2014/10/30

都甲幸治著『生き延びるための世界文学』が届いた!

都甲幸治さんの新著『生き延びるための世界文学:21世紀の24冊』(新潮社刊)を送っていただいた。
 Muchas gracias! 6月に出た『狂喜の読み屋(散文の時間)』(共和国刊)──これもまた充実の一冊だった──につづいて、トコーさんの切れのいい文章がさわやか!

一作一作に対する彼の読みは、作品の表層をいかにも「奇抜な見立て」を前面に押し出して、作品を乗っ取るように切っていく評とはまるでちがう。それを書いた作家の意図も含めて、作品の深い奥をさぐりながら確かなものに迫ろうとする、非常に真摯な態度が感じられるのだ。そのことが「生き延びるための」というタイトル内のことばと響き合って、この本の最大の魅力になっている。
 そこにはまた「ことば」に対する信頼が薄れつつあるこの時代に、人が人として、まさに「生き延びる」ための指標が埋め込まれている。手がかりとしての、くさびを打つための一冊ともいえる。

 届いたばかりなので、まだ J・M・クッツェーを論じる「消された過去」しか、ちゃんと読んでいないけれど、クッツェーの最新作『イエスの子供時代/The Childhood of Jesus』(2013)を論じる章はもう納得!の文章である。書き出しはこうだ。少し長いけれど引用する。

 初めて会うクッツェーはシャイで寡黙なおじさんだった。
 2013年3月初めに開催された東京国際文芸フェスティバルのレセプションで、僕は彼と少しだけ言葉を交わす機会を得た。写真では俳優のクリント・イーストウッドをもっと格好良くしたような彼だが、実際に会うと、柔らかくて温かい感じの、笑顔が印象的な人だった。僕が「『悪い年の日記』も『ペテルブルグの文豪』も読みました。どれも本当に素晴らしくて」と言っても、「そう」としか返してくれない。あまりに口数が少なくて、僕はかなり焦ってしまった。
 でもそれは嫌な印象ではない。逆に、もっともらしい言葉で空間を埋められる方がよっぽど嫌だっただろう。相手の言葉をきちんと聞き、言葉を選んできちんと答える。それは、僕が抱いていた小説家、あるいは批評家といった、言葉を売る仕事をしている多くの人々が持つ、言葉を支配しているようでむしろ言葉に使われてしまっているような態度とは異なっている。この人は信用できるという感じがした。

 こういうアプローチで語られていくクッツェー論は、あまり例を見ない。見ないだけにとても新鮮だし、とても共感できる。これなら他の作家を論じる章も、あまりアメリカ文学に詳しくない人が読むとしても、しっかり頼りにできそうだ。そう、都甲さんがクッツェーに対して「信用できる」と直感したように、上の文章を読んだわたしも、この本のことばは「信頼できる」と確かに思うのだ。
 以前、雑誌『新潮』に連載されていたとき読んだものもあるけれど、頭はそのほとんどを忘れている。まだ23冊分あるのだ。秋の夜長に、さあ、どんどんページを繰ろう! 
 
 しかし、困ったな。半分ほどきたクラークソンの本も読破しなくちゃならないのだ。

2014/10/22

『J・M・クッツェー:カウンターヴォイス』by キャロル・クラークソン

冷たい雨が降る日。ふと目をあげると窓の向こうに、色づく杏の葉が見える。雨に濡れるとひときわ鮮やかさを増す色合いを楽しみながら、キャロル・クラークソンの『J.M.Coetzee:Countervoices』を読む。

 クラークソンは J・M・クッツェーの研究者でケープタウン大学の教授だ。2012年12月にクッツェーが同大学で『The Childhood of Jesus』から朗読したとき、彼を「Welcome home, John!」と紹介した人である。

 この本は2009年に出た。近刊書として本のタイトルを目にしたのはちょうど『鉄の時代』の解説を書いているときで、早く読みたいと思ったものだ。拙訳『鉄の時代』は2008年9月刊行だったので、結局、解説の参考にはできなかったけれど、それでもおおまかな備忘録的な意味を込めて、解説内に「カウンターヴォイス」という語を入れておいた。というわけで「カウンターヴォイス」はそれ以来ずっと宿題のようになっているのだ。

 クッツェーの自伝的三部作『サマータイム、青年時代、少年時代』を訳し、自伝とフィクションをめぐる作家の立ち位置を考えながら解説も書き、本自体の出版も無事に終えたいま、あらためてクラークソンのこの本を読みなおしてみる。彼女は、クッツェーが自分を語る英語内で一人称と三人称を意識的に使い分けることについて、言語学的な背景と倫理学的な背景の両方から迫っていく。ちなみにクッツェー自身は60年代の構造主義言語学を学んだ人であり、その理論を十全に取り込み、それを超えるべく実験的作品や批評を書いてきた作家である。この本は、クッツェーのそういった試みを、作家の文章や発言を具体的にあげながら解明しようとするスリリングな著作なのだ。

以下に目次を。これを見るだけでも、興味がそそられるではないか。

 Introduction
   1  Not I
   2  You
   3  Voice
   4  Voiceless
   5  Name
   6  Etymologies
   7  Conclusion:  We
   Notes
   Bibliography
   Index

 2009年刊なので、この本が扱っている自伝的作品は『少年時代』(1997)と『青年時代』(2002)までで、2009年の『サマータイム』は残念ながら出てこない。だが、彼女の議論の延長線上にこの三作目をのせて考えてみると、ぱっと視界が開ける瞬間がある。クッツェー作品には美学と倫理学のまれにみる幸福な結婚があるのだ。

 Not I はベケットから。最後の結論:We までの展開は? 読者と書き手の、自伝をめぐる暗黙の了解事項をどう揺さぶるか。読者としての書き手の位置は? You と I のあいだに入る三人称。he を I で書き換えてみると見えてくるもの。
 日本語は、もともと You が明確に存在しないところが厄介だ。彼我の境目もはっきりしないのはさらに厄介(「あわれ」は、あれ、と、われ、がミックスしたものか?)なんてことを考えながら読んでいく。
 記憶は時間の経過とともに上書きされ、作られていくことは紛れもない事実だ。そこを明確に意識化しないと『少年時代』や『青年時代』で三人称現在が用いられている意味は理解できないかもしれない。また、語る者と語られる者がきっぱり分離して、作品内で熾烈な格闘をする『サマータイム』は容赦なく読者を試してもくる。クッツェーを読むといつも、自己検証能力がびしびし鍛えられる。そこがクッツェー作品の最大の魅力なのだ。

 ちなみに、クラークソンのこの本は2013年に学術書としてはめずらしくペーパーバックになっている。多くの人に読まれている証拠だろうか。そういえば、2年ほど前に来日したデレク・アトリッジ氏が「キャロルの本は読んだ?」と聞いていたことも思い出される。

2014/10/14

この詩を読んでわたしは泣いた

小さなKに ──2012年3月11日


あとどれくらい 地上(ここ)にいておまえを
小さなおまえを抱いていられるのか
あと何度 朝陽のなか なかば眠たげなおまえのオハヨウを
新鮮な炎のように
聞くことができるのか
あと何度 おまえの靴が窮屈になるたび
手をつなぎ
一緒に買いに行くことができるのか
おまえが五十歳になるとき
わたしは地上にはいない いや それどころか
おまえが二十歳になる日さえ あまりに遠い
おまえはその日 生まれたての
あの血まみれの赤ん坊とは 似ていないだろうけれど

おまえが死ぬ日
それがもし 老いのもたらす結果であるなら
わたしは喜ぶだろう
おまえの命が 残らず燃え尽きたことを
そしてそれがもし
不慮の事故や災害がもたらしたものであったとしても
やはりわたしは
いつかは
喜ばねばならないだろう
おまえが地上を駆け抜けたことを

そしてわたしはいとおしむだろう
おまえの瞳に映るはずだったすべてを
おまえが呼吸するはずだったすべてを

手をつないで歩いたときの
小さな小さな手の柔らかさを
消えない炎として
いつまでもいとおしむように
                
    清岡智比古『きみのスライダーがすべり落ちるその先へ』(左右社刊)より

*************************
詩集をいただいた。清岡智比古さんの『きみのスライダーがすべり落ちるその先へ』(左右社刊)だ。
 全編、スライダー、ストレート、カーブ、などなど野球の投球と思しきことばが編み込まれている。引用した詩は、ことばの変化球で勝負する詩人の、しかし、直球に近い詩と読める。最初、この詩を彼のブログで読んだときから、ボールはたしかにこちらの胸に届いていた。打ち返せないからストレートに胸にあたって、ちょっと痛かった。311から一年後のことだ。

 今回は詩集のなかで、ふたたびこの詩と出会って、そのページだけぱっくり口をあけて吸い込まれるような感覚を覚えた。ことばのボールが、ばしばしと飛んできた。胸にあたるまえに、素手でそれを受けとめたとき、ことばは確かな重みをもって胸に響いた。痛くはない。痛くはないが、涙を誘うのだ。胸の奥で。読み手のなかの遠い記憶をゆさぶり、くっきりと形を描きながら。
 後ろから駆けてきて、その子がするりと小さな手をこの手のなかに滑り込ませたときのことを。両手をつないで歩いた夕暮れのあのときのことを。見上げる澄んだ瞳。いずれ時がたてば・・・いずれ地上から失せて・・・でも胸のなかにあふれる思い。なにかに向かって跪きたくなるような感謝の気持ち──gratitude.

 清岡さんのことばのボールが弧を描いて蒼穹を渡っていく。時間軸を縦横に行き来することばたちが、あるときは春風、あるときは薫風、またあるときは微風となって、読む者の頬をさわやかに撫でていく。ときに秋風となって局所的に強く吹くことはあっても、決して、昨夜のような烈風にはならない。(台風19号の余韻のなかで。)

2014/10/09

パトリック・モディアノがノーベル文学賞を受賞

ラドブロークでの下馬評が2位から最後は1位にあがった、ケニアのグギ・ワ・ジオンゴでしたが、今年はフランスへ。Congrats!

 パトリック・モディアノ、1945年生まれ。

『パリ環状通り』を最初に読んだのはいつごろだったのだろう? 本棚の奥にあるはず。ちょっと探してみたけれど、あまりに埃がひどくて断念!
 Wikiで調べると、邦訳が出たのはなんと1975年。そうか、引越のたびに書棚に確認してきた本だったなあ──と思ったら、灯台下暗しで、いちばん手前にあった! 1975年8月24日発売、講談社刊。全194ページ。野村圭介訳。

 そうだ、「ルシアンの青春/Lacombe Lucien」という映画を観たこともあった。監督はルイ・マル、友達といっしょに観た白黒映画だ。
 自転車を押して田舎道を歩く主人公の背中が印象的だった。テーブルの上にばしっと置かれるおおきなパンの塊、パン・ドゥ・カンパーニュというのはこれか、というのもこの映画で知ったっけ。映画館はATGだったと思う。

 ルシアンの青春ならぬ、わたし自身にとっての青春に微妙に重なる作家だ。それ以後、子育てに追われたので、モディアノ作品との縁はふっつりと切れてしまったけれど。調べてみると邦訳がそれ以後、何冊も出ているんだ。そうだったのか。

2014/10/08

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの最新動画です



追記:2014.10.16──アディーチェの発言からの引用を少し。

話し合わないほうが、誰もが心地よいため、口にするのを避ける。
「故意の忘却」の結果、人は歴史を繰り返す。

2014/10/05

秋になるとムスタキが聴きたくなって

Ballade Pour Cinq Instruments par Georges Moustaki
(六つの楽器のためのバラッド/ジョルジュ・ムスタキ)



Pour faire pleurer Margot
Pour faire danser grand-mère
Pour faire chanter les mots
De ma chanson douce amère
Laisse glisser ton archet
Le long de la chanterelle
Donne-moi le la caché
Dans l'âme du violoncelle

Oh la flûte emmène-moi
Sur les rivages de Grèce
Là-bas elle était en bois
Et son chant plein d'allégresse
Oh la flûte pardonne-moi
Si je deviens nostalgique
Si je divague parfois
En écoutant ta musique

Posée contre ton épaule
Ton amie la contrebasse
Joue discrètement son rôle
Discrètement efficace
Je ne sais qui soutient l'autre
De l'homme et de l'instrument
Unis comme deux apôtres
Ou peut-être deux amants

Et sur les rythmes du coeur
Les tambourins les crotales
Font revivre les couleurs
De mon Afrique natale
Réveille-moi aux accents
Des pays que je visite
De ma vie qui va dansant
De ma vie qui va trop vite

Et je voudrais rendre aussi
Un hommage à ma guitare
Mon inséparable outil
Qui partage mon histoire
Qui m'aide à trouver les mots
De la chanson douce amère
Qui a fait pleurer Margot
Qui a célébré grand-père

ちょっと音が割れるのが残念ですが・・・

2014/10/01

つんのめるようなエンプティネス──「水牛のように」10月号

日中は暑いくらいの陽射しで、秋晴れの日がつづいたのは昨日までで、今朝は曇り、そしていまは雨が降っています。10月になりました。
「水牛のように」に今月も文を寄せました。タイトルは:

 つんのめるようなエンプティネス

中身は読んでのお楽しみ!

 10月から福島第一原発1号機の被いが撤去される、というニュースが流れています。つまり東京、神奈川近辺にも細かい粉塵がまた流れてくる可能性が高いということです。マスクを買い置きして、風の強い日はしっかり防御、洗濯物もできれば室内に干すほうが賢明かもしれません。とくに小さな子供の衣服などは・・・。

 それにしても、正確なニュースが流れなくなり、みんな少しずつ疲れてきて、気にするほうが病みそうだ、という気分が広がっているのでしょうか。でも、こんもりとしたキンモクセイの樹木からはずいぶん遠くまで香りが漂ってきます。なぜかそういう、植物や動物たちに励まされる秋。人間だって生き物のはしくれですから、愚かしい生き物に成り果ててはいるけれど、なんとか他の生き物にあたえるダメージを最小限に食い止めながら、ささやかに生き延びる手だてを打ちたいもの。

 香港からも、台湾からも、若い人たちのまっすぐなメッセージが届けられ、それに唱和する中国本土の若者たちの映像も facebook や twitter に流れてきて、励まされることしきりです。
 愚かしくも恥知らずな、この土地の為政者たちの姿に力萎えてばかりもいられません! 受け取られたメッセージには、いつだって、応答しつづけなければならないのですから。

 ひさびさにブログの背景画像や色遣いなどを変えました。背景の写真は、3年前にケープタウンへ旅したときに、内陸部へ向かった道中で撮影したブッシュのなかの羊です。
 なぜか、やり方を忘れてしまって、ブログタイトルの位置が中央にならない。あれ? ん? 誰か教えて!

2014/09/27

オースターとクッツェーの朗読をたっぷりと!

 ポール・オースターとJ・M・クッツェーの往復書簡集『ヒア・アンド・ナウ 往復書簡2008-2011』(岩波書店)が発売になりました。
 これで一連のクッツェーをめぐる仕事は一段落、といきたいところですが、11月のビッグイベントが待っています。アデレードで開催される Traverses: J.M.Coetzee in the World。さっそくこの訳書にも参加していただかなくちゃ。

 この本から著者2人が朗読している動画があります。クッツェーとオースターが、まるでパッチワークキルトのように、あちこちの部分をうまく繋ぎ合わせて読んでいきます。2014年4月、アルゼンチンのブエノスアイレスでのステージで、動画は三部構成になっています。どうぞお楽しみください。

その1


その2


その3


2014/09/25

Disgrace におけるクッツェーと「英語」その2

さて、その引用箇所である。原文は:

──He [David] would not mind hearing Petrus's story one day.  But preferably not reduced to English.  More and more he is convinced that English is an unfit medium for the truth of South Africa.  Stretches of English code whole sentences long have thickened, lost their articulations, their articulateness, their articulatedness.  Like a dinosaur expiring and settling in the mud, the language has stiffened. Pressed into the mould of English, Petrus's story would come out arthritic, bygone.(Disgrace, p117)

「感情」を表現する語を焼き払うよう推敲しているというクッツェーの文体に即して、できるだけ淡々と訳してみる。

──彼[デイヴィッド]はペトルスの物語をいつか聞いてもいいと思う。だが、できれば無理に英語にせずに。英語は南アフリカの真実を伝える媒体として不適切との確信は強まる一方だ。文のすみずみまで英語文法を適応させようとするあまり、文全体が濁って粘つき、明晰さを失い、明確に述べることも、述べられることもない。絶滅寸前の恐竜が泥土に足をとられたように、この言語は身を強ばらせている。ペトルスの物語も英語という鋳型に押し込められるや、関節炎を患い、古色蒼然たるものとなってしまうだろう。

 ここを初めて読んだときに思い出したのは、90年代初めに南アを訪れたある人のことばだった──タウンシップで黒人たちと話していて思ったの、英語で話をするんだけれど、そのときは真面目に、外向きの顔で、きちんと話そうとするのが分かる。でも内輪でズールーやコーサといった言語でくだけた会話をするとき、彼らの表情が変わるのよ。顔つきが、まるでNHK教育チャンネルから民放チャンネルに切り替わったみたいに、ぱっと変わるの。すごくリラックスした感じになる。

 このTVチャンネルの比喩は面白い。公式の表向きの言語と、本音が語れる親密な言語の違いをあらわす絶妙の表現である。大きくなってから学習して獲得した言語は、その人の個人史や環境によって重さ、位置づけなどはさまざまだ。旧植民地の先住系、元奴隷などの系譜の人たちが、仕事を得るうえで学ばざるをえない言語が宗主国の言語である。非インテリの人間にとって、それはどういうことか? 読者は想像する必要がある。
 南アフリカ、と一般化することの危険性をあえて承知で言うなら、ここでクッツェーが述べている「南アの英語」を媒介に、ルーリーのようなインテリ男が農民ペトルスとコミュニケーションしようとすると、英語(ペトルスにとっては仕事のための言語、解放前までは支配者から命令される言語)という分厚い皮膜を通した、歯がゆいものにならざるをえない。むしろ「ペトルスの物語」を聞くなら、その母語によって語られる、もっと本音が出た繊細なものとして聞きたい。細やかな感情を表現でき、本音の底まですくいとることが可能な言語で語られる物語を、と主人公は言っているのだ。たぶんコーサ語を母語とするペトルスの物語が「英語」に押し込められるなら、やりとりは細やかな感情の伝わりにくい、不完全なものにならざるをえない、と。

 作品内で登場人物に語らせながらも、ここにはクッツェーという作家の「本音」に近いものがちらりと見えはしないか。うわべを取り繕うことを忌避し、本来の対話が成り立つ条件にこの作家はこだわる。インタビューではそれはありえない、と。そこには、ことばで構築した信念によって生きてきた人間の不器用さも露出している。沈黙を読み取ることで真実を伝えたい、心を通わせたい、とするこの作家の根源的な願望が書き込まれてもいる。(上の引用箇所直前にある、ペトルスといると at home だという表現は、この白人インテリ男の善意/勝手な思い込みを描いているとも取れなくもないが、それはまた別の機会に。)
 上の引用は、したがって、南アという土地で歴史的条件を背負って個別の生を生きる人間たちを描きながら、クッツェー作品にとって普遍的な要素が深々と埋め込まれている、大いに注目すべき箇所なのだ。

「言語」と繊細な「表現」をめぐるクッツェーのこういった感覚、思想、立ち位置は近々刊行されるポール・オースターとの往復書簡集『ヒア・アンド・ナウ』(岩波書店)で詳しく語られることになる。現在74歳のクッツェーが、68歳から71歳までのあいだにポール・オースターに宛てて書いたこの書簡集では、手紙という形式によって、いよいよ本音に近い、率直な語りが展開される。自伝的三部作の『サマータイム』(インスクリプト)を書いていた時期とも重なり、まるでこの作品の種明かしのような話も出てくる。読者はこの作家の一皮も、二皮も向けた姿を垣間見る瞬間に立ち会うことになるはずだ。
 映画「Disgrace」でルーリーを演じるマルコヴィッチは「きみが言っていたようにミスキャスト」とオースターが明言していることも付け加えておきたい。

2014/09/24

Disgrace におけるクッツェーと「英語」その1

南アフリカ最大の文学賞である、M-Net 賞が一時中止になったと先日発表された。
 この賞は1991年に、それまでのCNA賞を受け継ぐものとして創設され、南アフリカ解放後に公用語となった言語で書かれた作品もまた対象としてきた。英語やアフリカーンス語だけでなく、コーサ、ズールー、ンデベレ、ソト、などいくつかの言語で書かれた作品も受賞対象だったが、それがなくなるということは、出版産業のなかでメジャーではない言語の文学には大打撃となる。これは想像にかたくない。
 これまで訳した作品との関連でいうと、2001年にゾーイ・ウィカムの『デイヴィッドの物語』がこの賞を受賞し、2005年にはズールー民族詩人であるマジシ・クネーネが、その生涯にわたる業績に対して受賞している。

 さて、この22ー23日、京都の立命館大学衣笠キャンパスで開かれた「世界文学 言語横断ネットワーク」の第一日目に参加してきた。最初のセッションのなかで、クッツェーをめぐる発表があった。それは『夷狄を待ちながら』と『恥辱』の関連性を、ランサム・センターが所蔵するクッツェーの創作ノートを参照しながら論じる興味深いものだった。
 発表者のKさんは南アにおける英語についてクッツェーが記述する部分にも注目していたので、わたしもひと言コメントした。コメントの内容はおもにドロシー・ドライヴァーが(かなり前に)発表した論文の情報から「南アでは英語を母語とする話者が減ってきているという統計」のこと、さらに、バンツー系の人たちが受けてきた教育制度のなかで英語がどのような位置にあるか(小学3、4年生までは個々の民族言語によって学習し、それ以後は英語で学習する)だった。そのとき言い足りなかったことをここで補足しておきたいと思う。

「英語は南アフリカでは at home ではない」というクッツェーのことばとも響き合うことだが、『恥辱』では「英語」をめぐってかなり突っ込んだ議論が展開される。それは「コミュニケーションの不可能性」と解釈されることが多く、そう聞くとなんとなく分かった気持ちにさせられてしまう。しかし、それで分かったといえるのか? とわたしなどはずっともやもやとした疑問を抱えてきた。「コミュニケーションの不可能性」という表現は、一見、的を射たものでありながら、むしろ、重要なことを見えなくしてはいないだろうか? それがどういうことか、と問うことを忘れさせてはいないだろうか? と思ってきたのだ。
 
『恥辱』では英語が人びとの暮らしのなかでどのような位置にあるかが具体的に述べられている。描かれているのではなく、主人公デイヴィッド・ルーリーの口を借りてクッツェー自身が述べているといっていいだろう。それを見て行くうえで、ペトルスという、母語も、民族も、階級も異なる一人の男と、英語英文学を教える主人公とのやりとりはきわめて示唆に富む部分である。
 ルーリーは52歳の元大学教授、英文学を専攻する。とくにロマン派の代表的作家、バイロンの研究をやっているという設定だ。(バイロンはクッツェーがテキサス大学時代に集中的に読んだ作家である。)セクハラを追求されて大学を辞め、娘ルーシーのやっている農場に身を寄せた主人公が、そこで娘の農場仕事を手伝っている男ペトルスと出会う。過去の社会構造と解放後の現在の人間関係を比較しながらつぶやくルーリーと、白人に奪われた土地の返還要求手続きを済ませたという農民ペトルスとのやりとりのなかに、南アにおける英語の位置が具体的に、端的に表現されているのだ。22日の発表でも引用されていた以下の部分は、わたしが「南アの英語」について大いに気になってきたことと深く結びついている。

つづく

***************
付記:さっそく日付の間違いを指摘してくださった方がいます。21-22日、と書きましたが、正しくは22-23日で、訂正しました。Sorry! & Merci!

2014/09/16

誕生日おめでとう! チママンダ!

今日はチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの誕生日。彼女は1977年生まれです。

 クッツェーの三部作に没頭しているうちに、彼女の長編『アメリカーナ』が出て、それが全米批評家賞を受賞して、またまたベストセラーになって、とにぎやかなニュースが流れました。
 新しいニュースを追いかけているうちに、そうか、今日はチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの誕生日だった、と気づきました。

 ここで、知る人ぞ知る、とっておきの情報を提供します。彼女はしばらく前にこんなサイトを立ち上げました。


 The Small Redemptions of Lagos

Home から We admire まで7つの部屋に分かれていますが、Ifem and Ceiling なんてのもあります。そう、『アメリカーナ』の主人公イフェメルとオビンゼの愛称、ニックネームのついたコーナーです。
 タイトルは、なんだろう、「ラゴスをちょっとだけ救出」とか「ラゴスのちょっとした取り柄」とか、いろんな意味が含まれていそうです。もともとは2012年のフランクフルト・ブックフェアでならべられた短篇のタイトルのようですが、内容はもちろんこの長編から取られています。
 
 『アメリカーナ』はナイジェリアからアメリカへ渡り、いろいろ苦労しながらも大学へ進み、さらにブログを立ち上げて成功した女性イフェメルが主人公。ここで繰り広げられるブログは、さて、これからどんな展開になっていくのでしょう。翻訳を進めながら、ちらちら、楽しみながら読んでいくことになりそうです。

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付記:2014.9.24──あらら、いま気づきました。アディーチェの誕生日は9月15日です。てっきり15日にアップしたつもりが、一日ずれていました。Sorry!

2014/09/14

今日は ハンス(Hans Faverey) の誕生日!


ふと思い立って、こちらに再掲載します。今日はスリナム(旧オランダ領ギアナ)生まれのオランダの詩人の誕生日。
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 菊の花たちが
 挿してある花瓶はテーブルのうえにあり、
 窓辺にある、が、それらは

 窓辺にあるテーブル
 のうえの花瓶
 の菊の花たち
 ではない。

 ひどくきみを悩ませ
 きみの髪を乱す風、それ

 はきみの髪をかき乱す風で、
 髪が乱れているときは
 そのためにもう悩まされ
 たくない、ときみが思う風だ。

 氷のように透明で明晰な詩を書いた詩人、ハンス・ファファレーイ(1933〜90)は1977年、第三詩集『菊の花たち、漕ぎ手たち』で掛け値なしの評価をえた。右の詩はその詩集に収められた同名の詩の冒頭である。オランダ領ギニア(現スリナム)の首都パラマリボで生まれたファファレーイは、五歳のときに母や兄とアムステルダムに移り、以来この地で暮らした。生地スリナムを去ったのはまだ幼いころで、その経験が作品内に反映されることはない。カリブ海出身について直接ふれることもきわめてまれだ。

 この詩人の情熱はもっぱらヨーロッパ文化から受けた遺産に向けられる。詩篇の多くは自宅のあるアムステルダムを背景にしているようだが、特定できるものは少ない。彼の詩にはローカル色の徹底した欠如がある。
 作品から詩人の日常を知ることもできない。だが彼自身が述べているように、自伝的なものは断片化され、集積されて詩の内部に忍び込み、豊かな連想をかき立てる。実際、ファファレーイの詩にみられるこの知的で地理的なコスモポリタニズムこそが、詩人の生地カリブ海の、クレオール文化のエコーを聞き取る場なのかもしれない。なぜなら、彼の描く風景は、切り離されながら彷徨う、移り住む者の眼差しを通したものだから。

 ファファレーイが旅に出るのはもっぱら学生のころから訪れたクロアチアだ。ここで後に妻となる比較文学者、レラ・ゼチュコヴィッチと知り合い、以来、夏ごとに訪れる地中海の風景が、時を超えたエーゲ海風景へと溶け込み、ホメロスやサッポーへのオマージュとして詩篇に織り込まれることになる。

 折りに触れて幾度もきみを愛さなければ、
 ぼくにはきみがまったく未知のものだから
 ぼくという存在の核とほとんど

 おなじくらい未知であり、それは
 ぼくの名前の記憶が、きれい
 さっぱりと消えたあとも

 永くつづく羽ばたきだ。ときどき、
 ふとわれに返ると、ぼくたちの家が
 さわさわと音をたてだし、大声で
 きみの名を呼びたい思いにかられるとき、

 ぼくは、この頭のなかにいるきみを
 ふたたび見つける、……

 これは88年の詩集『忘却にあらがい』所収の「甦った、ペルセポネ」の冒頭だが、ここにみられる「剥離する意識」はくりかえし彼の作品にあらわれる主題だ。自分はいったいだれなのか、どこにいるのか、このまま存在しつづけることが可能なのか。そんな不安を、意識の層を何枚も剥がしながら書き留めようとする姿勢がこの詩人にはある。
 事物の絶え間ない動きによって、いずれだれもが飲み込まれていく沈黙と忘却。それに抗うこともまたこの詩人のテーマとなる。「時を止める」ために用いる方法は「ゼノンの矢のパラドックス」のイメージだ。時間を小さく区切れば区切るほど、空中を飛ぶ矢の飛距離は短くなり、区切りを無限に小さくすれば時間は静止するという逆説。

 時を止めるいまひとつの方法として浮上するのは記憶だ。だが実際の出来事とその記憶はむろんおなじものではない。81年の詩集『光降る』の次の詩は、ハンスとレラがクロアチアの叔母の庭を訪問したときのものだ。

 記憶が、みずからの意思で
 したいことをするように、ぼくたちは
 いま一度かぶりつく、ほぼ同時に
 そろって、トウモロコシの畝
  
 のあいだで、彼女は彼女の
 杏に、ぼくはぼくの杏に

 これは記憶そのものが無情にも変化することを、痛烈に喚起する詩行である。
 動きによる腐朽を食い止める方法としてさらに、ファファレーイは哲学を取り込む。無我の境地へいたるための瞑想によって、おのれを世界から遠ざけるのだ。その思想の背景にはソクラテス以前、とりわけヘラクレイトスの影響が色濃くみられる。火を万物の流転の核とする苛烈な思想だ。たとえば先の「菊の花たち、漕ぎ手たち」の次の詩行。

 あらゆるものに内在する
 虚空は、現実に
 あり、かくも激しく動いて、
 やがて最後のことばの
 響きに混交する、

 (それはいま、唇を通過する
 ことを拒み)、まず唇を愛

 撫し、躊躇うことなく唇を
 抉る。……

 この詩篇の最終部がまた印象的で、ファファレーイの手になるとオランダでさえ、水路や畑がひどく不分明になっていく。

 徐々に──近づいて
 くる、八人の漕ぎ手
 たちは、しだいに内陸へ入り

 みずからの神話のなかに入り、
 漕ぐたびに、故郷から
 さらに離れ、力のかぎり漕ぎすすみ、
 水が消えるまで広がり、
 そして彼らは風景全体をへり

 まで充たす。八人は──
 さらに内陸へ漕ぎすすみ、
 風景は、もはや水が
 ないため、膨れあがる
 風景に。風景を、
 さらに漕ぎすすみ

 内陸へ、陸に
 漕ぎ手たちの姿なく、漕ぎ
 争われた陸となる。

 私がファファレーイを知ったのは J・M・クッツェー訳によるオランダ詩のアンソロジー『漕ぎ手たちのいる風景』のなかだった。出身地こそ南アフリカと違うけれど、クッツェーもまたオランダ系植民者の末裔である。彼はファファレーイを「その世代でもっとも純粋な詩的知性の持ち主であり、その詩は宝石のように美しく、本を閉じたあとも永く、エコーのように心に響く」と絶賛する。
 硬質な語と語のあいだに響く沈黙、そこに滲み出るもの──そんな魅力が、国境や言語を越え、時間さえも超えて、読む者の心を震わせるのだろう。

*英訳版の使用を快諾してくれたF・R・ジョーンズ氏、紹介の労を取ってくれたJ・M・クッツェー氏に深謝します。

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「現代詩手帖 2009年1月号」に書いた文章に少し加筆しました。
写真は、フランシス・ジョーンズ編訳のアンソロジー『忘却にあらがい/Against the Forgetting』(A New Directions Book,2004)。