昨年12月7日のクッツェー氏との会見では、最初、今回の旅行のガイドをつとめるMさんが同席していたこともあって、ひとしきり「名前」をめぐる話に花が咲きました。
「クッツェー」という名の日本語表記について、Mさんから問われるままに説明していると、1989年に『マイケル・K』の邦訳を出すときに、なにに基づいて決めたか、といったことも話題になりました。
「典型的なオランダ系の名前だと聞いたので、アフリカーンス語としての音を、できるだけそれに近いカタカナ表記に変換しました」というと、作家からは「それで正しい」とおすみつきをいただきました。
ついでに、突っ込んで、ケープタウンなどでは「クツィア」とか「コツィア」と発音されている、という人もいますが──と訊ねると、彼はひとこと「それは方言/dialectです」。それで終わり。 Oh!
『鉄の時代』に出てくる、古いオランダ語に由来する通りの名前/Schoonder Street や、病院の名前 Groote Schuur、タウンシップ内の店舗に焼け残った看板に記された人名 Bhawoodien(「インド系の名前です」とクッツェー氏は何度も念を押した)などなど、調べのつかなかったものについては、具体的に声に出していってもらい、わたしがカタカナ表記を決めて、日本語風に発音し、これでいいかと確かめました。(実際にどう発音するかは、拙訳『鉄の時代』が出たときの、お楽しみ──。)
名前の発音については、こだわりの強い方ではないか、とかねがね思っていたのですが、やはり。「本当の名前をなのりあう関係」あるいは「本名を明かさない関係」ということが『鉄の時代』でも何度か言及されています。どのようにその人を呼ぶか、どんな名前をなのるか、それは民族や人種に権力関係がからんでくるときのキーポイントにさえなります。
『マイケル・K』のなかにも、主人公マイケルを「マイケルズ」と決めつける警察署長や医師が出てきましたが、名前をめぐる人と人の信頼関係の不在や権力構造を可視化することは、彼の作品内に頻出する重要なモチーフといってもいいでしょう。ですから、この作家が名前にこだわるのは、しごく当然なことなのです。
『鉄の時代』には主人公のミセス・カレン(70歳の白人女性)が、生まれて初めてタウンシップに足を踏み入れる場面が出てきます。長いあいだ住み込みで働いてくれたメイドのフローレンスを、家族のもとへ送っていくシーンです。
タウンシップというのは、アパルトヘイト政策によって狭くて不毛な土地(ホームランド)に閉じ込められた黒人たちが、職をもとめて都市(タウン)周辺へ出てきて住みついた場所のことで、まずスクオッターキャンプ=不法居住地区と呼ばれました。もっとも有名なのがヨハネスブルグの南西にできた「ソウェト」です。ケープタウンの場合はググレトゥ、ランガ、ニャンガといった場所ですが、「クロスロード」という名前も1985〜86年に起きた、ある事件によって世界中に知られるようになりました。
ミセス・カレンは、元教師のタバーネという40代の男性に案内されて、雨のなかを歩いて行きますが、「タバーネ/Thabane」という名前は南アフリカにはよくある黒人系の名前です。その頭に「マ/Ma」のついた「マタバーネ/Mathabane」というのもあって、他のクッツェー作品にも出てきます(Disgrace です!)。また作家自身の娘さんの名前は「ドイツ風の名前で、ギゼラ/Gisela」だそうです。
このように作家自身のミドルネームを含めて「クッツェーと、それをめぐる名前」は、なかなか奥の深いコンテキストを抱えています。すぐれたクッツェー論を著書にもつデレク・アトリッジという人など、「J.M.クッツェーの作品に出てくる名前をテーマにすると、それだけで論文がひとつ書ける」とその著書『J.M.Coetzee and the Ethics of Reading』(Chicago Univ. Press, 2004)のなかで述べているほど。
この作家の立ち位置からくる、一筋縄ではいかないかに見える作品の背景も、しかし、名前をキーにして注意深く作品内の声に耳を澄ますと、もつれた糸がさらさらと解けてくる面白さがあります。そうすれば、読後の充足感も、よりいっそう濃密なものになるはずです。
たかが「名前」、されど「名前」。うーん、奥が深い!
**********************
2013.3.28付記:ゾーイ・ウィカムの『デイヴィッドの物語』の翻訳で協力してくれた文化人類学者の海野るみさんによれば、ひと言でアフリカーンス語といってもさまざまで、発音も一筋縄では行かないとのこと。たとえば、オランダ系植民者である白人の使うアフリカーンス語はよりオランダ語に近く、混血の進んだ「カラード」の使うアフリカーンス語は、もともとキッチンランゲージだったこともあって、オランダ語からの距離はより大きいはずだ。それが混じり合っているのが現在の南アフリカで使われているアフリカーンス語らしい。
Coetzee という名前の発音も、したがって、さまざまなバリエーションがある。作家、J. M. Coetzee の場合は、あくまでオランダ語の発音に近い音、クッツェー/kutse:/ が、自分の名前の発音としては正しいと述べている。念のため、手元にある1991年1月11日付けの彼の手紙の文面をここに書き写しておく。
My family name is pronounced /kutse:/. The /u/ is short, the stress falls on the second syllable, the syllable break is between the /t/ and the /s/.
「クッツェー」という名の日本語表記について、Mさんから問われるままに説明していると、1989年に『マイケル・K』の邦訳を出すときに、なにに基づいて決めたか、といったことも話題になりました。
「典型的なオランダ系の名前だと聞いたので、アフリカーンス語としての音を、できるだけそれに近いカタカナ表記に変換しました」というと、作家からは「それで正しい」とおすみつきをいただきました。
ついでに、突っ込んで、ケープタウンなどでは「クツィア」とか「コツィア」と発音されている、という人もいますが──と訊ねると、彼はひとこと「それは方言/dialectです」。それで終わり。 Oh!
『鉄の時代』に出てくる、古いオランダ語に由来する通りの名前/Schoonder Street や、病院の名前 Groote Schuur、タウンシップ内の店舗に焼け残った看板に記された人名 Bhawoodien(「インド系の名前です」とクッツェー氏は何度も念を押した)などなど、調べのつかなかったものについては、具体的に声に出していってもらい、わたしがカタカナ表記を決めて、日本語風に発音し、これでいいかと確かめました。(実際にどう発音するかは、拙訳『鉄の時代』が出たときの、お楽しみ──。)
名前の発音については、こだわりの強い方ではないか、とかねがね思っていたのですが、やはり。「本当の名前をなのりあう関係」あるいは「本名を明かさない関係」ということが『鉄の時代』でも何度か言及されています。どのようにその人を呼ぶか、どんな名前をなのるか、それは民族や人種に権力関係がからんでくるときのキーポイントにさえなります。
『マイケル・K』のなかにも、主人公マイケルを「マイケルズ」と決めつける警察署長や医師が出てきましたが、名前をめぐる人と人の信頼関係の不在や権力構造を可視化することは、彼の作品内に頻出する重要なモチーフといってもいいでしょう。ですから、この作家が名前にこだわるのは、しごく当然なことなのです。
『鉄の時代』には主人公のミセス・カレン(70歳の白人女性)が、生まれて初めてタウンシップに足を踏み入れる場面が出てきます。長いあいだ住み込みで働いてくれたメイドのフローレンスを、家族のもとへ送っていくシーンです。
タウンシップというのは、アパルトヘイト政策によって狭くて不毛な土地(ホームランド)に閉じ込められた黒人たちが、職をもとめて都市(タウン)周辺へ出てきて住みついた場所のことで、まずスクオッターキャンプ=不法居住地区と呼ばれました。もっとも有名なのがヨハネスブルグの南西にできた「ソウェト」です。ケープタウンの場合はググレトゥ、ランガ、ニャンガといった場所ですが、「クロスロード」という名前も1985〜86年に起きた、ある事件によって世界中に知られるようになりました。
ミセス・カレンは、元教師のタバーネという40代の男性に案内されて、雨のなかを歩いて行きますが、「タバーネ/Thabane」という名前は南アフリカにはよくある黒人系の名前です。その頭に「マ/Ma」のついた「マタバーネ/Mathabane」というのもあって、他のクッツェー作品にも出てきます(Disgrace です!)。また作家自身の娘さんの名前は「ドイツ風の名前で、ギゼラ/Gisela」だそうです。
このように作家自身のミドルネームを含めて「クッツェーと、それをめぐる名前」は、なかなか奥の深いコンテキストを抱えています。すぐれたクッツェー論を著書にもつデレク・アトリッジという人など、「J.M.クッツェーの作品に出てくる名前をテーマにすると、それだけで論文がひとつ書ける」とその著書『J.M.Coetzee and the Ethics of Reading』(Chicago Univ. Press, 2004)のなかで述べているほど。
この作家の立ち位置からくる、一筋縄ではいかないかに見える作品の背景も、しかし、名前をキーにして注意深く作品内の声に耳を澄ますと、もつれた糸がさらさらと解けてくる面白さがあります。そうすれば、読後の充足感も、よりいっそう濃密なものになるはずです。
たかが「名前」、されど「名前」。うーん、奥が深い!
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2013.3.28付記:ゾーイ・ウィカムの『デイヴィッドの物語』の翻訳で協力してくれた文化人類学者の海野るみさんによれば、ひと言でアフリカーンス語といってもさまざまで、発音も一筋縄では行かないとのこと。たとえば、オランダ系植民者である白人の使うアフリカーンス語はよりオランダ語に近く、混血の進んだ「カラード」の使うアフリカーンス語は、もともとキッチンランゲージだったこともあって、オランダ語からの距離はより大きいはずだ。それが混じり合っているのが現在の南アフリカで使われているアフリカーンス語らしい。
Coetzee という名前の発音も、したがって、さまざまなバリエーションがある。作家、J. M. Coetzee の場合は、あくまでオランダ語の発音に近い音、クッツェー/kutse:/ が、自分の名前の発音としては正しいと述べている。念のため、手元にある1991年1月11日付けの彼の手紙の文面をここに書き写しておく。
My family name is pronounced /kutse:/. The /u/ is short, the stress falls on the second syllable, the syllable break is between the /t/ and the /s/.