「アメリカ大統領選挙のニュースばかり流れる今、思い出したのは米国市民のポール・オースターに J・M・クッツェーが返した手紙のことばだ。オースターが自国アメリカについて語る楽観的なことばに、鋭く切り込むクッツェー」と書いて昨日、facebook などに以下の文章を引用して載せたのだけれど、備忘録のためにここにも書いておこう。
手紙の日付は2010年11月29日だ。
「「二インチ前進、一インチ後退」──それが君の国における社会的進歩を表現するために君が使うフレーズだが、その国は世界の主導権を握る者であるゆえに、ある重要な意味において僕の国でもあり、この惑星上のほかのもろもろの人間にとってもそうであるにもかかわらず、われわれ部外者はその政治的プロセスに参加できないという条件の元におかれている。
生涯にわたり支配される階級の一員である僕自身の、いくぶん偏見を抱いた目には、われわれを支配する者がわれわれをより良き未来へ導くと見るのはナイーヴに映る。」
──『ヒア・アンド・ナウ』p237より
今回のアメリカの大統領選を、世界中が固唾を飲んで見守りながら、悔しい思いで地団駄踏んで、絶望的な気持ちになった理由は、下線を引いた部分にこそあると思う。しかしサンダーズ候補が舞台から消えた時点で、ほとんど幕引きだったようにも思えるな。
しかし。それでも。地球はまだあるし、とりあえず地面はまだ足の下に横たわっていて、わたしはまだ生きている。夜空を見上げれば、冷たい空気のなかで、こうこうと輝く冬の月。遠くから、消防車が鳴らす「火の用心」の鐘が近づいてきては、また遠ざかっていく。
明日からもまた生きていくのだと思う。いたずらに絶望的になってみても始まらないのだ。暴力的に介入してくる「情報」なるものにあらがいながら、私たちの時間は私たちが満たす。じっくりと、ゆっくりと、本を読もう。
そうだ、そうしよう。