2026/09/20

1962年の池袋西口の地図、今季さいごの「梔子と青虫」

1962年の池袋西口近辺
 


1968年4月に大学進学のために東京へやってきたとき、最寄り駅は池袋だった。大学は北区西ヶ原にあったため、山手線で2駅目の巣鴨で降りることが多かったが、後半は大塚駅で降りて都電を利用することもあった。

 池袋西口にあった芳林堂書店のことがXで話題になっていたので、つい、あのころの書店のようすなど書き込むと、その当時、高校生だった人がこの地図を探し出してくれた。1962年のものだけれど、68年当時とそれほど変わっていないようだ。
 西口が区画整理されて芳林堂は少し南に移転して、縦に細長い芳林堂ビルになった。たぶん70年代の初めだ。上階に「栞」なんてカフェもできた。ネット情報だとこのビルがこの書店の開店時期とされているけれど、そうではない。68年に上京したわたしは、それよりさらに古い店舗に足繁く通っていたのだから、これは断言できる。

 わたしが上京したばかりの頃は、それより大塚寄りの三角州のような土地にその書店はあって、店の両サイドに出入り口があったと記憶している。大塚よりの出入り口から駅までたどると池袋北口に出た。暗い地下道で東につながっている。天井が低くて、一人で通り抜けるには勇気が要る地下道だった。

 当時住んでいたアパートは要町の奥にあったので、大学から帰るときは北口からバスに乗る。このバス停が屋根のある怪しい通りに面していて、通りの奥はバーやキャバレー街で、秋も深まり5時限目の授業が終わって帰るころは、ネオンサインがピカピカしていて、18歳のカントリーガールはやけに緊張したものだった。バスが環状6号線を越えると道路はぐんと細くなって、車が2台がやっとすれ違える道幅しかない。
 当然ながら朝はひどい渋滞だ。たった2キロの道をバスはゆっくりゆっくり走って池袋駅に到着するまでに45分もかかったことがある。遅刻する!と焦った。吊り革につかまり立っているとバスの窓から通りの八百屋にならんだりんごやみかんの肌あいまで観察できた。いまは道幅が拡張されて地下鉄の有楽町線も走り、そんな渋滞はないんだろ。大学の後半は、だから、その道をもっぱら歩いた。30分ほどかかって、靴底が減ったけれど。おかげでいろんな発見があった。LPが箱にずらりとならんだ面白い古本屋「八勝堂」とか、立教通りにあるジャズ喫茶「樽」とか。いずれの店も今はない。
 その後、バス停はめじろ駅側の広い区画にまとめて移動し、そこから大通りに出て右へ、さらに左折して交番を左に見ながら進むようになった。

梔子と青虫
 とにかく、東京へ出て最初に足繁く通ったのが、この古い三角州にあった芳林堂だったので、記録のために書いておく。詩集の棚や思想書などの棚をじい〜っとながめていた。金子光晴の『若葉のうた』が並んでいた。富岡多恵子の新作は迷わず買った。現代思潮社の叢書が眩しかった。モーリス・ブランショの『文学空間』なんて箱入りの分厚い本もあった。粟津則雄訳、装幀が駒井哲郎。

 それとはなんの関係もないけれど、記録ついでに、今季最後の青虫の写真も添えておく。クチナシもベランダにやってきて3季目。毎年青虫に新しい葉や芽を食べられて、いまや細い枝ばかりだ。いったい何匹、割り箸でつまんで移動していただいたことか、もう覚えていないけれど、まあこれが最後かなと思うので、肥え太ったリアル青虫くんの写真を撮った。