2011/06/20

J・M・クッツェー自伝的三部作──Scenes from Provincial Life

以前にも書きましたが、J・M・クッツェーの自伝的三部作を一巻にしたものが9月に出ます。

 タイトルは Scenes from Provincial Life ──地方生活からの情景。以前は「叙景」だろうと書きましたが、それでは「ひんがしの野に」の山部赤人ふうになってしまうし、意味がちょっと違う、と複数の人に指摘され、はて、どうしたものか、やはりすなおに「情景」で行くほうがいいのか、と考えなおしたりしています。

 9月に Havill Secker から出る英国版の表紙が発表されています。秋の草原のイメージがなかなかしぶい、すてきな感じです。ちなみに「原文テクストは、Summertime はそのままだが、Youth と Boyhood は徹底的に見直しをした」とのこと。それもあって、Youth は初訳ですが、拙訳『少年時代』は新しいテクストを用いての全面改訳となります。

付記:あっ、もちろん Summertime も初訳ですよ〜。

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20011.12.24さらなる付記:カバー写真は秋のイメージかと思いましたが、これは春でした。よく見るとちいさなつぼみが開いていくところです。撮影場所は、ケープタウンの書店の方が、ヴスターから東南へくだるルートを少し進んだあたりではないか、といっていました。

2011/06/18

クッツェー自身の翻訳論(2)──meanjin

ではクッツェーは、1984年に出た最初のドイツ語版『夷狄を待ちながら』のどこが気に入らなかったのか? 彼の言い分を聞いてみよう。

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「翻訳者が二つの言語にどれほど堪能であろうと、どれほどニュアンスを細やかに読み取れようと、彼/彼女がたんに共感のもてないテキストというのはあるものだ。理想の世界なら、なすべきことはそのようなテクストの翻訳は辞退することだが、現実の世界ではそんな清廉潔白さがいつも望ましいとはかぎらないかもしれない。

『夷狄を待ちながら』が最初にドイツ語に翻訳されたのは1984年だった。この翻訳が上手くいかなかったのはだれもが認めるところで、その後、本は改訳された。最初の翻訳がなぜ失敗したか? 翻訳者はわたしの英語を十分に、一語一語、一文一文、完璧に読むことができ、それを適切なドイツ語の散文にした。しかし私は、彼女がつくったテクストを読めば読むほど、おだやかならざる心境になっていった ── 彼女のページが喚起する世界が、微細な点でも、あまり微細ではない点でも、私がかつて想像した世界とは異なっていたからだ。私の耳に聞こえてくる語り手の声は、私が着想した語り手のものではなかった。

 これはある程度、語の選択の問題といえる。つまり、妥当な二つの選択肢をあたえられた場合、この翻訳者はたびたび、私なら選ばなかったであろう語を選んでいるように思えた。しかし、おもにそれはリズムの問題だった ── 語りのリズム、さらに思考のリズムである。ドイツ語テクストの背後にあるセンシビリティ、とりわけ、語り手が発することばのなかに埋め込まれたセンシビリティが、私には耳慣れない、受け入れがたいものに感じられたのだ」(前掲書, p149)
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 そしてクッツェーは、ドイツ語には英語の現在分詞にあたるものがない、それが翻訳の困難さを引き起こしている、と具体例をあげながら英文と翻訳されたドイツ語の文章を細かく比較している。

 いすれにしても「語りのリズム、思考のリズム云々」というところ、あるいは最初の「シンパシーがもてるテクスト」などは、翻訳の王道ともいえる論だろう。わたしも忘れずにいよう。

 写真は改訳されたドイツ語版『夷狄を待ちながら』
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付記:つづきがあります。

2011/06/17

7月3日は渋谷の「サラヴァ東京」へ

第3回ことばのポトラック 
場所:渋谷のサラヴァ東京
日時:7月3日 11時半開場/13時開演 ブランチ付き 3000円(予約制)
予約は:contact@saravah.jp tel/fax: 03-6427-8886

 東北地方を襲った大震災と原発事故から3カ月あまりがたとうとしています。亡くなられた方々とご家族には心からお悔やみをもうしあげます。

 この間、いろんなことがありました。驚き、絶望、落ち込み、悔しさ、悲しさに打ちのめされるような思いを抱えながら、それでも奮起し、毎日の日常をこなし、とにかく生きていこうとする人びとのために、ことばはなにができるのか、ことばでなにができるのか。
 
 第1回ことばのポトラックは、緊張感のあるすばらしい時空間でした。このときは予約受付開始とほぼ同時に席の予約が埋まってしまいました。

 第1回のその形式をほぼ踏襲するかたちで、7月3日はふたたび、この間の時間の経過をふまえながら、人びとのあいだに橋を架けることばの可能性を探ってみたいと思います。出演者は多言語のあいだを行き来している人たち:

管啓次郎 
温又柔 
清岡智比古 
レナ・ジュンタ 
関口裕昭 
デビット・ゾペティ 

(休憩10分)

高橋ブランカ 
ヴァルデマル・サンチアゴ 
南映子 
旦敬介 
くぼたのぞみ 
港大尋 
  (敬称略)

 歌あり、ひとり芝居あり、多彩なパフォーマンスに立ち会うことができそうです。
 予約はどうぞお早めに!

2011/06/16

クッツェー自身の翻訳論(1)──meanjin

J・M・クッツェーの自伝的三部作、『少年時代』『青年時代』『サマータイム』を訳すことになったので、ある雑誌の記事をあらためて読みなおした。(『少年時代』は全面改訳の予定。)
 「MEANJIN」というメルボルン大学が出している雑誌の特集号、「TONGUES──TRANSLATION: ONLY CONNECT」である。

 表紙にいささか疲れた顔の J・M・クッツェーが映っている。2003年10月に彼がノーベル文学賞を受賞した後一年ほどのあいだに過ごした「怒濤の時間」をありありと思わせる写真である。
 この特集にはクッツェー自身も10ページほどの文章をよせている。これが面白い。というか彼の作品を翻訳する者としてたいへん、たいへん参考になる。彼が「翻訳」についてどう考えているか、他言語に翻訳された自分の作品例を具体的にあげながら書いているからだ。

 具体例として彼が比較検討できるのはもちろん、彼がほとんどバイリンガル的に得意とするオランダ語、比較的得意とすると彼自身がいうドイツ語、さらにフランス語などヨーロッパ言語への翻訳の場合で、ロシア語やイタリア語への翻訳についても、タイトルなどについて言及している。また、自分には読めないからよくわからないけれど、と断りながら、トルコや日本の翻訳者の反応についても述べていて、初めて読んだときは、おお! と思わず声をあげてしまった。

『エリザベス・コステロ』をセルビア語に訳している翻訳者からきた、言語間の差異にもとづく難問に、こうしてはどうか、と著者から提案して解決をみたケース。あるいは『夷狄を待ちながら』を中国語に訳している人から、中国人読者が抱くであろう場所と時間をめぐる歴史的な、強い連想に関する問題をどう処理したか、などなど。

 オランダ語と英語の一語をめぐる微妙な語彙、語感の背景的違いなど、微に入り細にわたってやりとりされる箇所は、内容を想像するしかないけれど、結局、彼らには遡って共有できる「ラテン語」という強みがあるんだよなあ、というのが、アジアの一言語使用者である私の感想だ。

 きわめつけはフランス語訳者とのやりとり:『青年時代』に出てくる dark を sombre と訳すか noir と訳すか。クッツェーは、この語を自分はD・H・ローレンス的なニュアンスで使っているから、それがどんなフランス語に訳されているか参照したらどうかと提案し、訳者は、いやあれは・・・とさらに具体的なフランス語の意味合いについて説明する、そんなメールが引用されている。
 
 ふ〜ん、そうかあ、ヨーロッパ言語間ではこんな質問までできるのか、とちょっとうらやましくなった反面、1984年に最初に出たドイツ語版『夷狄』のように、作家自身からきっぱり「ノー」といわれてしまうこともあるのか、とひやりとする。(この作品、ドイツ語版はその後、別の訳者の改訳版が出ている!)

 この雑誌が出たのは2005年だから、記事を書いた時期は、たぶん、彼がオーストラリアへ渡って初めて書いた小説「Slow Man」が出た直後くらいだと思う。(つづく)

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1976年ソウェト蜂起の記念日、または、ブルームズデイに。

2011/06/10

ナマクワ・デイジーの花々

ゾーイ・ウィカムの『David's Story/デイヴィッドの物語』の翻訳もだんだん佳境に入ってきました。
 
 今日、訳していたところに出てきた、ナマクワ・デイジー/Namaqua daisy という花はどんな花かしら、とグーグル検索してみると、あるわ、あるわ、ごつごつした岩の多い渇いた土地に根をはる花たち、干割れた地面からひょっこり顔を出す茎の短い花、真っ青な空に咲き乱れるデイジー、またデイジー、夕陽をバックに撮影した美しい花影。

 ナマクワランドというのは、現在の南アフリカは西ケープ州北部あたりをさす地名です。
 クッツェーの最初の小説『Dusklands/ダスクランズ』の後半におさめられた物語(時代は18世紀)が舞台となった場所でもあります。これは破廉恥な探検をした人物、それを文章にした人物、それをまた訳した人物、と入り組んだ仕掛けをこらしてはいるけれど、話の中身はまことに壮絶! クッツェーの歴史観を知るうえでも、彼のその後の作品群がどのような脈絡のなかで書かれてきたかを俯瞰するためにも、必読の作品です。

 そう、ナマクワランド。

 先住民のコイサン人がむかしから住んでいた土地、だんだんヨーロッパ系の人間が入っていって彼らを追い出していった土地。グレイトカルーと呼ばれる広大な半砂漠地帯。
 『デイヴィッドの物語』は2000年暮れに発表された作品で、先住の人びととヨーロッパ系入植者、さらには中央アフリカから南下してきたバンツー系のブラックたちとの関係が、19世紀と20世紀を行き来しながら、物語として展開される、サスペンスドラマみたいな小説です。

 もちろん「デイヴィッド」がクッツェーの『恥辱/Disgrace』の主人公の名前であることはとても重要。もうひとつのデイヴィッドの物語としてウィカムは書いている。つまり、作品どうしが響き合っているのです。

 命をかけた彼らの解放闘争を縦糸に、褐色の肌をし、東洋人のような切れ長の目をした彼/彼女らグリクワ民族の歴史を横糸にして織りなされる繊細かつあざやかな、じつにスリリングな物語です。乞うご期待!

2011/06/06

はっとした文章

今日、あるブログで知ったサイトで読んだ文章です。はっとしました。まがりなりにも、かつてアミラ・ハスを訳した者として。
 メディア情報を一面的に見ていては、判断を誤る典型的な例です。

2011/06/02

岬をまわり、橋をわたる/放射能時代の食生活

 ちょっとお休みしていた「水牛」に詩を書きました。「岬をまわり、橋をわたる」

 そうそう、今月の「水牛」には森下ヒバリさんの「放射能時代の食生活2」という文章があって、さすがヒバリさん! 「アジアのごはん」を連載してきた彼女が、いまとっても必要な情報をコンパクトにまとめてくれました。
 野菜のこと、海藻や魚介類のこと、どうしたら放射能物質を避けることができるか、なにをめやすに食べ物を選び、生活をすればいいか。参考となる書籍も紹介されています。
 
 政府などが発表する「基準値」なるものは、影響を受ける個体差がまったく考慮されていない数値であることを肝に銘じておかなければなりません。乳幼児もさることながら、おなじ大人でも敏感に反応する体質の人(一派には虚弱といわれます)と鈍い人(頑強と呼ばれます)では、影響に大きな差があります。
 もちろん放射能による影響も、この感度の鋭い人から先に出ます。つまり細胞が傷ついて、まず体調不良になる、具合がわるくなる、10年以上経過して「白血病」や「がん」になるまでに何年ものあいだ、何層にわたるグレーゾーンがあることは、基準値だけからはわからない。つまり「想定外」なのですね、いつも。こういう「統計」の非情はホントニ腹立たしく、悲しい。

 その辺の現実と統計の認識のゆがみを視覚化したものがあります。とてもわかりやすい。「現実 vs データ 卓上で希釈される放射能」というこの図解は、白か黒かという二分法がいかに暴力的な「とりあえず」であるかを語っています。「単位で白黒をつける職業も必要である反面、自然界には時間も放射能も単位は存在しません。あるのは命の循環だけです」と結ばれることばに励まされます。
        ↓
  http://e22.com/atom2/avg.htm


 さてさて、7月3日に開催される「ことばのボトラック vol.3」にむけて、着々と準備が進んでいます。
 「詩の朗読」がメインですが、ずいぶん多彩な人たちが出演してくれることになりました。入場料(ランチ付き)から経費を差し引いた金額を(出演者はノーギャラ)、震災の救援活動をしている信頼できるグループに寄付します。
 歌あり、一人芝居あり、ほかにもなにが飛び出すかちょっとわからない、わくわく、どきどきです。

 3.11のあと、時を置かずに開かれた第一回は充実したイベントでした。東京FMでも放送され、もうすぐ冊子になります。ジュンク堂池袋店9Fで13日から開かれる、大竹昭子さんの企画展「カタリココと私」で「ことばのポトラック」コーナーにならべられることになっています。詳細はまた。

 第一回から第三回へ飛びましたが、第二回もかのうよしこさんの歌がたっぷり聴けるすてきなイベントです。
 これも見逃せない、いや、聞き逃せないなあ。

付記:美しい芍薬の写真は今回もまたネットから拝借しました! あしからず。

2011/05/31

おすすめ2冊 ──「日本人のためのアフリカ入門」と「野生哲学」

3.11をはさむようにして出た2冊。(著者が「あとがき」を書いたのが2月、4月ということです!)

 白戸圭一著「日本人のためのアフリカ入門」(ちくま新書)
 管啓次郎著「野生哲学──アメリカ・インディアンに学ぶ」(講談社現代新書)

アフリカ入門書ならすでに多くの書籍が出版されているのに、あえて「入門書」となっているのはわけがあります。それは第1章 アフリカへの「まなざし」を読んでいると、だんだんわかってきます。
 そう、「日本人のためのアフリカ入門」は、毎日新聞の記者である白戸氏が属する日本のメディアの「アフリカへのまなざし」がいかにステレオタイプか、それを現場から指摘する本なのです。

 きわめて具体的な例として最初に出てくるのが、あるTVの人気番組についての検証です。その番組の「へんな部分」を知人から調べてほしいと頼まれた白戸氏は、当時の赴任地ヨハネスバーグから、その番組がロケされたエチオピアへ飛び、そこに登場した少年や叔父、孤児院のスタッフなどを取材します。その過程で、現実とはかけはなれた「やらせ」の事実が浮上します。なぜ「やらせ」が起きるか。視聴者がもとめるから? だとしたらそれはなぜか?

 読んでいると、この本はアフリカについて知る、というよりも、アフリカを報道する日本について知る本であることがわかります。メディアが流す偏った情報、誤った情報を鵜呑みにする視聴者、読者。いや、鵜呑みではなく、むしろ積極的にステレロタイプをこそ無意識に求めてしまう日本人の偏向がありありと浮かんできます。
 アフリカのみならず、一字ちがいの「アメリカ」との関係が、合わせ鏡のようになって見えてくるのも面白い。

 もう一冊は、そのアメリカ、いや「アメリカス」(北も南も中央も含むアメリカ大陸全体)にもともと住んでいた人たち=アメリカ・インディアンの「生きるための思想」を、具体的に、俯瞰的に展開します。
 「土地」とはなにか、動物とは何か、植物とは何か、太陽とは何か、もうめちゃめちゃ大きな問いのたてかたですね! それがちっとも大上段にかまえた感じがしなくて、すとんと腑に落ちる書き方がされている。文章もわくわくするような刺激に満ちている。「アメリカ合衆国」という国家がつくられていく過程でヨーロッパからきた入植者たちが、なにをしたか? いまも決定的証拠がないまま「テロリスト」と呼び、「ジェロニモ」と呼んでビンラーディンを殺害するあの国が、先住の人たちにいったい何をしたか、しているか?

 著者はハワイ大学、ニューメキシコ大学など、いってみれば「白いアメリカ」からやや離れた土地で学び、生活してきた人です。その蓄積が、こうして圧縮された本となって読者に届けられる。嬉しいことです。この一冊には、3.11以降の日本人が、いや世界人が、この地球上で行きていくための知恵と覚醒の契機が秘められている。

 特筆すべき点をひとつ。「部族(tribe の訳語)」についての議論です。この2冊を読むと「部族」という語をめぐって、歴史的な意味を含む包括的な視点がえられます。
 白戸氏の著書では、アフリカをめぐる報道では明確な「差別語」であるこの語が、いかにステレオタイプなアフリカ像を読者に印象づける役を担ってきたかが詳述されます。納得の議論です。(いまだにアフリカというと「民族」ですむところを「部族」と使う権威主義的な新聞の存在は嘆かわしいかぎりです。)
 ところが、管氏の著書ではこの語が、原発を含む「近代文明」に対するカウンターカルチャーを表象する新たな意味合いを付加されて使われるようになった、その経緯が述べられます。「部族」の使用を積極的に評価するスタンスです。したがって、「アメリカ・インディアンと文明批評」について語られる場合は、たんに「部族」を「民族」に置き換えればすむ問題ではないことが見えてきます。ことば狩りは逆に歴史を見えなくする、という格好の例かもしれません。

 薄い新書という形をとっていますが、読みやすく、まことに濃い、充実した内容の2冊です。併読をお薦めします。

2011/05/19

リッチモンドで「J・M・クッツェー祭り」

クッツェーの「マイケル・K」みたいに、地図のどこにもない場所へ行って、ひそかに、ひそかに土地を耕して、必要な量だけ水を汲みあげて、その土地からえられたものだけを食べて生きていけたらいいなあ〜〜。

 ベランダにあらためて据えたちっぽけなプランターに、紫蘇の苗を植えながら、風車のまわるグレイトカルーを夢想する毎日。

 こんな催しもあります。南アフリカのノーザンケープ州リッチモンドで、5月27日、28日に開かれる文学祭の開催者は石油採掘に反対する人たち。
 クッツェーの「Disgrace/恥辱」の名にあやかり、開催地リッチモンドを Disgraceland と呼んで文学祭を開く。世界の耳目を集めるためでしょう。クッツェーは参加しないけれど、彼の作品についてさまざまに、名だたる作家が発表する催し。1994年に新生南アフリカが誕生したときの新憲法を起草した人物、かのアルビー・サックスも馳せ参じたい、といっているとか。

 こんな形もありなんだ、と思わせるアイデアです。

the Karoo town of Richmond will transform into “Disgraceland” to celebrate the first ever JM Coetzee literary festival in South Africa

2011/05/11

書評:ヴィヴァ!『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』(再録)

 3.11以降、心がざわつく。落ち着いて本が読めない。でも中断していた本へもどり、時をわすれて、力あることばたちを読んだ。

 漫画、TVゲーム、SF、とあまり馴染みのないオタク文化満載、膨大な脚注なのに、読ませる。この力はなんだ? 
 ディアスは1996年に出た短編集「Drown(邦題『ハイウェイとごみため』)」でニューヨークの貧民街に住む声なき人びと=ドミニカ移民に声をあたえた。この一作でMITの教職を手に入れたことからみても、なみの才能ではない。そして事実、教職で生計を立てながら絶対に書かねばならない本を書いた。それがこの『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』である。

 主人公のオスカーはスポーツ大嫌いのふとっちょオタクだが、まことに気弱でまじめな愛すべき男の子。しかし彼を溺愛するのは母ベリと姉ロラだけで、彼がのぼせる女の子からは総スカンを食う。ま、それもそうか、だって開口一番、TVゲームやSFの細部について語りまくるのだから。

 母の出生の物語はトルヒーヨ独裁下のドミニカ共和国の歴史と絡む。それは幼くしてニューヨークに移民したディアスの経験(直接ではないにしろ、親の世代から生々しい体験として延々と語り聞かされたはず)を写してもいる。それが半端じゃなく過酷だ。その過酷さに対抗できる手法を生み出すためディアスは十年の歳月を費やした。確かにそれだけのことはある。読むほどに作品に込められた凄まじいまでの力がひしひしと伝わってくる。
 ペルーの大物作家リョサの『チボの饗宴』(権力者を視点にすえた興味深いがシンプルな物語)に対抗し「支配する側からではなく、支配される側から見た」物語を書くためディアスはこんな手の込んだ手法を編み出したのか。語り手もオスカー、ロラ、ベリと移り、最後にオスカーのルームメイトにしてロラの元彼だったユニオールが話をまとめることになるところが、『半分のぼった黄色い太陽』のウグウをちょっと思い出した。
 
 その結果、きらきらしい引用で迷路のような奥行きをもった、猥雑きわまりない独特のスペイン語てんこもりの、まことに斬新かつリアルなアメリカ青春文学が生まれた、というのは部外者のつける理屈で、オタク文化の迷路こそアメリカの、いや近未来世界の「重層的ないま」をとらえる網の目と作者は考えたのだろう。

 それにしても、オスカーくん、二次元キャラじゃなく、いつも三次元の生身の人間を好きになり、最後まであきらめずにアタックするところが泣かせます。
 そして最後に特筆すべき点をひとつ。あれだけ頑固な母に育てられ、強烈な性格の姉といっしょに暮らしながら、主人公オスカーにミソジニー(女性嫌悪症)がかけらもない。マチスモ(男尊女卑)の濃厚なラテンアメリカ世界から出てきたディアスにも感じられない。これは特筆にあたいする。女たちの内面をじつに生き生きと描ける秘密はそこにありそうだ。訳も丁寧ですばらしい。
  
ジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』都甲幸治/久保尚美訳(新潮社刊 2400円)

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付記:2011年4月11日に書いたブログを今日アップしました。ここにも再録します。北海道新聞の書評(5月8日掲載)はこれを圧縮したバージョンです。

2011/05/05

J. M. クッツェーが 6月にヨーク大学で朗読?

6月24日に英国はヨーク大学で開かれるサミュエル・ベケットの国際学会で、特別ゲストとして招待されたJ.M.クッツェーがベケットについて語り、自作を朗読する。

 詳しくは、こちらへ。

 ヨーク大学といえば、クッツェー論でおなじみのデイヴィッド・アトウェルやデレク・アトリッジのいる大学である。アトウェルは『ダブリング・ザ・ポイント』で突っ込んだ面白いインタビューをした人。
 2003年にクッツェーがノーベル文学賞を受賞したとき、スウェーデンの新聞「ダーゲンス・ニューヘーテル」に唯一インタビュー記事が載ったが、そのときのインタビューアーがアトウェルだった。その後も興味深いクッツェー論をいくつか発表している。
 一方、ジョイス研究家のアトリッジもまた、『J.M.クッツェーと読みの倫理学』という優れたクッツェー論の著者だ。

 これまでに世界中でおびただしいクッツェー論が書かれてきた。3年ほど前に『鉄の時代』の訳者あとがきを書くとき、参考にする文献や引用は、作家自身のもの以外は、できるかぎりこの2人の著作や論文に限定しようという方針をたてた。理由は、クッツェー自身が彼ら2人の著作は信頼に足ると考えているらしいこと、さらにこの2人がテキストをあくまで南アフリカという土地から切り離さずに読み込んでいることだ。(といっても、南アフリカに「限定」しているわけではないので、誤解なきよう!)

 過去の事例から、新聞記事は憶測が強く、たとえそこに事実的な誤りが含まれていても作家自身はみずから声をあげて訂正したりしないことがわかっていた。あくまで「問われれば答える」という姿勢を貫いている(たとえば、作家のミドルネームをめぐる著作表紙の誤記やニューヨークタイムズなどの誤報道)。
 
 今年71歳になったクッツェーは、アデレード大学でふたたび教職に復帰するという情報が聞こえてきたばかり。今回、ヨーク大学ではなにを朗読するのだろう? 1月にジャイプール文学祭で読んだ「The Old Woman and the Cats」だろうか。それともまったくの新作だろうか? いずれにしても、南アフリカ時代の友人たちとの再開をはたすわけだ。

 2006年と2007年に日本を訪れ、また訪ねたいと語っていた彼は、3月11日の東北大震災後に起きた福島原発の事故をめぐって、いまどんな「オピニオン」をもっているだろう? 気になるところだ。