2025/06/05

翻訳ハイキング

                               くぼたのぞみ

だれも行ったことのない場所まで行けるだろうか
ことばの骨灰で

そんなことが可能だろうか

記憶の底で揺れる音たち

母の叱咤 教師の脅し 悔しまぎれの捨てぜりふ

積みあげられた書物や辞書にあらがう

身をよじる青い芽が

すぱっと切られて宙を飛ぶ

時間にじっとりと疲れた意味が

長いほうき星の尾を引いて

霧雨のなかに浮かび

優しげな衣をまとって

きみをゆすり

身体の芯に刺さる声となって咽喉からこぼれ 

ぼやけた桜色の汁したたらせる

すべて/どこかで/だれかが/使っている/から

つなぎ/合わせれば/おぼろに/意図は/伝わり 

塵埃の布となって生者を包む

翻訳の烈火で焼かれた骨灰を

袋に入れて

だれも行ったことのない場所まで行けるだろうか

父語母語の外で暮らしたことのない者は

疑う 

強く疑う

ぬめる灰土で滑らないように

踏みしめる爪先に力がこもり

探り

だれも行ったことのない場所へ行きたいと思う

だれも行ったことがない

そこからだれも帰らない



***

「現代詩手帖」2017年5月号に掲載された詩です。


備忘のためにここにポストしておきます。あれから8年か、と感慨深い。見渡せば、
クッツェーはもとより翻訳界はあっちもこっちも「翻訳」と「言語」と「母語、父語」のオンパレードになっている。