2018/02/25

褐色の肌のパリジェンヌ──無事に終了!

4/1まで
昨日のトークイベント<褐色の肌のパリジェンヌ──エキゾティシズムが生んだミューズたち>に足を運んでくださった方々、ありがとうございました。

 一昨日と今日の曇り空にはさまれながら、お天気もよく、大勢の人に来ていただきました。あんなにたくさん来てくださるとは……感激!

 「憧れ」をキーワードに18世紀から現代(1965)まで、大西洋をはさんでやりとりされる視線に、多面的な光をあてる試みになりました。さらにわたしたちがいまいる「ここ」から「パリジェンヌ」というイメージに逆光をあててみる、というじつに面白い、現代的な視点からのトークになったように思います。

 無事に終えることができたのも、キュレーターの塚田美紀さんが、じっくりと拙著『鏡のなかのボードレール』を読み込んで「パリジェンヌ展」との関連性を考えてくれたからです。深謝! キュレーターの力量が光るイベントでした。
 Muchas gracias!

 売店で販売されていた『鏡のなかのボードレール』は完売とのこと💖。
共和国さん、ありがとう。そして、「パリジェンヌ」ということばについて話をきかせてくれた在パリ生活の長い、これまたれっきとしたパリジェンヌの、Sさん、Rさん、どうもありがとうございました。

 展覧会は4月1日まで、まだまだ続きますので、ぜひ!

  

2018/02/18

パリジェンヌ展──これはジェンダーの歴史展かも!

昨日は、世田谷美術館の「パリジェンヌ展」へ行ってきた。24日(土曜)のトークイベントの打ち合わせ。展覧会も、打ち合わせも、サイコーに面白かった。

 ボストン美術館所蔵の美術品から、選ばれた絵画、版画、写真、ポストカード、ドレス、繻子の靴、オリエンタル調のジャガード織りのショールなど約120点が展示されていた。
 見渡せるのは、18世紀からフランス革命後ナポレオンの帝政期をへて、19世紀は花のパリ時代(憂鬱な都会生活を描いたボードレールの時代)から喧騒の1920-30年代を通り過ぎて1965年まで。キーワードは「パリジェンヌ」だ。
 キュレーターの塚田美紀さんとあれこれ話をしているうちに、これはある種のジェンダーの歴史展かもね、という話になった。

 展覧会はあくまで「ボストン」から見た「パリとパリジェンヌ」であり、そこには旧植民地アメリカから文化の華と見える大西洋の向こう側、パリへの遠い憧れが色濃く滲み出ている。そこで、憧れの方向性について考えてみた。
 最初の視線はオリエンタリズム、パリから見た異国への憧れだ。もうひとつは、その「憧れ」を文化内に含む「パリという華やかな大都会」に対するボストン側からの憧れ。そして三つ目も加えてみよう。その双方向の「憧れ」を、東アジアの日本という土地から見ている私たちが、いまここにいるという関係も。というふうに考えてみると、とても面白い展示になっているのだ。

 性には禁欲的なピューリタンの保守的市民社会からすれば、ボードレールの『悪の華』が表現する世界は、カトリック世界以上に、途方もない「禁断の木の実」と見なされただろう。ボストンの富裕な女性たちは、パリから取り寄せたドレスを、2、3年寝かせておいて、華美な装飾をはぶいて(カスタマイズして)から身につけたという、涙ぐましいエピソードも紹介されている。

ボードレールのミューズ、J・デュヴァル
う〜ん、なんか先ごろメディアを賑わしている、ハリウッド映画界の大物セクハラ・レイプ問題で世界的な話題となっている#metoo 運動と、カトリーヌ・ドヌーヴらの「言い寄られる自由」宣言とそれに対する反論などとも響きあうような、あわないような、ビミョーな双方向視線が、ここにはありそうな──。

 19世紀に始まった「万国博覧会」とは資本主義経済が世界を席巻する皮切りになったイベントだったが、その近代の価値観のなかでもっとも魅力的な、不可欠な要素となったのが「エキゾチシズム」だった。すでにアフリカやカリブ、アメリカス、オーストラリアなど、広く植民地を「開拓」していたヨーロッパ諸国には、だから、褐色の肌の人たちはたくさんいたはずだ。見えないニンゲンとして。

ジョセフィン・ベイカー
ヨーロッパ男性の強烈な性的「憧れ」の対象となった褐色の肌の女たち、ブラックビーナスというファンタジーもまた興味深い。『鏡のなかのボードレール』の著者であるわたしの役割は、褐色の肌をしたパリジェンヌについて語ることだ。

 しかし昨日、展示を見て思わず吹き出してしまったのが、ガートルード・スタインの「自画像」をうたう一点。それは彼女の親しい友人が撮影したという白黒写真で、さて、そこに写っているのは? これが傑作。スタインは、ご存知、1903年からパリに移り住んだユダヤ系のアメリカ人作家。れっきとしたパリジェンヌである。ヘミングウェイたちに「きみたちはロスト・ジェネレーションね」といったことでも有名な人だが、そのポートレートやいかに? もしも隣にピカソが彼女を描いた有名な肖像画がならんでいたら、もっと面白かったかも、、、


 最初は日差しも温かく春めいた陽気だったのに、時の経つのを忘れて打ち合わせをしているうちに、夕方から雲行きがあやしくなって、冷たい風がひゅうひゅう吹いてきた。でも、家にたどりついてから、24日(土曜日)午後2時からのイベントの中身がくっきりしてきた。う〜ん、いよいよ楽しみになってきた。

 入場無料で、13時から整理券を出すそうです。ぜひ!

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追記:すみません! 展示品の数などを勘違いしていたので、訂正しました。
  

2018/02/09

Happy Birthday, John!

今日は、J・M・クッツェーの78回目の誕生日です。

 お誕生日おめでとう!

カルタヘナで、Jan. 2018

ケープタウンのモーブリーにある産院で、
78年前の暑い季節にあなたは生まれた。

 人は生まれる場所も、生まれる時代も選ぶことはできない、とあなたは言った。そのことばでどれほど多くの人が、少しだけ自分の肩から荷をおろすことができたか。
人は生まれてくるとき、その親を選ぶこともできない、とあなたは言った。そのことばでどれほど多くの人が、こうしていま自分がこの世にあることには、どう努力しても自分の力だけでは変えられない部分があるのだと認めることができた。
ならば、その立脚点から最善を尽くせばいいと知ったのだ。
それは諦めにも似ているけれど、それだけではない。

 もちろん、特権的な立場にいることに盲目であっていいわけはない。ヨーロッパ系の、白人で、男性であるあなたは、その盲目性をとことん自問する作品を書いてきたように、私には思える。恵まれないと思ってきた自分が、広い視野から見てみれば、相対的には恵まれた立場にあることに気づかせてくれる、
その「広い視野」へ出ることをあなたの作品群は教えてくれるのだ。

 作家としてのあなたの姿勢は、
必要以上の富をもとめる強欲が地表をおおう、この心の氷河期に、
希望という埋み火を、個々人の胸のうちに掘り起こそうとする営みに似ている。

 Muchas gracias, John Coetzee!

2018/02/01

The Dog を朗読するクッツェー

カルタヘナでの文学祭で、3月に新刊としてスペイン語版が出版される Siete cuentos morales から「The Dog」を朗読するJMクッツェーの動画です。



交互にスペイン語と英語で朗読しています。ちなみに、わざわざ最初に Allow me to introduce myself.  My name is John Coetzee. と自己紹介していますが、これが去年秋にイギリスで話題になったものの、その場での明言は避けたと伝えられる、彼のファミリーネームの「発音」をめぐる疑問への「答え」となっています。耳を傾けてください。やっぱり「クッツェー」ですね。

WMagazin という雑誌に掲載された記事はこちら
そこに Siete Cuentos Morales のカバー写真がアップされていたので、ついでに、ここに貼り付けておこう。訳者名は:Elena Marengo です。