ぼくの名まえは安東といいます
安はウカンムリにオンナです
東はカブラの矢でつらぬかれた太陽です
世界よ 灰色の雨期よ
ぼくはあなたにそれをあたえる
栗の樹の枝がゆれ
小粉団(こでまり)の花が咲き
かわいい紫蘇の葉がぬれている
そんな季節の変わり目がぼくにはなしかける
すべてはもとのままであるのに
どこかが永久にくるつてしまつた
なにものにも似ないあなたよ
ぼくはあなたにはなしかける
支点をうしなつたぼくの太陽
支点をうしなつたぼくの女
ぼくはそつとウカンムリのゝをおろす
そしてそれを小鳥に変貌させる
小鳥を掌にのせた女
そこで出来上るぼくの均衡
秘められた
だが囚われていない
ぼくの泉!
ぼくはあなたにそれを贈る
世界よ残忍な灰色の雨期よ、
こんこんと眠る女
小鳥を秘めて(小鳥はとぶだろうか?……)
小鳥がとびたつとき ふつとぶ世界
そのときのまぶしそうな太陽を逃すな!
「秋の島についてのノオト」──『安東次男著作集第一巻』より
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今日、7月7日は流火草堂こと詩人安東次男の誕生日。1919年に岡山県苫田郡(現・津山市)で生まれ、2002年4月9日に没。今年はその七回忌にあたる。
1996年にふらんす堂から出た句集『流』のあとがきに「十九歳のときにたわむれに詠んだ「てつせんのほか蔓ものを愛さずに」から、七十六歳の吟「この国を捨てばやとおもふ更衣」まで、どこぞに本音ののぞいていそうな三〇四句を選んだ」とあるが、この「どこぞに本音ののぞいていそうな」という部分に、この詩人が、「書く」という行為に向き合うときの姿勢がある。それはわたしにとって、この詩人から学んだもっとも大切なことのひとつだ。