2017/06/28

2年遅れの読書──セバスチャン・サルガド再考

2年間、積ん読状態だった本をようやく読了した。セバスチャン・サルガドのことばを聞き書きした『わたしの土地から大地へ/De Ma Terre à la Terre』だ。

本を読む前に「地球へのラブレター」という、タイトルを見るとちょっと恥ずかしくなる映画を観てしまったのが、はっきりいって、悪かった。それで2年前に、ここで、映画を観た感想を早々と書いてしまった。いまサルガドの自伝的語りを読み直してから、2015年のブログの文章を再読してみたが、書き直さなければならない箇所はなく、むしろそこで疑問に思ったことがこの『わたしの土地から大地へ』を読んで、おおかた解決されたことを報告したい。

 この本は面白い、面白いだけでなく感動的でもあり、サルガドの写真を理解するうえでとても貴重だ。彼の写真を、彼自身が語る人生や時間と重ね合わせて、もう一度見たり考えたりすることができるからだ。とりわけブラジルの1960年代の政治事情。恋人レリアといっしょにパリへ亡命した10年間については、じっくりあちこち調べながら読んだ。そうか、60年代に南アメリカ諸国からパリへ逃げた人たちは本当にたくさんいたんだなあと。歌手のカエターノ・ヴェローゾもその一人だったはずだ。当時の亡命人たちを監視していたスパイの事情(サルガドの家にやってくる知人、友人の姿をとった)も背筋がぞくっとしたけれど。

 ヴェンダーズの映画を見て激しく疑問に思ったコンラッドのことばは、この本のどこを探しても出てこない。あれは明らかにドイツ人映画監督から見たアフリカへの、ヨーロッパ的視点であり、西欧の観客受けのために加筆したことばだったのだろう。

 もちろんこれはサルガドの「自伝的な語り」であるため、おそらく記憶は自分に都合よく整理されて記録され、それを聞き手がさらに整理して読者の前に差し出すプロセスを経ている。だから「物語」としてはとても読みやすい。つまり消費されやすいものとなっている。しかし、サルガドの写真を追いかけてきた者にとって貴重な細部をも提供してくれるのは事実。

2009年の展覧会カタログ
2009年に恵比寿の東京都写真美術館で開催された「アフリカ」を思い出しながら読んだ箇所もある。モザンビークの作家ミア・コウトを訳したこともあって、モザンビークの歴史事情にふれるサルガドのことばがびんびん響いてきた。
 最後のナイル川の源流をさかのぼるエチオピアの旅では、スーダンのハルツームで白ナイルと青ナイルが合流することを、スーダン出身の作家レイラ・アブルエラーが強調していたことも思い出した。

 そして、なにより大きな収穫は、サルガドは、やっぱり、南半球の出身、それもブラジルの森の奥にある農園で少年時代を送った感性を身につけている人間だということだ。この本を読むとなぜ彼が「アフリカ」を愛したか、ルワンダ虐殺に関係するさまざまな光景を見て、事態に遭遇して、精神を病むほど影響を受けたか、そこからの自己快復として父親から譲り受けた土地に数百万本の木を植えながら「GENESIS」へ向かっていった理由がよくわかる。
 読みながら、あらためてブラジルってどういう国だっけという疑問が浮かんだ。ブラジルってアフリカからアメリカスへ奴隷として大航海時代以降もっとも多くの黒人が連行された土地だったことも思い出した。ブラジルとナイジェリア、ブラジルとアンゴラ、などの大西洋をまたいだ関係も視野に入ってくる。

レリアとわたしにとって大事なことは、いつでもじぶんの時代にかかわるような生き方をすることだ」──p210。これがもっとも印象にのこったフレーズだった。
 
 先日買った、ジョアン・ジルベルトのベストアルバムでボサノヴァを聞く耳さえ、この本を読んだあとでは、少しだけ変化したような気がする。

 写真集 GENESIS も買おうかな。
 

 

2017/06/13

チママンダ・アディーチェの最新スピーチ

6月4日に、マサチューセッツ州にあるウィリアムズ・カレッジの卒業式で、アディーチェがこれまでになく、政治について、階級について、はっきりと語りました。民主制が本当に民主的であるためには。。。
 そして最後に、卒業生にエミリー・ディキンソンの詩から「希望」をめぐることばを贈っています。希望はいつも羽をもっている、と。




2017/06/04

ボードレール、だれそれ?


明後日6日発売の雑誌「すばる」7月号がなんと「詩」の特集を組んでます。

 わたしも「ボードレールと70年代」というお題をいただき、あれこれ考えているうちに、学生時代のことをリアルに思い出して書きました。
 当時通った狭い敷地の大学に、「造反教官」と呼ばれた2人のすばらしい教官がいたこと。もちろんカッコイイ先生はほかにもいたのですが、ダントツに強い記憶に残っているのは安東次男と岩崎力のご両人、いずれもフランス文学を教えていた人たちです。安東教授に対する一方的かつ理不尽な教授会からの弾劾辞職勧告決議に、日本フランス語学文学会はすぐさま抗議声明を出したのは快挙でした。当時の世相がどんなものだったか、レジスタンスのありかたなんかも少し。記録として。
 また、阿部良雄責任編集による1973年5月刊の雑誌「ユリイカ、ボードレール特集号」にずらりと並んだ、そうそうたる面々も書き写しました。記録として。

 昨年出した『鏡のなかのボードレール』(共和国)を書くことになったいきさつや、JMクッツェーの個人ライブラリーの最終巻『51 poetas/51人の詩人』に『悪の華』から入った4つの詩篇「スプリーン(憂鬱)」についても。あいからわず、話は「一つ所に滞らない」どころか、じつにあちこちにジャンプします😆。

 タイトルは「たそ、かれ、ボードレール」!
 そう。「黄昏ボードレール」です、というよりむしろ、ぶっちゃけた話、「だれそれ、ボードレール?」って感じでしたね、あのころは。😇!



2017/06/02

6月の夕暮れ

 今日は風の強い1日だった。朝方の、もう梅雨かと思わせる強い湿気が強風に吹き払われて、昼すぎには空気も軽くなってほっと息をつく。夕方、いつもの散歩にでかけると、6月の陽はまだ高く、雑木林に斜めに差し込む西陽が足元の路上に揺れる葉波模様を描いている。樹木から振り払われた小枝を踏む。靴底がぱりぱりと音をたてる。
オパールの原石:璃葉
 夕陽をあびながらいつもの道をたどる。古い保育園の前で立ち話をする母親たちのまわりを、幼い子供が走りまわる。一瞬、走ってくる小さな娘たちを思い切り抱きあげた遠い記憶がよみがえる。そして、長いあいだ住み暮らした土地を離れなければならなくなった人たちのことを考える。戦争で。原発事故で。津波で。過疎で。残って土の世話をしつづける者のことを考える。廃屋に住みつづける者。野生化寸前の山羊と。牛と。緑なす原野のことを考える。

 今日は風の強い1日だった。いまもまだ風は吹いている。余計な湿気も、妄想の霧も吹き払ってくれそうな6月の、もう初夏とはいえない、夏の風だ。

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絵は「水牛のように 6月号」に掲載された、璃葉さんの文と絵「オパール石」から拝借しました。

2017/06/01

クッツェーがトルコの教育者たちに連帯のメッセージ

Nuriye Gülmen and Semih Özakça
JMクッツェーが、トルコで昨年、クーデタ未遂事件後に出された非常事態宣言によって解雇された教育者たちに連帯のメッセージを出した、と伝えられる。彼らは解雇に抗議してハンガーストライキをしていたが、逮捕され、刑務所内でもハンストを続けているという。以下はこのトルコの「デイリーニュース」のサイトからの抜粋。
 またストックフォルムの「自由のためのセンター」のサイトにも詳しい。(画像はこのサイトから拝借。)

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<ノーベル賞作家JMクッツェーがトルコでハンガーストライキをしている教育者たちへ連帯のメッセージを送る>

JMクッツェーが、非常事態命令のために解雇されたことに抗議して80日以上のハンガーストライキを続ける教育者ヌリエ・ギュルメンさんとヘミヒ・オザクチャさんに連帯するメッセージを送った。
 ギュルメンさんは研究者、オザクチャさんは小学校教師で、ハンガーストライキを開始して75日目にあたる5月23日に「テロ」容疑で逮捕されたが、刑務所内でもハンガーストライキを続けている。スレイマン・ソイル内務大臣は彼らを非合法化された「革命的人民解放党」のメンバーだと非難した。
 クッツェーは手紙でトルコ政府に対し、この問題について行動をとるよう呼びかけた、と5月30日付オンラインニュース・ポータル「Bianet」は報じた。 

 クッツェーは手紙のなかで「ヌリエ・ギュルメンさんとヘミヒ・オザクチャさんが勇敢にもハンガーストライキによって訴えたのは、新体制トルコで知識人が置かれた絶望的な状況に世界の耳目を集めるためだ。どうかNATO内でトルコと同盟を結ぶ国々の政府はこれに注目し、レジェップ・タイイップ・エルドアン大統領に対して自国を法治国家へ戻すように圧力をかけてほしい」と述べた。

 トルコでは、2016年7月15日に合州国を根拠地とするイスラム教伝道者フェトフッラー・ギュレンの信奉者によって指導されたと広く考えられているクーデタ計画が失敗したあと、非常事態命令が出され、それ以来ずっと非常事態が続いている。

 何千という人が非常事態命令のために職場から解雇されたままだ──以下略──
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クッツェーの手紙の文面は以下の通り:

“Nuriye Gülmen and Semih Özakça have bravely gone on hunger strike to draw the attention of the world to the desperate situation of intellectuals in the new Turkey. It is to be hoped that governments associated with Turkey in NATO will take note and exert pressure on President Erdoğan to return his country to the rule of law,” said Coetzee.