E. Costello : I believe in what does not need to believe in me.──J. M. Coetzee

2015/03/18

「パプーシャの黒い瞳」、映像の美しさに溜め息

白黒の映像って、こんなに美しかったのか! と思いながら、久々に映画を堪能した。

 昨日は『パプーシャの黒い瞳』の試写会のため、6月の陽気のただなかを六本木まで足を運んだ。20分ほど前に到着したにもかかわらず、入ってみると客席はほぼ満席。最後に残っていた席をようやく確保した。
 130分を超える作品なのに、少しも飽きずに、むしろ最後まで食い入るように観入ってしまった。帰ってからも、あのシーンはここと繋がっていたんだ、最後のシーンで頭のシーンに戻るのか、といろいろ思い出しては、パンフレットで確認したり、以前訳したイザベル・フォンセーカの『立ったまま埋めてくれ』(青土社刊)を引っ張り出して、映画の主人公となったパプーシャ自身の写真(下)をしみじみと凝視したりした。

 そう! この映画は1900年代初頭に生まれたポルスカ・ロム(ポーランド・ジプシー)の女性、ブロニスワヴァ・ヴァイス(愛称パプーシャ)を扱った映画なのだ。フォンセーカの『立ったまま埋めてくれ』はこのパプーシャをめぐるエピソードから始まる。彼女の歌の歌詞をめぐる思い出は随分前だけれどブログにも書いた。

 1989年から共産圏諸国が大変動を迎えたあと、フォンセーカは東欧のロマ社会を何度も旅する。ジプシー/ツィガン/ヒターノ/ツィンガリ/ツィゴイナー/ツィガーニ/ツィカン/アツィンガノイ、と言語によってさまざまに呼ばれてきた人たちの共同体に住み込み、歴史を調べ、一冊のルポルタージュを仕上げた。その結果、「流浪の民」というステレオタイプで語られる彼らが、どれほど多様な存在であるかが明らかになった。英語で書かれたその本は欧米で長期にわたってベストセラーを続けた。

 ジプシーは文字をもたない民族だった。この映画の主人公パプーシャは、でも、文字というものがあることを知り、それを覚えたかった。父親に怒られ、殴られても、土地の女性に「文字を教えて」と鶏や卵を授業料として持ち込んで文字を覚えた。その切実さはどれほどだっただろうか。ポーランド語の文字を覚え、その文字を使って、ジプシーのことば(ロマニ語)の歌や物語を書いていった。紙に。パプーシャより14歳ほど若いイェジ・フィツォフスキというポーランド人が、それをポーランド語に翻訳し、ポルスカ・ロムの歴史も書き添えて出版する。それが栄光と悲惨と呪いを運ぶ始まりだった。

 映画は、反体制活動家のイェジが逃げ込んでくる場面や、焚き火を囲んで詩や記憶をめぐってパプーシャとやりとりをする場面などが、含みをもった映像で示される。
 ジプシー社会を描く手法も面白い。新聞に載ったパプーシャの記事を見せられた少年(パプーシャがホロコーストの殺戮現場から拾って育てた子)も、夫も、最初は喜びながら、ジプシーの掟に反すると咎められると、手のひらを返したように反感をあらわにする。みんながパプーシャたちを仲間はずれにする。パプーシャは精神に異常をきたして八カ月入院。手書き原稿をすべて焼き払ってしまう。
 ほかにもジプシー社会の特徴を、核心を押さえながらそれとなく表現する場面が光っていた。もちろん、マジョリティとしてのポーランド人の差別的な態度、ナチのジプシーへの迫害、ポーランドがジプシーにとった強制的定住化政策、そして最終的には国家の文化内に取り込まれていくようすも、じつに抑制のきいた調子で描き出されている。

 とりわけ映画の冒頭で、オーケストラと合唱団が彼女の歌を曲にして演奏する場面で光るのは、国家の記念すべき催しに引っ張り出され、無理矢理ドレスに着替えさせられて隣席するパプーシャの苦渋に満ちた表情だ。それを最終場面とリンクさせる構成には溜め息が出た。
 その最終場面とは、灰色の雪原をとぼとぼと進む小さなキャラバンが、分岐点で左と右に分かれていく象徴的なシーンなのだけれど、ここで使われる音楽がジプシー音楽ではなく、オーケストラによる最初の場面の音楽なのだ。ジプシー音楽で有無を言わさず観客の情動に訴えかけて盛り上げる手法をとらずに、パプーシャの歌は、こうして歴史的な記録/取り込み/が行われた、と暗示する。余白を残し、余韻をかもし出しながら、少し距離をおいて、あくまで残された資料を想像力で補いながら歴史的事実を淡々と描こうとする姿勢といえるだろう。この映画のすばらしさは、おそらく、ここにある。映像による詩の響きとはこういうことかと思った。

 考え抜かれた構成の映画でもある。大きくシーンが変わるたびに必ず年代が字幕にあらわれるのが特徴。年代が前後するのだ。そのたびに、いまパプーシャは29歳、とか、39歳、と考えながら観た。パプーシャは少女役と成人した女性役の二人の女優によって演じ分けられるのだけれど、成人女性のパプーシャ役を、ジュリエット・ビノシュを思わせる女優が演じていたのが印象的だった。

 15歳で意に染まぬ結婚を強いられたパプーシャの人生では、「希望」や「願望」の裏に必ず「諦め」が織り込まれていたのかもしれない。わずかながら残っている彼女の詩にも、この映画にも、一貫して運命的な諦観が通奏低音のように流れている。狭い共同体に閉じ込められずに、どれほど外の世界へ飛び出したかっただろう。世界全体をその目で見たい、文字によって知りたい、とどれほど願ったことだろう。それを思うと身を切られるように切ない。それでも彼女の作品は、少ないながら、残っている。そこがアイヌ民族の詩人、知里幸恵との大きな違いだろうか。金田一京助とイェジ・フィソフスキを思わず比較してしまった。

 映画は1900年代初頭に生まれた一人の女性が生きた時代を、燈台のように照らし出しもするが、思えばカリブ海の小さな島で、1937年に生れたマリーズ・コンデの母の母は、文字を知らない人だった。この日本でも、1919年に旧植民地北海道に生れて銃後の看護婦を担わざるをえなかったわたしの母の、その母は文字を知らない人だった。20世紀とはそんな時代でもあったのだ。そんな想像の翼を広げさせる映画である。4月4日から岩波ホールで上映開始。

 この映画、もう一度、観てみたい。