2022年6月21日の東京新聞夕刊「海外文学の森へ 33」に沼野充義さんが訳されたヴィスワヴァ・シンボルスカの詩集『瞬間』(未知谷刊)について書きました。画像では文字が読みにくいので、ここに全文を!
<人生を凝縮したことば>
無性に詩を読みたくなるときがある。心に響くことばをふいに目にして、いま自分は詩を必要としているとわかる瞬間がある。
昨秋から訳者、沼野充義氏のSNSを通して、折々にとどけられてきたヴィスワヴァ・シンボルスカの詩が瀟洒な書籍となった。詩人晩年の作品だという。
読みすすむうちに、晩年とは死を前にして、これまでの時間を一瞬のうちに含み込む凝縮したことばを生み出すときだと知る。詩句が放つ硬質な透明感が、ページから比類なき確かさで立ち上がってくるのだ。
いつもいつも詩のことを考えているわけではないのだけれど。大波のような危機に襲われたとき、シンボルスカの詩を読んできたように思う。
それは3・11の直後に読んだ詩集『終わりと始まり』の「またやって来たからといって/春を恨んだりはしない」で始まる「眺めとの別れ」であったり、昨秋からくりかえし読んできた「ひしめき合う世界で」であったり。
詩人はみずからを「地上にひしめきあう数えきれないほど多くの生き物たちと比較して」こう書く。
私も自分で選んだわけではない
でも不平は言わない。
はるかに個性のない
誰かであったかもしれないのだから。
魚の群、蟻塚、ぶんぶんうなる群の誰か
風に乱される風景のひとかけらだったかもしれない。
そして読者はいきなりこんな詩句に出会うのだ。
運命はこれまでのところ
私にやさしかった。
この二行を目にしたとき、ある試練のなかにいたわたしは、思わず涙した。
この詩集の翻訳と解説の執筆は、入院中の病室で行われたという。それが「気ままに飛び去りそうな魂をつなぎとめる唯一の方法だったような気がする」と沼野氏は謝辞に書いている。
一篇ごとの解説は詩人への切実な応答となり、奇跡の訳詩集として結実した。
くぼたのぞみ(翻訳家・詩人)