Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2021/06/25

訳書2冊、自著2冊、合計4冊の本を抱えて夏を越す

 ブログからずいぶん遠ざかっていたけれど、復帰します。


「東京コロナオリンピック 2021」とも言えそうな凄まじいイベントがこの国で進行していますが、感染症の専門家たちが何をいっても正面から問題と向き合おうとせず、適切な対策を講じないまま、シナリオありきの物事の進め方に、誰もが不満、不安、そしていまや生命を脅かされそうな恐怖さえ感じるようになって、本当にどうなるのかと思います。

 でも、そんな時、目の前の細切れ情報にふりまわされずに、淡々と、冷静に、日々の暮らしをまっとうしたいもの。それには、facebook や twitter などの SNS だけでは非常にバランスが悪い。こういうブログで文章を書くことで、考えていることが整理され、気持ちも落ち着く、そうやってブログを書いてきたんじゃなかったかな、と思いなおしました。あるいは好きな本を読むのもまた、その効用が大きいことを思い出しています。

 短いメッセージに「いいね」や「ツイート」などで反応し、「シェア」することで元の情報に依存したまま自分のことばで書くことをどこかではしょっていないだろうか、と思い至ったのです。まあ、ちょっと忙しかったこともあるのですが。

 現在、翻訳書が2冊、自著が2冊、同時進行で動いています。翻訳は以前も書きましたが、J・M・クッツェーの『少年時代の写真』と、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの初作『パープル・ハイビスカス』。自著はもう少ししてから具体的にお披露目しますが、1冊はコアなエッセイ集、もう1冊はどちらかというと柔らかい文章で書いたメモワールです。昨年は「仕込みの年」、今年は「蔵出しの年」となりそうです。

 今年もベランダの植木鉢とプランターに朝顔のタネを蒔きました。早々と発芽して、梅雨空をものともせずにベランダの天井を目指して蔓を伸ばしています。毎朝、目が覚めるとまず朝顔たちのことを思います。昨日立てたポールに蔓は巻きついたかな? どこまで伸びたかな? 最初の花はいつかな? 

 今年もまた朝顔と、そして、4冊の本といっしょに夏を越します。


*写真は昨年の朝顔*