早々に手に入れたのに、なぜか読みはじめるのをためらうものがあって、ずっと机の上に置かれていた本がある。中村佑子著『わたしが誰かわからない──ヤングケアラーを探す旅』(医学書院)だ。
早く読みたい、という気持ちと、心の準備がまだできていないんじゃないの? とどこからともなく聞こえてくる声のあいだで、ピンと張った糸が糸巻きできりきりと巻きあげられていく。このままだと、弦楽器の弦のようにバツッと切れてしまいそうだ。著者の中村佑子さんと斎藤真理子さんのトークが、12月2日に開かれることは知っていた。でも、読まないうちに「話」を聞くのは違うと思った。だから、本を未読のわたしにはそれを聞く勇気がなかった。きっと読んでから、聞いておけばよかったと「後悔」するんだろうな、とほとんど確信に近い気持ちも湧いた。
それでも、何かが熟して、読むべきときがやってくるのを待つしかなかった。躊躇いが消えて、本にすっと手を伸ばして、きわどいまでに素晴らしいカバー写真を一気にめくる、その瞬間が訪れるのを待つしかなかった。
自分でも、なんだか大袈裟なことを言っているような気がするけれど、ゆっくり読むこと、じっくり読むこと、絶対に急いで読まないこと、を自分に課したこの躊躇いそのものを、その理由といっしょに考え抜いていくための読書。これは、おそらく、そういう本だ。
そして、その直感は正しかった。
昨夜、読みはじめた。昨夜とは12月30日の午後だ。前半は「あ、これは以前読んだお話かな」と思って、初出一覧を見ると、初期バージョンがウェブに掲載されていたことがわかった。ジョルジュ・バタイユが出てくるところも、読んだ記憶がある。
この本で圧倒的な力をこちらに投げかけてくるのは後半だ。著者がヤングケアラーと呼ばれるようになった人たちに話を聞いていくうちに、つい自分の経験とくらべていることに気づいて、そのことの意味を何度も反芻する場面が出てくる。いわゆる「話を寝かせる」ことをめぐる自己省察。
この本は小さな鏡面を無数に持つ本である。読んでいて、父や母や兄と「家族として」暮らしたころ体験したシーンと、そのときの感情がありありと蘇ることがたびたびあった。東京に出て短からぬ独り暮らしのあと、自分の新しい家族を作ると決めて結婚し、子育てをした怒涛のトンネル時間の記憶から、忘れていた強い感情がふいに飛び出してきたり。思わぬところへ連れられていく本だ。強い光が当たると、あれはこういうことだったかもしれない、と再認識することになったり(記憶の上書きだ)。
自己と他者の境界が滲んでいく体験、を扱った、なかなか油断のできない本だけれど、これを書いた中村祐子という人の分析力や自己観察の鋭さに対するわたしの尊敬の念は、前著『マザリング』のときよりさらに強くなった。たとえばこんな文章。
──ケアを必要とする精神疾患を抱えた家族は、彼女たちにとって傷であり、刃であり、深い穴である一方で、光であり、憧れであり、生きる意味だった。そして彼/彼女は自分自身であり、一方であまりに他者のようだった。
少しだけ引用してみたけれど、引用した途端に前後の文脈に支えられて理解される何かが決定的にはがれ落ちてしまうようだ。それはこの著書全体を貫くもっとも柔らかで、もっとも大切な何かと重なるのだけれど。引用すると、部分的なことばによる固定化が先行して「プロセス」が見えにくくなるのだ──と思いながらも、すぐあとにこんなことばが並んでいると、また書き写したくなる。
──自分をとりかこむ輪郭線をいつでも崩れさせ、自己と他者の境界を横断することができる。自己の固着という安心からいつでも離れられる無防備さというものが、ケア的主体の真価だろう。
そしてジョルジュ・バタイユとドゥルーズ=ガタリの話になる。これはぜひ本文を読んでいただきたい。この本のいちばん「おいしい」ところは7章からなのだ。
著者の中村佑子の生年は、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェと同じ、わたし自身が「母になる」経験をした年である。27年という短からぬ時間をすっと飛び越え、読み手のところへ真っ直ぐ届けてくれることばを紡ぐたぐいまれな知性と直感力、そして丁寧な分析と熟考。他者の存在への共感を分有し、分有へいたったプロセスを言語化する不断の努力の積み重ねがあればこそ届くのだけれど。ちょっと怖くて、とびきりの瞬間をゆたかに含みもつ本である。
***追記***
──母になったことを後悔しているという本が売れたこともあった。あなたを生んで後悔しているという意味に容易にとれる言葉をタイトルにつけた本を、理由もなく生まれさせられた子どもが手に取る可能性は考えないのだろうか。ベストセラーだと聞いてわたしのなかにうまれた違和感はあまりに強かった。(p208)
ここで語られている本のタイトルに対する違和感の強さは、「毒親」に匹敵するほどで、わたし自身もその違和感の強さは誰にも負けないと思ったのだった。