2024/05/21

幻視者の文学、ハン・ガン『別れを告げない』斎藤真理子訳について

 ハン・ガン『別れを告げない』斎藤真理子訳(白水社)について、東京新聞のコラム「海外文学の森へ 81」に書きました。今日5月21日夕刊に掲載されています。

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 これは「幻視者(ヴィジョネール)の文学」ではないか、というのが筆者の見立てだ。ヴィジョネールの作家・詩人についてはフランス文学に長い歴史がある。ネルヴァルとかミショーとか。もちろんフランスだけではないけれど(ドイツの美術とか)、この作品を読んで脳裏に浮かんできたのは、そのことばだった。60年代のフランス文学全盛時代に学生だった者にとって「ヴィジョネール」はある種、特別な意味を含んだ呼称なのかもしれない。例えば梶井基次郎なんかは「ヴィジョネールの作家」と言えるだろう。

 ハン・ガンの作風は、そんな幻視の世界へ読者の視線や心を引っ張っていく──というのは深い物語の森に入っていって、ここはどこ?と思ったときに気がついたのだけれど。

左がフランス語訳、右が日本語訳

 済州島 4.3 事件。この虐殺事件は日本帝国の植民地化からの解放まもない1948年前後に、東西対立、大国間のかけひき、朝鮮戦争といった政治事情が複雑に絡まりあう状況のなかで起きた。非情なジェノサイドである。その後、軍政権が何代も続いた時代に、解明されることなく、封印されて、記憶の風化が進むかと危ぶまれる時代になった。事件が解明されはじめたのはそれほど昔ではない。

 1970年生まれの作家ハン・ガンは、『別れを告げない』の語りの中心に、この虐殺事件のサバイバー2世である映像作家インソンと、その友人である作家キョンハを置く。物語はふたりの交流と複雑に絡まる記憶を薄墨色のざっくりした布に織り込むように進んでいく。全編に雪が降る。深い雪の世界だ。

 読んでいくうちに、キョンハとインソンが、幻聴や幻視のモノクロ世界で「物語」を構成する縦糸と横糸のような関係、いや、双子のように感じられてくるから不思議だ。

 とにかく読ませる。70年生まれのハン・ガンは、おそらくそれほど遠くない未来、ノーベル文学賞を受賞するんじゃないかと確信させる作品だ。もしそうなったら、アジア人女性として初めての受賞者になるのだろう。

 昨秋から現在形で続く「パレスチナ/イスラエル」のジェノサイドが二重写しになって迫ってくる。


2024/05/10

朝顔はいま──ローズマリーもぐんぐん育って

 ずいぶん間が空いてしまった。

 4月2日に蒔いた朝顔はいくつも芽を出し、双葉を広げ、本葉も大きくなってきた。今日は5月10日だから、38日ぶりか。そろそろ蔓を絡ませるための支柱を立ててやらなくちゃな。

 ローズマリーは、伸びてきた芽を何度か剪定したので(もちろん料理に使った)、枝葉がいくつも出て、全体にこんもりしてきた。

 今日もまた、陽射しは強く、風もとても強い。気温も低めだ。午前中にベランダに出て、つい油断したら、吹きつける風で体がすっかり冷えてしまった。気がつくと時計の針は12時をまわっている。あわてて温かいお茶を淹れて早めの昼食。それでもまだ寒さが体から抜けない。5月って、そういう季節だったっけ。

 一昨日の豪雨もすごかった。ひさびさに都心に出たのだ。地下鉄からJRに乗り換えるため、市ヶ谷駅のホームに出る階段をのぼっていると、工事のような轟音が聞こえてきた。ほとんど全方位から聞こえる。一瞬「?」と思ったら雨だった。両側から吹きつける雨のしぶきで、狭いホームは真ん中にいても濡れるほどだ。それでも、お堀に張り出した釣り堀のデッキで、何人もの人が釣り糸を垂れていて、これには感心した(嘘)。

 初夏になった。