くぼたのぞみ
だれも行ったことのない場所まで行けるだろうかことばの骨灰で
そんなことが可能だろうか
記憶の底で揺れる音たち
母の叱咤 教師の脅し 悔しまぎれの捨てぜりふ
積みあげられた書物や辞書にあらがう
身をよじる青い芽が
すぱっと切られて宙を飛ぶ
時間にじっとりと疲れた意味が
長いほうき星の尾を引いて
霧雨のなかに浮かび
優しげな衣をまとって
きみをゆすり
身体の芯に刺さる声となって咽喉からこぼれ
ぼやけた桜色の汁したたらせる
すべて/どこかで/だれかが/使っている/から
つなぎ/合わせれば/おぼろに/意図は/伝わり
塵埃の布となって生者を包む
翻訳の烈火で焼かれた骨灰を
袋に入れて
だれも行ったことのない場所まで行けるだろうか
父語母語の外で暮らしたことのない者は
疑う
強く疑う
ぬめる灰土で滑らないように
踏みしめる爪先に力がこもり
探り
だれも行ったことのない場所へ行きたいと思う
だれも行ったことがない
そこからだれも帰らない
***
「現代詩手帖」2017年5月号に掲載された詩です。
備忘のためにここにポストしておきます。あれから8年か、と感慨深い。見渡せば、クッツェーはもとより翻訳界はあっちもこっちも「翻訳」と「言語」と「母語、父語」のオンパレードになっている。