましたね。この長編もぜひ、訳出して欲しいな。期待しています。

追記:ガーディアンに詳しい記事が。メモリーというのは主人公の名前らしいな。

2013/08/01

クッツェーの讃辞が消えた本

次の2枚の写真を比較してください。どこが違うか。

       

 2009年にこの本が出たとき、新聞やブログでも紹介しましたが、これは最近ついに日本語訳が出たジンバブエのペティナ・ガッパの短編集『イースタリーのエレジー』(小川高義訳 新潮社)のオリジナルです。まず、なんといってもガッパの翻訳が出たことは喜ばしい限りです。リンク先の版元サイトには小野正嗣さんの秀逸な評が掲載されていますので、ぜひ!

 それで上の2枚の写真ですが、左は、2009年4月に出版されたときに購入した、いま手元にある洒落たソフトカバーの本、右がその半年後に出たバージョン(キンドル版)です。さらに12月には新しい表紙の本も出ていて、ネット書店で現在入手可能です。

 掲載した写真ではいずれも、ジャカランダと思われる並木道の右手にトマトみたいな太陽がのぼっています(沈んでいる?)。その太陽の真上に、左の写真ではJ・M・クッツェーの献辞が書かれていますが、右の写真ではそれがきれいに消えています。
 あれ? と思ったのは、この本が出版されてまもなくでした。出版元の Faber & Faber のサイトからも、ガッパ自身のブログからも、大きく謳われていたクッツェーの讃辞がほとんど同時に消えました。ふ〜ん、なんでだろ? と奇妙な感慨を抱いたものです。その讃辞とは、

   "Petina Gappah is a fine writer and a rising star of Zimbabwean literature."  J.M.Coetzee
「ペティナ・ガッパはすばらしい作家であり、ジンバブエ文学の新星である」──J.M.クッツェー

 プロモーション用にこんなクッツェーのことばを使うのは出版社の案だったのでしょうか、本が出て話題になるとすぐに削除したのは、ガッパの意向なのでしょうか。よく分かりません。分からないけれど、つい、いろいろ考えてしまいます。なぜ消えたのか。

 南部アフリカに住む人たちはこの作品をどんなふうに読むだろう、ということも考えました。ふと思い浮かぶのは、南アフリカとジンバブエの微妙な関係。アパルトヘイト時代は南部アフリカの希望の星だったジンバブエは反アパルトヘイトを鮮明に打ち出していた。しかし、1994年の南アフリカ解放後、経済が逼迫したジンバブエから難民が南アに押し寄せると、南アでは反難民感情が高まり暴力事件が多発した。

クッツェーが南アフリカに生まれながらどこまでもヨーロッパ文明を背負おうとする白人男性作家であるのに対し、ガッパはジンバブエの固有性を描きながら世界舞台へ突き抜けていこうとする黒人女性作家。2人の世代的違い、立ち位置の違い。さらに、ノーベル賞作家というネームが欧米出版界で作品を押し出すときにどんな意味をもつか、ことガッパの作品となると、両刃の剣となるのか、とか。う〜ん、さまざまな要因が絡んでいそうです。
 いま英語圏でアフリカの作家たちが小説を出版するときにぶつかるさまざまな違和感、というか、そのプロセスで議論になったこと、ならなかったこと、がぼんやりながらベールの向こうに透かし見える、ような、気がします。気がするだけですが/笑。これついては、結論は出なくとも、よく考えてみたい、とそのときも思いましたし、いまも、思います。

 つい先日もジンバブエでは、チオニーソという優れたミュージシャンが、適切な治療を受けていれば助かったはずなのに、彼女が住んでいた土地では十分な医療が受けられなかったらしく、なんと37歳という若さで他界しました。都会と田舎の格差のリアルはやっぱり、どうしても考えてしまう。考えなければものは見えてこない。(東京と福島だってそうです。)
 だから、「世界文学」というときのその「世界」の中身を細かく考えていかないと・・・その見方、とらえ方、視野がどこを軸にしているか。あれ? と気づく視点をこれからも忘れないでいきたいと思います。
 とにもかくにも、このガッパの短編集はインサイド・ジンバブエを、そこに住み暮らす人間たちを皮肉たっぷりに、見事に描き切っています。お薦めです。

(2013.8.3:追記/なぜか6月に他の写真を使ったバージョンも出ていて、これには讃辞があります。ややこしい!)
(014.9.28:追記2/他の写真を使ったバージョンのカバーに書かれた讃辞を、備忘のためここに記録しておきます。
 "Petina Gappah's stories range from scathing satire of Zimbabwe's ruling elite to earthy comedy to sensitive accounts of the sufferings of humble victims of the regime.  Gappah is a fine writer and a rising star of Zimbabwean literature."──J.M.Coetzee)

2011/02/09

クッツェーの不安、ガッパの不満

 ジンバブエの若手作家ペティナ・ガッパが1月16日付けガーディアン紙に、一昨年ケイン賞を受賞したオソンドゥの短編集「Voice of America」の書評を書いていた。これがなかなか面白かった。

 西欧諸国で作品を出版するアフリカ人作家はリプリゼンテーション(代弁)について二重の重荷を負っている。西側の批評家や読者はアフリカ人作家の声や物語を彼/彼女の民族や国民を代弁するものとして読むが、作家自身の国の批評家や読者は、西欧人によって選ばれて本を出版できる作家というのは特権的地位にあるのだから、自国の人間がよしとする形で代弁し、物語は「ポジティブ」でなければならない、と考えるのだという。

 これでは作家は国民の意思を代弁する政治家か、アフリカ大陸がいま切実に求めているポジティブな印象を打ち出すための広報係として、この大陸を「ブランド再生」させなければいけないみたいだ、とガッパはちょっと不満そう。作家はあくまで個性的な想像力をもった1人の人間にすぎないのに、という彼女の指摘はもっともで、この自由な感性に新しい世代の声の響きが感じられる。

 それとは別に、言語や民族を超える世界文学を読み解くには、作品をあくまで1人の作家のものとして読みながらも、植民地化によって各大陸に散らばった英語、フランス語、スペイン語といった帝国言語が、独立した国々で現地語と共存しながらどのように使われてきたかにも思いをはせることが必要かもしれない。たとえばガッパの作品内には、ジンバブエの民族言語のひとつであるショナ語がたくさん出てくる。自分は英語とショナ語が混じった「ショニングリッシュ」で書く、とガッパはいう。

 1月末にインドのジャイプールで5日間にわたって開かれた文学祭では、この帝国言語の問題について活発な議論がなされた。南アフリカ出身でオーストラリア在住のJ・M・クッツェーも参加し、マザー・タング(母語)内の内密な言語空間について語ったという。

 第一言語である英語を十全に駆使するクッツェーにして「英語で書くのは他者の母語で書いているようだ」というのだからこの問題は奥が深い。彼はオランダ人植民者の家系に生まれ、家では英語、親戚とはアフリカーンス語で会話したという。そのためか、英語にもアフリカーンス語にも深い疎外感を抱いて生きてきた。
「言語や民族を超える」作家が不可避的に直面する人間関係への不安と不確かさ。そこから卓越した文学が生まれるのは紛れもない事実ではあるけれど、考えてみると、言語と作家の関係はまことに因果なものでもある。

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付記:2011年2月8日北海道新聞夕刊「世界文学・文化 アラカルト」に書いた記事に加筆しました。
今日、2月9日はジョン・クッツェーの誕生日!

2009/07/30

ペティナ・ガッパ /『イースタリーへの悲歌』

ジンバブエからすばらしい作家が登場した。1971年ジンバブエで生まれて、いまは息子とジュネーヴに住むペティナ・ガッパ(Petina Gappah)だ。4月に出た初の短編集『An Eelegy for Easterly/イースタリーへの悲歌』では、切れのいい、からりとした文体で、ジンバブエ人の悲喜こもごもの暮らしぶりを活写する。

 植民地化されたアフリカのなかでも比較的遅く、チムレンガと呼ばれる長い解放闘争をへて1980年に独立したジンバブエは、南部アフリカの星と期待された。しかし、30年におよぶムガベ大統領の独裁色を強める体制下で、ここ数年は天文学的数字のインフレを経験し、昨年の選挙では多数の死者も出た。

 短編集におさめられた13の物語は、この国のエリートへの痛烈な皮肉から、名もなき人々の苦悩やスラムに吹き寄せられる底辺層の暮らしまで、じつに幅広い。悲しい話も多いのだが、人を笑わせるのが好きというガッパは、持ち前の旺盛なユーモアで、悲惨な話を土臭い、ピリ辛のコメディにしてしまう。しかも繊細なタッチで。そこがとても新鮮だ。

 いくつも印象にのこった短編のなかで、もっとも面白かったのが、最後の「真夜中に、ホテル・カリフォルニアで」、これが傑作! もちろん、あのイーグルスのヒット曲のことだ。でも、舞台となる「ホテル・カリフォルニア」は田舎町のB&Bで、ブラックマーケットでなんでも手に入れて生き延びる人たちのなかで手練手管で稼ぐ男の話。ぱきぱき語るガッパの調子が、ホント、笑えます。

 作品内には民族言語の一つ、ショナ語も頻出する。作家自身はショナ語と英語が混じった「ショニングリッシュ」で書く、と堂々と語る。アフリカ出身の作家たちを勇気づける面白い話ではないか。

 驚いたのは、この短編集がフランク・オコナー賞の最終リストに残ったこと。昨年インド系アメリカ人作家、ジュンパ・ラヒリが受賞した、英語で書かれた短編集に贈られる最もビッグな賞である。ここにもまた世界文学の新しい潮流が見て取れる。

 いま長編小説に初挑戦中のガッパは、南部アフリカ文学の期待の星だ。間違いない。

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付記:2009年7月28日付北海道新聞夕刊に掲載した記事に加筆しました。

2009/06/15

ペティナ・ガッパ ── ジンバブエ文学の輝く新星

ジンバブエから大型新人作家が登場!

 Petina Gappah/ペティナ・ガッパ

 2007年のアフリカン・ペン賞で第2位になった作品「At the sound of the Last Post」を読んで、この人、なかなか辛辣な調子でムガベ政権を批判する作品を書くなあ、と強く印象に残りましたが、やはり、ぐんぐん頭角をあらわしてきました。

 新人ながら、出たばかりの短篇集『An Elegy for Easterly/イースタリーへの悲歌』は今年のフランク・オコナー短篇賞のロングリストにも入っています。表題作にある「イースタリー」というのは、ジンバブエの首都郊外のスラムの名前。物語はちょっと悲劇的ですが、書き方はさらりとしています。上手い。

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付記:7月6日、フランク・オコナー賞のショートリストにも残ったことが分かりました。わくわくします。