ラベル ファファレーイ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ファファレーイ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2014/09/14

今日は ハンス(Hans Faverey) の誕生日!


ふと思い立って、こちらに再掲載します。今日はスリナム(旧オランダ領ギアナ)生まれのオランダの詩人の誕生日。
*******************************************************************************************************

 菊の花たちが
 挿してある花瓶はテーブルのうえにあり、
 窓辺にある、が、それらは

 窓辺にあるテーブル
 のうえの花瓶
 の菊の花たち
 ではない。

 ひどくきみを悩ませ
 きみの髪を乱す風、それ

 はきみの髪をかき乱す風で、
 髪が乱れているときは
 そのためにもう悩まされ
 たくない、ときみが思う風だ。

 氷のように透明で明晰な詩を書いた詩人、ハンス・ファファレーイ(1933〜90)は1977年、第三詩集『菊の花たち、漕ぎ手たち』で掛け値なしの評価をえた。右の詩はその詩集に収められた同名の詩の冒頭である。オランダ領ギニア(現スリナム)の首都パラマリボで生まれたファファレーイは、五歳のときに母や兄とアムステルダムに移り、以来この地で暮らした。生地スリナムを去ったのはまだ幼いころで、その経験が作品内に反映されることはない。カリブ海出身について直接ふれることもきわめてまれだ。

 この詩人の情熱はもっぱらヨーロッパ文化から受けた遺産に向けられる。詩篇の多くは自宅のあるアムステルダムを背景にしているようだが、特定できるものは少ない。彼の詩にはローカル色の徹底した欠如がある。
 作品から詩人の日常を知ることもできない。だが彼自身が述べているように、自伝的なものは断片化され、集積されて詩の内部に忍び込み、豊かな連想をかき立てる。実際、ファファレーイの詩にみられるこの知的で地理的なコスモポリタニズムこそが、詩人の生地カリブ海の、クレオール文化のエコーを聞き取る場なのかもしれない。なぜなら、彼の描く風景は、切り離されながら彷徨う、移り住む者の眼差しを通したものだから。

 ファファレーイが旅に出るのはもっぱら学生のころから訪れたクロアチアだ。ここで後に妻となる比較文学者、レラ・ゼチュコヴィッチと知り合い、以来、夏ごとに訪れる地中海の風景が、時を超えたエーゲ海風景へと溶け込み、ホメロスやサッポーへのオマージュとして詩篇に織り込まれることになる。

 折りに触れて幾度もきみを愛さなければ、
 ぼくにはきみがまったく未知のものだから
 ぼくという存在の核とほとんど

 おなじくらい未知であり、それは
 ぼくの名前の記憶が、きれい
 さっぱりと消えたあとも

 永くつづく羽ばたきだ。ときどき、
 ふとわれに返ると、ぼくたちの家が
 さわさわと音をたてだし、大声で
 きみの名を呼びたい思いにかられるとき、

 ぼくは、この頭のなかにいるきみを
 ふたたび見つける、……

 これは88年の詩集『忘却にあらがい』所収の「甦った、ペルセポネ」の冒頭だが、ここにみられる「剥離する意識」はくりかえし彼の作品にあらわれる主題だ。自分はいったいだれなのか、どこにいるのか、このまま存在しつづけることが可能なのか。そんな不安を、意識の層を何枚も剥がしながら書き留めようとする姿勢がこの詩人にはある。
 事物の絶え間ない動きによって、いずれだれもが飲み込まれていく沈黙と忘却。それに抗うこともまたこの詩人のテーマとなる。「時を止める」ために用いる方法は「ゼノンの矢のパラドックス」のイメージだ。時間を小さく区切れば区切るほど、空中を飛ぶ矢の飛距離は短くなり、区切りを無限に小さくすれば時間は静止するという逆説。

 時を止めるいまひとつの方法として浮上するのは記憶だ。だが実際の出来事とその記憶はむろんおなじものではない。81年の詩集『光降る』の次の詩は、ハンスとレラがクロアチアの叔母の庭を訪問したときのものだ。

 記憶が、みずからの意思で
 したいことをするように、ぼくたちは
 いま一度かぶりつく、ほぼ同時に
 そろって、トウモロコシの畝
  
 のあいだで、彼女は彼女の
 杏に、ぼくはぼくの杏に

 これは記憶そのものが無情にも変化することを、痛烈に喚起する詩行である。
 動きによる腐朽を食い止める方法としてさらに、ファファレーイは哲学を取り込む。無我の境地へいたるための瞑想によって、おのれを世界から遠ざけるのだ。その思想の背景にはソクラテス以前、とりわけヘラクレイトスの影響が色濃くみられる。火を万物の流転の核とする苛烈な思想だ。たとえば先の「菊の花たち、漕ぎ手たち」の次の詩行。

 あらゆるものに内在する
 虚空は、現実に
 あり、かくも激しく動いて、
 やがて最後のことばの
 響きに混交する、

 (それはいま、唇を通過する
 ことを拒み)、まず唇を愛

 撫し、躊躇うことなく唇を
 抉る。……

 この詩篇の最終部がまた印象的で、ファファレーイの手になるとオランダでさえ、水路や畑がひどく不分明になっていく。

 徐々に──近づいて
 くる、八人の漕ぎ手
 たちは、しだいに内陸へ入り

 みずからの神話のなかに入り、
 漕ぐたびに、故郷から
 さらに離れ、力のかぎり漕ぎすすみ、
 水が消えるまで広がり、
 そして彼らは風景全体をへり

 まで充たす。八人は──
 さらに内陸へ漕ぎすすみ、
 風景は、もはや水が
 ないため、膨れあがる
 風景に。風景を、
 さらに漕ぎすすみ

 内陸へ、陸に
 漕ぎ手たちの姿なく、漕ぎ
 争われた陸となる。

 私がファファレーイを知ったのは J・M・クッツェー訳によるオランダ詩のアンソロジー『漕ぎ手たちのいる風景』のなかだった。出身地こそ南アフリカと違うけれど、クッツェーもまたオランダ系植民者の末裔である。彼はファファレーイを「その世代でもっとも純粋な詩的知性の持ち主であり、その詩は宝石のように美しく、本を閉じたあとも永く、エコーのように心に響く」と絶賛する。
 硬質な語と語のあいだに響く沈黙、そこに滲み出るもの──そんな魅力が、国境や言語を越え、時間さえも超えて、読む者の心を震わせるのだろう。

*英訳版の使用を快諾してくれたF・R・ジョーンズ氏、紹介の労を取ってくれたJ・M・クッツェー氏に深謝します。

**************************
「現代詩手帖 2009年1月号」に書いた文章に少し加筆しました。
写真は、フランシス・ジョーンズ編訳のアンソロジー『忘却にあらがい/Against the Forgetting』(A New Directions Book,2004)。

2009/04/25

どのように永遠のひと時──ファファレーイの詩

現代詩手帖 5月号」に、スリナム生まれのオランダの詩人、ハンス・アントニウス・ファファレーイ(1933〜90)の詩をいくつか訳出しました。

 ファファレーイのことは「現代詩手帖 1月号」でも「世界の波頭」で、詩を引用しながら少しだけ紹介しましたが、今回は詩作品そのものを楽しんでいただけます。翻訳には力を入れました。

 ファファレーイの作品はたいていがサイクルになっています。あるタイトルのもとに、各ページに数行から十数行におよぶ詩句がならび、それが数ページまとまって一篇の詩を構成する、そんな連詩形式なのです。
 今回もフランシス・R・ジョーンズ氏の英訳アンソロジー『忘却にあらがい/Against the Forgetting』(New Directions, 2004)からの日本語訳ですが、すでに入手してある8冊のオランダ語のオリジナルも、行の移り、連の移りの部分など、少しだけ参照しました。それで改めて確認したのは、どうやらオランダ語と英語は、言語としては二卵性双生児みたいな関係にあるらしいということ。面白い。

「宝石のように美しい詩篇は、本を閉じたあとも永く、エコーのように心のなかに響きわたる」とJ・M・クッツェーが述べた、この詩人の澄明な詩のことばをうまく日本語に転換できていることを願って・・・冒頭の部分を少しだけ写しておきましょう。

***************

「どのように永遠のひと時」より

  *

  恋する女が
  身をまかせようか、まかせまいか、

  思いあぐねているように、
  一枚のカエデの葉が、ひさしく前から
  落ちかけ、それでもなお
  枝から離れずにいる。

  わたしの唇のうえの水のしずく
  ・・・・・・・・・・・
  ・・・・・・・・・・・
写真はオリジナル詩集『忘却にあらがい/Tegen het vergeten 』(1988)

2008/12/27

「現代詩手帖2009年1月号」──ハンス・ファファレーイの詩

<沈黙のなかに滲み出るもの>

現代詩手帖 2009年1月号」に、オランダ領ギニア(スリナム)生まれの詩人、ハンス・ファファレーイ/Hans Faverey(1933〜90)について書きました。ぱらぱらと、のぞいてみてください。

 ファファレーイの詩を初めて読んだのは、J・M・クッツェーが訳したアンソロジー『漕ぎ手たちのいる風景─オランダからの詩/Landscape with Rowers──Poetry from The Netherlands,2004』のなかでした。

 まとまった詩篇が読める英訳詩集としては『忘却にあらがい/Against the Forgetting』がフランシス・ジョーンズ/Francis R. Jonesの訳で出ています。このアンソロジーは全9冊の詩集から過不足なく選ばれていて、ファファレーイという詩人の魅力をあますところなく伝えています。タイプ文字を思わせるタイトルと、ぼかした白黒イメージが印象的なカバー下方には、次のようなことばも。

「ハンス・ファファレーイは、彼の世代ではもっとも純粋な詩的知性の持ち主だった。彼が著した宝石のように美しい詩篇は、本を閉じたあとも永く、エコーのように心のなかに響きわたる。──J・M・クッツェー」

 ファファレーイの詩を訳していると、頭のなかがシーンと透明になる瞬間があって、澄んだ空気で心身が満たされていく愉楽を感じます。
 今回の紹介と訳出は J・M・クッツェー氏の協力と激励あって初めて実現したもの。2006年9月のクッツェー氏初来日のときの会見から、翌年12月の再来日時のやりとりを経て、フランシス・R・ジョーンズ氏が英訳からの訳出を快諾してくださるまでの経緯には、なにか運命的なものを感じます。お二人に深く感謝します!

2008/01/04

「ブルー・バートン」

 初めてステレオシステムを買ったのは1971年2月だった。学生時代に住んだ最初のアパート、四畳半という真四角のちいさな空間の、ただひとつの壁を背にしてならべられたコンポ。近くのお茶屋さんでもらってきた小ぶりの茶箱に──LPジャケットがぴったりおさまる大きさだった──クリーム色のペイントを重ね塗りし、それにSONYのレシーバー(プリメインアンプとチューナーが合体したもの)を置き、そのうえにベルトドライヴ方式のLPプレーヤーを積んで、両側に置いたシンダーブロックのうえにクライスラーのスピーカーをのせた。
 そのコンポで初めて聴いたLPが、この「ブルー・バートン」(録音:1967年7月、LPの日本発売:SONP 50220/1970年5月)だった。
 コンポを買ったばかりのころは、用があって外出してもすぐに、いそいそと帰宅して、ストーブを点ける間ももどかしく、この盤に針を落とした。
 冴えわたるタッチのルイス・ファン・ダイクのピアノをバックにして、ゆったりと深い響きが立ちあがる。3回目の東京の冬だった。コートを脱いで、お湯をわかすころにはA面は終わり、ディスクを裏返してまた針を落とす。熱い珈琲カップを手に腰をおろすと、針はすでにB面の4曲目「IN THE WEE SMALL HOURS OF THE MORNING」の溝を走っていた。
***************

IN THE WEE SMALL HOURS OF THE MORNING

When the sun is high
In the afternoon sky
You can always find something to do
But from dusk till dawn
As the clock ticks on
Something happens to you

In the wee small hours of the morning
While the whole wide world is fast asleep
You lie awake and think about the boy
And never ever think of counting sheep
When your lonely heart has learned its lesson
You'd be his if only he would call
In the wee small hours of the morning
That's the time you miss him most of all

When your lonely heart has learned its lesson
You'd be his if only he would call
In the wee small hours of the morning
That's the time you miss him most of all
That's the time you miss him most of all

********************
 アン・バートン/Ann Burton(1933〜89)はオランダ生まれのジャズシンガー。レコード盤がガリガリになるまで聴いたこのアルバムに、再度針を落としたのはほんの数年前、どっしりと重い MICRO のLPプレーヤーが、友人Oからまわってきたときだ。数百枚のLPが押し入れの天袋の奥深くしまい込まれてから、長い時間がたっていた。
 そのころ読みはじめたクッツェーの訳詩集「漕ぎ手たちのいる風景─オランダからの詩/Landscape with Rowers」のなかで、とりわけ気に入った詩人ハンス・ファファレーイ/Hans Feverey(1933〜1990)の生年が、アン・バートンと同年。偶然とはいえ、不思議な気がした。没年もわずか1年の差。まさに同時代、いや同世代のオランダ人だ。