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2023/10/23

『曇る眼鏡を拭きながら』斎藤真理子さんとの往復書簡集

 2022年初めから一年間、集英社の雑誌「すばる」で、斎藤真理子さんと往復書簡というのをやりました。タイトルが「曇る眼鏡を拭きながら」、それが本になりました。タイトルもそのまんま『曇る眼鏡を拭きながら』で、集英社から10月26日発売です。

 その「みほん」がやってきました。とってもお洒落な本です。


装丁:田中久子さん

装画:近藤聡乃さん

ひとりでも拭けるけど、ふたりで拭けば、

もっと、ずっと、視界がひろがる。

「読んで、訳して、また読んで」


 2021年の秋に、クッツェー作品の翻訳で長年書きためてきたものを一冊の本にまとめて、エッセイ集『JM・クッツェーと真実』(白水社)として刊行。ほかにもメモワール『山羊と水葬』(書肆侃侃房)や『JMクッツェー 少年時代の写真』(白水社)もほぼ同時刊行だったので、もう完全燃焼でした。はあ~~~と気持ちが伸びきっていた直後に、なにやら怒涛の出来事が起きて、2022年はずっとその波を被りつづけました。そのあいだ、「すばる」の連載が、ともすれば倒れそうになる心身をシャキッとさせるための柱になってくれたのです。伴走してくださった斎藤真理子さん、若い編集者の2人のKさんには本当にお世話になりました。ほかにも支えてくださった方々に(お名前はあげませんが)深く、深く感謝します。💐

 ついに、こうして本になって感無量です。ありがとうございました。

 この本の発売を記念して、発売日の10月26日から表参道の青山ブックセンターで、「眼鏡拭きライブラリー」というフェアが始まります。本のなかに出てくる数多くの書籍のなかから(70冊ほどあったかなあ。。。)、現在入手可能なものから、真理子さんとわたしが20冊ずつ選んで、そのうち各10冊にはポップもつけます。いまその原稿を送ったところ。

 『曇る眼鏡を拭きながら』の発売を記念したイベントもいま準備中で、詳細はもうすぐ発表されるはずです。どうぞお楽しみに!


2023/02/06

『スペインの家』の書評が「すばる 3月号」に、評者は小野正嗣さん!

  今日発売になった雑誌「すばる 3月号」に斎藤真理子さんとの往復書簡の最終回が掲載されています。1980年代に森崎和江は読者にどんなふうに読まれたか、そして読まれ続けてきたかという鋭くも的確な指摘。それが斎藤真理子ならではの、とても柔らかい筆致で書かれています。

 手紙は、パク・ミンギュが「ブローティガンとの決闘」でどんな落とし前をつけたかで結ばれました。虹色の「うんこ」をした主人公が(なぜ虹色かは読んでね!)それを粉末にして首からかけていたが、それをブローティガンに飲ませるなんて、もうどういったらいいのかわからない話ですが、そこにはきちんと韓国と米国の微妙な関係も書かれていました。最終回の斎藤真理子さんのお手紙、みごとに決まりましたね。

 1年間、お付き合いくださって、真理子さん、どうもありがとうございました。編集の2人のKさん、本当にお世話になりました。読んでくださった読者の方々に深く感謝します!

 そして、そして。今月号では小野正嗣さんがJ・M・クッツェー『スペインの家 三つの物語』(白水社)の書評を書いてくださってます。同時代作家としてのクッツェーの最も重要なポイントを指摘し、人間クッツェーと作家クッツェーへの敬意と愛が溢れる、とても丁寧で心温まる評です。拙著『J・M・クッツェーと真実』のタイトルが「クッツェーの真実」ではなく「クッツェーと真実」であることの含意にも触れられていて、読んでいて身が引き締まる思いがしました。
 小野さんがロンドンでクッツェーに会ったシンポジウムの話がとても印象的です。そのときクッツェーが『スペインの家』の二つ目に収められた「ニートフェルローレン」を朗読するのを、小野さんは直に聞いていたんですね。

 小野さん、どうもありがとうございました。


2022/04/23

南アで In the Heart of the Country が出版された年は?『生まれつき翻訳』

 ようやく時間ができたので、レベッカ・L・ウォルコウィッツ著『生まれつき翻訳』(監訳・佐藤元状、吉田恭子/訳・田尻芳樹、秦邦生、松籟社, 2021)を読みはじめる。監訳者の方々は「クッツェーファンクラブ」の面々なので、読むのを楽しみにしていたのだ。

 まずは序章「世界文学の今をめぐって」をざっくり読んでいくと、クッツェーという作家名がかなり出てくる。そこはゆっくり読む。するとチカチカと点滅する文字群に出くわした。p24の3つ目の段落はこう始まる

「ニューヨークやロンドンなど出版業界の中心から外れた場所にいる英語作家も、翻訳を余儀なくされることがある。ケニアの作家グギ・ワ・ジオンゴが最初の一連の長編をキクユ語で出版することにしたのはよく知られているが、自らの翻訳で英語でも出版してきた。チヌア・アチェベの『崩れゆく絆』にはイボの言葉がそこここに使われているが、一九六二年、ロンドンのハイネマンの叢書で出版されたときには用語集が必要だったし、クッツェーの『石の女』は一九七七年に南アフリカで初版が出たが、英国版では一部がアフリカーンス語から英語に翻訳されている」(下線引用者)


 アフリカ系/発の作家たちと言語との関係をざっと見渡す部分だが、下線を引いた箇所で「?」となった。クッツェーの第二作目に当たるこの本はまず、イギリスとアメリカで出たはずだ。念のため原文も当たってみたが、原文通りの訳になっているから、これは著者レベッカ・L・ウォルコウィッツの勘違いなんだろう。まず下線部前半。


1)クッツェーの『石の女』は一九七七年に南アフリカで初版が出たが

  In the Heart of the Country(わたしはいくつかの理由で原タイトル通りに『その国の奥で』とする) の「初版は」たしかに1977年に出ているが、南アフリカのRavan社からではなくイギリスのSecker社からだ。同年にアメリカのHarper社からもタイトルが一語異なる形で出ている(理由は後述する)。南アフリカで英語とアフリカーンス語の混じった「バイリンガル版」として出たのは翌年の1978年2月*だ。出版にいたる事情は非常に複雑。この出版年の微妙なずれについては、2014年の拙者訳『サマータイム、青年時代、少年時代』(インスクリプト)の年譜にも、昨年の『J・M・クッツェーと真実』(白水社)の年譜にも載せた。だからここはちょっと残念。


 クッツェーがこの作品を書き上げたときは2つのバージョンがあった、とカンネメイヤーの『伝記』(伝記 p288~)やデレク・アトリッジの著書(Attridge p22)は伝えている。デイヴィッド・アトウェルの作品論(p65~)にも詳しい。(参考図書はブログ下に)

Ravan 1978

 2つのバージョンのうち1つはすべて英語のバージョン。もう1つは会話部分がアフリカーンス語のバージョンだ。ロンドンのエージェント宛てのクッツェーの手紙によると、会話部分にフォークナーが南部訛りの英語を用いたように、自分も英語でローカルな感じを出したいとやってみたがうまくいかなかった、とある。会話は英訳前のアフリカーンス語バージョンがしっくりくるとクッツェーは述べる。


 テクストが海外版と南ア版で異なるこの作品の出版が、南アフリカで一年遅れた理由は、1970年半ばに南アフリカの検閲制度が大きく変化し、作家や編集者が検閲委員会の動きを注視せざるをえなくなったことと関連があるようだ。さらに、旧植民地をも市場にしたいイギリスの出版社と南アフリカの極小出版社との、販売権をめぐる複雑な事情が絡んでいる。


 これはまだ初作『ダスクランズ』が南アフリカでしか出版されていなかったころで、クッツェーは二作目はイギリスやアメリカで出版したいと強く希望していた。そこでレイバンの編集者とイギリスのエージェントと同時に交渉していたらしい。その結果、まず英語のみのバージョンがイギリスとアメリカで出版され、会話部分がアフリカーンス語のバイリンガル版が翌年、南アフリカで出版ということになった。


Harper Collins 1977
 米国版は内容は英国版と同じだが、タイトルがFrom the Heart of the Country になった。これは、Harper の編集者から、In the Heart of the Heart of the Country という書籍がすでにあって図書館に所蔵するときコンピュータ上混乱するので、Here in the Heart of the Country にしてはどうかと提案されたクッツェーが、それでは長すぎるし、自分がつけたタイトルはテキスト全体を貫くあるリズムを示しているのだ、としてFrom the Heart of the Country を提案し、決まった。(下線筆者)

 クッツェーが2つのテクストを準備した理由は、農場を舞台にした会話場面の多いこの作品の本質と関わってくる。南アフリカの農場で用いられる言語は、『少年時代』を読むとわかるが、圧倒的にアフリカーンス語だ。会話はアフリカーンス語であるほうが、クッツェーを含む南アの読者にとって自然なのだ。次に下線の後半部分。


2)英国版では一部がアフリカーンス語から英語に翻訳されている。
Secker&Warburg 1977
 先行する「初版が」が事実と異なるので、理解しにくいのだけれど、ウォルコウィッツは「南アフリカの初版」をアフリカーンス語含みのバイリンガル版と考えたのだろう。

 何語から何語への翻訳かは、アトウェルの草稿研究が明らかにしている。会話部分は最初アフリカーンス語で書かれていたが、作家が改稿の見直しをするとき、草稿の反対ページにアフリカーンス語会話の英訳を書きこむようになったのだ。「自分の作品は英語という言語にルーツをもっていない」と明言するにいたった作家の心情が、非常によく出ているのがこの農場を舞台にした『その国の奥で』だった。


 というわけで、どうやらこの作品の出版年をめぐるウォルコウィッツの誤記に、「クッツェーファンクラブ」の面々は残念ながら気がつかなかったらしい。些細な誤記ではあるが、1970年代南アフリカの出版事情は、J・M・クッツェーという作家の誕生にとって重要なポイントなのだが。

 なんでこんな文章を書いているのか、と自問してみる。どうやらそこには、日本のクッツェー研究者に南アフリカのことをもう少し突っ込んで探って欲しいと思っている自分がいることに気づく。アフリカなんか、と思わずに。クッツェーが生まれて育って、20代の10年間をのぞいて62歳まで暮らした土地なんだから。


 ウォルコウィッツのこの本は、トピカルなテーマを追いかける文芸ジャーナリスト顔負けの奇抜な見立てと文章力で読ませてしまうところが、すごい。でもその足場として透かし見える軸は、「世界文学」としての英語圏文学をマッピングして描こうとする「北の英語文学理論」の欲望にあるのではないか。バッサバッサと斬新なテーマで切っていく勢いには、辺境で生み出される個々の作品の、いってみれば英語以外の「その他の言語」で書かれる作品の出版事情なんかにいちいちこだわらなくてもいい、という姿勢が見え隠れする。いや、ぜんぜん隠れてないか(笑)。村上春樹とJ・M・クッツェーを「翻訳」というキーワードでおなじ土俵に並べてしまうのだから。この2人にとって作家として生きる言語環境と、「翻訳」の切実性や必然性の依って立つところは、まるで異なるだろうに。


 また born translated をわたしは「翻訳されて生まれてきた」と訳すことにしているが、それは「生まれつき翻訳」は「分類」「仕分け」には便利だが、作品が立ちあがる動きを切り捨てるニュアンスがあるためだ。おそらくそれは作品翻訳者の姿勢と、数多くの作品を「研究」する者の姿勢の違いからくると思われる。もう一つ、あえていうなら「生まれつき」に続く語にマイナスイメージ(差別語)を呼ぶ気配が消えないからだ。そのような表現を長く、耳から浴びつづけた世代だからかもしれないけれど。


 翻訳はさぞや大変だっただろうなあと推察する。膨大な作品数と原註、そのファクトチェックの結果と思しき訳註で、クッツェーの書評集と小説の冊数をめぐる警告が入っていたりして、苦労の跡がしのばれます……ご苦労様でした。👏👏👏👏


 ちなみに、2022.4.18現在のWikipedia(英語版)In the Heart of the Countryは、出版年、バージョンともに、きちんと事実を伝えています。💖


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追記:2022.4.24──

1)参考図書をあげておきます。(『J・M・クッツェーと真実』にも入れました。)

Derek Attridge: J. M. Coetzee and the Ethics of Reading, University of Chicago Press, Chicago, London 2004.

Peter D. McDonald: The Literature Police, Oxford University Press, 2009.
J. C. Kannemeyer: J. M. Coetzee, A Life in Writing, Scribe, 2012.
David Attwell: J. M. Coetzee and the Life of Writing, Viking, 2015.

Marc Farrant, Kai Easton and Hermann Wittenberg: J. M. Coetzee and the Archive: Fiction, Theory, and Autobiography, Bloomsbury, 2021.

Robert Pippin: Metaphysical Exile on J. M. Coetzee’s Jesus Fictions, Oxford University Press, 2021.


2)『その国の奥で』のことは『J・M・クッツェーと真実』第三章「発禁をまぬがれた小説」で、部分訳も引用しながら、詳述しました。

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さらに追記:2022.11.12──

*「6月」と書きましたが、正しくは「2月」でしたので、訂正しました。

2022/04/21

「白水社の本棚」に寄稿しました:J・M・クッツェーと駆けぬけた33年

 <J・M・クッツェーと駆けぬけた33年>

「白水社の本棚」2022 春号、に寄稿しました。
 フランス語やフランス文学を学ぶ学生だったころ憧れの出版社だった白水社から、『J・M・クッツェーと真実』を出すことになった経緯、出してからの出来事、読売文学賞受賞をしらせる電話のベルがなった日に、どんなことがあったのか。その日は、「禍福は糾える縄のごとし」と思えるような一日だったのです。

2022/03/09

第73回読売文学賞贈賞式のためのスピーチ

 白水社のお知らせサイトにアップされました。

『J・M・クッツェーと真実』読売文学賞贈賞式スピーチ


残念ながら、2月15日に帝国ホテルで開かれた贈賞式には出席することができませんでしたが、代理に編集の杉本貴美代さんが、その場でスピーチ原稿を読み上げてくださいました。杉本さんにはお世話になりっぱなしでした。心からの感謝を!

2022/02/10

読売新聞 2月10日朝刊にインタビュー記事が掲載されました


 2月10日の読売新聞朝刊にインタビュー「南ア作家 読み解き続け」が掲載されました。基本的にメールによるインタビューをもとにしたものです。

 2月1日に発表された読売文学賞。「研究・翻訳賞」を受賞したわたしは、今日10日の最後の回に登場いたしました。記者の石田汗太さんが熱心に拙著、拙訳を読み込み、『J・M・クッツェーと真実』の内容や詩集『記憶のゆきを踏んで』からの引用を織り混ぜて、コンパクトながら要点をしっかり盛り込んで仕上げてくれました。

 さまざまな事情から直接お会いできませんでしたが、記事は骨太の内容。ちょうど前日9日に誕生日を迎えたジョン・クッツェーのお祝いメールのことばで結ばれていて、嬉しい。ありがとうございました。

2022/02/08

2022/02/01

『J・M・クッツェーと真実』が読売文学賞を受賞しました

 『J・M・クッツェーと真実』(白水社)が、第73回読売文学賞(研究・翻訳賞)を受賞しました。

 電話がかかってきたときは、びっくり。嬉しさはそのあとでじわっとやってきましたが、研究・翻訳の部門だと聞いて本当に驚きました。信じられない思いでした。だって、これまでの受賞者を見ると、アカデミズムの錚々たる研究者がずらり、ずらり、ずらりと並んでいて、その合間に女性の詩人や研究者や作家の名前がちらっ、ほらっ、と浮かんでいるだけなんですから。ほぼ全員に近い方々が男性です(女性は3人のみ)。

 そしてまた、ほぼ全員が「漢字」の名前です。例外は、第42回受賞の『韓国現代詩選』の詩人、茨木のり子さん。それだって、ひらがなは5文字のうちの2文字だけです(1990年にこの翻訳が受賞したことは大きな話題になって、すごいなと思ったことは鮮烈に覚えています)。そこに姓も名も6文字すべてひらがなの、在野の、一介の翻訳者・詩人の名前が加わるのですから、背筋がピンどころか、一瞬、足がすくみそうになりました。

 J・M・クッツェーの作品に出会い、衝撃を受けて、自分のライフワークとして翻訳を続けてきた結果、大きな賞をいただいたのは翻訳者冥利につきます。ジョン・クッツェーさんに知らせると、「わたしの書いた本を解明し翻訳するためにあなたが費やしてきた歳月に相応しい報奨」とお祝いのメールが贈られてきました。もう感無量でした。

 選評を書いてくださった池澤夏樹さんの、実に見透しの良い視線に感服します。「北海道に入植した一家の娘。アイヌを押しのけて土地を奪った者の子孫。南アフリカと、世界中の植民地と、同じ構造なのだ。/その自覚に至るまでの歩みを書いた、長い旅路の記録である」という最後のことばを万感の思いで読みました。池澤さん、ありがとうございます。

 この本が出るまでに多くの方々にお世話になりました。作品を読み、苦労しながらも翻訳をして、訳者あとがきを書いて、といった一連の作業プロセスで、ギリシア・ローマ古典やキリスト教の福音書の性質などをめぐる折々の質問に快く応じて、資料を指差し助言してくれた家人、森夏樹に深く感謝します。そして、なんといっても白水社の編集者、杉本貴美代さんにはお礼の言いようもありません。

 Merci beaucoup!  Muchas gracias!  みなさん、どうもありがとうございました! 🤗💖🤗

2022/01/28

図書新聞に『J・M・クッツェーと真実』『山羊と水葬』の書評が!

 図書新聞2022年2月5日号(書店発売は1月29日)の1面に、『J・M・クッツェーと真実』『山羊と水葬』の書評が掲載されました。

 評者は、『J・M・クッツェーと真実』が吉田恭子さん、『山羊と水葬』が木村友祐さんです。いずれも丁寧に読み込んで、しっかりと書いてくださった文章で、感激です。とても嬉しい。

 Merci beaucoup! 🤗。

2022/01/23

読売新聞に『J・M・クッツェーと真実』『少年時代の写真』の書評が掲載されました

 2022年1月23日(日)付の読売新聞に『J・M・クッツェーと真実』の書評が掲載されました。『少年時代の写真』もいっしょです。

沈黙と静けさ聞き取る

 評者は小川さやかさん!


──クッツェー文学を味わうとは「沈黙と静けさ」を聞き取ることだと著者は言う。美しく明晰な文章は静かで、それゆえ語間に漂う余白で考え、自問することを誘われるのだと。本書はまさにその沈黙と静けさを聞くための道案内の書だ。……中略……作品を何度でも読み返したい。

 ああ、クッツェー作品は、本当に、何度でも読み返したくなるんです。読むたびに、こんなこと書いてたのか、こういうふうに書いていたのか、と細部に新たな発見があるんです。そのための「道案内の書」と評してくださったのは、とても嬉しい。Merci beaucoup!

 

2021/12/28

温又柔さんが「今年の3点」にクッツェー『J・M・クッツェーと真実』を


朝日新聞の書評委員である温又柔さんが、「今年の3点」にクッツェー『J・M・クッツェーと真実』(白水社)を真っ先に! 嬉しいなあ。

>(1)は「フィクションと自伝の境界を無化しながら作品の奥に真実を埋めこ」み、「西欧文明のもつ残酷な合理主義と見せかけのモラリティを容赦なく批判」してきた文学者・クッツェーの凄(すご)さを伝えつつ、「自分の受けた教育の死角を知ること」こそが真の学びだと教えてくれる。

他の2点(2)天路(リービ英雄著、講談社)(3)断絶(リン・マー著、藤井光訳)との関連もしっかり押さえられていて。。。 

 2021年12月25日朝刊の読書欄で、これは嬉しいクリスマス・プレゼントだった。備忘のためにこちらにも書いておく。





2021/12/18

中村和恵さんが『J・M・クッツェーと真実』の書評を東京新聞に!

多様性のルーツに肉薄 


2021年も残り少なくなりました。今年は、コロナウィルスが世界に蔓延して2年目、8月には猛暑の東京で、1年遅れのオリンピック、パラリンピックが開催されるという悪夢のような出来事もありました。しかし、過ぎ去ってしまえばすでに遠い、という感じが否めない。

 でも、今年2021年はわたしにとって、なんといっても10月に3冊の著書、訳書を出せたことが大きな出来事でした。『J・M・クッツェーと真実』『少年時代の写真』(ともに白水社)『山羊と水葬』(書肆侃侃房)です。

 そして今日の東京新聞に、今年の最後を飾るかのように、『J・M・クッツェーと真実』の書評が載りました。評者は、中村和恵さんです。「多様性のルーツに肉薄」というタイトルの文章で、外部から見れば「謎めいた」ように見えるクッツェーの姿を立体的に、核心をついた表現で伝えてくれました。

「J・M・クッツェーについて詳細に、同時にわかりやすく書く、という離れ業を本書はやってのける」と始まり、「現在はオーストラリア在住だが、やはり彼は南アの作家なのだ」と指摘する中村さんは、長年オーストラリアの先住民について調べてきた人です。

 最後に、わたしが訳してきたアフリカ大陸出身の作家の名をあげながら、「あの大陸にはまだまだ、語られるべき物語、読まれるべき話がある」と結ぶ。この評者ならではのことばのシャベルで、時間と空間を掘り起こす視点が光ります。

Merci beaucoup!


2021/11/20

毎日、朝日、日経、各紙に書評が次々と:『J・M・クッツェーと真実』『少年時代の写真』そして『山羊と水葬』も

怒涛の7-9月が過ぎて、燃え尽きていた10月、3冊の本たちが次々と船出していった。そして11月になって新聞に書評が掲載されはじめた。ぼんやりしているとすぐにブログがお留守になる。ちゃんと書いておかなくちゃ。


まず11月6日(土)の毎日新聞には、堀江敏幸さんが『J・M・クッツェーと真実』『少年時代の写真』の2冊を丁寧に読み込んで、書評を書いてくれました。2022字の大きな枠でした。ありがたい!

  英語に抗いつつ英語で記す葛藤 

結びの、ところで本書の隠れた力は、<エピローグ>で語られた著者自身の生い立ちにある。…中略…『少年時代』を読んでいるとき<これはあなたの仕事だという声が聞こえてきた>と振り返る著者の言葉が、柔軟な筆致に厳しさをもたらすのは、この一冊がクッツェーという近しい他者を通して描いた、まぎれもない自伝でもあるからではないだろうか」には、ああ、そういう読み方が可能なのかと驚き、感動しました。


そして今日11月20日(土)の朝日新聞には、江南亜美子さんがやっぱり2冊いっぺんに取り上げながら、柔らかな筆致で内容を紹介してくれました。それぞれの本の特徴をあげ、作家J・M・クッツェーが世界でどんな立ち位置を占めているかまで、過不足なく書いて、最後に『山羊と水葬』に触れる。このスペースで3冊を紹介するという離れ業に脱帽し、心から感謝します。

  国離れて得た自己省察の視座


また同じく1120日(土)の日経新聞では粟飯原文子さんが、アフリカの文学研究を専門とする人ならではのポイントをしっかり押さえて、『JM・クッツェーと真実』をがっつり評してくれました。「鋭い作品分析、歴史の解説、作家との交流や南ア訪問の逸話等に導かれてクッツェーの魅力が存分に味わえる。愛に溢(あふ)れる書物だ」という最後のことばにはもう涙!

  身を削り見つめた南ア社会



どれも本当に嬉しく、ありがたく、著者、訳者冥利につきます!

2021/10/08

2冊そろい踏み:『J・M・クッツェーと真実』『J・M・クッツェー 少年時代の写真』

 『J・M・クッツェーと真実』に続いて『J・M・クッツェー 少年時代の写真』がやってきた。さっそく2冊ならんで、仲良く記念の写真撮影。

 内容についてはこのブログで何度も触れてきたので省略。

10月15日に白水社から、2冊同時発売です。


2021/10/07

本がやってきた:エッセイ集『J・M・クッツェーと真実』

神無月の7日、ピンポーンとベルが鳴って、ついに本がやってきた。

エッセイ集『J・M・クッツェーと真実』(白水社刊)、10月15日発売。

 曇り空の下で早速の記念撮影。褐返しに近い色の帯をはずすと、クリーム色の地肌が濃紺に近い色へ向かって滲むぼかしが出てくる。「真実」はいつだって表層の奥に隠されていて、目を凝らさなければ見えない、そうクッツェーはいう。見る側の心理や、心の位置が「見えるかどうか」を、ある意味、決定づける。そのぼんやり感がちょっとだけ出ている装幀になった気がする。

 この本は話が始まってからあれこれまわり道をして、結局これ、となって実現するまでに3年近くかかった。とても多くの方々の助力によって実現した企画だったけれど、なんといっても、編集者Sさんの力なしには実現しなかった。みなさん、本当にありがとうございました。

感無量! 

 

2021/10/05

『J・M・クッツェー 少年時代の写真』のカバーも

 白水社のサイトに 訳書『J・M・クッツェー 少年時代の写真』のカバーもアップされました。『J・M・クッツェーと真実』と同時発売です。

 書籍内容の説明もより丁寧なものにバージョンアップ。アマゾンなどネット書店のサイトにもカバー写真が出ました。

 さあ、これで2冊同時発売の準備はほぼすべて整いました。2冊ならべて見ると、感無量です。15歳の少年ジョンが撮影したセルフ・ポートレートと、2014年にアデレードでわたしが撮影してきたクッツェーの写真をもとに、画家に描いてもらったクッツェーのポートレート。2枚の写真のあいだに約60年の時間が横たわっています。

「真実があらわになる瞬間に立ち会うこと、それに興味があったんだと思う。半分は発見されるが、もう半分は創造される瞬間に」 ──J・M・クッツェー

 作家になる前、ジョン・クッツェーが写真家を目指していたことが、J・M・クッツェーという作家の創作方法の原型になっていた。それがこの2冊を同時に出すことで明示できたと思います。

2021/10/04

『J・M・クッツェーと真実』のカバー写真が

『J・M・クッツェーと真実』のカバー写真が版元サイトに出ました。白水社から10月15日発売です。

 一人の書き手が、一冊まるごとクッツェーについて書いた、初めてのエッセイ集。

 クッツェーの作品を偶然、手にした1980年代の終わりから、ここまできた道のりを考えています。長かった、濃密な時間について考えています。

 まだ本そのものを手にしていないのですが、でも、とにかく、本になる、本が出る、まとまった形で読んでもらえる。それが嬉しい。そして、ちょっとドキドキ──そんな感じです。

 表紙に使われているポートレートは、2014年11月にアデレードを訪れたとき撮影した写真をもとに、画家のロドニー・ムーア氏に描いてもらいました。

 散歩に出ると、今季二度目の金木犀の香りが、風にのってほんのり漂っていて…。

2021/09/01

エッセイ集『J・M・クッツェーと真実』と訳書『少年時代の写真』

 日本語で書かれた単著としては初めて(と思われる)クッツェー論、というか、クッツェーをめぐるエッセイ集が出ます。書籍情報がネット上に載ったので、あらためてアップします。

********

 以前、この夏は訳書2冊、自著2冊を抱えて、と書いた。次々とやってきては返送されていくゲラたち。

 1冊目のメモワール『山羊と水葬』のゲラは、2校まで終わって戻したところ。でも、まだまだ加筆訂正が入りそうなので、3校待ち。これは書肆侃侃房から刊行の予定だ。

 他に、訳書が1冊、自著が1冊。

  J・M・クッツェーの『少年時代の写真』

  エッセイ集『J・M・クッツェーと真実』


 2014年に発見されて2017年に一部だけ公開され、2020年に書籍化されたクッツェーの『少年時代の写真』については、これまでに何度か触れてきたけれど、いよいよ日本語訳が出る。

 それといっしょに、クッツェーを翻訳してきたプロセスを振り返って、まとめたエッセイ集も出る。一人の書き手による一冊まるごと「クッツェー論」は多分これが初めてだと思う。この2冊は白水社から10月に同時刊行される。

 エッセイ集『J・M・クッツェーと真実』には、1988年にクッツェー作品と出会ったころから現在までの、クッツェー翻訳をめぐるすべてを書いた。そういうと大袈裟だけれど、ほとんどそんな気分で書きあげた。個々の作品について論じる文章もあるし、南アフリカの厄介な英語、南ア社会内の「人種」をめぐるごく平易な語の奥に隠れた意味合いなどトリビアっぽいもの、ケープタウン旅行やアデレードの作家宅を訪れたときの話、クッツェー来日時のエピソードなどを織り交ぜてまとめた。それでも、ああ、あれも書いてなかった、これも書けばよかった、と今になって思ったりもするのだが。 

 それにしても、なぜかくも長きにわたりクッツェーを訳してきたのか、問いはふつふつと湧いてくる。それをエピローグとして最後に置いた。何度か書きなおしていると、あるとき、指先からことばが溢れるように出てきて、一気に膨らみ、止まらなくなった。それは著者自身の家族の物語だった。

『少年時代』を訳したとき作品内から聞こえてきた声によって、自分自身が幼いころや若いころの記憶と向き合わなきゃ、向き合いたい、そう思ったことに改めて気づいたのだ。ハッとなった。そこで思い切って自分の記憶を切開した。それが圧縮されてエピローグになった。

 最初にあげたメモワール『山羊と水葬』には、言ってみれば、その圧縮部分からぷつぷつと空に向かって膨らんだ吹き出しのように、40あまりの話が連なっている。折々に書いてきたコラム、個々のシーンの素描、日常の記憶の断片などが集められている。だから、これは姉妹編のようなものだ。この『山羊と水葬』もまた、クッツェー本2冊とほぼ同時に刊行されることになるだろう。

 ゲラを手にすると、目にすると、ああ、本当に本になるのだなあとしみじみ思う。この嬉しさは他に比べるものがない。この秋は、文字通り、蔵出しの秋となりそう。

 アディーチェの『パープル・ハイビスカス』もまた、現在、蔵のなかで熟成中です。


*カメラがPCと接続不能になって写真をアップできないため、大好きなクレーの絵を添える。