ラベル 『鉄の時代』 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 『鉄の時代』 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2020/06/09

今日の午後は映画「奇跡の丘」を観たのだ

 今日の午後は、ピエロ・パオロ・パゾリーニ監督の映画「奇跡の丘」をじっくりと観た。ジョン・クッツェーが若いころからくりかえし観てきた映画だ。

 7年前にJ・M・クッツェーの『青年時代』の翻訳のためにDVDを買って観たのだけれど、そのときは「ふ〜ん」と思っただけだった。だが、クッツェーが着々と書き進めた「イエスの三部作」の最終巻「イエスの死」を昨年10月に英語版で読んだとき、この映画は絶対もう一度観なければと思った。今日それを果たして、なるほど、これか! と唸ってしまった。

『青年時代』によれば、これは青年ジョンがロンドン時代に政教一致の南アフリカで教育を受けた自分が、それまでに心身ともに染み込んでいるキリスト教文化の土埃を足から振り払ったつもりが、そうではなかった、最後に近いシーンでキリストの両手に釘が打ち付けられる一瞬一瞬に身体がぶるっぶるっと震えて、見終わったときは不覚にも涙が出てきた、という体験として述べられていた。彼が眼鏡を初めて作って観た映画でもあった。

パゾリーニの映画は、聖書のなかでもいちばん物語性の強い「マタイによる福音書」に基づいていて、聖書の有名なエピソードが次々と描かれる。音楽はバッハだ。マタイ受難曲や、耳慣れた曲がいくつも聞こえてくる。また、最初に聞こえてきたのはアフリカンアメリカンのゴスペル歌手、オデッタの「ときには母のない子のように」で、ああ、この映画は1964年製作だったんだとしみじみした。

 今回とりわけ印象に残ったのはイエスの母親役を演じた女優だ。なんと、パゾリーニ自身の母親だという。息子を磔にされる老女の悲しさが、震える全身から伝わってくるのだ。『鉄の時代』の主人公エリザベス・カレンの心象とつい重ねてしまいそうになった。

 パゾリーニの映画についてはこのブログでも何度か書いてきたが、とくに2017年にミラノで行われた映画祭のときにクッツェー自身が映画評を書いているのを再録しておく。元ポストはここ。

「弱き者と抑圧された者に寄り添うマタイ伝を忠実に映像化しようとした、イエスは超人的に描かれる、それはパゾリーニのイエス観にもとづく、神話を再現しようとしている、当初撮影が予定されていたパレスチナはイスラエルの意図により聖性が取り去られていて、南部イタリアに変更された、そこは先進国のなかの第三世界であり抑圧された土地だった、人々の慎みは聖地がもっていたものと同じである、その慎みと聖性は、現代のパレスチナのように、失われていくものだった、パゾリーニはのちにそれを嘆くようになる、パゾリーニはこの映画に中世の世界観を持ち込む、すなわち光は世界を照らすというものである、ゆえにこの映画の人々は逆光や真上からの光線により、造形的に正面から絵画的に描かれる、イコンのよう映像なのである。」(翻訳は土肥 秀行

「イエスの三部作」との関連はまた別に書こうと思う。

2020/05/13

ディアス・ビーチのJ・M・クッツェー

これで何度目かなあ、と思いながら2000年のJ・M・クッツェーのインタビューを見る。オランダのテレビ局が制作した「美と慰めについて/Of beauty and consolation」というシリーズ。最初のほうは、ケープタウンのホテルでのインタビューで、音楽的な美しさがあると著者自身がいう『マイケル・K』の最後の部分を、オランダ語で朗読するクッツェー。(このブログに埋め込むのは、たぶん、1度目2度目、そして今回の3度目)
 


(以下のメモは備忘のため)

「書くことについて/on writing」
世界をありのままに把握してそれをある枠組みのなかに置き、ある程度まで手なづけること、目標としてはそれで十分/grasping the world as it is and put it within a certain frame, taming it to a certain extent, that is quite enough for an ambition」

52:40
人は癒しのために美が、自然の美が必要なときがある、なにか小さな、花とか、あるいはワイルドで大きなここの風景のようなものによって、自分の、動物としてのオリジンと結びつくような自然の美が。。。

備忘録として少し書いておくが、最後のほうで、『鉄の時代』に出てくる「天国」の部分に関連させて質問している。クッツェーは「死」「神」「天国」といった概念について「考えていく」と明言していた。

1:15:00
ヨーロッパの伝統で人が神に「不死の生」をさずけてほしいと願ったのは誤りだった。

2020/05/12

『鉄の時代』のファーカイルは白人か、黒人か?

J・M・クッツェーの『鉄の時代』に出てくる浮浪者ファーカイルは白人か、黒人か?
河出文庫 2020.5.7発売
これはなかなか解けない問いのようだ。2008年に初訳が出たとき、ある研究者は白人と断定して自作内で論を立てた。ある読者は黒人とみなして感想を書いた。しかし。

主人公ミセス・カレンの家の敷地に無断で入り込み、ガレージのわきの通路にダンボールとビニールシートで家らしきものを勝手に作って、そこに身をまるめていたのがファーカイルだ。作品の最初に、まず書かれているのがファーカイルの風貌で、細かな描写がある。

「背が高く、痩せこけて、風雨にさらされた皮膚に、長い虫歯の犬歯、ぶかぶかの灰色のスーツを着て、縁のほつれた帽子をかぶっていた」

 これだけでは「黒人か白人か」はわからない。ところが数ページ後に非常に重要な語がはさみこまれる。

「馬面の、風雨にさらされた顔、酒で目のまわりがむくんでいる。奇妙な緑色の目──不健康な」

 この「緑色の目」というのが決め手となるか、ならないか。白人だ、と思ったひとはここで判断したらしい。しかし、ゾーイ・ウィカムの『デイヴィッドの物語』の主人公はカラード(混血)だが紺碧のような緑色の目をした男だった。ということは?
 だが、決め手は、じつは、もっと後ろにある。ミセス・カレンの家で働いているメイド、フローレンスには子供が3人いて、長男ベキがいつのまにかタウンシップから逃げてきて、カレンの屋敷に住み着いている。住み着いて、といっても庭に離れのように立てられた狭い召使い部屋に、ということなのだが、このベキがあとからやってきた友人ジョンと2人で、酒浸りのファーカイルに殴りかかり、ファーカイルが手に持っていたブランデーの瓶の中身を地面に捨てるシーンがある。ここが決定的なのだ。なぜか?

ペンギン版 2018.9.25発売 
白人の屋敷内で黒人少年(ベキというのはバンツー系/黒人の名)が、いくら浮浪者でも白人に殴りかかることは、まず考えにくい。87年のケープタウンでの出来事なのだ。まだアパルトヘイトの法律は歴然と存在する。そして、酒ばかり飲んでいて闘わない旧世代へ若い世代が憤怒を募らせてきた歴史的事実があったことを思い出したい。南アフリカの解放闘争の歴史を少しひもとけば、それはわかる。とりわけブランデーがカラードの労働者たちに給料の代わりに支給された事実は『デイヴィッドの物語』にも出てきた。だから、若者が「のらくら者」と思われるファーカイルに殴りかかるシーンは、世代間の対立をあらわにする場面でもあるのだ。 
 そこまで読み解けば、ファーカイルは白人ではありえないことがわかるだろう。たとえ緑色の目をしていても。

 また、「黒人」だという見方は、非白人をすべて「ブラック」と呼んで団結した人たちの用語からすればあたっているが、フローレンスやベキのような「黒人」は当時南アフリカの法律では「ネイティヴ」と呼ばれた。だから「ブラック」というのはあくまで「非白人」という大雑把なカテゴリーなのだ。そこにはカラードもインド系もアジア系も入った。闘争の最終段階では「we black」と明言した反体制の白人闘志もいたくらいだ。そしてケープタウンはこのいわゆる「カラード」が「ネイティヴ」より多い街だったのだ。

 ということを考えると、ファーカイルはやっぱりカラードか、と思いいたる。おそらく、そうだろう。カラードといっても、肌の色とか文化的な背景とか、じつにさまざまなんだけど。
 そして作家は「ジョン・クッツェーはあたうるかぎりこの語を使うのを避けた」と『サマータイム』のなかで元恋人・同僚のソフィーに言わせていたことも思い出したい。


(2014年11月にアデレードで開かれたTraverses: J.M.Coetzee in the World の初日の朗読でクッツェーはこの『鉄の時代』の冒頭を朗読した。)

***
付記:そもそもVercueil・ファーカイルという名前は、いわゆるバンツー系(コーサとかズールー)の黒人の名前ではない。この作品中に出てくるThabane・タバーネとか、『恥辱』のセクハラ委員会の委員長Mathabane・マタバーネはともにバンツー系の名前だが、Vercueil・ファーカイルは明らかにフランス語かオランダ語起源の名前をアフリカーンス語読みしたもの。「V」は「ヴ」ではなく「フ」に近い音なのだ。これは2006年の初来日時に、作家本人に何度も発音してもらって確認した。

2020/05/02

J・M・クッツェーのシカゴ講演:『子供百科』で成長すること(2)

なんだか妙に気温があがってきて、そよとも風が吹かない午後になった。
 連休中はどこも書店は休業を余儀なくされて、かろうじてネット書店で注文はできるものの、本や雑誌が手に入りにくくなってる。おまけに肝心要の図書館も閉まっている。そこで!

岩波書店の「思想 5月号」に掲載されたJ・M・クッツェーのシカゴ講演:『子供百科』で成長すること(約53枚)──の解説「J・M・クッツェーの最新スタイル」を期限限定でここにアップすることにした! 
 クッツェーの講演の中身は第2巻の日本語訳が出たばかりの「イエスの三部作」と切っても切り離せない内容の、非常にスリリングな話になっているのだ。


*****J・M・クッツェーの「新」スタイル ****

──ほかに読むものがないときは緑の本を読む。「緑の本を一冊持ってきて!」と病床から母親に向かって叫ぶ。緑の本とはアーサー・ミーの編纂した『子供百科』のことで………『少年時代』12章

 これはアレルギーで微熱をだしたジョンが書物を貪るように読みはじめた『少年時代』のシーンである。『青年時代』『サマータイム』と書き継がれた自伝的三部作(1)の初巻を訳してから「緑の本」とはどんな本だろうとずっと思っていた。謎を解いてくれたのが2018年10月9日に作家が古巣のシカゴ大学で行なったこの講演 Growing up with The Children's Encyclopedia (『子供百科』で成長すること)だ。母親が買いあたえた中古の百科事典が少年期の自己形成にどんな影響をおよぼしたか、それを細かく検証しようとする作家はこのとき78歳である。

「緑の本」と呼ばれた『子供百科』の編者アーサー・ミーとはどんな人物だったか、編集方針やその底に流れる思想はどんなものだったか。アングロ・サクソンを最優秀とする雑駁な人種概念、優生学的な進化思想、ひた隠しにされたセックス、みずからの命を捨てる犠牲的精神の称揚など、クッツェーが文章や図版を示しながら論じる内容はスリリングだ。

──中略──

『子供百科』がイギリス帝国のプロパガンダとして愛国的な子供を作るために編集された歴史的事実と、その時代背景を分析する視線が、南半球で生まれた彼自身の少年時代を容赦なく照らしだしていく。

 『イエスの幼子時代』(註3)『イエスの学校時代』(註4)『イエスの死』と書き継がれた三部作は「特別な」子供と教育をめぐる、すぐれて哲学的な思弁小説である。

──以下略──


2020/05/01

河出文庫版 J・M・クッツェー『鉄の時代』

植木鉢にハーブの種など蒔いていると、予定より早く入手可能になっていました。河出文庫版のJ・M・クッツェー『鉄の時代』です。

 最初、カバーを見たときはびっくりしましたが、1990年に出たハードカバーとならべてみると不思議な共通点が浮かび上がることに気がつきました。ともに女性のプロフィールなんです。

右:Secker&Warburg 版 (1990)
原著の表カバーは打ちっぱなしのコンクリのような、木製のような、壁の上に何枚かのガーゼを重ねて、茶色の染みのようなものをにじませ、遠くから見るとギリシア彫刻の、おそらくデメテルの顔が、ぼんやりと浮上するようになっています。裏表紙もまた女性の写真で、顔の上にガーゼが置かれています。
 今回の文庫では、そんな「病んだ人間」を思わせる「ガーゼ」こそ使われていませんが、また別の要素が加味されて……まあ、カバーの話はこのくらいにして。

1990年版ハードカバー裏
これでクッツェー作品の文庫化は、2003年に集英社文庫『夷狄を待ちながら』、2006年にちくま文庫『マイケル・K』(その後 2015年に岩波文庫)、2007年にハヤカワepi文庫『恥辱』に続いて、4作目になります。

 舞台はアパルトヘイト末期のケープタウン、元ラテン語教師だったミセス・カレンが娘にあてて遺書代わりに書く手紙、という形式の小説です。2008年に池澤夏樹個人編集の世界文学全集の第1期に初訳として入りました。翻訳作業が作家の2度目の来日と重なって、膝詰めで疑問点を解決できたのは本当にラッキーでした。そんな裏話は、このブログ内にも<『鉄の時代』こぼれ話>のタグをクリックするとたくさん出てきます。

 作家クッツェーがまだケープタウンに住んでいたころの骨太の作品です。動乱の時代に目の前の現実にどこまでも真摯に向き合おうとする、そんな緊張感がみなぎった作品はこの「コロナの時代」を生き抜くための救命ボートにもなるでしょうか。なるといいなと思います。今回、文庫化にあたって新たに「訳者あとがき──よみがえるエリザベス」を書き下ろしました。J・M・クッツェーの現在地と、彼の作家としての世界的評価についても書きましたので、ぜひ!☆
 

2020/03/12

ロマン派について考えて、好き放題書いてみることにした(2)

2月に入ってから集中してきたJMクッツェー『鉄の時代』(河出文庫)のゲラ読み作業が一段落(発売は5月7日です)。さて、まわりは? と見わたすと。こもって仕事をする生活にコロナウィルスはほとんど影響しないことがわかった。人混みは、ふだんから極力避けているし。この2ヶ月のあいだ、ペースはほとんど変わらない。

 残念なのは友人との会食の回数がちょっと減ったこと。レストランやカフェなどは軒並み、がらん、街の店先も人影まばら。でも通勤する人たちにはあまり変化はないみたい、あの車内空間はまちがいなく最大の感染温床じゃないかな、と思う……。大変だよなあ。在宅勤務とやらの推奨もかなりあるらしいけど。子供は学ぶ機会を奪われて←これはひどいよ!対応策がなさすぎ!

 わたしのような「ひきこもり仕事」は自分で「区切る」ことがとても大事なので、ひとくぎり! 窓の外は春うらら。

 そこで余白に、「ロマン派アナトミー」の作業をすこしずつ進めよう。というわけで先週とどいたシューベルトの小曲がたっぷり入っているイアン・ボストリッジのアルバムを毎日聴いている。
「鱒」からはじまって「魔王」で終わる25曲。ピアノはジュリウス・ドレイク。1998年録音だから、1964年生まれのボストリッジは33歳か、若い!青い! 31歳で死んでしまったシューベルトには最適! とにかく、年老いて成熟する前に死んでしまった人なのだ、シューベルトは。こんなに「青春」と深く絡めて「ロマン派」を語るにふさわしい作曲家もいないんじゃないか、と勝手に思うことにした。

 じつは、このアナトミーはわたし自身の少女期の経験を分析してみようという作業でもある。1950年代後半から1960年代半ばというのは、ロマン派文学の翻訳が全盛を迎えた時代だったんじゃないだろうか?

 先日も少し年下の男性と話をしたんだけど、「ぼくたちが若かったころって新潮文庫をつぎつぎと読んだよね。「海外文学」と銘打たれた末尾カタログに載っているタイトルと著者名を、たとえ読まなくても、暗記するほどじっとながめてたよね」と彼はいう。
 それで身近に残っている60年代新潮文庫の後ろをながめてみた。最初に出てくるのがたいてい「フランス文学」、ずらりと「名作」がならぶ。それからイギリス文学、ドイツ文学、アメリカ文学、ロシア文学、その他の文学とくるのだ。この「その他」がねえ、摩訶不思議なジャンルだった。中学生のころ毎月楽しみにしていた「赤毛のアン」シリーズは、この「その他」、だってカナダだもん。

 ゲーテ『ウェルテルの悩み』、ヘッセ『車輪の下』、モーム『月と六ペンス』を全集で読んでから、この新潮文庫のリストをかたっぱしから読破、まずドーデ『風車小屋便り』から、という感じだった。

 肥大化した「フランス」「イギリス」「ドイツ」、いまなら考えられないほど末席におかれた「アメリカ文学」。イタリア、スペインなんか影も形もなかった。このようにして、60年代の読書人(!?)の頭のなかに世界地図が形成されていった。もちろんアフリカに文学があるなんて、ゆめゆめ考えもしない。なにしろ「暗黒大陸」だったんだから!!「本格派」はいつだって「西ヨーロッパ」の主要国から、だったのだ。とくにフランスとイギリス、ドイツ。

 戦後、手のひらを返したような「アメリカ化」が無批判に迎え入れられて、ハリウッド映画が怒涛のように流れ込んできた時代。テレビでもアメリカのホームドラマと西部劇が全盛で、「翻案」された和製ポップス(たいていアメリカから、ちょっとだけイタリアから、ほんのすこしだけシャンソン)が白黒テレビで流れた時代。
 そこへフランスからヌーベルバーグの新しい波がやってきた。映画青年たちはこぞって映画館に入り浸った。イギリスからはビートルズやローリングストーンズのロックミュージックが入ってきた。そんな時代。あのころの若者はどんな心情を育てながら生きていたのか?(つづく
 

2019/10/23

ラテンアメリカの J・M・クッツェー

 今日はひさしぶりに青空がひろがって、東京は気持ちの良い秋晴れです。北半球は秋ですが、南半球は春の訪れが聞こえてくるころでしょうか。

HarvilSecker版
J・M・クッツェーはこの季節になると毎年のようにラテンアメリカを訪れます。今年はまず短編賞の授賞式にチリへ、そしていまはメキシコでしょう。10月24日にメキシコ国立自治大学でクッツェーを囲んだセッションが行われるというニュースが流れました。

 テーマは三つ:「メキシコの作家のあいだのクッツェー」「クッツェーの作家活動」「クッツェーと現代の危機」←スペイン語の記事をグーグル英訳したものを、さらに日本語にしているので、かなり輪郭がぼやけたタイトルになってる可能性がありますが、あしからず。メキシコの作家たちがクッツェーをどう読んできたか、これはなかなか面白い視点です。

 この記事のなかで、おそらく、こういうことをいってるなと思われる心にしみる箇所があったので、わたしが理解した範囲で記録すると:
Viking版

「J・M・クッツェーの文学は読者の心の内奥にとどく手法をもっていて、まるで世界の異なる土地にいる多くの人たちの記憶を共震させるかのように訴えかけてくる」

 最新作『イエスの死/The Death of Jesus』はアメリカでもViking社から来年5月に発売されるようです。スペイン語版が出てちょうど1年後ですね。

 そうそう、最近はよく忘れ物をするので、この写真も記録としてアップしておこうかな。先日メルボルンの出版社から本を買ったら(『鉄の時代』と『マイケル・K』)、キャンペーン中だとかで無料のトートバッグが送られてきたんです。ロブスターやら、バラの花やら、時計やらがついてる袋ね(笑)。裏には「Incredible!」の文字が。。。

2019/09/16

トニ・モリスン『他者の起源』より

今年8月5日に88歳で他界したアフリカン・アメリカンの作家、トニ・モリスンが2016年にハーヴァード大学で6回にわたって行った講義の記録、『The Origin of Others/他者の起源』(2017)を読んでいる。

 キーワードは「Other/他者」、「Stranger/よそ者」、「Foreigner/異邦人」、「Outsider/アウトサイダー」といったいくつかの語で示されているが、なかでも「アフリカ」や「ブラック」「ニガー」という語が抽象的な意味合いで文学作品にあらわれるとき、それは作者のどのような心理を照らし出しているかを分析するモリスンの舌鋒は鋭く、たいへん興味深い。興味深いだけではなく、『白さと想像力』(1992)からしばらくご無沙汰していたせいか、ここまで明確に言語化されるようになったかと、感慨深いものがある。

 昨日42歳になったナイジェリア出身の作家、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ(お誕生日おめでとう、チママンダ!)は『アメリカーナ』のなかで主人公イフェメルに、自分はアメリカに渡って「人種」を発見したといわせたが、そんな若手の作品を訳したあとで、モリスンの分析を読むと、モリスンが描いてきた作品の風景がまったく異なったものとして立ち上がってくるのだ。

 とりわけ『The Origin of Others/他者の起源』の最終章に、次のような文章が出てきたときは、書き写さずにいられなかった。記録として、ここに引用しておく。


 With one or two exceptions, literary Africa was an inexhaustible playground for tourists and foreigners. In the works of Joseph Conrad, Isak Dinesen, Saul Bellow, and Ernest Hemingway, whether imbued with or struggling against conventional Western views of a benighted Africa, their protagonists found the world’s second largest continent to be as empty ...... The Origin of Others by Toni Morrison (2017)

 ひとつふたつの例外はあっても、文学作品に出てくるアフリカは、旅人やよそ者にとって無尽蔵の活動の場だった。ジョゼフ・コンラッド、イサク・ディネセン、ソウル・ベロウ、アーネスト・ヘミングウェイの作品のなかで、未開のアフリカという型通りの西欧的視点に染まっていようが、それに抗い奮闘していようが、主人公たちは世界第二の巨大な大陸をからっぽと見なした......
                                          『他者の起源』、トニ・モリスン(2017)

****
 読みながら、かれこれ11年も前にJMクッツェーの『鉄の時代』を訳していたとき、メモを取ったことを思い出した。アフリカ大陸に対する文学者たちの「からっぽ」という認識は、クッツェーが南アフリカの白人文学について書いたエッセイホワイト・ライティング/White Writingで、明確に論じられていたことでもあったのだ。1988年にイェール大学出版局から出た本だ。

 クッツェーは、1652年にアフリカ大陸南端の喜望峰にヨーロッパ人がはじめて植民地をつくってから、ヨーロッパ系植民者がどのような視点から文学を紡ぎだしてきたか、それを詩や、農場を舞台にした小説を具体的に論じながら解明した。そして、植民者たちがどのような人間的退廃をたどっていったかを明らかにしたのだ。

2019/03/25

『イエスの死・The Death of Jesus』 から読むクッツェー

オーストリアのハイデンライヒシュテインで22-23日の2日にわたって開かれた「霧のなかの文学」で、クッツェーは『イエスの幼子時代』『イエスの学校の日々The Schooldays of Jesus』と続いたイエスの三部作の最後『イエスの死 The Death of Jesus』から女優のコリンナ・キルヒホフといっしょに朗読したと伝えられる。

編集者ハンス・ユルゲン・バルメスと語るJ.M.クッツェー
この文学祭、今年は全面的にクッツェー祭りになったようで、初日はクッツェーの朗読のほかに、1990年代からクッツェー作品や南アフリカの作家をドイツ語に翻訳してきたラインヒルト・ベーンケReinhild Böhnkeが翻訳について語り、2日目は名だたる作家が『サマータイム』『マイケル・K』『その国の奥で』『恥辱』『鉄の時代』といった作品から朗読した。そして最後にドイツ語版の出版社フィッシャーの編集者であるハンス・バルメスHans Balmes とクッツェーが会話をするという流れだったようだ。元記事はこちら

北を介さずに3地域を結ぶ文学構想
バルメスとの会話では、最新作『モラルの話』がなぜ英語ではなくスペイン語で最初に出版されたかと問われて、「自分の本は、どれも英語という言語に根ざしてはいない。自分は特定の言語を志向してはいない。世界の主要言語という位置付けで覇権を握る英語によって、その他の言語が追いやられている現状には、うんざりしている」と答えたという。
 この辺まではすでに拙訳『モラルの話』のあとがきや、昨年のスペインでのイベントでブエノスアイレスの編集者コスタンティーニと交わされた会話の内容とも重なるが、クッツェーは、ふたたび「南の文学」を、ニューヨークやロンドンを経由せずに直接交流することで、それぞれ独自の複雑な歴史や文化背景を有する南の世界が発信する文学として発展させたいと述べたという。この主張については昨年4月末の南の文学ラウンドテーブルの内容を、ある雑誌にまとめたので近いうちに読者に読んでもらえるはずだ。

 会話では、クッツェーはまたグローバリゼーションを激しく非難。人はその消費行動によってのみ消費者として定義付けされるが、自分はそんなことに興味はない(強調筆者)と。1980年に出た『夷狄を待ちながら』について問われると、現代社会を引き合いにだして語り、野蛮とみなされる相手に対する防御自体が野蛮な行為に繋がる、と述べた。これはいわゆる先進諸国がもちだす「対テロ戦争」のことをいっているのかもしれない。
 
 また、歴史的に南アフリカで用いられた「アパルトヘイト」という語をイスラエル/パレスティナの関係にも使うことについて、3年前すでにパレスティナを訪れたとき、両者の状況を歴史的、社会的、経済的な観点からきっちりと定義して、こう語っていた。今回もまた、この語を使うことは建設的な話し合いを不可能にすると述べて、ヨルダン川西岸と東エルサレムでのイスラエルの行動を厳しく批判したと伝えられる。


*今回の文章を書くにあたって、ドイツ語の記事を翻訳してくださった市村貴絵さんに助けていただきました。どうもありがとうございます。Merci beaucoup!