2020/07/29

クッツェー『青年時代』とブローティガン『愛のゆくえ』

J・M・クッツェーの自伝的小説に『青年時代』ってのがある。三部作の第2巻だ。

 そのなかに、ケープタウン大学の学生だったとき女子学生を妊娠させてしまい、非合法の中絶のために彼女を車で郊外の堕胎師の家へ送ってくシーンがある。たまたま留守番をしていた知人宅に彼女を泊まらせて、お茶を淹れたり、タオルをオーブンで温めたりするんだけど、最初から自分で調べてプランを立てる女性に対して、無計画で不甲斐ない男性の側の心理描写がなかなか優れている。なにしろ1960年前後のことだから。
 逃げ出したいと思う自分の無責任さと、中絶された生命に対してあとからジョンがあれこれ考えるところが読みどころで、のちに『動物のいのち』や『モラルの話』へつながっていく芽のようなものが感じられて面白い。でも、とにかく男が20歳のころの自分のやった失敗を振り返ってここまで赤裸々に分析して書く姿勢というのは貴重だなと。

 自伝的三部作の出版イベントでそのことを問題提起したんだけど、対談相手の男性たちも会場にいる人たちも「沈黙」しちゃったなあ。あれは6年前だ。#MeTooを経たいまならどうなんだろう。作品のその部分について自分の意見をきちんと言語化することができる若い人が育っていることを心から期待したいところです。

 ちなみに女性を妊娠させて中絶(1966年設定の話だから、これまたアメリカでも非合法!)の手助けをする小説は、ブローティガンの『愛のゆくえ』くらいしか知らないけど、ブローティガンは女にとっては試練となる体験を男の成長物語として利用してる、といったことを藤本和子さんが著書『リチャード・ブローティガン』で指摘していて、そうそう! と膝を叩いたものだった。
 だから、この作品だけは好きになれなかった。図書館員の男が国境を越えて女性といっしょにメキシコに中絶を受けに行く話だったように思う。現タイトルが『The Abortion: An Historical Romance 1966』なのに、日本語訳が『愛のゆくえ』という意味不明のタイトルになっているのは(ロマンスだから愛なのか??)、はたして、時代のせい、といいきれるのかどうか。