昨日は、世田谷美術館の「パリジェンヌ展」へ行ってきた。
24日(土曜)のトークイベントの打ち合わせ。展覧会も、打ち合わせも、サイコーに面白かった。
ボストン美術館所蔵の美術品から、選ばれた絵画、版画、写真、ポストカード、ドレス、繻子の靴、オリエンタル調のジャガード織りのショールなど約120点が展示されていた。
見渡せるのは、18世紀からフランス革命後ナポレオンの帝政期をへて、19世紀は花のパリ時代(憂鬱な都会生活を描いたボードレールの時代)から喧騒の1920-30年代を通り過ぎて1965年まで。キーワードは「パリジェンヌ」だ。
キュレーターの塚田美紀さんとあれこれ話をしているうちに、これはある種のジェンダーの歴史展かもね、という話になった。
展覧会はあくまで「ボストン」から見た「パリとパリジェンヌ」であり、そこには旧植民地アメリカから文化の華と見える大西洋の向こう側、パリへの遠い憧れが色濃く滲み出ている。そこで、憧れの方向性について考えてみた。
最初の視線はオリエンタリズム、パリから見た異国への憧れだ。もうひとつは、その「憧れ」を文化内に含む「パリという華やかな大都会」に対するボストン側からの憧れ。そして三つ目も加えてみよう。その双方向の「憧れ」を、東アジアの日本という土地から見ている私たちが、いまここにいるという関係も。というふうに考えてみると、とても面白い展示になっているのだ。
性には禁欲的なピューリタンの保守的市民社会からすれば、ボードレールの『悪の華』が表現する世界は、カトリック世界以上に、途方もない「禁断の木の実」と見なされただろう。ボストンの富裕な女性たちは、パリから取り寄せたドレスを、2、3年寝かせておいて、華美な装飾をはぶいて(カスタマイズして)から身につけたという、涙ぐましいエピソードも紹介されている。
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ボードレールのミューズ、J・デュヴァル |
う〜ん、なんか先ごろメディアを賑わしている、ハリウッド映画界の大物セクハラ・レイプ問題で世界的な話題となっている#metoo 運動と、カトリーヌ・ドヌーヴらの「言い寄られる自由」宣言とそれに対する反論などとも響きあうような、あわないような、ビミョーな双方向視線が、ここにはありそうな──。
19世紀に始まった「万国博覧会」とは資本主義経済が世界を席巻する皮切りになったイベントだったが、その近代の価値観のなかでもっとも魅力的な、不可欠な要素となったのが「エキゾチシズム」だった。すでにアフリカやカリブ、アメリカス、オーストラリアなど、広く植民地を「開拓」していたヨーロッパ諸国には、だから、褐色の肌の人たちはたくさんいたはずだ。見えないニンゲンとして。
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ジョセフィン・ベイカー |
ヨーロッパ男性の強烈な性的「憧れ」の対象となった褐色の肌の女たち、ブラックビーナスというファンタジーもまた興味深い。『鏡のなかのボードレール』の著者であるわたしの役割は、褐色の肌をしたパリジェンヌについて語ることだ。
しかし昨日、展示を見て思わず吹き出してしまったのが、ガートルード・スタインの「自画像」をうたう一点。それは彼女の親しい友人が撮影したという白黒写真で、さて、そこに写っているのは? これが傑作。スタインは、ご存知、1903年からパリに移り住んだユダヤ系のアメリカ人作家。れっきとしたパリジェンヌである。ヘミングウェイたちに「きみたちはロスト・ジェネレーションね」といったことでも有名な人だが、そのポートレートやいかに? もしも隣にピカソが彼女を描いた有名な肖像画がならんでいたら、もっと面白かったかも、、、
最初は日差しも温かく春めいた陽気だったのに、時の経つのを忘れて打ち合わせをしているうちに、夕方から雲行きがあやしくなって、冷たい風がひゅうひゅう吹いてきた。でも、家にたどりついてから、24日(土曜日)午後2時からのイベントの中身がくっきりしてきた。う〜ん、いよいよ楽しみになってきた。
入場無料で、13時から整理券を出すそうです。ぜひ!
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追記:すみません! 展示品の数などを勘違いしていたので、訂正しました。