2016/12/26

日経新聞と東京新聞にもアディーチェ『アメリカーナ』が

昨日は、日経新聞では陣野俊文さんが、東京新聞では中村和恵さんが、アディーチェの『アメリカーナ』をそれぞれ「2016 私の3冊」としてあげてくれました。

……とにかく物語る能力に長けている小説家の筆に脱帽と陣野さん。

苛烈な壁に何度も衝突し、越えてゆく圧倒的な長編を、あくまで軽妙に語る作家に敬服と中村さん。


 この本の核心をみごとに言い当ててくれる評に、今度はこちらが脱帽です。Merci beaucoup!

 値段がちょっと高めになりましたが、その分、中身はがっつり、軽妙かつ読み応えのある本になっていますので。年末年始のお休みにまとめて時間がとれるかたは、ぜひ物語の深い森へ迷い込んで、読書の愉楽にひたってください!

(見つけた記事のクリッピングを、勝手ながら、貼り付けさせていただきました──陣野さん、中村さん、お許しあれ!)
  

2016/12/23

西加奈子さんのアディーチェへのインタビューが「SPUR」2017年2月号に

 これは読ませます。チママンダ・ンゴズィ・アディーチェに作家の西加奈子さんが電話でインタビューをして、書きおこしたすてきな文章です。

 今日発売のシュプール」2017年2月号(集英社)です。

 特集「THE FACES of 2017」に登場する7人のアーチストの一人がチママンダです。トップがグレース・ウェールズ・ボナーというイギリスとジャマイカにルーツをもつファッション・クリエーター。ほかにモデル、デザイナー、女優/ミュージシャン、クリエーターなど才能豊かな若いアーチストがならび、チママンダはその最後を飾っています。

「最初の小枝は細く、しなやかで、緑色をしている。そうした小枝は完全な円になるほど曲がるが、折れはしない」というトニ・モリスン『青い目がほしい』からの引用で始まる西さんの文章からは、アディーチェの作家としての特質やその魅力がたっぷりと伝わってきます。それが見開きページにぎっしり。わくわくしながら読みました。少しだけ引用します。


 ──彼女は、ステレオタイプだった私の「アフリカ」のイメージを鮮やかに覆し(中略)私を未知の世界へ連れて行ってくれた。新しい世界へ。
 でも、彼女のやり方は「正しい価値観」を目の前に突きつける、というような乱暴なものではなかった。もちろんその「声」は圧倒的だったけれど、(中略)ときに静かに、何より美しく私に語りかけてくれた。「あなたの知っている世界だけがすべてじゃないのよ」と。……私が彼女の言葉を追っていて強く感じたのは、しなやかさだ。


 アディーチェの魅力を縦横に語る西加奈子さんの文章は、何度読んでも心にしみます。
 左上にならぶ3冊の既刊書の書影の下には、この秋のクリスチャン・ディオールのショーで、アディーチェの We Should All Be Feminists 「男も女もみんなフェミニストでなきゃ」と描かれた白いT-シャツを着たモデルさんの写真も。おまけに「モデルは細すぎだけど(笑)、マリアの考え方に共感するわ」というチママンダらしいコメントも添えられています。(マリアとはディオール史上初の女性アーティスティック・ディレクターになったマリア・グラツィア・キウリのことです。)
 このWe Should All Be Feminists 「男も女もみんなフェミニストでなきゃ」は来年春に、日本語訳の本としてお届けしますので、ご期待ください!

 アディーチェの長編小説『アメリカーナ』の帯も書いてくれた西加奈子さん... Muchas gracias, Nishi-san!!


2016/12/18

一夜明けると『アメリカーナ』が毎日新聞「2016 この3冊」に

 窓から差し込む陽の光がまぶしい日曜日。
 
昨日は池袋まで行ってきた。立教大学の「共生社会研究センター」が日本の反アパルトヘイト運動を記録するためのアーカイヴを作ってくれて、その記念イベントがあったからだ。

 1989年10月に長いあいだ獄中にあった政治囚が解放されはじめ、翌1990年2月にネルソン・マンデラが釈放されて、血みどろの混乱と権力移譲のかけひきを経て、南アフリカがアパルトヘイトという軛からようやく解放されたのが、1994年だ。
 このプロセスは、ベルリンの壁が1989年11月に崩れて、旧ソ連を中心とする共産圏経済が崩壊していった時期とみごとに一致していた。この歴史的事実は、しっかり記憶にとどめておきたい。

 あらためてここに、アパルトヘイトとは何だったのか、その体制内で生まれ、生きた作家 J・M・クッツェーの定義を再掲しておく。今年5月にパレスティナ文学祭に参加したクッツェーが「最後の日に行なったスピーチ」の一部である。

アパルトヘイトとは、人種あるいは民族に基づく強制隔離システムであり、ある排他的な、自分たちだけで定義した集団によって植民地支配を強化するために導入され、とりわけ、土地とその天然資源の掌握支配を固めるためのものだった。

「排他的な集団」というのはヨーロッパから大陸南端に上陸して土地を奪っていったヨーロッパ白人部族のことをさす。最初はオランダ系、それにイギリス系植民者が加わって少数グループとして白人至上主義を先鋭化させていった。
 1980年代に入って国際連合が「Crime against Humanity=人道に反する罪」と定義づけてから、アパルトヘイトは西側諸国の普遍的価値観である「人権」に反するものとして槍玉にあげられ、やがて、その体制は崩壊していった。だが、そこには大国を軸にした「経済的利害」の天秤の存在があったことはしっかり記憶されていくべきだろう。根幹には常に植民地主義的経済の世界システムが働いていたのだ。共産圏諸国の後ろ盾で独立することの多かったアフリカ諸国が採掘権を握る膨大な資源を有する大陸、そのアフリカ大陸へ西側諸国がアクセスするための入り口、それが南アフリカという国だったという指摘もクッツェーは『ヒア・アンド・ナウ』でしている。

 そしてニホンという国は、尻尾を振るようにして黄色い肌をした有色の「名誉白人」となり、経済的なやりとりのためのみに嬉々として「白人扱い」してもらい、他の有色の人たちと自分は違う、という差別感情を内面化していった。こんな恥ずかしいことはない。そんなねじれた感情が、「見ないことにした現実」(自分たちの顔)がいまも尾を引きずっている。
 

 さて、20年以上前にいっしょに行動した懐かしい顔ぶれが、まるで同窓会だね、と笑い合うおしゃべりの翌日、はらりと新聞を広げると……毎日新聞の「2016 この3冊」に中島京子さんがアディーチェの『アメリカーナ』をあげてくれているではないか。
 あれ、一週間前もこれと似た展開が……という既視感とともに、嬉しさがこみあげてくる。
 
「人種」が特別の意味を持つ大国・アメリカの現在を描いて……人種問題を正論で語るときの欺瞞や鬱屈も描かれ、トランプ次期大統領を生んだ社会の背景が……

『アメリカーナ』という小説は、アメリカという世界の大国で「人種」がどのようなものとして機能しているかを、クリアに、詳細に、描き出していく作品でもあるのだ。それもナイジェリア出身の若い女性の曇りない目を通して。

 戦後、ややもすると「単一民族」などという妄想に目を塞がれ、アメリカ製ホームドラマ、西部劇、ディズニー映画などで目くらましを食らいながら、「白いアメリカ」やその反転像としての「黒人文化」に憧れてきたニホンが、多民族国家であるアメリカ社会内の「本当は見たくない、見たくなかった現実」を根底部分から容赦なく描き出している作品であるかもしれない。そろそろこういう事実ともまっすぐに向き合おうか、「トランプのアメリカ」から目をそらすわけにはいかないのだから。


 そして。今日のグーグルは、なんと、1977年に当時のアパルトヘイト政権の警察が拷問・虐殺した黒人意識運動の主導者スティーヴ・ビコの写真だ。そうか、12月18日はビコの誕生日だった。享年31歳の彼が生きていたら今年70歳。アフリカの若き指導者の多くは、とても若いうちに、暗殺、虐殺された。ビコ、ルムンバ、トマス・サンカラ、カブラル。ルムンバのようにCIAがらみのケースも多いだろう。

 ちなみにナイジェリアは南アフリカのアパルトヘイトに対して、常に反対をとなえてきた国である(これは南部アフリカ諸国もおなじだ)。アディーチェも小学生のとき獄中にあるマンデラの話を聞いて、みんなでお小遣いからカンパをした、とどこかで語っていたっけ。


2016/12/16

「本の雑誌」で2人の評者が『アメリカーナ』を

数日前に発売された「本の雑誌」でアディーチェの『アメリカーナ』が紹介されています。それも、なんと評者が2人もいっしょに、ダブルです!

まずは佐久間文子さんの 「2016年度現代文学ベスト10」で、筆頭に『アメリカーナ』があがっています。記事のタイトルは:

 アディーチェ『アメリカーナ』を記憶に刻む

 佐久間さんは、「トランプ大統領、ありえますよ」という年賀状を今年のお正月にアメリカ政治の専門家からもらった話から書き起こし、この小説内に出てくる2008年の大統領選挙でバラク・オバマが勝利したときのシーンに触れていきます。作品を立体的な文脈のなかに位置づけて見通す視点の、しなやかな評です。最後にスーザン・ソンタグの名があるのが印象的でした。

 江南亜美子さんが今号から担当する「新刊めったくたガイド」でもまた『アメリカーナ』が取りあげられています。チママンダ・ンゴズィ・アディーチェという作家の来歴やこれまでの作品のことを紹介して、長編三冊目にあたるこの『アメリカーナ』の魅力について細部までリアルに伝える評、そのタイトルがすごい!

 まったき恋愛小説

 そして、ここにもまず最初にスーザン・ソンタグの名前がありました!
 最後の決め文句──「このボリュームにもかかわらず、もっと長く物語世界にとどまりたいと思わせてくれる一冊である」が、長編だけれど、いや長編だからこそ余韻があとを引く、物語の魅力を伝えてくれています。


 「本の雑誌」って、いまどんな本が出ているのか、ざっと見渡すことができるんですよね。それも一級の評者があれこれ書いてくれるので、確かな情報がとっても助かります。

 なんだか数日前からぐんぐん冷え込んできた東京ですが、『アメリカーナ』の面白さが少しずつ読者の方々に届いていくようすが伝わってきて、長期間がんばったかいがあったな〜と、陽だまりの猫のような気分です。ふわ。

 Muchas gracias! 

2016/12/12

Kama せっけんの至福感

 カナダのヴァンクーヴァー沖にあるソルトスプリング島を出てから、たった 6日間でとどいてしまった。レースのカーテン越しに、Kamaの石けんたちが明るい午後の陽射しをあびている。


包みを開けた直後から室内に漂い出した匂い。その芳香に包まれる至福感。心地よい香りを胸いっぱいに吸い込みながら、カメラのシャッターを押した。この石けんたちとこれから年末年始をすごすのだと思うと、それだけで嬉しい。ゆっくり息を吸い込む。喉と胸がすうっとする。

 やわらかな石けんをカッターで切って、ざらっとした包み紙でくるんで枕元に置いておくと、その香りが心地よい睡眠へと誘ってくれる。快適睡眠は仕事の質をあげるためには、いまや欠かせないものになっているので、この石けんの到着は、まるで一足早くおとずれたクリスマス・プレゼントのよう。

 レモン、ジンジャー、ラヴェンダー、レモングラス、ローズ・ジェラニウム、ユーカリプス、セージ、パチョリ(パクチー、コリアンダー)、オートミール......みんな、Kama soap のすぐれものたちだ。


 最速の便で送ってくれた友人 Rumi さんに心から感謝します!

2016/12/11

『鏡のなかのボードレール』が毎日新聞「この3冊」に

和田忠彦教授退官記念シンポジウムで体験した感動的な講義のあとの、賑やかで楽しい一夜があけて、はらりと開いた今朝の新聞には、毎年恒例のその年をふりかえって書評者たちがあげる特集記事「2016 この3冊」が見開きページにずらりとならんでいる。

 そして、おお! なんと拙著『鏡のなかのボードレール』も仲間入りしているではないか。池澤夏樹氏が選ぶ「この3冊」に『鏡のなかのボードレール』が入っていたのだ!

 ♪うれしや〜ありがたや〜年の暮れ〜♪

「ボードレールの恋人だったジャンヌ・デュヴァルが黒人と白人の混血だったところから始まって、肌の色の違いが性的魅力に転化するからくりを論じる。展開は融通無碍で、時代を渡り、言語を越え(著者は……)、大陸を跨ぎ、男女の位置も逆転させる」と。

和田忠彦教授退官記念シンポジウムに参加して


昨日は東京外国語大学の和田忠彦さんの退官記念シンポジウムに参加してきた。午後1時から始まって午後7時すぎまでの長丁場だったけれど(わたしは少し遅れて参加)、登壇者の方々の発表がそれぞれ個性に満ちていて、驚くほど刺激的な内容だった。

 わたしが聞いたのは第1部の半ばからだったけれど、シンポジウム全体に共通した問題意識の中心は、やはり、「表現」「翻訳」「詩」について、「翻訳」とテクストの背後に潜む「声」を「呼び出す」あるいは「召喚する」ということについてだっただろうか。プログラムの内容を備忘録のためにも記しておこう。

 第1部 感覚の摘み草──五感の表象と戯れる
  司会:松浦寿夫 
  登壇者:福嶋伸洋 小沼純一 沼野恭子 岡田温司 山口裕之
 第2部 ことばのたろんぺ──とけては固まる翻訳の言葉 
  司会:久野量一
  登壇者:Giorgio Amitrano  木村栄一 西成彦 澤田直 栩木伸明 都甲幸治
 第3部 声の在処──詩から詩へ
  和田忠彦
 第4部 読みまどろむ
  司会:土肥秀行
  登壇者:くぼたのぞみ ぱくきょんみ 山崎佳代子 / 和田忠彦
              

 硬い木の椅子に座って長い時間をすごしたけれど、それに十分みあった、いやそれ以上の収穫のある時間だったように思う。

 なんといっても、第3部の和田忠彦さんの講義が圧巻だった。モンターレの詩を引用しながら、カルヴィーノとタブッキをめぐる話を進める和田さんの、ゆったりと安定した声の響きは、聴いているものを完全に魅了して、じわじわと遠く、彼方へ誘う力を秘めていた。和田さんって、こんな魅力的な話し方をする人だったのか!と遅ればせながら、イタリア文学門外漢のわたしは驚いた←気づくのが遅すぎるのだ!

 第4部に、土肥秀行さんの司会で和田さんご自身を交えながら、詩人のぱくきょんみさん、山崎佳代子さんといっしょにわたしも登壇して、それぞれが和田さんの著作や翻訳から朗読した。わたしは和田さんが2008年に発表した『ファシズム、そして』(水声社)の最後におかれた「思考の軛から解読の鍵へ──<同時代/モダン>の発見」から少しだけ読んだ。その文章はこんなふうに始まる。


 ファシズムを究極のモダニズム表現として考えてみる──当初は突飛とも映ったにちがいない仮説をことあるごとに提示するようになったのはいつからだろう。
 
 そして2ページ後の次の一行へたどりつく。

 表現と、時間軸においても空間軸においても立体的に向き合うこと、それが同時代のまなざしで作品を読むことなのだ、と──柱廊のめぐる街で暮らしながら文学研究の方向を手探りしていたわたしが掴んだ問題の在処は、たぶんこのことだったにちがいない。


 「表現と、時間軸においても空間軸においても立体的に向き合うこと」という1行に、強く共感し、共振する翻訳者としての自分がいたのだ。この本が出たのは2008年だから、すでに8年もの歳月が経過している。でも、その後の「Cross-Lingual Network 世界文学・語圏横断ネットワーク」の活動へと広がっていった和田さんの仕事の方向性は、この『ファシズム、そして』ですでに定まっていのではないか。そして、3.11のあと危機感を共有する多くの人たちの切迫感へと繋がっていったのだと思う。

 和田さんの仕事のすごさは、すでに膨大なその仕事量もさることながら、これからそのあとに続く人たちに確実に伝えてきたもの、伝えようとしているものにこそあるのではないか、昨日の感動的な講義を聞いていてそう思ったのはわたしだけではないかもしれない。実行委員会を担った人たちの、心のこもった周到な準備、行き渡った心遣いなどをひしひしと感じた1日でもあった。Muchas gracias!
 

2016/12/07

冬の針葉樹

師も走るという12月になって1週間。ここ数年、12月は大晦日までほとんど休みなく仕事をして、年が明けてもまたすぐにPCに向かう暮らしだった。

 今年こそは年末年始はゆっくりとすごしたいと思いながら、毎年のようにそれがかなわないまま年越しをしてきた。でも、今年は久しぶりに、本当にゆっくりできそうだ。
 昨日、ずっと温めてきたアディーチェの翻訳原稿を編集部に送って、これで年内の「締め切り仕事」はいちおう終わり。ふうっと一息。

 そこで懐かしい冬景色の写真を2枚。道路の両脇に雪をかぶっている針葉樹の高さや遠くの山の険しさから、これは北海道ではないな、と見抜く人もいるだろうか。そう。これはカナダのBCの写真、友人のブライアン・スモールショーさんから拝借したものなのだ。
 Muchas gracias, Brian!

 12月に一息入れるには、こういう写真をじっとながめて、雪けむりのなかにいる時間が、わたしにとっていちばんしっくりくるようだ。

2016/11/24

英語の「豆」がフランス語では「スープ」になる話

朝起きてみると外は雪。
 11月に東京で雪が降るのはずいぶん久しぶりです。それもこんなに積もるなんて。でも、1968年に東京に出てきたころは、いまにくらべるとずいぶん寒くて、10月にはもうストーブを引っ張り出していた記憶があります。ある決定的な記憶としては、10月21日に雪が降った年があったこと。あれは、1969年だったかな。

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さて、先日ある小説のオリジナル英語版とフランス語訳を読みくらべていて、すごく面白い例に行き当たりました。英語の「豆」がフランス語では「スープ」になっていたのです!

英語の原文はこうです。

I was always a clever child, a good child and clever child.  I ate my beans, which were good for me, and did my homework.

ぼくはいつだって頭のいい子だった。良い子で頭のいい子だった。身体にいいからと豆も食べたし、宿題もやった。

それがフランス語ではこうなっていたのです。

J'étais un enfant intelligent, un bon petit et un enfant intelligent.  Je mangeais ma soupe pour grandir, et je faisais mes devoirs.

ぼくはいつだって頭のいい子だった。良い子で頭のいい子だった。大きくなるためにスープだって食べたし、宿題もやった。


こんなふうに慣用的な表現をその言語独自の表現に変換する例は多々ありますが、これは英語圏と仏語圏の日常的な「食文化」の違いがはっきりあらわれている例で、とても面白いですね。

はてさて、この作品はなんでしょう? 
来年中にはきっと書店にならぶはずです。
お楽しみに!


2016/11/11

ジャニス・ジョップリンの「薔薇」

訂正します──これはベット・ミドラーがジャニスをモデルにした映画の主題歌として歌った曲でした。1979年のことです。ジャニス・ジョップリンは1970年に27才で他界しています。でもいい曲ですねえ。心にひたひたときます。




"The Rose"

Some say love, it is a river
That drowns the tender reed.
Some say love, it is a razor
That leaves your soul to bleed.
Some say love, it is a hunger,
An endless aching need.
I say love, it is a flower,
And you its only seed.

It's the heart afraid of breaking
That never learns to dance.
It's the dream afraid of waking
That never takes the chance.
It's the one who won't be taken,
Who cannot seem to give,
And the soul afraid of dyin'
That never learns to live.

When the night has been too lonely
And the road has been too long,
And you think that love is only
For the lucky and the strong,
Just remember in the winter
Far beneath the bitter snows
Lies the seed that with the sun's love
In the spring becomes the rose.

Written by Bette Midler and Gordon Mills

2016/11/09

自分の時間は自分が満たす

「アメリカ大統領選挙のニュースばかり流れる今、思い出したのは米国市民のポール・オースターに J・M・クッツェーが返した手紙のことばだ。オースターが自国アメリカについて語る楽観的なことばに、鋭く切り込むクッツェー」と書いて昨日、facebook などに以下の文章を引用して載せたのだけれど、備忘録のためにここにも書いておこう。
 手紙の日付は2010年11月29日だ。
 
「二インチ前進、一インチ後退」──それが君の国における社会的進歩を表現するために君が使うフレーズだが、その国は世界の主導権を握る者であるゆえに、ある重要な意味において僕の国でもあり、この惑星上のほかのもろもろの人間にとってもそうであるにもかかわらず、われわれ部外者はその政治的プロセスに参加できないという条件の元におかれている。
 生涯にわたり支配される階級の一員である僕自身の、いくぶん偏見を抱いた目には、われわれを支配する者がわれわれをより良き未来へ導くと見るのはナイーヴに映る。」

                    ──『ヒア・アンド・ナウ』p237より


 今回のアメリカの大統領選を、世界中が固唾を飲んで見守りながら、悔しい思いで地団駄踏んで、絶望的な気持ちになった理由は、下線を引いた部分にこそあると思う。しかしサンダーズ候補が舞台から消えた時点で、ほとんど幕引きだったようにも思えるな。

 しかし。それでも。地球はまだあるし、とりあえず地面はまだ足の下に横たわっていて、わたしはまだ生きている。夜空を見上げれば、冷たい空気のなかで、こうこうと輝く冬の月。遠くから、消防車が鳴らす「火の用心」の鐘が近づいてきては、また遠ざかっていく。

 明日からもまた生きていくのだと思う。いたずらに絶望的になってみても始まらないのだ。暴力的に介入してくる「情報」なるものにあらがいながら、私たちの時間は私たちが満たす。じっくりと、ゆっくりと、本を読もう。
 そうだ、そうしよう。

2016/11/05

J・M・クッツェーの『三つの物語』

J・M・クッツェーの『Three Stories/三つの物語』、フランス語の訳が出たみたい。スイユから。Trois histoires.



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付記2016.11.8:三つの物語とは「スペインの家」「ニートフェルローレン」「彼とその従者」で、「スペインの家」はこの秋の「すばる 10月号」に詳しい解説といっしょに訳出しました。「ニートフェルローレン」は2013年「神奈川大学評論」の特集「アフリカの光と影」に訳しました。「彼とその従者」もすでに訳してあります。
日本語版もぜひ、本にしたいなあ。