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2020/01/23

シスネロス『マンゴー通り、ときどきさよなら』がTVに

備忘録のためにここにもシェアしとこ。


サンドラ・シスネロスの『マンゴー通り、ときどきさよなら』が、ついにTV番組になる。ずっと映画化やTV化に難色をしめしつづけてきたシソネロス自身が、総監督をつとめるというニュースです。

2019/12/29

そのうちサルバドールが

虫色の目をしたサルバドールは、
くせ毛の髪にふぞろいの歯をしたサルバドールは、
先生に名前をおぼえてもらえないサルバドールは、
友だちがひとりもいない男の子。

っていくのは、どこかよくわからないけど、
景気がいいとはとてもいえない家並みのあたり。
粗削りの木材で作ったドアの奥で、
毎日、朝もまだ薄暗いうちに、
眠たそうな弟たちを揺りおこして、
靴のひもを結んで、
髪に水をつけてとかしてやって、
ブリキのカップにミルクとコーンフレークを入れて食べさせてやる。

のうちサルバドールが、遅かれ早かれ、
したくのできた弟たちと数珠つなぎになってやってくる。
赤ん坊のことで忙しいママの代わりに、
セシリオとアルトゥリトの腕を引っぱり、
ほら急いでっていってる。
だって今日は、昨日もだけど、
アルトゥリトがクレヨンの入った葉巻の箱を落っことして、
あたりに赤や緑や黄色や青のクレヨンや、
ちっちゃい黒い棒まで散乱して、
アスファルトの水たまりの向こうまで飛んでしまったので、
横断歩道のところで、交通安全のおばさんが、
サルバドールがクレヨンを拾い終わるまで
車の通行を止めてくれてる。

わくちゃのシャツを着たサルバドール。
喉もとから声を出してなにかいうとき、いつも
咳払いをしなくちゃならなくて、そのたびに、
すいません、というサルバドール。
体重18キロの少年の体に、
地図のような傷痕をつけて、
傷めつけられた歴史を背負って、
羽とぼろ布がつまったような腕と脚
をしたサルバドールは、目のところで、
心臓のところで、
両こぶしをあてるとドキンドキン
といってる鳥かごのようなその胸のなかで、
サルバドールだけが知ってることを感じている。

せの100個の風船と悲しみのギターをひとつ入れておくには
ちいさすぎる体をしたサルバドールは、
教室のドアから出ていくほかの少年とちっとも変わりがないのに、
校庭の門のあたりで待ってろよといっておいた弟たち、
セシリオとアルトゥリトの手をとって、
色とりどりの生徒の服や持ち物のあいだをぬって、
肘と手首を交叉させたバツ印をくぐりぬけて、
走りまわる靴をいくつもかわしながら、
急ぎ足で帰っていく。
みるみるちいさくなる姿が、
まぶしい地平線にとけていく。
ちらちら揺れながら消えていく凧の
残像のように。



****

<一年の終わりに>
23年ぶりに復刊したサンドラ・シスネロス『サンアントニオの青い月』(白水Uブックス)から、水彩画のようなタッチの、散文詩のような掌篇を。ここでは試みに、行分けにしてみました。

みなさま、どうぞよいお年をお迎えください!

2019/12/19

サンアントニオの青い月:サンドラ・シスネロス

窓のむこうには、12月の曇り空に包まれて、鮮やかな黄色の葉を残す緋寒桜の木がいっぽん。

🎉🎉 白水Uブックスになったサンドラ・シスネロスの2冊 🎉🎉
ちょうど26年前のクリスマスイヴに、生まれて初めてアメリカ大陸の土を踏んだ私たち。私たちというのは、まだ小学生と中学生だった2人の娘とわたしのことだ。

 飛行機を降り立ったアルバクウェルケ(アルバカーキ)空港では、娘たちに大人気のダニーさんがトナカイの角をあしらったハットを被って出迎えてくれた。(Thank you so much, Dany!  We'll never forget your kindness.)

 左手にリオグランデを見ながら車で一路サンタフェへ。

 サンドラ・シスネロスの作品2冊を翻訳することは決まっていたのだけれど、そのまえにやらなければならない仕事があって、結局、晶文社からシスネロスの翻訳が出たのは1996年だった。ほぼ4半世紀という時をはさんで、まず『マンゴー通り、ときどきさよなら』が昨年、そして『サンアントニオの青い月』が今年、白水Uブックスから復刊された。感無量だ。

 カバーには今回もまた、テックスメックスのさまざまなモチーフを鮮やかな色合いで描いてくれた、沢田としきさんの作品を使わせていただいた。解説は金原瑞人さん。クリスマス・イヴには書店にならぶはずだ。プレゼントにぜひ!
 
🌺🌺🌺 原著とならんで 🌺🌺🌺
マンゴー通り、ときどきさよなら』では、女性をとりまくさまざまな問題がまだストレートなことばにならなかったので、10代の少女の声を借りて描いたけれど、この『サンアントニオの青い月』(原題は「女が叫ぶクリーク」)ではやっと女たち自身のことばで語ることができた、と作者シスネロスが語っていたのを思い出す。22篇の短編を読み進むと、その意味がじんじんと伝わってくる。
 原作が扱う時代は1980年代末から90年代にかけて。アメリカとメキシコの国境地帯のいまとメキシコ革命の時代だ。

 この作品が発表された当時から、シスネロスは自分のことを「戦闘的フェミニスト作家と呼ぶなら呼んでいいわよ」といっていた。でも、残念なことに、初訳が出た1996年の日本では、やっぱり「フェミニズム」とか「フェミニスト」という語を表に出して使うことがためらわれた。つい最近までそうだったわけだけれど。

 小説や詩や、いわゆる「文学」がフェミニズムやフェミニストという語と関連させることを忌避した時代は、本当に、長かった。でもじつは、女たちの生と性の底流では、いつだってずっと、その見えざるたたかいが続いてきたのだ。やっとそれが表に出てきた、つまり主流の文学のなかに堂々と認められるようになってきたのだ。それがここ数年の大きな変化だ。

 もう後戻りはできない。🎉🎉🎉

Photo by Keith Dannemiller
フェミニズムの勢いが伝えられるメキシコや、チリや、アルゼンチンといったラテンアメリカで書かれている女性たちの文学がもっと訳されるといいなと思う!
 
 こうしてシスネロスの作品が復刊されて思うのは、いまならサンドラ・シスネロスを「フェミニスト作家」と誇りをもって呼べるということだ。「フェミニスト」や「フェミニズム」が概念としてごわごわした分厚いコートのように感じられた時代は去り、ふわふわした薄着も柔らかな編み込みセーターも、真っ赤なルージュもそれはそれでみんなフェミよと、あっけらかんといえる時代になったのだ。
 ここまでくるのに、どれほど多くの人たちの苦しみと奮闘と、被害者というレッテルを剥がして人間として誇りを取り戻すための、逆転の力学がたたかいとられてきたことか。

 もう後戻りはできない。🌺🌺🌺


****
夜に。サンドラ・シスネロス『サンアントニオの青い月』(白水Uブックス)のみほんがとどいた今日、ミッドナイトプレスの岡田幸文さんの訃報を知る。1990年代初めに、シスネロスの詩の翻訳をいちはやく、彼が刊行する詩誌に掲載して応援してくれたのが、岡田幸文さんだった。ご冥福を心からお祈りします。

2018/09/07

『マンゴー通り』がTOKYO FMで

温又柔さんの解説!
22年ぶりに、温又柔さんの解説つきで復刊された、サンドラ・シスネロスの『マンゴー通り、ときどきさよなら』(白水社 Uブックス)が、TOKYO FM 「パナソニック メロディアス ライブラリー」で取り上げられます。番組は明後日、9月9日(日曜日)午前10時から10時半まで。

 パーソナリティは作家の小川洋子さん、アシスタントは藤丸由華さんです。
 テレビやラジオについては、まったく疎いわたしですが、PCでもラジオが聴けることを少し前に教えてもらいました。TOKYO FMは、ここから入っていけます! ぜひ!


2018/07/21

少女の「静かなたたかい」

北國新聞と埼玉新聞に、サンドラ・シスネロス『マンゴー通り、ときどきさよなら』(白水社Uブックス)のステキな書評が載りました。

 詩は「静かなたたかい」
 少女の「静かなたたかい」

 22年ぶりに復刊されたこの本、現代の日本社会には以前よりもっともっと切実になっているような気がします。移民の問題、難民の問題、ふたむかし前はどこか遠くの出来事のように感じていた人も多かったかもしれないけれど(じつはすぐそこで起きている現実だったんですが)、2018年のいま、だれもが気づく時代になりました。
 だって、ほら、すぐ隣にいるんですから、土俵の上にも、グリーンの上にも、いろんなオリジンをもった人が。街をゆくこの土地生まれの子供が。


 温又柔さんの解説にもあるように、作品のなかでエスペランサに向かって、詩を「書きつづけなければだめよ。書けば自由になれるからね」と病気のルーペおばさんがいったところは、何度読んでも涙ぐみそうになります。


 そう──彼女は「静かなたたかい」を始めたんです。「ひとりで立つために。自由のとびらを開くために」──書いてくださった田村文さん、どうもありがとうございました。森佳世さんのすてきなイラストもついていて、復刊書なのに立派な書評あつかいです。こんなに嬉しいことはない。

この「本の世界へようこそ」は、14歳くらいの読者を想定したシリーズで、共同通信の配信です。

2018/07/06

日経新聞夕刊「プロムナード」の連載が始まりました!

7月6日から、日経新聞の夕刊で「プロムナード」の連載が始まりました。
 
担当は金曜日です。第一回は「翻訳の置きみやげ」というタイトル。
 肩書きが「翻訳家」ひとつになったので、それでは最初は翻訳を中心に。というわけで、ここ半年間のあれこれと、その置きみやげについて、書きました。

J・M・クッツェー『モラルの話』の主要登場人物、エリザベス・コステロに憑依された話です。でも、同時にゲラ読みしていたサンドラ・シスネロス『マンゴー通り、ときどきさよなら』のエスペランサも登場します。

 これまで肩書きは「翻訳家・詩人」と名乗ってきたのですが、ひとつだけに絞ってと言われて、そうなるとやっぱり「翻訳家」というわけで、後半の「・詩人」(ナカグロ・シジン)は消えました。これについてはまた別に書きます。

 こんな感じで金曜夕刊に年末まで書かせてもらいます。

 ウェブでも読めるので、みんな読んでね〜〜〜!

2018/06/17

S・シスネロス『マンゴー通り、ときどきさよなら』のイベント無事終了!

6月も中旬だというのに、もうすぐ夏至だというのに、なんと寒い日々だろう。

温又柔さん、金原瑞人さんと...イベントが無事に終わって
季節はずれの低い気温と、季節に従順に空からぱらぱら落ちてくる雨。土曜日の下北沢、B&Bで行われた、サンドラ・シスネロス『マンゴー通り、ときどきさよなら』白水社Uブックス復刊記念のイベントが、無事に終了しました。いっしょにシスネロスの魅力を語ってくれた金原瑞人さん、温又柔さん、ありがとうございました。

 イベント前にこれをかけましょう、といって、ライ・クーダーのCDをもってきてくれた温さん、Muchas gracias!  来てくださった方々に、『マンゴー通り』とほぼ同時期にゲラを読んでいたクッツェーの『モラルの話』の内容を話すことができたのは、もっぱら金原さんがさらっと巧みに話の流れをつくってくれたおかげでした。Muchas gracias!

 シスネロスが『マンゴー通り』の各章をいつ、どこで書いていたのか、彼女の新著 A House of My Own から紹介しました。また、さらさらと読ませながらガチで考えさせるクッツェーの硬質な文章と、12歳の少女のみずみずしい語りを同時に読む、というまれな経験についても話すことができました。それは、クッツェー作品に惹かれるわたし自身と、シスネロスのやわらかなことばによって解放されるわたし自身のあいだを、行ったり来たりする小さな旅でもあったと思います。得難い体験でした。
 
 シスネロス自身が朗読する「マンゴー通りの家」を聞き、温又柔さんが朗読する「三人の姉妹」を聞き、それから訳者が「髪」を朗読。さらにシスネロスが来日したときのことを書いた自作詩を読んで会は終わりました。

 ぱらつく雨のなか、来てくださった方々に感謝します。9日の「クッツェー祭り」に続いてお世話になったB&Bのスタッフのみなさん、そしてなんといってもここまでリードしてくれた編集者Sさん、どうもありがとうございました。❤️

2018/06/10

来週のイベントは──『マンゴー通り、ときどきさよなら』

昨日のJ・M・クッツェー『モラルの話』刊行記念イベント、「境界から響く声達」は無事終了。みなさん熱心に耳をかたむけてくださり、中身の濃い質問や意見などがつぎからつぎへと出て、あっというまに時間がすぎました。
 このイベントをきっかけにクッツェーという作家に興味をもったという人もいて、嬉しいかぎりです。ご来場の大勢の方々、見事なさばきで会を盛り上げてくれた進行役の都甲幸治さん、本当にありがとうございました。
 イベントの内容は、10月ころ雑誌「英語教育」(大修館書店)に掲載される予定です。

 読者との出会いは訳者には、とても、とても励みになります。昨日のようなイベントはとりわけ。間をおかずに、つぎつぎと中身の濃い質問が出て、それに対して訳者が待ってましたとばかりに(笑)ことばを返す、というやりとりは、訳した本が日本語の海のなかに確かに船出したのだと確認できるすばらしい機会です。たった一人で部屋にこもって、苦労して翻訳をしてきたかいがあったと、疲れも吹き飛ぶ瞬間なのです。これはもう訳者冥利につきます。


 さて、来週もイベントが続きます。

「今の日本で光を放つ、移民文学の魅力」

 サンドラ・シスネロス『マンゴー通り、ときどきさよなら』の復刊記念。おなじくB&Bで、16日(土)の午後3時。すでにお知らせしましたが、金原瑞人さん、温又柔さん、という豪華ゲストです。お楽しみに〜。


2018/05/14

サンドラ・シスネロス『マンゴー通り』発売です!

今朝とどいたばかりの見本 (5.15追記)
サンドラ・シスネロス『マンゴー通り、ときどきさよなら』が白水社のUブックスから可愛い本になって、5月18日に発売です。

その刊行を記念して、B&Bで6月16日(土)午後3時から、豪華ゲストを迎えてイベントをやります。

今の日本で光を放つ、移民文学の魅力

🌟ゲストは、金原瑞人さん、温又柔さん🌟

 
 あまり手を入れないつもりだったけれど、見直してちょっと赤が入ったのは「三人の姉妹」だった。主人公エスペランサの友達ルーシーの家の赤ん坊が死んでしまい、8月に吹く風といっしょにお弔いにやってきた三人のコマードレスたちが出てくる章。
 浮き世ばなれしている三人は、月のひとだったのかもしれない。ひとりはブリキ缶のような笑い声を、ひとりは猫のような目を、もうひとりは磁器のような手をしていた。そんなおば(あ)さんたちが、エスペランサに向かって、ちょっとこっちへおいで、という。チューインガムをくれて、彼女の手をじっと見るのだ。そして、この子はとっても遠くまで行くね、といった。そのおばあさんたちの口調をちょっと変えた。
 初訳は「いかにも、おばあさん」といった口調になった。訳したのは40代の半ばで、まだおばあさんではなかったから😅😊、それまで読んだ本のなかに出てきた「いかにも、おばあさん」ふうに訳した。よく考えたら、当時だって、いまだって、60歳でも70歳でも、だれもこんなふうに話をする人はいないかも、と気付いてしまった。いまや訳者も68歳、しっかりおばあさんの年齢だが、ちっともこんなしゃべりかたをしていないじゃないか。
 なぜ、「いかにも、おばあさん」口調であのとき訳したんだろ? きっと、おばあさんとはこういうもの、とそれまで読んだ本からインプットされていたのだ。どんな本かって? ちいさいころに読んだ児童文学。たぶん、翻訳された児童文学。そのなかに出てくるおばあさんに無意識に似せてしまったのかも。あるいは日本昔ばなし?

 これは、それほど昔の話ではない。つい50年ほど前のシカゴの話だ。だったらリアルに訳そう。そこで、できるだけいまの68歳がしゃべるような口調にした。でも、12歳のエスペランサにとっては、得体の知れないコマードレスたちだから、その得体の知れなさはしっかり残したい。でも、ステレオタイプはやめようと。

 その三人のコマードレスはこんなふうにいうのだ。

「出ていくときはね、……忘れずに帰ってくるんだよ。あんたのように簡単には出ていけない人たちのために」

 何度、読み直しても、訳者はここで涙ぐんでしまうのだけれど。

 

2018/04/27

よみがえる『マンゴー通り、ときどきさよなら』by サンドラ・シスネロス

サンドラ・シスネロスの『マンゴー通り、ときどきさよなら』が、白水社のUブックスに入ることになりました。この本については、ちょうど2年前にここに書きました。

 長いあいだ古書しかない状態だったのが、ついにリニューアルされて書店の棚にならびます。5月18日発売です。あら、もう1カ月を切っているんですね。

 帯には金原瑞人さんのことばが! Merci!
 そして解説は、温又柔さん! Gracias!
 そして、そして表紙の絵は沢田としきさん💦!!

 帯のことばを見て、ああ、この本の舞台になったシカゴにあるマンゴー通りの暮らしは、ちょうど半世紀ほど前のことだったのか、としみじみしてしまいました。そう、半世紀前のサンドラにしてエスペランサの暮らしが、生き生きとよみがえったのです。この日本で。

 訳者も、ちょうど半世紀前に北海道から東京へ、移民ならぬ移動をしてきました。なんだかこれは、とても偶然の一致とは思えない。エスペランサと訳者の名前の重なりもまた。

 みなさん、マンゴー通りのエスペランサを、どうぞよろしく!


2014/05/01

歌曲/ジュノ・ディアス『こうしてお前は彼女にフラれる』から生まれた曲

ジュノ・ディアスの短編集『こうしてお前は彼女にフラれる』(都甲幸治・久保尚美訳/新潮社)のエピグラフに出てくるサンドラ・シスネロスの詩「One Last Song for Richard」に曲がつきました。なんと!
 
 facebook で作者のジュノ・ディアスさんがアップしていて知りました。作曲したのはリチャード-リカルド・ハラミジョさん。こんな曲です。驚きです。



2012/10/29

毎日新聞「新世紀 世界文学ナビ」にシスネロスについて

今朝の毎日新聞文化欄の「新世紀 世界文学ナビ」に、サンドラ・シスネロスについて書きました。「ラティーノ・ラティーナ編です」。よかったら、ぜひ。

 シスネロスはつい最近、Have You Seen Marie? という新刊も出たばかり。

**************
2012.11.30付記:ここで読めるようになりました。

2014.1.21追記:毎日新聞デジタル版は古い記事をどんどん消すことにしたみたいです/残念、涙。シスネロスについての記事をここで読めるようにしました。よかったら!

2012/09/06

ジュノ・ディアス短編集──This is how you lose her

さあ、本がとどいた。表紙がすっごくすてき。Faber & Faber のだけれど。
This is how you lose her ── さあ、どう訳すのかな。楽しみだな。

 エピグラフがサンドラ・シスネロスの詩の一部からとられている。One Last Poem for Richard/リチャードのための最後の詩。シスネロスが若いころ出した詩集に入っている。

Okay, we didn't work, and all
memories to tell you the truth aren't good.
But sometimes there were good times.
Love was good.  I loved your crooked sleep
beside me and never dreamed afraid. 

 今年は思わぬ「贈り物」で、たっぷりと本が読める。寝っころがって読書三昧なんて、ずいぶん久しぶり。夏休みがまだ本物の夏休みだったころ以来だな。つまり、母親業に突入する前のことか・・・。

 まだまだ暑さはつづくから、その分、まだまだ夏休みもつづくといいな。ほとんどどこへも行けない者の特権! 

2012/05/07

東京のカラス万歳!──サンドラ・シスネロス

東京のカラス万歳!    サンドラ・シスネロス/くぼたのぞみ訳


ずっと元気でいてね ギャングのカラス
用賀のカラス 代々木のカラス
新宿のカラス 渋谷のカラス
赤坂のカラス 仲御徒町のカラス
辰巳のカラス 高田馬場のカラス
千駄木のカラス 曙橋のカラス

ずっと元気でいろよ ギャングのカラス
ひとりでも ぐるになっても
ゴミ袋から
花嫁のヴェール剥がして
がんがん要求する
なんだってありだからね



Long Live the Crows of Tokyo by Sandra Cisneros


Long live the gangster crows
of Yoga and Yoyogi
of Shinjuki and Shibuya
of Akasaka and Naka-okachimachi
Tatsumi and Takadanobaba
Sendagi and Akebonobashi

Long live the gangster crows
solo and in collusion
lifting the bridal veils
from trash bags
and demanding
anything goes




4.23.12 Tokyo
4.19.12 San Antonio, Texas

© 2012 by Sandra Cisneros. All rights reserved. By permission of Susan Bergholz Literary Services, New York City and Lamy, NM and The English Agency (Japan).
translation © 2012 by Nozomi Kubota, all rights reserved.

*********************

2012年4月13日、東京は表参道の居酒屋「もくち」で来日したサンドラ・シスネロスさんと会った。
 ずっと彼女の著作権を扱っているイングリッシュ・エージェンシーの澤潤蔵さんがもうけてくださった会席にかけつけてくれたのは、1992年このチカーナ詩人/作家をいちはやく日本に紹介した詩人の管啓次郎さん、拙訳『マンゴー通り、ときどきさよなら』を気に入ってくれた若い作家の温又柔さん。なんと彼女の小説『来福の家』のエピローグには『マンゴー通り』のある章からの引用が・・・。それぞれが長いあいだ温めてきた思いがはじけるような、とてもホットな、心に残る夕べだった。みなさん、どうもありがとう!
 金曜の夜とあって、隣席からは爆竹がはぜるような笑い。傘をなくしたわたしは渋谷駅までの帰り道をサンドラと相合い傘、小雨ふる大通りを腕を組んで歩いた、忘れがたい夜。
 そして数日後、帰国したサンドラから一編の詩が送られてきた。それがこの詩。管啓次郎さんとの競訳とあいなりました。「水牛のように」に書いた詩「マンゴー通りからきた詩人」とも響き合っています。Please enjoy!

2012/05/01

マンゴー通りからきた詩人

4月13日金曜日の表参道。サンドラ・シスネロスと会った。

 サンドラ・シスネロスの『マンゴー通り、ときどきさよなら』と『サンアントニオの青い月』を、晶文社という出版社からの依頼で翻訳して出したのは1996年だった。あれから16年。

 今月の水牛に「マンゴー通りからきた詩人」という詩を書いた。サンドラが日本にやってきたことを詩に書くなんて、まったく思ってもみなかったことだ。なんという時間の不思議。

 サンドラは日本がとても気に入ったようで、また来たいといっている。満開の桜を楽しんだ今回の日本滞在記がこちらで読めます。

2010/05/01

追悼、沢田としきさん

沢田としきさんの訃報は2日前、新聞の朝刊で知った。
「ええっ!」と思わず声をあげてしまった。享年51歳、あまりにも若い。

 沢田さんには、1996年に2冊出した訳本にすてきな絵を描いていただいた。80年代の米国でブレイクしたメキシコ系アメリカ人/チカーナ作家、サンドラ・シスネロスの『マンゴー通り、ときどきさよなら』と『サンアントニオの青い月』(共に晶文社刊)、スペイン語と悪戦苦闘して訳した2冊だった。

『マンゴー通り』のカバーをよく見ると面白いことがわかる。本のなかに登場する人物が、一人ひとり丁寧に描き込まれているのだ。訳文を読み込み、内容にぴたりと沿って絵を描いてくださった。絵のまんなかにスペイン語で「EL BARRIO ES NUESTRO(このバリオはあたしたちのもの)」とあるのは、沢田さんが奮発して、ご自分で書き入れてくださったもの。最初は原著者がどう思うかなあ、とちょっと心配になったけれど、まったくの杞憂だった。

 シスネロスさんは2冊つづけて出版された邦訳書を手にして、とても喜び、そのときまでに出た訳書のなかでいちばんお気に入りの装丁です、と手紙をくださったのだ。

『サンアントニオの青い月』を読んだ沢田さんが「聖なる夜」が衝撃的でいちばん印象的だった、とおっしゃっていたと編集者からきいた。訳者にとってそれは、軽い驚きとともに、まだお会いしていないこのイラストレーターの人柄を知るひとつの手がかりとなった。

 沢田さんとはたった一度だけお目にかかったことがある。「アフリカ子どもの本プロジェクト」(代表はさくまゆみこさん)の発起人に名を連ねる彼が、西アフリカの太鼓/ジェンベをすばらしい音で叩くのを、このプロジェクトの原画展で拝見したときだ。その後、何度も展覧会のお知らせをいただきながら、忙しさにまぎれて、結局うかがえなかったのが、本当に心残りだ。

 ご冥福を心よりお祈りいたします。