Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2011/04/23

J. M. クッツェーが自伝的三部作を1巻に

今年9月にクッツェーの自伝的三部作が1巻になる。タイトルは「Scenes from Provincial Life/地方生活からの叙景」。

 1997年の「Boyhood/少年時代」、2002年の「Youth/青年時代」、そして2009年に出た「サマータイム/Summertime」が一冊の書籍にまとめられて、この9月、いつものようにイギリスの出版社 Harvill Secker から、アメリカでは、これまたいつものように少し遅れて10月に出る。

 自伝的三部作は「Summertime」が最後、と著者自身が明言していたけれど、「一冊にまとめる」ことがなにを意味するのか興味深い。ここには見逃せない、著者自身の強いこだわりが見て取れる。それぞれのサブタイトルだった「Scenes from Provincial Life」が三部作をつないできたが、今回これがメインタイトルになった。

 「地方生活からの叙景」

 硬質で、無駄のない、倹約型の文章でつづられる内容を考えると、「Scenes」を「情景」とは訳せないように思える。どうにも日本的な湿気が付着してしまう。南アフリカの渇いた風景を描いていることから考えても、やはりここは「叙景」だろう。
 
 クッツェーのことば使いにはいつも、先人たちの作品やことばと響き合うものが隠されているが、このメインタイトルもまたそう。友人から指摘されて気づいた、というか思い出したのだが、これはバルザックの「人間喜劇」と響き合っているらしい。調べてみると、そのなかの「Scènes de la vie de province」をそっくり英語にしたものだということがわかった。

 
 舞台は三作ともに南アフリカ。唯一の例外が「青年時代」のロンドンだ。そしてこの「青年時代」にはつぎのようなゲーテのことばがエピグラフにあったことも思い出される。

Wer den Dichter will verstehen
muß in Dichters Lande gehen.
– Goethe

 無手勝流に訳してみる。

Anyone who wants to understand the poet
must go to the poets' country.
- Goethe

 文字通り解釈すれば「詩人を理解しようとするなら、詩人の国に行かなければならない」、つまり「青年時代」は全体の三分の二ほどロンドンを舞台としてはいるが、そこに登場する詩人志望の青年/ジョンを理解しようとするなら、彼の国/南アフリカへ行かなければならない、ということか。

 やっぱりなあ!