『少年時代』はこう続く。
母親が独り裏庭で自転車の乗り方を習得しようとする。脚を両側にまっすぐ伸ばして養鶏場までの斜面を下る。自転車が倒れて止まる。クロスバーがないので母親が転ぶことはない。ハンドルにしがみつきながら、ぶざまな格好でよろめくだけだ。
彼は内心、母親に反感を覚える。その夜は父親のひやかしに加勢する。これがひどい裏切りなのはよくわかっている。いまや母親は孤立無縁だ。
それでも母親は自転車に乗れるようになり、おぼつかない、ふらつく乗り方ながら、懸命に重たいクランクを回転させる。
母親がヴスターまで遠出するのは、午前中、彼が学校へ行っているときだ。一度だけ母親が自転車に乗っている姿をちらりと見かける。白いブラウスに黒っぽいスカート。ポプラ通りを家に向かってやってくる。髪を風になびかせて。母親は若く見える、少女のようだ、若くて生き生きとして謎めいている。
この描写は、もちろん、当時の少年の心理を57歳の作家が鋭く分析しながら書いたものだ。
少年は、周囲の環境のなかで孤立すると、どうして自分はみんなと違うんだろ、どうして自分の家族が「ふつう」じゃないんだろ、と悩む。でも、自分の母親がみんなとは違うことがちょっぴり自慢でもある。他の家族と違って母親が家で主導権を握っていることにも、変だと思いながら、ありがたいと思う。でも。
そしてある日、なんの説明もないまま、母親は自転車に乗るのをやめる。それから間もなく自転車は姿を消す。だれもなにもいわないが、彼には身のほどを思い知らされた母親が諦めたことがわかる、そして自分にその責任の一端があることもわかる。いつかきっとこの埋め合わせをしよう、と彼は心に誓う。
でも、幼ない子供にとって、母親は生きるための大地のような存在だ。とりわけ最初の子供は生まれ落ちたときから自分を中心に世界が回っている経験をすることが多いため、母親には、とにかく子供である自分を中心に生きていてほしい。少年の体験として、クッツェーは正直にそれを書く。
自転車に乗っている母親の姿が彼の脳裏から離れない。母親がペダルをぐんぐんこいでポプラ通りを走りながら、彼から逃げて、自分の欲望に向かって行こうとしている。母親に行ってほしくない。自分の欲望をもってほしくない。母親にはいつも家にいてほしい、家に帰ったとき彼を待っていてほしい。彼が父親と組んで母親に対抗することは滅多にない。断然、母親と組んで父親に対抗したいほうなのだ。でもこの件では、男たちの側につく。
そして「いつかきっとこの埋め合わせをしよう」と心に誓った少年は、ものすごい勢いで自立して成功への道を探る。ノーベル賞受賞時の晩餐会のスピーチにもあるように、「とにもかくにも、自分の母のためでなければ、われわれはノーベル賞を受賞するようなことを、はたしてするものだろうか?」といってテーブルについた大勢の客達から笑いをとった。
実は、必ずしも母親でなくてもいいのだけれど、自分を大事に思ってくれる人、自分を大切にケアしてくれる人への繋がりが子供の成長にはとても大切なのだ。幼い生命にとっての養分なのだから、それが手当なく遮断されたり、長期的に途切れたりすると、幼い命は疲弊する。疲弊すると、花でも野菜でも、伸びやかには育たない。子供は自分だけの「誰か特別な人」がほしいものだ。長いあいだそれは「母親の仕事」とされてきた。1940年代の南アフリカでも。
クッツェーの母親は周囲に同調して、みんなと同じように子供を育てることはしない。その子の性格や力に合わせた教育が大事だとして徹底的に保護する。『サマータイム』の最後の断章でも、シュタイナー、モンティッソーリという教育者の名前を作家自身が引き合いに出している。
『少年時代』の第1章の最後で、クッツェーは「男たちの側に」ついたことが母親への裏切りだったと自省する。フェミニズムという語が、今のような意味で使われるのは1960年代になってからだ。セクシャル・ハラスメントという語も知られるようになった90年代後半に、50年ほど前の田舎町ヴスターでの出来事を作家は書いている。それも自分自身が息子を早々と失ったのちに。。。
そのことを考え合わせると、この第一章を書いている作家の位置が、二重、三重に違って見えてきた。読者によって、フェミニズム的視点から分析されるのを待っているような作品ではないか。
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2021.4.27──昨日、facebookとtwitter でシェアしたときのコメントを備忘のために追加:
「1940年生まれの作家が自分の少年時代、青年時代から30代の「朱夏のとき」まで、徹底的に自分を突き放すようにして他者化して、過去の記憶の内部をさらしながら物語にまとめる作業はフェミニズムという時代の風を受けてさらに輝いて見える」