南アフリカ最大の文学賞である、M-Net 賞が一時中止になったと先日発表された。
この賞は1991年に、それまでのCNA賞を受け継ぐものとして創設され、南アフリカ解放後に公用語となった言語で書かれた作品もまた対象としてきた。英語やアフリカーンス語だけでなく、コーサ、ズールー、ンデベレ、ソト、などいくつかの言語で書かれた作品も受賞対象だったが、それがなくなるということは、出版産業のなかでメジャーではない言語の文学には大打撃となる。これは想像にかたくない。
これまで訳した作品との関連でいうと、2001年にゾーイ・ウィカムの『デイヴィッドの物語』がこの賞を受賞し、2005年にはズールー民族詩人であるマジシ・クネーネが、その生涯にわたる業績に対して受賞している。
さて、この22ー23日、京都の立命館大学衣笠キャンパスで開かれた「世界文学 言語横断ネットワーク」の第一日目に参加してきた。最初のセッションのなかで、クッツェーをめぐる発表があった。それは『夷狄を待ちながら』と『恥辱』の関連性を、ランサム・センターが所蔵するクッツェーの創作ノートを参照しながら論じる興味深いものだった。
発表者のKさんは南アにおける英語についてクッツェーが記述する部分にも注目していたので、わたしもひと言コメントした。コメントの内容はおもにドロシー・ドライヴァーが(かなり前に)発表した論文の情報から「南アでは英語を母語とする話者が減ってきているという統計」のこと、さらに、バンツー系の人たちが受けてきた教育制度のなかで英語がどのような位置にあるか(小学3、4年生までは個々の民族言語によって学習し、それ以後は英語で学習する)だった。そのとき言い足りなかったことをここで補足しておきたいと思う。
「英語は南アフリカでは at home ではない」というクッツェーのことばとも響き合うことだが、『恥辱』では「英語」をめぐってかなり突っ込んだ議論が展開される。それは「コミュニケーションの不可能性」と解釈されることが多く、そう聞くとなんとなく分かった気持ちにさせられてしまう。しかし、それで分かったといえるのか? とわたしなどはずっともやもやとした疑問を抱えてきた。「コミュニケーションの不可能性」という表現は、一見、的を射たものでありながら、むしろ、重要なことを見えなくしてはいないだろうか? それがどういうことか、と問うことを忘れさせてはいないだろうか? と思ってきたのだ。
『恥辱』では英語が人びとの暮らしのなかでどのような位置にあるかが具体的に述べられている。描かれているのではなく、主人公デイヴィッド・ルーリーの口を借りてクッツェー自身が述べているといっていいだろう。それを見て行くうえで、ペトルスという、母語も、民族も、階級も異なる一人の男と、英語英文学を教える主人公とのやりとりはきわめて示唆に富む部分である。
ルーリーは52歳の元大学教授、英文学を専攻する。とくにロマン派の代表的作家、バイロンの研究をやっているという設定だ。(バイロンはクッツェーがテキサス大学時代に集中的に読んだ作家である。)セクハラを追求されて大学を辞め、娘ルーシーのやっている農場に身を寄せた主人公が、そこで娘の農場仕事を手伝っている男ペトルスと出会う。過去の社会構造と解放後の現在の人間関係を比較しながらつぶやくルーリーと、白人に奪われた土地の返還要求手続きを済ませたという農民ペトルスとのやりとりのなかに、南アにおける英語の位置が具体的に、端的に表現されているのだ。22日の発表でも引用されていた以下の部分は、わたしが「南アの英語」について大いに気になってきたことと深く結びついている。
つづく
***************
付記:さっそく日付の間違いを指摘してくださった方がいます。21-22日、と書きましたが、正しくは22-23日で、訂正しました。Sorry! & Merci!
この賞は1991年に、それまでのCNA賞を受け継ぐものとして創設され、南アフリカ解放後に公用語となった言語で書かれた作品もまた対象としてきた。英語やアフリカーンス語だけでなく、コーサ、ズールー、ンデベレ、ソト、などいくつかの言語で書かれた作品も受賞対象だったが、それがなくなるということは、出版産業のなかでメジャーではない言語の文学には大打撃となる。これは想像にかたくない。
これまで訳した作品との関連でいうと、2001年にゾーイ・ウィカムの『デイヴィッドの物語』がこの賞を受賞し、2005年にはズールー民族詩人であるマジシ・クネーネが、その生涯にわたる業績に対して受賞している。
さて、この22ー23日、京都の立命館大学衣笠キャンパスで開かれた「世界文学 言語横断ネットワーク」の第一日目に参加してきた。最初のセッションのなかで、クッツェーをめぐる発表があった。それは『夷狄を待ちながら』と『恥辱』の関連性を、ランサム・センターが所蔵するクッツェーの創作ノートを参照しながら論じる興味深いものだった。
発表者のKさんは南アにおける英語についてクッツェーが記述する部分にも注目していたので、わたしもひと言コメントした。コメントの内容はおもにドロシー・ドライヴァーが(かなり前に)発表した論文の情報から「南アでは英語を母語とする話者が減ってきているという統計」のこと、さらに、バンツー系の人たちが受けてきた教育制度のなかで英語がどのような位置にあるか(小学3、4年生までは個々の民族言語によって学習し、それ以後は英語で学習する)だった。そのとき言い足りなかったことをここで補足しておきたいと思う。
「英語は南アフリカでは at home ではない」というクッツェーのことばとも響き合うことだが、『恥辱』では「英語」をめぐってかなり突っ込んだ議論が展開される。それは「コミュニケーションの不可能性」と解釈されることが多く、そう聞くとなんとなく分かった気持ちにさせられてしまう。しかし、それで分かったといえるのか? とわたしなどはずっともやもやとした疑問を抱えてきた。「コミュニケーションの不可能性」という表現は、一見、的を射たものでありながら、むしろ、重要なことを見えなくしてはいないだろうか? それがどういうことか、と問うことを忘れさせてはいないだろうか? と思ってきたのだ。
『恥辱』では英語が人びとの暮らしのなかでどのような位置にあるかが具体的に述べられている。描かれているのではなく、主人公デイヴィッド・ルーリーの口を借りてクッツェー自身が述べているといっていいだろう。それを見て行くうえで、ペトルスという、母語も、民族も、階級も異なる一人の男と、英語英文学を教える主人公とのやりとりはきわめて示唆に富む部分である。
ルーリーは52歳の元大学教授、英文学を専攻する。とくにロマン派の代表的作家、バイロンの研究をやっているという設定だ。(バイロンはクッツェーがテキサス大学時代に集中的に読んだ作家である。)セクハラを追求されて大学を辞め、娘ルーシーのやっている農場に身を寄せた主人公が、そこで娘の農場仕事を手伝っている男ペトルスと出会う。過去の社会構造と解放後の現在の人間関係を比較しながらつぶやくルーリーと、白人に奪われた土地の返還要求手続きを済ませたという農民ペトルスとのやりとりのなかに、南アにおける英語の位置が具体的に、端的に表現されているのだ。22日の発表でも引用されていた以下の部分は、わたしが「南アの英語」について大いに気になってきたことと深く結びついている。
つづく
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付記:さっそく日付の間違いを指摘してくださった方がいます。21-22日、と書きましたが、正しくは22-23日で、訂正しました。Sorry! & Merci!