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朗読のあと、ポール・オースターといっしょにステージ上で対話をするというのだから、これはちょっと驚き。
80年代から、オースターはみずからクッツェーファンであることを公言してきた人だから、念願かなって、ということなのかもしれない。
そんな話が「The Whig Standard」なるウェブマガジンの「J.M. Coetzee, in the third person」で読める。
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ステージ上の対話はきっと、この Summertime やオースターのカフカエスクな最新作をめぐるものになるのではないか、とこの記事を書いた Wayne Grady は期待を込めて述べている。どんなものになるのだろうか? (ドラえもんの「どこでもドア」でちょいと行ってみたい気がする/笑。)
クッツェーはノーベル賞を受賞したとき、受賞スピーチの代わりに「He and his Man」という文章を読みあげた。表面上はロビンソン・クルーソーとデフォーを下敷きにした、不思議な、連想にみちた話だったけれど、グレイディが上記の文章でジェイムズ・ミークの文章(Guardian, September 5,2009)から引用しているように、あれは確かに、「He and his double」といったほうがいいような内容だった。つまり、クッツェーとその分身、登場人物と作家をめぐる話なのだ。
ノーベル賞受賞後の2005年に発表された小説「Slow Man」もぴたりこのテーマが当てはまるけれど、そういえば「J.M.Coetzee and His Doubles」というタイトルのシンポジウムが2007年に、ニューヨーク大学で開かれたことがあったっけ。
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先の記事のタイトル「J.M.Coetzee, in the third person/三人称で(語られる)、J.M.クッツェー」は9月に出る一巻にまとめられた自伝的三部作を考慮してのこととは思うけれど、はて、キングストンに登場するクッツェーが何を読むのか、オースターと何を話すのか、う〜ん、聞いてみたい!