Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2020/03/12

ロマン派について考えて、好き放題書いてみることにした(2)

2月に入ってから集中してきたJMクッツェー『鉄の時代』(河出文庫)のゲラ読み作業が一段落(発売は5月7日です)。さて、まわりは? と見わたすと。こもって仕事をする生活にコロナウィルスはほとんど影響しないことがわかった。人混みは、ふだんから極力避けているし。この2ヶ月のあいだ、ペースはほとんど変わらない。

 残念なのは友人との会食の回数がちょっと減ったこと。レストランやカフェなどは軒並み、がらん、街の店先も人影まばら。でも通勤する人たちにはあまり変化はないみたい、あの車内空間はまちがいなく最大の感染温床じゃないかな、と思う……。大変だよなあ。在宅勤務とやらの推奨もかなりあるらしいけど。子供は学ぶ機会を奪われて←これはひどいよ!対応策がなさすぎ!

 わたしのような「ひきこもり仕事」は自分で「区切る」ことがとても大事なので、ひとくぎり! 窓の外は春うらら。

 そこで余白に、「ロマン派アナトミー」の作業をすこしずつ進めよう。というわけで先週とどいたシューベルトの小曲がたっぷり入っているイアン・ボストリッジのアルバムを毎日聴いている。
「鱒」からはじまって「魔王」で終わる25曲。ピアノはジュリウス・ドレイク。1998年録音だから、1964年生まれのボストリッジは33歳か、若い!青い! 31歳で死んでしまったシューベルトには最適! とにかく、年老いて成熟する前に死んでしまった人なのだ、シューベルトは。こんなに「青春」と深く絡めて「ロマン派」を語るにふさわしい作曲家もいないんじゃないか、と勝手に思うことにした。

 じつは、このアナトミーはわたし自身の少女期の経験を分析してみようという作業でもある。1950年代後半から1960年代半ばというのは、ロマン派文学の翻訳が全盛を迎えた時代だったんじゃないだろうか?

 先日も少し年下の男性と話をしたんだけど、「ぼくたちが若かったころって新潮文庫をつぎつぎと読んだよね。「海外文学」と銘打たれた末尾カタログに載っているタイトルと著者名を、たとえ読まなくても、暗記するほどじっとながめてたよね」と彼はいう。
 それで身近に残っている60年代新潮文庫の後ろをながめてみた。最初に出てくるのがたいてい「フランス文学」、ずらりと「名作」がならぶ。それからイギリス文学、ドイツ文学、アメリカ文学、ロシア文学、その他の文学とくるのだ。この「その他」がねえ、摩訶不思議なジャンルだった。中学生のころ毎月楽しみにしていた「赤毛のアン」シリーズは、この「その他」、だってカナダだもん。

 ゲーテ『ウェルテルの悩み』、ヘッセ『車輪の下』、モーム『月と六ペンス』を全集で読んでから、この新潮文庫のリストをかたっぱしから読破、まずドーデ『風車小屋便り』から、という感じだった。

 肥大化した「フランス」「イギリス」「ドイツ」、いまなら考えられないほど末席におかれた「アメリカ文学」。イタリア、スペインなんか影も形もなかった。このようにして、60年代の読書人(!?)の頭のなかに世界地図が形成されていった。もちろんアフリカに文学があるなんて、ゆめゆめ考えもしない。なにしろ「暗黒大陸」だったんだから!!「本格派」はいつだって「西ヨーロッパ」の主要国から、だったのだ。とくにフランスとイギリス、ドイツ。

 戦後、手のひらを返したような「アメリカ化」が無批判に迎え入れられて、ハリウッド映画が怒涛のように流れ込んできた時代。テレビでもアメリカのホームドラマと西部劇が全盛で、「翻案」された和製ポップス(たいていアメリカから、ちょっとだけイタリアから、ほんのすこしだけシャンソン)が白黒テレビで流れた時代。
 そこへフランスからヌーベルバーグの新しい波がやってきた。映画青年たちはこぞって映画館に入り浸った。イギリスからはビートルズやローリングストーンズのロックミュージックが入ってきた。そんな時代。あのころの若者はどんな心情を育てながら生きていたのか?(つづく