クッツェーは Waiting for the Barbarians の映画シナリオを書いている。この作品の映画化権を売って、教える仕事から身を引き、創作に専念したいと強く思ったらしい。1995年のことだ。
でも、それは実現しなかった。結局、映画化したいという側の、マカロニウェスタンさながらの翻案企画は作家の了承を得られず、クッツェーが準備したシナリオは使われることなくお蔵入りとなった。他のシナリオを使うことも彼は許可しなかった。In the Heart of the Country の轍を踏みたくなかったのだろう。この小説がマリオン・ヘンセル監督によって映画化され、「Dust」となったときの苦い経験があったのだ。
しかし1995年に、まとまったお金を手にするビッグチャンスを目前にして、彼があえてそれを退けた理由は、日本語への一翻訳者としてやはり考えておきたいと思う。その態度はとりもなおさず、彼がみずからの作品が読者にどのように受け取られることを望んでいるかを示してもいるからだ。
自分の書いた作品が、それを書いた目的、意図などから大きくずれることを彼は嫌った。初めて訳されたドイツ語訳のWaiting for the Barbarians が、作家の意図とは大きくずれて、別の翻訳者の手によって改訳されることになったいきさつは、ここですでに書いたが、翻訳に対してもまたこの作家は同じ態度であることは間違いない。
Waiting for the Barbarians と In the Heart of the Country、この二つの小説を舞台化するためのシナリオが昨年出版された。編集したのはウェスタンケープ大学のハーマン・ウィッテンバーグ。写真は昨年11月にアデレードで会ったときのもの(真ん中がウィッテンバーグ、向かって左はデイヴィッド・アトウェル、右はいわずもがなの作家自身だ/残念ながらレンズの設定を間違えてちょっとピンぼけ!)。
でも、それは実現しなかった。結局、映画化したいという側の、マカロニウェスタンさながらの翻案企画は作家の了承を得られず、クッツェーが準備したシナリオは使われることなくお蔵入りとなった。他のシナリオを使うことも彼は許可しなかった。In the Heart of the Country の轍を踏みたくなかったのだろう。この小説がマリオン・ヘンセル監督によって映画化され、「Dust」となったときの苦い経験があったのだ。
しかし1995年に、まとまったお金を手にするビッグチャンスを目前にして、彼があえてそれを退けた理由は、日本語への一翻訳者としてやはり考えておきたいと思う。その態度はとりもなおさず、彼がみずからの作品が読者にどのように受け取られることを望んでいるかを示してもいるからだ。
自分の書いた作品が、それを書いた目的、意図などから大きくずれることを彼は嫌った。初めて訳されたドイツ語訳のWaiting for the Barbarians が、作家の意図とは大きくずれて、別の翻訳者の手によって改訳されることになったいきさつは、ここですでに書いたが、翻訳に対してもまたこの作家は同じ態度であることは間違いない。
Waiting for the Barbarians と In the Heart of the Country、この二つの小説を舞台化するためのシナリオが昨年出版された。編集したのはウェスタンケープ大学のハーマン・ウィッテンバーグ。写真は昨年11月にアデレードで会ったときのもの(真ん中がウィッテンバーグ、向かって左はデイヴィッド・アトウェル、右はいわずもがなの作家自身だ/残念ながらレンズの設定を間違えてちょっとピンぼけ!)。