以前と違って文字がクリアにならないのが残念ですが、よかったら。
⭐️ ここです。
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夏休みも終わり、復帰した。ひさしぶりの読書だったこともあって、あっというまに読んだ。クラクラするほど面白かった。
マリー・ンディアイ『復讐はわたしのもの』笠間直穂子訳・早川書房
原題は、LA VENGENCE M'APPARTIENTもとは旧約聖書の申命記にあることばだ。日本では文語訳の『復讐するは我にあり』というタイトルで佐木隆三が小説を書き、今村昌平監督が映画化した。70年代のことだ。映画は見なかったけれど大きな話題になった映画のタイトルとしてしっかり記憶している。
2021年に原作が出版されたマリー・ンデイアイの『復讐はわたしのもの』は、売れない女性弁護士シュザーヌが主人公で、語りの中心にいる。ある日、事務所に一人の男がやってくる。この男、知っている、と咄嗟にシュザーヌ弁護士は思う。男は、三人の子供を殺したマルレーヌという女の夫で、ジル・プランシポと名乗った。でも事件として報道される前から知ってる、とシュザーヌ弁護士は思うのだ。
自分は15歳のときのこの男を知った、とシュザーヌ弁護士は直感的に思うのだが、名前は果たしてプランシポだったか、自分はまだ10歳だったはずで、、、いきなり記憶のもやのなかへ突入する彼女は、どうにも確信が持てない。あれは母親がアイロンがけを頼まれてその仕事についていったときの出来事で、、、プランシポという家だったのか、、、それとも、、、でもそこで起きたことはとてもポジティヴなものだったと自分の記憶にはしまい込まれていて、そのおかげでこうして弁護士になるまで頑張れたのだけれど、でも、あれは、現在の価値観からすれば、、、父親に言わせるとまったく別の出来事のようで、、、
事務所を訪れたその男から子殺しをした妻の弁護を依頼されて、、、シュザーヌ弁護士はその妻マルレーヌに会いに行って話をするのだが、、、はたして、、、
最初は付箋をつけたり、余白にメモを書き込んだりしながら読んでいったけれど、3分の2ほど進んで、ンディアイの揺蕩う独白の波にさらわれて一気に読み切った。一組の夫婦と3人の子供。シュザーヌ弁護士と両親、シュザーヌ弁護士の元恋人ルディとその幼い娘リラ、シュザーヌ弁護士の家事をするモーリシャス出身のシャロンとその子供たち。スーパーで偶然会ったとき、シャロンは毅然とした表情で子供たちを、、、(最初から最後まではしょらずに「シュザーヌ弁護士」と記されるのが効いている!)
夫婦や親子の関係にジェンダーや人種の影を絡ませながら、物語の底辺にはドロリと澱みながら「階層」「階級」の動かしがたい力が流れている。普段はあたり前のこととして受け入れてはいるが、実は、この力が人間の心理にどのような無言の力をおよぼすか。教師をしていたのに自分より上の階級の男と結婚して、子供を育てるために教職を諦め、そのためか母親や姉妹とも行き来をしなくなってしまったマルレーヌ(夫ジルの話では夫婦はとても仲が良くて、家族も申し分なく幸せだったというが・・・)、そして、弁護士にまでなったシュザーヌにも、、、ひょっとすると、この作品はそこが読みどころかもしれない。 語りはちくちくと幾重にも絡まるいばらのような権力構造の内部で、人と人の関係と心理が永遠に定まらない無数の「薮」のなかを彷徨するかのよう。とにかくあらゆることが定かではないのだ。読み手はその彷徨にのっけから全身を包まれる。舞台は冬のボルドー。ずっと曇っている、ずっとだ。でも最後に主人公がモーリシャスへの旅をする。それが記憶と猜疑への悪魔祓いとなって着地へ向かう! 靄が切れて光が差しこむ。奴隷貿易に携わっていた家系の名前を変えたいという依頼人の登場が効果をあげているのも見逃せない。最後の裁判のシーンに、3人の子供を殺した女性を閉じ込めていた「家」、というキーワードが出てきて幕が降りる、みごと!
マリー・ンディアイは最初にインスクリプトから笠間さんの訳で出た『みんな友だち』を北海道新聞で書評したのが、わたしの最初の記憶だ。おなじ出版社から『心ふさがれて』(2008)も出たけれど、なぜかぼんやりとしか覚えていない。(たぶん他のことで頭がいっぱいだったんだろうな。)それ以後も『ロジー・カルプ』(2010)『逞しい三人の女』(2019)(いずれも小野正嗣訳 早川書房)と2冊も翻訳が出ている。でも、とにかく『みんな友だち』が衝撃的だった。こういうアフリカ絡みの小説はじめて読むかも、と感じたことを思い出すのだ。
そのせいだろうか、ンディアイの作品が日本語に上陸してから20年、と感慨深い。訳者あとがきがとても充実している。そこに出てくるンディアイの自伝的作品『善人ドゥニ』がいたく面白そうだ。「老いゆく母のこと、語り手の幼少時に家を出てセネガルへ戻った父のこと、そして父に会いに未知の国へ降りたった若い女性のことを、ドゥニという名の人物を通じて全篇がつながるように描いた連作」とある。これはぜひ、ぜひ読みたい!
とにかくンディアイはこんなにすごい作品を書く作家になっていたのを実感した読書だった。間違いなく現代フランスを代表する作家だろう。ノーベル文学賞の候補と噂されるのも十分わかる。ちなみにンディアイは映画「サントメール」のシナリオも書いていて、あの映画にもこの『復讐はわたしのもの』にも「子殺し」というテーマが流れている。母性という名の「美名」に閉じ込められる暴力性と抑圧、その制度的な構造と、心理の力学を、21世紀という時代に、ポジとネガの境界を定めずに、ひたひたと言語化してンディアイは伝える。読むことが無数の薮のなかを彷徨うことになるのも必然である。
藪の向こうを凝視すること。定まった答えはない。自分の経験と知識を総動員して見つけるしかない。そこがたまらなく刺激的だ。☆
***
2026.9.9/訂正:『ロジー・カルプ』の訳者も小野正嗣さんでした。お詫びして訂正いたします。
夏休みもあと少し。
連日、ピアノばかり聴いている。2枚のアルバムをくりかえし、くりかえし。ときどきシャッフルしたりして。
1枚は、先日他界した南アフリカはケープタウン出身のジャズピアニスト、アブドゥーラ・イブラヒム(ダラー・ブランド)の SOLOTUDE。もう1枚は、アイスランド出身の若いバッハ弾き、ヴィキングル・オラフソンの「ゴルトベルク変奏曲」
夏休みも後半に入って、ちょっと体調を崩した。いつもお世話になっているクリニックが長い夏休みに入ったばかりで困った。思案にくれて、ふと思い出した。この症状は8年前とおなじだ。そのときかかった病院へ行くのはどうか。調べてみると開いていたので、電話してみる。事情を話して予約を入れてもらった。初めての医師だったが、幸い電子カルテに情報が残っていた。8年前にその病院で出してもらった薬でスッと症状が取れたことを話して、ちょっと種類が違うけれどまた薬を出してもらった。本当はちゃんと検査をしてから、と言われたけれど(ごもっともです!)、となると一ヶ月以上かかるので、ここはわがままをきいてもらった。服薬して2日目に症状が消えはじめ、5日目の今日はかなり改善した。
(話はぶっ飛ぶが、家に帰って、I demanded, and they produced it. というミリアム・トラーディのことばを思い出した。これはアパルトヘイト時代に黒人であるミリアムが、日本のグループ(1989年の反アパルトヘイト委員会)が開催した催しにゲストとして招待されたとき、白人政権の窓口にパスポートを申請に行ったが、何度も断られた。だがついに出してもらった経緯を彼女が語ったときの表現です。)
そして今日、先月末に購入しておいた椅子と机がとどいた。長年使ってきた背もたれのついた椅子が、2年前についに壊れた。仕方なく、家で遊んでいたバーテブラという椅子を使っていた。腰を支えることをメインに設計された優れもので、このタイプは背筋をすっと伸ばしてやる仕事には向いている。でも、背もたれが低い。長時間、動画を見たりするときの、ゆったりしたリクライニングの姿勢には向かない。ネット上のカタログを見て、悩んだ。問題は高さだ。20年前のモデルより座面がどれも高い。日本人の標準体型は、間違いなく変わったのだから仕方がない。椅子の座面をいちばん低くしても、高すぎるのだ。机とのバランスが悪い。そこで机も、椅子の高さに合わせて、買い替えた。
椅子は長年使っていたモデルの後発で、基本的にコンセプトがおなじだから、あまり不安はなかった。むしろおしゃれで座面も広く、背もたれも網状で蒸れない。
しかし。机と椅子がわずか2cm高くなるとこうなるのか、と身体はいま、ぶつぶつ不満を言う。これまでとは違う座り心地をひたすら学習させられるからだ。馴染むには、やっぱり少し時間がかかりそう。この年齢になると、身体はずいぶん保守的になり、わがままな性分を剥き出しにするのだなと、つくづく思う。
それでいいのだ。この夏は休息すると決めてほぼひと月。朝顔が毎日のように花を咲かせて、ついに葉っぱだけになった。といっても花のあとにはしっかりタネを包む蕾のような袋ができている。また来年ね。早々と黄色い葉が風に揺れ、小雨に打たれる8月初旬。
たくさんルビーのような実をつけたミニトマトもそろそろ終わり。皮は少し固いけれど、しっかり熟してからもぐので、市販のミニトマトよりも圧倒的なあまさだった。もいでから時間をおかずにすぐにいただく。嵐で鉢ごと倒れて、いちばんたくさん実をつけていた枝が折れたときは悲しかった。でも、ずいぶんたくさん実をつけたねえ、上出来👏ですよ、ミニトマトくん。
7月と8月はなにもしないと決めたのだ。だから休息の日々はもうしばらくつづく。9月になれば復活となるか、休息と安息が続くのか、まだわからない。秋の訪れまでには、まだ時間がある。セミもまだまだ鳴いているし。
写真は7月末、上下バラバラに最後の花をつけた2つの朝顔のうち、天に近い一輪。
移ろう時の早さかな💦
ベランダで植物を育てるのは、暑さを凌ぐためもあるけれど、小さな種が芽を出して双葉を広げ、本葉を出して茎を伸ばし、花蕾をつけて、ゆっくりと開花する「植物たちの時間」をともに過ごすことが楽しいからだ。それが毎日の生活のリズムとなり、支えともなってきたことに気づく。
植物たちは黙って生命をまっとうする。その沈黙がすばらしい。開花と結実の恵みもすばらしい。小さなベランダだから、葉っぱにエアコンの排気が当たらないよう、西陽に痛めつけられないよう、せっせと植木鉢の配置を変えながら夏をすごす。
ぐんぐん伸びて開花した朝顔の写真を撮ろうとすると、今年はミニトマトの赤い実が写り込む。背の高さはゆうに170cmをこす縦長のミニトマト、たわわに実をつけたところを写そうとすると、背後に紫色の朝顔が顔を出す。
今日あたりから35度を超す猛暑になりそう。まだ梅雨はあけてないから、湿気の多い、息の苦しい日々が続く。それでも。植物の葉群れを透かして見る陽の光と青い空にじっと目を凝らしていると、遠いむかしの風景が浮かんでくるのだ。青い山並み、どこまでも続く田畑、降り始めた雨粒が地面にぶつかって漂う土埃の匂い、夜は一帯を蛙の声の合唱が包み、小瀧に水の落ちる音が遠く響く。それを聞きながら眠った夜々。
秋から春にかけて目を楽しませてくれたパンジーが花を終えたので、今年は菊を試してみようとマリーゴールドとアスターを買ってきた。マリーゴールドはメキシコあたりが原産で、アスターは中国北部が原産だそうだ。東アジアと中央アメリカの花が仲良く並んでいるのは見ていて面白い。美しい黄色の花を咲かせるオオキンケイギクも目の敵にすることはないんじゃないか。いまや全国の野原に咲いて道ゆく人たちの目を楽しませてくれていると考えればいいんじゃないか。日本の野原で「フツーに」咲いているヒメジオンやハルジオンも帰化植物だったわけだし、タンポポだって和製のものに西洋タンポポが混じって「純粋」な和タンポポなんてのはとっくに姿を消した、そう聞いたのは80年代だった。
混じって、混じって、今日があるんだよ、生き物たちの世界は。これだけ地球上を移動して歩いているんだから、ヒトだって同じじゃないか。
ここまで書いていると、ベランダの向こうでミンミンゼミが鳴き出した。
本格的な夏の到来だ。☀️☀️☀️
| 2026.6.27 |
今年の朝顔はまだ低い位置に花をつけていて、蔓の伸びも鈍い。今日の最高気温は25.7度だ。
今年のベランダガーデンでは、どうしても新人のミニトマトのほうへ気持ちが傾いてしまい、朝顔は放任主義で。ベランダで夏を越すのはなかなか難しいクチナシにいたっては、春先から葉っぱが黄色くなってしまった。
| 2026.6.16 |
去年のクチナシの花は花びらが何層にもなっていたし、葉っぱも濃い緑だった。それでも二度にわたる酷暑の夏をベランダで生き抜いたクチナシには、ご苦労さん!と言いたい。そろそろ終いどきかな。
| 2025.6.10 |
でも日が照ると、間違いなく暑くなる。間違いなく30度を超す。それでも、植物が光合成をして養分を作るのに、陽の光は欠かせない。生き物のはしくれである人間にも、やっぱり陽の光は欠かせないのだ。
台風7号が近づく昨日、篠突く雨のなかでアサガオの蕾がほんのり赤い色をにじませていた。おっ、これは今季初の開花になるかな、と楽しみにしていた。
そして今朝、目が覚めてすぐにカーテンをざっと開けると、窓ガラスの向こうに、ぼんやりと、まるい赤紫の色が見える。
大きな朝顔の花が2つも咲いていた! 今季初のアサガオ。花はたった1日しかもたない。日差しの強い日は半日で萎む。でも今日は雨、花の色をしばらくこのまま楽しめるだろう。
まだまだ、湿度の高い日々は続きそう。
一年でもっとも苦手な季節だけれど、この高温多湿が植物にとって大きな恵みになるんだな。カッと照りつける夏の日差しを耐え抜くための、水分、養分をたっぷりと吸いあげる時期。山の斜面に降り注ぐ雨が川となって耕作地までとどく。末端の都市のための水瓶も満たす。ベランダでは、アサガオの隣のミニトマトも赤くなって。苗でやってきてから2.5ヶ月でルビーのように赤い小さい実をたくさんつけた。これがあまい。皮がちょっと固いけれど、初めて試みたベランダ栽培のトマトとしては上出来じゃないか、と高湿で酸欠になりながらも思うのだ。
13人の「この人たち、本邦初訳です。」という特集。
ヴラディスラヴィッチは1957年にプレトリアに生まれて、現在はヨハネスブルグに住んでいます。名前からわかるように、東欧系。父方はクロアチアからの移民だそうです。
写真や絵画との関連作品が多く、ヴィジュアルな要素をことばでシュールに描き出す作家。「首相が死んでしまった」に出てくる編み物をするエキセントリックなおばあさんが出色です。タイトルはこのおばあさんがラジオを聞いていて、ニュースで首相が刺殺されたことを耳にして叫んだことばです。
南アでは、1948年に立ち上げられたアパルトヘイト制度の実質的な骨組みを作ったヘンドリック・フルヴールト(1901~1966)という首相が、国会開催中に刺殺されるという事件が起きています。作品が描かれたのは事件が起きたときからぐんと下った80年代。検閲の厳しい時代に書かれた作品なので、暗に含みをもった表現が盛り込まれていて、なにげなく、一見フツーに描かれていることばの裏に、とびきり辛辣な揶揄が含まれている、そんな短編です。物語の後半にかけて、不穏な感じが勢いづいていく様子がなんとも。
表紙をアイヴァンさんに添付ファイルで送ったら、愉快な表紙に描かれているほかの乗組員が誰なのか興味津々です、と返事が来ました。雑誌は現在、ヨハネスに向かっているはず。南アは郵便事情が危ういのでしっかり書き留めで送りました!
ベランダでグイグイ枝を伸ばした。季節はずれの台風なんてのもあったけど、強い風にも負けずに小さな実がついた。それがふくらんで、赤くなっていく。
強い風向きで葉っぱが傷まないよう、鉢を動かしているあいだに、実をつけた茎が一本だけ折れた。ぷらぷらと垂れ下がっていたので、仕方がなく、もいだ。まだ青い。
真っ先に花が咲いて実をつけたいちばん下側の枝に、数えると14個ほどの実がなっている(写真)。下から順番に花が咲いて実をつけてきた。目を凝らして数える。房は9つ。まだ黄色い花が付いている房もあるけれど、いずれ小さな果実を垂らしてくれるだろう。
トマト自身の高さがわたしの身長を超えたところで、先留めをした。
発売日は6月8日ですが、版元サイトも「在庫あり」になって、書店にはすでに並んでいるようですので、ブログも早めにアップすることにしました。
***
1960年代の最後に「地上に3年だけ存在した国」ビアフラ。その国旗に描かれていたのが「半分のぼった黄色い太陽」でした。
原作 Half of a Yellow Sun が出版されたのは2006年、この年のオレンジ賞(現在の女性文学賞)をこの賞始まって以来の最年少作家としてチママンダ・ンゴズィ・アディーチェが受賞。そして2020年に過去25年の受賞作のなかで最も人気のある作品に選ばれています。
単行本の訳書が出版されたのが2010年、その年にアディーチェ自身が初来日しました。それについては何度も書いたので、左上の白いスペース内に検索文字を入れるとすぐに出てきます。
「単行本訳者あとがき」がすでに十分長いので、今回は簡潔に書きましたが、文庫化にあたって再読したなかで、現実と照らし合わせると、なんと言ってもいちばん切実に迫ってきたのはここでした。
⎯⎯戦争というのはある日、突発的に起きるものではなく、なにか大きな事件が起きても毎日の生活はそれまで通りつづき、ちょっと変わったかなと思いながら、まあたいしたことはないと思っているうちに、後もどりできないところまで進んでしまう。追い詰められると、大義を無理に信じ込もうとしたり、身内のなかに敵を発見することで結束をかためる集団意識がはたらいたり、歴史の犠牲者が一方でそれをとことん推進する者にもなりうることがわかる⎯
この作品の日本語訳が刊行されたころのチママンダ・ンゴズィ・アディーチェが発信していた意見、つまり「アフリカ」を誰がどういう視点から書く時代かについて、もっと詳しく知りたい方に、このブログ内の記事を紹介しておきます。よかったら!
『半分のぼった黄色い太陽』⎯「あとがき」に書かなかったこと(1)
4月13日にやってきたミニトマトの苗が(写真左)、連日の強い風にもめげずにぐんぐん大きくなった。ちょうど一月が過ぎた今日は、こんな感じ(写真右下)。植木鉢の大きさを見ると、どれくらい大きくなったかリアルにわかるかもしれない。
去年は朝顔が咲いていた隣のプランターには、半分ほど紫蘇の苗を植え、残り半分には紫蘇の種を蒔いた。
ミニトマトのわき枝は、最初はこまめに取っていたけど、途中から思い切り伸ばすことにした。枝にはそれぞれ黄色い小さな花がいくつか咲いて、最初のふさには青い実がなっている。
初なりの実は細長い。これは下に垂れる形のトマトらしい。
野菜の苗は初期生育が大事、とどこかで読んだことがある。野菜にかぎらないよなあ、これは、と思いながら、伸びるトマトをじっと見る。
朝顔のタネがたくさんこぼれたもう一つのプランターには、5月初旬に水を遣った。案の定、たくさん芽が出てきた。まだ双葉だけれど、これまたぐんぐん大きくなるんだろう。
水さえ遣れば植物は芽を出して、伸びて、花を咲かせて、種をつくる。そしてまた来年、また来年、と繋げていく。植物の静かな生命力には励まされっぱなしだ。
🍅 🍅 🍅
ところが4月初めに、これ、生きてるかもと少し大きめの鉢に植え替えて水を遣ると、ぐんぐん葉をしげらせて、ついに先日花を咲かせた。昨日も一輪、今日も一輪。ふわふわっと、いや、ホコホコと花びらを開いていくクレマチス。植物ってホントに偉いなあ。🧡
色合いはなんとも微妙な。少し遠くからながめると、いっそうその微妙な濃淡が楽しめる。
最初は支柱を3本、ティーピーみたいに立てたけれど、足りなくなってさらに長いのを4本足した。
むかし地面に近いところで直植えしていたころは、初夏から秋を通り過ぎて、ミニトマトが11月の終わりまで実をつけていたっけ。今年はどうなるやら、頑張れよ、ミニトマト!
土に触れる季節になった。今年もベランダ土日記。
地面から離れてずいぶんになるけれど、春になるとやっぱりベランダで土いじりをする。植木鉢に新しい土を入れて、今年は何を植えようかなあ、と考えるときの楽しさは捨てがたい。
| ビニールシートに土を広げて |
4月11日 これまでにも、枝を折って水につけて根を伸ばし、何本かを鉢植えにしたけれど、ベランダで生きるローズマリーはやっぱり枝が細い。それでも根出ししておいたものがいくつかあるので、これを大きな鉢に植えつける。古くなった植木鉢の土をビニールシートの上にあけて、篩をかけて根っこを取り除き、日に干す。
| 手前が植え付け後の鉢 |
4月13日 今日はひと休みしてブログを書こう。2日つづけて土を篩にかける作業をやったら全身が奇妙に痛い。腰だけとか腕の筋肉とかが痛いんじゃなくて、この年齢になると、普段やり慣れない動作の影響は全身に出るらしい。
あとはいつものように紫蘇の苗を買ってこよう。今年はプチトマトもやってみようかな。
朝顔はプランターの土を再生させて、ころあいを見計らって水を入れるだけで、今年もたぶん発芽するはず。
付記:午後に近くの農協の売店でプチトマトの苗を買ってきて、いちばん大きな鉢に植えた。風が強かったので支柱もつけてやった。さあ、大きくなるんだよ!🍅
3月12日、昨年90歳で永眠した降矢洋子さんの追悼展を見に国立コート・ギャラリーヘ行ってきた。追悼展は17日まで。
初日にゆっくり作品を見せていただいたのはよかった。お嬢さんの降矢奈々さんともゆっくりお話ができて、充実した時間を過ごせた。降矢洋子というアーチストへの敬意がすみずみに感じられる素晴らしい追悼展。いまごろギャラリーでは「偲ぶ会」が開かれているのだろう。
そうだ、あの原画を使ったカレンダーがあったはず、とゴソゴソやったら、出てきた出てきた。「'90 ANTI-APARTHEID 反アパルトヘイト、いまなにができる?」と書かれたカレンダーが。
1988-1990年は、南アフリカが劇的に動いた年だった。非合法だった解放組織が合法化されて、その数日後にマンデラが釈放されたのが1990年2月、来日したのが10月。いろいろなことがあったなあ。
70年代からアフリカに足繁く通った降矢さんにとって「アフリカ」とはなんだったんだろう、としきりと考える。
秋田生まれの(初めて知った!)降矢さん、最後までキャンバスに向かって油絵を描いていた降矢さん、絶筆は庭の柘榴を描いた絵だったという。
お世話になりました。ありがとうございました! 心から! 🧡🧡🧡🧡🧡
Happy Birthday, John Coetzee!
今年は秋ごろから、軽装で読みやすいクッツェー作品が書店にならびますよ〜
自伝的三部作『少年時代』『青年時代』『サマータイム』を、順次ペーパーバック📚にするべく絶賛みなおし中🖋️ 白水社🐓Uブックスです!
ご期待ください!
ネット上にあふれる「気分はどれもこれもダウナー情報」に、自室にこもっていると精神衛生上よくないと思って、仕事に区切りをつけて出かけた。神保町へ。すずらん通りへ。
まず文房具の老舗ミヤタで、入り口付近に並べてあった猫の絵の「こびんせん」を買う。それから通りを少し行ったティールームTAKANOで、ミルクティー用のセイロンティーの大袋を買う。シナモン入りのミルクティーでこの冬は越せそう! そしていよいよお目当ての文房堂へ。
あれ、見慣れたファサードがない、、、と思ったら足場とシートですっぽり包まれて隠れていた。壁のお化粧直しなのね。櫓をくぐって店内へ。まっすぐエレベーターで3階の文房堂ギャラリーカフェへ向かう。
コレット・ドゥブレ淡彩画展
翔びたつ女たち
一枚一枚は画集で見るよりもちろん大きく(当たり前!)発色が鮮やかで細やかで(当然!)美しい。それでも不思議なことに、思った以上の差異は感じない。画集の制作プロセスで印刷にどれほど心を砕いたかに思いを馳せる。
考えてみると、これは有名な西洋絵画の作品のなかから翔びたつ女たちを描いている(女たちを翔びたたせている)わけで、作品中の人物の存在感(激しい動き)が見るものにまっすぐビシッと刺さる。たとえばデューラーの「メランコリア」とか⎯でも、日本の文化って(とすみません、ここは一括りにするけど)淡いと間のたゆたいが好きだし、描かれたものの奥を読み取るのが好きだから、抽象的なもののほうが受け入れやすいのかもしれない。だって「翔びたつ女」がこっちへ向かって一直線に飛んでくるのはオッソロシイ🤭、まあそういう女たちには画集のなかにいてもらって。。。壁にはもう少し穏やかなものを。。。と考える人の方が多そうだ。おなじ動きでも横を向いているのは大丈夫なのかも😀。この理由づけは確かにわかる。
お茶をいただいて、撮影OKとあったので、パチパチ何枚か写真を撮って、エレベーターで1Fへ戻る。そこで古いカメラの凸凹のついたバースデイカードと、「水仙月の4日」というタイトルのマスキングテープを買う。
今年もよろしくお願いします。
いったい何が待っているのやら、あたりを見まわしても、希望がもてそうなことが、残念ながら少ない。でも、まがりなりにも、ことばを吐く人間が、「絶望」なんて、恥ずかしくて口にはできない。
諦めずに日々を迎えることに希望があるとしたら、みずから光を発していくしかないのだろうと、ハン・ガンのスピーチを思い出しながら考える。遠くにあるもうひとつの光を見つけて、そこへたどり着くための細い糸をのばしつづけること。
フランスでなくても、北海道の積雪地帯からやってきたわたしの記憶では、お正月はいつも雪が降っていた。おさないころは、お雑煮を食べたあとはやることもなくて、外へ出て降りしきる雪のなかにぼうっと立っていたりした。降る雪は見ていて飽きない。
中学生になると、1月2日はスキーの板をかついで、隣町のスキー場へ行ったものだ。スキー場といっても名ばかりの、林のなかに開けたただの斜面。もちろんリフトなんかない。汗びっしょりになって横向きに斜面を上り、あっという間に滑り降りる。
スキーはたったひとりで行うスポーツだ。隣にいたと思った人が、数分後には、いや、数秒後には、はるか彼方だ。みんなでワイワイという感覚はない。そこが好きだった。群れない。つるまない。村社会でアウトサイダーとして生きた家族のメンバーにはぴったりだった。ちょっと練習すれば、どこへでも自由に行ける。高いところからは遠くが見渡せる。この俯瞰する感覚はたまらなく好きだった。女の子にスキーなんかさせて無駄だ!と言わんばかりの周囲の目にも負けずに、雪国生まれならスキーくらいできなくちゃ!と母は中学生のわたしに板を買ってくれた。成長盛りの子供に大きめの服を買いつづけた母が選んだスキーがまた、ひどく長くて苦労したけれど💦
学生のころだったか。ひと滑りしたあとバスに乗って帰路についた。夕暮れ近く、つんとくる冷気のなかを走るバス。窓ガラスの向こうに、山際を紅に染めて沈む夕陽。バスを降りるとチラチラとまた雪が降ってきて、ストックを握る赤い毛糸の手袋にふわりと落ちる、雪のひとひら、ひとひら。目を凝らすと結晶がいくつか見えた。バス停のぼんやりした明かりのなかでも。雪の記憶。おぼろげな記憶のトンネルを抜けて、いまでもくっきりと結像する雪の記憶。
そして2026年1月1日に東京の郊外で、全身に光を浴びて咲くパンジーの花たち。