2011/06/18

クッツェー自身の翻訳論(2)──meanjin

ではクッツェーは、1984年に出た最初のドイツ語版『夷狄を待ちながら』のどこが気に入らなかったのか? 彼の言い分を聞いてみよう。

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「翻訳者が二つの言語にどれほど堪能であろうと、どれほどニュアンスを細やかに読み取れようと、彼/彼女がたんに共感のもてないテキストというのはあるものだ。理想の世界なら、なすべきことはそのようなテクストの翻訳は辞退することだが、現実の世界ではそんな清廉潔白さがいつも望ましいとはかぎらないかもしれない。

『夷狄を待ちながら』が最初にドイツ語に翻訳されたのは1984年だった。この翻訳が上手くいかなかったのはだれもが認めるところで、その後、本は改訳された。最初の翻訳がなぜ失敗したか? 翻訳者はわたしの英語を十分に、一語一語、一文一文、完璧に読むことができ、それを適切なドイツ語の散文にした。しかし私は、彼女がつくったテクストを読めば読むほど、おだやかならざる心境になっていった ── 彼女のページが喚起する世界が、微細な点でも、あまり微細ではない点でも、私がかつて想像した世界とは異なっていたからだ。私の耳に聞こえてくる語り手の声は、私が着想した語り手のものではなかった。

 これはある程度、語の選択の問題といえる。つまり、妥当な二つの選択肢をあたえられた場合、この翻訳者はたびたび、私なら選ばなかったであろう語を選んでいるように思えた。しかし、おもにそれはリズムの問題だった ── 語りのリズム、さらに思考のリズムである。ドイツ語テクストの背後にあるセンシビリティ、とりわけ、語り手が発することばのなかに埋め込まれたセンシビリティが、私には耳慣れない、受け入れがたいものに感じられたのだ」(前掲書, p149)
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 そしてクッツェーは、ドイツ語には英語の現在分詞にあたるものがない、それが翻訳の困難さを引き起こしている、と具体例をあげながら英文と翻訳されたドイツ語の文章を細かく比較している。

 いすれにしても「語りのリズム、思考のリズム云々」というところ、あるいは最初の「シンパシーがもてるテクスト」などは、翻訳の王道ともいえる論だろう。わたしも忘れずにいよう。

 写真は改訳されたドイツ語版『夷狄を待ちながら』
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付記:つづきがあります。