2024/11/21

マリーズ・コンデ『心は泣いたり笑ったり』が白水Uブックスに

『心は泣いたり笑ったり』(白水Uブックス)、発売です。

 単行本として青土社から出たのは、22年前の2002年12月で、年が明けて翌年の2月にマリーズ・コンデが3度目の来日をしました。そのときチラリとお会いしました。そのエピソードも、今回は訳者あとがきに代えて「さよならマリーズ、いつかまた」に書きました。

奴隷制の遺産を
体を張って逆照射した作家は
こうして生まれた

 この帯の文言は、訳者があれこれ書いたフレーズから、編集のSさんが上手くアレンジしてくださったものです。

 カバーに使われた写真は、原著や最初の単行本に使われていた少女時代のものではなくて、コンデが『セグー』を書いてヒットしたころのものです。最初は原著の写真を、と思っていたのですが、あれこれあって……。

 でも、こうしてみると、本を手に取ったときに含みのあるこの表情を、ついついじっと見てしまうので、かえってこの写真になってよかったと思っています。

 とにかく、22年も前に出て長い眠りについていた訳書が、こうしてまた新しい読者の手に届けられる、それは書物という形があってこそではないか、と思うのです。

 書物、万歳!

2024/10/08

9 月末の札幌は東京なみの気温だった

 1ヶ月以上も間があいてしまったよ〜〜〜。

 とにかく今年の夏は暑かった。本当に暑かった。7月23日から始まって9月20日まで、なんと60日間も熱帯夜が続いたのだ。そのダメージは半端じゃなかった。9月に入ってからの暑さはとりわけ。

 それでも仕事は容赦なく続いて、9月7日の日経新聞にダヴィド・ディオップ『夜、すべての血は黒い』(早川書房)の書評をかき、雑誌「すばる 11月号」掲載のために、アブドゥルラザク・グルナの短編「檻」の翻訳を仕上げた。

 2021年にノーベル文学賞を受賞したグルナの短編は、長編『楽園』(白水社)のスケッチのような作品だ。これから出るグルナ・コレクションについても解説で触れたので、よかったら!

 9月27-29日の3日間、札幌へ行った。ちょうど5年前のおなじ時期に行ったので、そのときの涼しさを思い出して、秋物をスーツケースに詰めていった。ところが、なんと、東京とほとんど変わらない温度だったのだ。完全に予想が外れた。まいった!

 5年前はおなじ時期でも、夜は外へ出るときダウンジャケットを着込んだくらいだったのに、今回はそんな必要はなくて、ダウンジャケットは出番がなく、冷房がききすぎた行きのリムジンバスで役に立っただけ。

 札幌のホテルにチェックインしても、あえて外へ出る気がしない。必要最小限の買い物以外、暑さ負けで、ほとんどホテルのベッドに横になって天井をにらむか、うとうとしていた。それほど東京の酷暑60日間のダメージは大きかった。それは帰京してから気がついたのだけれど。

 東京は9月末だというのに暑さがぶり返し、ここ数日の涼しさ(今日は寒いくらいだけれど)でようやく一息。やっと復調。明日あたりから仕事に戻れそうだ。

 そんなこんなだけれど、時間は情け容赦なく過ぎていく。ノーベル文学賞発表も明後日に迫っている。今年は、順番から行くと、女性作家か女性詩人だろうか。それも、アジアやアフリカ、ラテンアメリカあたりから受賞者が出るんじゃないかと期待しているのだけれど、さあ、どうなるかな?

2024/08/28

備忘のために

facebookへの投稿をこちらにも残しておこう。どうもfacebookは扱いにくい。

夜に、またひとつ小さな星が墜ちた──それでも

今朝もまた、簾のように広がる黄ばんだ葉むれのなかに

若い朝顔の色鮮やかな花が10も咲いている。

 花は硬い種子をたくさん残す。そして暑かった夏が終わる。


2024/08/24

海外文学の森へ 87──ダヴィド・ディオップ『夜、すべての血は黒い』


東京新聞火曜日に隔週で連載されるリレーコラム「海外文学の森へ 87」、20日(夕刊)にダヴィド・ディオップ『夜、すべての血は黒い』加藤かおり訳(早川書房) について書きました。

***
「知っている、わかっている」「神の真理にかけて」とたたみかける文句がいきなり目に飛び込んでくる。

 歴史を語る叙事詩や、知恵を伝える民話神話など、リズミックな反復に乗せて語り継がれる口承文芸は、アフリカ大陸のそこかしこで発達してきた。この反復は、ダンスと共に戦士を鼓舞して一体感を作り出す歌にも多用される。

 ダヴィド・ディオップは、フランス語の小説に大胆にこのくり返しを挿入する。ひどく主観的な語りが気にならないのはそのせいだろうか。リピートの響きが前面に出るため、奥に流れる話に耳を澄まさざるをえなくなる。懐疑を押し殺す呪文に近いこの催眠効果が曲者だ。

──以下略


2024/08/14

猛暑のベランダでふたたび開花する西洋クチナシ

毎朝たっぷり水を遣っているせいだろうか、鉢植えの西洋クチナシが元気だ。素焼きのポットでぐんぐん枝や葉を伸ばして、なんと、8月のこの猛暑のなかに蕾をつけた。そして咲いた。一輪や二輪ではない。これにはちょっと驚いている。もちろん、嬉しい驚きだ。

 西洋クチナシといえば、梅雨から初夏にかけて大きな白い花を次々と咲かせるもの、そう思っていた。通りを歩いていると、ふわっといい匂いが漂ってきて、ああクチナシだな、雨の季節だな、と感じたものだけれど。

 その匂いが好きで、今年は花屋の店先にならんでいたミニチュアの西洋クチナシを2株買ってきて、大きめの素焼きのポットに植え替えた。特別なことはしていない。とにかく毎朝、たっぷり水を遣る、それだけ。

 連日35度、36度になるベランダで、それでも、花をつけるクチナシ。偉い!と声をかけたくなった。

 朝顔のすだれも、まだまだ大ぶりの緑の葉っぱを広げて元気だけれど、こちらはさすがに黄色い葉が混じってきた。

 それでも、後から芽を出した後輩たちが、とても元気に枝を伸ばして、今を盛りに花を咲かせている。

 植物って、ホントに偉い! 

2024/07/26

朝顔すだれの透かし模様

 このところあまりの暑さに、仕事も何もする気が起きなかったけれど、ある限界を超えると、かえってむくむくとその気が湧いてくるから不思議だ。すでに仕上げてあった原稿を2度ほど通読して、メールで送った。

 今年はベランダで朝顔が咲き乱れている。文字どおり次から次へと咲くのだ。どんどん蔓がのびて、物干し竿に絡み付き、ベランダの天井まで伸びて、ふたたび下向きになって横に伸びて、、、、。


 暑いので、とにかく朝夕たっぷり水を遣る。早く咲いて散った鉢はすでに種を作って枯れてしまった。ひと月ずつ時期をずらして水を遣ったので、いまを盛りに咲いているのは、最後の6月初めまで水を遣らなかったプランターのものだ。写真はその茂りに茂っている朝顔。やっぱりプランターのようにたっぷり土があるほうがいいのだね。


 窓から見ると、朝顔のすだれのようだ。こんもり茂った葉っぱが光を通して、透かし模様を作って、とても涼しげ。

 今夜はとりわけ蒸し暑い。午後10時に近いのに、室温はようやく30度を切ったところ。今年は「地獄のような夏」とメールをくれたのは若い編集者だ。そうか、地獄か、行ったことないけど。


 夜は朝顔も眠っている。だからまた明日の朝に、この朝顔すだれの透かし模様を見て、涼しさをもらうことにしよう。おやすみ、朝顔、また明日!

 

2024/07/13

『その国の奥で』が空を写して、『マイケル・K』が電子書籍になる

続きです!

 J・M・クッツェー『その国の奥で』(河出書房新社)が、あるハプニングで予定より5時間ほど遅れて、昨日の午後に篠突く雨のなか届いた。 

 カバーの映像が出てから実物を手にするまでの待ち遠しさは、何冊訳しても馴れることがない。ネット環境のなかった頃より、待ち遠しさはむしろ加速されたんじゃないかとさえ思える(いや、気が短くなっただけか──🐐?? 今日は晴れたので屋外で撮ったら、なんと、空が写り込んでしまった、、、左の写真の左側)

 とはいえ2000年までは──とつい昔語りになるけれど──編集者とじかに会って「みほん」を手渡されるとき、初めてカバーの絵を目にすることが多かった。実物を目にするまでは、ファクスで送られてきたぼやけた画像から想像をたくましくするばかりで、ひたすら待つしかなかった。筑摩書房から出た初めての訳本『マイケル・K』を受け取ったのは、1989年の初秋だったか。国立のロージナ茶房で、何冊か入った袋がどさりとテーブルに置かれたときの感動は忘れない。 

 でも思えばあのころは、待つ時間はいまよりずっとゆるやかに、おだやかに流れていたような気がする。編集者ともじかに顔を合わせて、ゲラの引き渡しをしながら、細かな疑問をその場で解決するといった感じで作業は進んだ。人と人がじかに会ってことばをかわし、いろんなことを決めていた時代。ネット時代になって、それが簡略化されて、宅急便や郵便でやりとりすることが多くなった。いろんなことが省かれて、とにかく早い。連絡事項や決定事項が記録として文字として残るので、これは非常に確実。疑問などもすべてメールで即座に解決することが多い。備忘のためにも、齟齬をきたさないためにも、便利は便利。でも……。

 カバーデザインをPDF で前もって目にするようになって、それから実物が出来上がってくるまでの短からぬ時間は、まだかな、まだかな、と焦燥の念に駆られるようになったんじゃないかとやっぱり思うのだ。なんでも早くできる時代に、待つことに不慣れになり、ちょっと疲れて、頭のなかで少し横に置いたころ、どさりと届く──という感じになった。

『その国の奥で』を訳していて思った──J・M・クッツェーの作品を翻訳するのは、これで何冊目だろう。共訳を含めると軽く10作品は超えるかも知れない(数えてみると12作か)。南アフリカを舞台にした作品を、クッツェーは長短篇をすべて含めて9作書いているが、そのうち8作を訳したことになる。作品の背景や時代のコンテキストを重視する訳者として、南アフリカの事情を、はしょらず、正確に、ニュアンスを細部まで伝える努力をしてきたつもりだけれど、責務は果たせただろうか。

 とりわけジョン・クッツェーの生きた時代とぴたりと重なるアパルトヘイト時代の政治制度の内実や、人種による微妙な人間関係の心理をめぐる細部は、どんどん大雑把にまとめられて歴史の彼方へ葬り去られていくようだ。翻訳者も解説者も編集者も校閲者も、勘違いや見落としを最初から疑って、歴史的事実を正確に伝えるよう努力しなければいけない時代になった。
(たとえば、南アフリカで国民党が政権を奪取したのは1948年、1960年代ではない。1948年は時代の分岐点で、アパルトヘイト制度という人種差別制度が公然と開始されたのはこの年だこの年は少年ジョンがケープタウンから内陸のヴスターへ引っ越した年でもあった。)

 『マイケル・K』はそのアパルトヘイト末期を舞台に描かれた小説だ。1983年に発表されて、この年のブッカー賞を受賞した。1989年の初訳が出たころは、日本ではバブル経済で南ア産のプラチナを若い女性が買い漁った時代でもあった。

 現在入手可能なバージョンである岩波文庫『マイケル・K』が7月27日(7月25日に早まりました!)、電子書籍化される。単行本が出たのは35年前だ。2006年にちくま文庫に入り、2015年に岩波文庫になり、9年ごとの「変身」を重ねて、ついに電子書籍になる。カフカの『断食芸人』『審判』とも響き合うこの作品が、カフカ没後100年に、またまた変身して新世代の読者に届くのは訳者冥利に尽きる。

 J・M・クッツェー作品が初訳から一周、二周して、新しい読者と出会ってほしいものだ。

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2024/07/12

J・M・クッツェー『その国の奥で』のみほんが届いた

 J・M・クッツェー『その国の奥で』(くぼたのぞみ訳、河出書房新社)

 J・M・クッツェーの二作目に当たる『その国の奥で In the Heart of the Country』は、20世紀めの南アフリカ奥地で、外部世界から孤絶した農場を舞台に展開される。非常に実験的な作風は初作『ダスクランズ』を凌ぐほど。1~266の断章から構成される、孤独な、マグダという女性の暗い情念と観念と幻想の物語だ。

 1977年にまずアメリカで(タイトルを一語変えて)、次いでイギリスで出版され、翌1978年に南アフリカで、会話の部分がアフリカーンス語の二言語バージョンとして出版された。じつはこの作品が、アメリカ、イギリスなど北半球の英語圏での実質的デビュー作だったのだ。その経緯についてはここに詳しく書いた

 新訳『その国の奥で』のカバーは、版元サイトにも、ネット書店にも既に出ていて、このブログの右上にも少し前からアップされている。でもカバーの色が黒ではなく、青みがかったダークな色だと知ったのは今日みほんが届いたときだ。そのインクを混ぜたような黒色空間(たんなる平面には見えない)に浮かびあがる、もの言いたげな薄紫の花と花びら、その濃淡がかもしだす幻想世界、キリッとした白い文字。

 アメリカ移住がかなわず、1971年、無念を断ち切り船に乗って南アフリカへ帰国したジョン・クッツェーが、このまま「地方」に埋もれてなるものかという意気込みで『ダスクランズ』(1974)を発表し、その次に発表したのが、この『その国の奥へ』(1977)だった。さらに広い読者層を獲得したいという野心と、実験精神にあふれた若き作家の熱いエネルギーが行間からほとばしる作品なのだ。訳しながら時々くらくらっとなった。詳細は本書「訳者あとがき──J・M・クッツェーのノワールなファンタジー」を!



帯の文句がまた比類ない。きっちりと内容を伝える表の帯。

植民地支配の歴史を生きたものたちの、人種と性をめぐる抑圧と懊悩を、ノーベル賞作家が鮮烈に描いた、濃密な、狂気の物語。語りと思考のリズムを生かした新訳決定版!!!

 帯裏にはマグダの独白が具体的に引かれている。

「父さん、許して、そんなつもりじゃなかった、愛してる、だからやったの」
              

 装画は熊谷亜莉沙さんの作品。送られてきた最初のラフを見たときの、戦慄にも似た深い感覚は忘れられない。作品と挿画の、火花を散らすような、比類なく幸運な出会いだと思う。


 バックカバーの裏の折り返しにも注目してほしい。「その国の奥で」という文字といっしょにさりげなく、掘り抜き井戸の写真が使われているのだ。訳者のたっての希望で、最後の最後に入れていただいた。南ア奥地の半砂漠地帯カルーで農園を営むためには絶対に欠かせない掘り抜き井戸。風車の力を使って水を汲みあげ、貯水池に貯める。その水で農場の生き物たちは生を営む。空の部分をぼかした見事なアレンジだ。ブックデザインの大倉真一郎さん、ありがとうございました。


(思えば掘り抜き井戸は『マイケル・K』にも頻出するが、物語の最終場面にも象徴的なかたちで使われていた。)

 そして終盤、あまりにノワールで妄想的な物語世界に半分持っていかれそうになった訳者に、最後まで根気よく伴走してくれた編集の島田和俊さんに深くお礼をもうしあげる。


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(この続きと、『マイケル・K』の電子書籍化については次回に!)


 

2024/06/13

フランソワーズ・アルディの訃報、開花数が増える朝顔、そしてクチナシ

昨日は、爽やかな風が吹いた。そして、フランソワーズ・アルディ(1944~2024)の訃報が流れた。それからずっと「Ma Jeunesse Fout le Camp・もう森へなんか行かない──私の青春が逃げていく」を聴いていた。R.I.P.🥀 
 この曲をめぐる記憶については、こことここに書いた。もうずいぶん昔だけれど。


2024.6.12
 あけて今日は曇り空。でも、朝顔はしっかり咲いている。陽の光が強い日はあっけなく萎む花も、薄曇りの日は長いあいだ咲いているのだ。

 数日前は、朝起きて見ると、2輪、3輪だった開花数が、昨日からぐんと増えた。昨日は7つ、今朝は8つも咲いていた。あれ、葉っぱの陰に隠れているのを数えると、もっと多そうだな。(ちゃんと数えると10の花が咲いていた。)

2024.6.13
 比較的早く種を蒔いた植木鉢から先に咲き始めたのだけれど、大きめのプランターも負けていない。絡まる蔓を競って伸ばして、ぐんぐん上の方へ葉群れが広がっていく。午後の強い風に吹かれて、蔓の先は心もとなげにあっちこっち揺れながらも、朝になると、さらに長く伸びている。朝顔は強いなあ。

 そこへ新顔がやってきた。ミニチュアの西洋クチナシだ。ビリー・ホリデイがステージに立つとき、いつも耳のところに差していたというクチナシ。いい香りがする。この季節の華だ。


西洋クチナシ

 ミニチュアだから、葉っぱも花も小ぶり。バス停までの道すがら、いつも前を通る茂みでたくさん花を咲かせるクチナシは、丈もぐんと大きく、花も大ぶり。花が咲き始めると、香りがあたり一面にただよって、遠くからでもすぐにわかる。一瞬、しあわせな気分になる。雨の季節の風物詩。



2024/06/08

晴れた朝、おおぶりの朝顔が一輪咲いた

 日の出が早くなってきた。

 生き物の端くれである身も、だんだん早く目が覚めるようになって、曙光さすベランダに出ると、おおぶりの朝顔が一輪、予想通り咲いていた。初咲きよりも二番手がしっかりと大きい。

 思えば、実の部分をいただく野菜や果物もそうだった。トマトなどは二番手がいちばん大きくて味もいい。でも花はどうだったか? 欲深いニンゲンは、果実の大きさのことは覚えていても、その前に咲く花の大きさまでは覚えていない。

 樹木の緑が日に日に濃さを増していく。

 夏至が近づいている。

2024/06/05

今年初めての朝顔が咲いた

 鳥の声で目が覚めた。ベランダの窓を開けると、ちらり。薄い赤紫の色が見える。

 朝顔の花が咲いた。おなじ植木鉢に、2輪。あっちとこっちを向いて咲いている。3年ぶりの朝顔の花、種子のままじっと植木鉢の土のなかで時間をやりすごし、ようやく帰ってきた花たち、たぶん4月に蒔いた種子から。命はつづく。

 雨で洗われた緑が美しい。

 昨日は1時間ほどの距離を、バスに乗り継いで帰ってきた。バスを降りたとたん、周辺の樹木がしゅくしゅくと吐く美味しい空気に、思わず深呼吸。空気のおいしさは、この季節がいちばん。

 そして今朝は、今季初の朝顔の開花。ようこそ! めぐる命!


2024/05/21

幻視者の文学、ハン・ガン『別れを告げない』斎藤真理子訳について

 ハン・ガン『別れを告げない』斎藤真理子訳(白水社)について、東京新聞のコラム「海外文学の森へ 81」に書きました。今日5月21日夕刊に掲載されています。

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 これは「幻視者(ヴィジョネール)の文学」ではないか、というのが筆者の見立てだ。ヴィジョネールの作家・詩人についてはフランス文学に長い歴史がある。ネルヴァルとかミショーとか。もちろんフランスだけではないけれど(ドイツの美術とか)、この作品を読んで脳裏に浮かんできたのは、そのことばだった。60年代のフランス文学全盛時代に学生だった者にとって「ヴィジョネール」はある種、特別な意味を含んだ呼称なのかもしれない。例えば梶井基次郎なんかは「ヴィジョネールの作家」と言えるだろう。

 ハン・ガンの作風は、そんな幻視の世界へ読者の視線や心を引っ張っていく──というのは深い物語の森に入っていって、ここはどこ?と思ったときに気がついたのだけれど。

左がフランス語訳、右が日本語訳

 済州島 4.3 事件。この虐殺事件は日本帝国の植民地化からの解放まもない1948年前後に、東西対立、大国間のかけひき、朝鮮戦争といった政治事情が複雑に絡まりあう状況のなかで起きた。非情なジェノサイドである。その後、軍政権が何代も続いた時代に、解明されることなく、封印されて、記憶の風化が進むかと危ぶまれる時代になった。事件が解明されはじめたのはそれほど昔ではない。

 1970年生まれの作家ハン・ガンは、『別れを告げない』の語りの中心に、この虐殺事件のサバイバー2世である映像作家インソンと、その友人である作家キョンハを置く。物語はふたりの交流と複雑に絡まる記憶を薄墨色のざっくりした布に織り込むように進んでいく。全編に雪が降る。深い雪の世界だ。

 読んでいくうちに、キョンハとインソンが、幻聴や幻視のモノクロ世界で「物語」を構成する縦糸と横糸のような関係、いや、双子のように感じられてくるから不思議だ。

 とにかく読ませる。70年生まれのハン・ガンは、おそらくそれほど遠くない未来、ノーベル文学賞を受賞するんじゃないかと確信させる作品だ。もしそうなったら、アジア人女性として初めての受賞者になるのだろう。

 昨秋から現在形で続く「パレスチナ/イスラエル」のジェノサイドが二重写しになって迫ってくる。