2014/03/17

それでも春はくる


 机に向かうと窓の向こうに、濃いピンクの花芽がちらちら揺れる。寒彼桜が一足早く咲きはじめた。今年もまた、ヒヨドリがやってきた。2羽そろって桜の木の枝を大きく揺らして、どこかへ飛んでいった。
 どんな災厄が襲ってきても、毎年、春はやってくるのだ。「春をうらんだりはしない」という詩を思い出す季節はやってくるのだ。

この3年、いったい「わたしたち」は、なにを失い、なにを得たのか。この3年、「わたしたち」は途轍もなく鍛えられた。それだけは間違いない。


 またやって来たからといって
 春を恨んだりはしない
 例年のように自分の義務を
 果たしているからといって
 春を責めたりはしない

 わかっている わたしがいくら悲しくても
 そのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと


あの有名なヴィスワヴァ・シンボルスカの詩(沼野充義訳)だ。今年もまた、この詩のことばを一行一行、噛み締める。

わたしが一番きれいだったとき/When I was most beautiful.


When I was most beautiful.




茨木のり子の代表作ともいえる詩「わたしが一番きれいだったとき」は、60年代にピート・シーガーが曲をつけて何人もの人が歌ってきたものだ。しかし、迂闊にも今日まで、そのことを忘れていた。この詩が英訳され、こんなふうに歌われているのを聴くまで。
 
 茨木のり子さんは、めったに詩集のお礼は書かないけれど、といって、わたしの三冊目の詩集『愛のスクラップブック』を読んだ感想をハガキに書いて送ってくれた人だ。とても嬉しかった。嬉しかったのに、考えの足りない、未熟者であるわたしは当時、それに適切な応答をする術を知らなかった。思えば、一生の不覚だ。
 それ以後、詩の世界と距離をおかねばならなかった事情もあったが、正直いって、そのような個人的事情よりも、むしろ、92年の、バブル崩壊後の日本社会に蔓延していた空気──バブルは崩壊したけれど、まだ現状維持が可能なのではないか、というファンタジー──のなかに、わたしもまたどこか安易で、不毛な、逃げ道を求めていたのかもしれない。

 もう一つ別のテイクがありました。おなじ女性の声ですが録音はこちらのほうがいいかも。



追伸:この動画で歌っている女性シンガーがだれかわからなかったので、facebook に質問投稿したところ、幾島幸子さんが調べてくれた。ピート・シーガーの姪、Sonya Cohen という人らしい。Muchas gracias!
  ちなみに、この歌、「デモクラシー・ナウ」のエイミー・グッドマンが来日して取材し、東京から発信した3つの動画の2つめ、沖縄の基地問題を論じたものの最後に流れた曲です。

http://democracynow.jp/video/20140115-1

2014/03/14

アディーチェの『アメリカーナ』が全米書評家協会賞を受賞

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの長編傑作『アメリカーナ』が全米書評家協会賞のフィクション部門を受賞しました。満面の笑みを浮かべるチママンダと編集者ロビン・ドレッサーです。おめでとう、チママンダ! 励みになるなあ、翻訳がんばらなくちゃ!


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2014.3.15付記:イギリス、アメリカのあちこちのメディアにアディーチェ受賞の記事が載っています。たとえばガーディアン。それで知りましたが、アフリカの作家が National Book Critics Circle/全米書評家協会賞を受賞したのは今回が初めてだそうです。これまでにトニ・モリスンなど、アフリカン・アメリカンの作家はいたけれど、アフリカ人は初めてだとか。まあ、Americanah は半分はアメリカを舞台にした作品だから、ある意味、アメリカ文学ともいえるかもなあ。

 しかし、その理論でいけば、J・M・クッツェーの『ダスクランズ』も70年代のヴェトナム戦争を推進する心理作戦を担当する男の話が前半だったから、あれも半分アメリカ文学ということになるな。1974年の出版だった。彼は「アフリカの作家」とか「○○の作家」といわれるのを徹底的に忌避したけれどサ。今日、あちこち調べながら三部作のあとがきを書いていて、その理由がはっきり分かったけれど。。。

2014/03/11

3.11 から3年目──tu fotografía/きみの写真

ペルーのシンガー、ジャン・マルコの歌う「きみの写真」。今日はこれを聴いてすごします。



歌詞と訳詞は、こちらへ。すてきです。
作家のHさんが facebook に投稿していた情報をいただきました。Muchas gracias!

Tu Fotografía by Gian Marco

2014/03/10

アンチ・アパルトヘイト・ニュースレター全号の「目次」完成!

昨年の暮れにお知らせした「アンチ・アパルトヘイト・ニュースレター」のサイトに、全号の目次ができました! ぜひ、活用してください。
 
 このニュースレターについては、ここで詳しく紹介しましたが、1988年から1995年まで、創刊準備号を含めて全86号が、毎月刊行されていました。日本の反アパルトヘイト運動の歴史を知るための絶好の資料です。元編集長の須関さんが、すべて手打ちで入力して作られた目次です。

 目次はここです。

2014/03/07

チウェテルの「チ」はチママンダの「チ」!

いやあ、名前の読みは難しい! 
 今年のアカデミー作品賞を受賞した映画「12 Years a Slave/それでも夜は明ける」の主演男優、Chiwetel Ejiofor の名前の読みはこれまで日本では「キウェテル」とされてきましたが、実は「チ」で始まる音です。ご本人が「tʃ」です、と言ったこともあって、日本版のWiki も「キウェテル」をやめて「チ」で始まる表記に訂正しよう、という動きが出てきました。Welcome!

この俳優はまた、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの原作『半分のぼった黄色い太陽』を映画化した同名の作品にも出ていて、オデニボを演じています。このブログではもっぱら原音に近い表記「チウェテル」を使ってきました。たとえばこのサイト、あるいはこのサイト

 チウェテル・エジオフォーは1977年にイギリスで生まれていますが、両親はアディーチェとおなじイボ人。奇しくも同年生まれのアディーチェの名前 Chimamanda/チママンダ、を見てもわかるように、イボ人には、Chi で始まる名前がとても多い。これにはれっきとした理由があります。

 「チ/chi」というのはイボ民族にとってはとても重要な意味をもつ語なのです。手元にある 「Igbo-English Dicitionary」(Yale University Press, 1998)によれば

「personal god; Guardian angel; spiritself; symbol of personal identity, autonomy, fate and destiny」

とあります。まあ、 その人の守護霊、守護神のようなもの、と考えていいのかもしれません。

Chimamanda の場合は、Chim=my god で、全体としては、My god will never fail. という意味です。直訳すれば「私の神は失敗しない」となりますが、fail には「落ちる、衰える、消える、弱る」といった意味もあるので、まあちょっと意訳ですが「わたしの神は倒れない」としてきました。
 
 さて、問題の Chiwetel ですが、これは「God brings」という意味だとか。「神がもたらす」というわけですね! ほかにも、Chi で始まるイボ民族出身の有名人がいます。あの「アフリカ文学の父」(この呼称にはさまざまな異論はありますが)といわれた、Chinua Achebe/チヌア・アチェベです。Chinua は Chinualumogu の略で、「May God fight on my behalf/神がわたしのために闘ってくれますように」という意味だとか。わーお!(といったことはすべて知人Mさんに教えてもらいました。)

というわけで、イボ語のにわか知識を総動員して書きましたが、1977年生まれの若手俳優、若手作家は、いまや欧米の映画界でも文学界でも(覚えやすいようにと)自分の民族名をヨーロッパ言語の名前に変えたりしない、誇り高い意識の持主たちです。誤った、というか、実際の音とは違う読みに対してはとても敏感なはず。にっこり笑いながら心の奥では「きちんと発音してくれ!」と思っていることは容易に想像がつきます。

 アカデミー賞受賞を機に、日本でも広く知られる俳優になると思われるチウェテル・エジオフォー。来日したとき、インタビュワーから「キウェテルさん」と呼ばれたら、きっといい気持ちはしないでしょうねえ。まあ、名前の読みは、ホントに難しいんですが、間違えながら修正していくしかないのでしょう。
 Wiki はだれもがアクセスして、ひとつの目安にするサイトです。ぜひ、これを機会に原音により近い表記にあらためられるといいなあ、と思います。

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2014.3.8付記──あらためて俳優ご本人の発音を聴くと、Ejiofor をエジオフォーといっているため、このブログ内の「エジョフォー」を「エジオフォー」に変えました。
 

1日早い「ハッピー国際女性デー」

ん?

Google のサイトに、なぜか、一日早くロゴに「ハッピー国際女性デー」の動画が出てきた。
国際女性デーは3月8日。さて、その明日はどうなるかな?  

2014/03/02

暗い日曜日はクープランで

春めいたと思ったら、また寒のもどり。いつものことだけれど。Sombre dimanche. 暗い日曜日。

 オーディオ装置が壊れたのでついに新調した。15年ぶりだ。これまで使っていたものとおなじDENONのもので、今回はレシーバーとスピーカーというシンプルな組み合わせ。20代に初めて買ったコンポとおなじだ。

 ところが、いざ音楽を聴いてみると、こっちの耳が軟弱になっているのか、どうも音が硬い。友人によると、心地よい音になるまで30時間くらいかかるそうだ。がんがん好きな音楽をかけて、装置自体をならす必要があるらしい。ふ〜ん、そうなのか。これまでそんなことを意識したことはなかったなあ、やっぱり聞き手の変化かなあ、などと思いながらいろいろかけてみる。

 最初はバッハの無伴奏チェロ組曲。軽いのりのマイスキーだ。それからグールドでバッハのパルティータをかけてみた。さらにフランス組曲。悪くはないが、最後のほうになると、耳がちょっと疲れてくる。

 そこで、ふと思い出してかけたのが、このクープラン。1991年の録音で、購入当時から何度もくりかえし聴いてきたCDである。これがいける! オーボエの音がじつに美しい。くっきりと立ちあがってくる。ファゴットの低音部も心地よく、何度もくりかえしかけることになった。

 外は小雨。気温もぐんぐん下がっていくが、室内はふんわり暖かく、しかし輪郭はシャープなオーボエの音色が響く。これで「暗い日曜日」は乗り切ろう。

 アレクサンドル・ヘモンの『愛と障害』を読む。これがめっぽう面白いのだ。明日のイベントも楽しみ。
 ヘモンといえば、そのむかし雑誌「ヴィレッジ・ヴォイス」に、カプシチンスキイの『黒檀』に対するピリ辛の評「Misguided Tour」を書いていたっけ。
 そういうことだったのか!

2014/03/01

へろへろOL時代 ──「水牛のように 3月号」

遠いむかしといっても「むかし」にはいろいろある。

「水牛のように 3月号」に「へろへろOL時代」を書いた。決して長くはない時間だったけれど、わたしの20代にとって重い記憶を残した経験だった。その後、何度も舗道を駆ける夢を見たほどだから。

 記憶の断片をつなぎあわせてひとつの物語ができても、必ずしもその物語が実際に起きた出来事によって成り立っているとはかぎらない。細部には無数の記憶違いや、あいまいな記憶をことばのピンで留めるためにフィクション化による書き替え、書き加えをすることがある。無意識にやっている場合もある。できるかぎり、意識化し、記憶する自分に批判的であろうとする人もいる。自分はどっちなんだろう、とふと思う。だが、自分の記憶に対する疑義と再定着化は、書いていて新鮮だ。

2014/02/22

「サマータイム」のユージン・マレーとヒヒ、そしてびっくり、第三作目の舞台は最初ケープタウンだった

日々、カンネメイヤーの書いたJ・M・クッツェーの伝記を再読して、クッツェーの自伝的三部作の「訳者あとがき」のためのメモや、作家の詳しい年譜を書いている。発見がたくさんあるけれど、ここに書いてしまうと、本が出たときの楽しみを削ぐことになるので、じっとがまん! でもひとつだけ。
 
今日はクッツェーが1977年に書いた「The Burden of Consciousness in Africa/アフリカにおける自覚という重荷」というエッセイを読んだ。南アフリカが輩出したアフリカーナの天才詩人にしてナチュラリスト(ここが臭いのだが)といわれるユージン・マレーの後半生を映画化した「The Guest」(1976)という作品の評だ。ユージン・マレーを演じるのが劇作家/俳優のアソル・フガード、監督がRoss Devenish/ロス・デヴェニッシュ。南アフリカ白人の自覚のありようにも、映画の作り方にも、なかなか手厳しい評だった。

 ユージン・マレーは薬物中毒で、トランスヴァールの農園にひきこもり、そこでこの中毒から脱しようと試みた時期がある。いったん中毒はおさまったかに見えるが、結局また逆戻りして、最後は銃で自殺することになるのだが、この時期、詩人は自然のなかに身を置いて、ヒヒを観察していた。そう、ヒヒ。
 
 なぜこれを読んだかというと、『サマータイム』の「マルゴ」の章に、ヒヒを観察するユージン・マレーの話が登場するからだ。ジョンが愛してやまないカルーの風景のなかで、従妹のマルゴにそのことを、ぼつりぼつりと語る場面だ。作中の時代も1970年代の半ばを想定している。


 1977年というのはまた、クッツェーが第二作 In the Heart of the Country が出版のプロセスに入ったので、次の作品を書き出した年でもある。実際に読者が目にする第三作は『夷狄を待ちながら』だ。しかし、クッツェーがそのとき書き始めたのはケープタウンを舞台にした暗い恋愛小説で、作風もエミール・ゾラばりのリアリズム。主人公はギリシア系南アフリカ人のマノス・ミリス、コンスタンティノープルの陥落について本を書いている人物だった、というから驚く。時期は革命戦争後で、ロベン島はもはやマンデラら政治囚が補囚されているところではなく、白人難民が国連の船に乗って国外脱出する場所になっていた。

 ところが、ある事件が起きた。そしてクッツェーはそのプランを断念する。ある事件とは、その年、つまり1977年に、黒人意識運動の中心人物、スティーブ・ビコが逮捕され、拷問死した事件だった、とデイヴィッド・アトウェルは書いている。そしてクッツェーが、場所も時代も不特定の架空の舞台を設定して書き始めたのが『夷狄を待ちながら』だったと。南アフリカの検閲制度がこの時期、作家にどのような作用をおよぼしたか。。。

 アトウェルはオースティンのランサム・センターでクッツェーの草稿を調べあげている南ア出身の学者で、『ダブリング・ザ・ポイント』というエッセイ集でインタビューアーをつとめた人だ。上のユージン・マレーの映画をめぐるエッセイもこの本に入っている。
 
 件のエッセイでクッツェーは、「天才」とはヨーロッパのロマン主義が創りあげたものだ、と書く。そして、このロマン主義思想の視点からポストアパルトヘイト社会を描いたのが『恥辱』なのだ、とアトウェルは語る。なるほど、バイロンだものな。ヨーロッパ中心のロマン主義の視点からは、現代の南アフリカという土地で生きようとする娘ルーシーの苦渋の選択の意味は理解できるわけがないのだ。あの作品はそのことを書いているのか。
 さらに、バイロンはクッツェーがテキサス時代に読みふけった詩人らしい、というのも数日前に読んだカンネメイヤーの伝記に出てきた。というふうに、あちこちみんな繋がっていくのだった。ふ〜ん。

2014/02/11

『現代思想 ネルソン・マンデラ特集』

現代思想 3月臨時増刊号──ネルソン・マンデラ総特集

さきほど届きました。厚い! 昨年12月5日に95歳で他界したネルソン・マンデラ元南アフリカ大統領の特集号です。マンデラ自身のことばもたっぷり含まれ、J・M・クッツェー、ナディン・ゴーディマ、ゼイクス・ムダら南アフリカの同時代の作家たちの追悼文、ナイジェリアの劇作家ショインカが80年代に書いたマンデラへのオマージュともいえる詩もあります。

 また、日本における反アパルトヘイト運動の中心人物であった楠原彰氏のインタビュー、ANC東京オフィスの専従スタッフだった津山直子氏と西アフリカの政治を専門とする勝俣誠氏(マンデラ歓迎委員会の副委員長でもあった)の対談、ジェンダーを切り口にした楠瀬佳子氏の文章や、鵜飼哲氏のインタビューなど、長期にわたり南アフリカに関わってきたそうそうたる人たちの文章が掲載されていて、非常に読み応えがあります。オバマ大統領のマンデラ追悼集会でのスピーチの訳や、音楽で透視する東琢磨氏の文章もある。
 
 わたしはクッツェーとムダのマンデラ追悼文とショインカの詩を訳し、ゴーディマの長い追悼文をクッツェーの文章と比較しながら紹介しました。80年代後半の日本の状況も書き込みました。充実した内容の目次を見てください。




 2月13日発売です。













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2014.2.14:付記──いろいろ興味深い論考やインタビューがならんでいるなかで、峯陽一さんの文章「闘いはわが人生」が秀逸です。政治家としてのマンデラ像が非常にクリアに立ちあがってくる。ANCという組織のトップとして、南アフリカ共産党員でもあったマンデラが、武装闘争を呼びかけたのちはテロリストと呼ばれ、「自由憲章」の実現を夢見て、多くの盟友とともに何を成し遂げ、何を成し遂げることができなかったか。南アフリカという土地を舞台に、1918年に生まれて2013年に没するまで、思想家というよりは飛び抜けてすぐれた政治家であったネルソン・ホリシャシャ・マンデラが生きた航跡。そのコンテキストがよく理解できる文章です。お薦めです。

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2014.2.15:付記のつづき──巻頭に訳出したJ・M・クッツェーの追悼文には「F・W・デクラークとともに──モラル上はるかに劣る人物ではあれ、彼もまた彼なりに、南アフリカ解放への貢献者なのだ──マンデラは・・・」とある。このデクラークをめぐる発言の真意はなにか? クッツェーはオースターとの往復書簡集でこう書いている。

「軍の将軍たちを蚊帳の外に置いたことはF・W・デクラークの功績だった。それはみずから劇的な制度改革に着手する前に彼が舞台裏でやったことだ。」

 これは、舞台裏でデクラークが南アフリカ国防軍を抑えておかなかったなら、あの国はクーデタが起きて内戦に突入したかもしれない、その危険を示唆しているように思えてならない。1980年代から90年代の騒然とした南アフリカを歴史的に見る冷徹な視線がここにはある。これもまたゴーディマとの際立った違いだろうか。

2014/02/09

Happy Birthday, John!──東京は雪です!

今日はジョン・マクスウェル・クッツェーの、74歳の誕生日。オーストラリアは夏。アデレードの今日の気温は25度。真っ白に雪化粧した東京は5度だ。

『少年時代』(1997)、『青年時代』(2002)、『サマータイム』(2009)を一巻にまとめた三部作のゲラを見ている。400字詰め原稿用紙にして約1500枚。少年ジョンが生きた南アフリカの1940年代から50年代という時代。ロンドンへ出ていったプロヴィンシャルの/田舎者の青年ジョンが志したアーティストへの道、日々の糧をえるためにした仕事、都会の孤独な生活で誰かと会話することさえないまま終る日々、そこから脱して米国へ渡り研究職につくものの、結局は南アフリカへ逆戻り。そして最初の小説『ダスクランズ』を発表する1970年代半ばまで。

虚構と事実の渾然一体となった作品には、J・M・クッツェーという作家が誕生するまでの内的プロセスを伝える、そっけないほど飾りのない、硬質な、宝石のようなことばがならんでいる。あるいは他者が外側から見たらこうだっただろうと想定したときの、情け容赦ない、強烈なことば。

 一方、2012年に出版されたJ・C・カンネメイヤーの伝記『A Life in Writing』には、この三部作と照らし合わせると、何が「事実」で何が「虚構」かが透かし見える、驚愕するような事実が書かれている。

 ジョン・クッツェーの三部作をもうすぐ日本語でお届けできるのが嬉しい。

 苦手な花粉の季節ではあるけれど、今日は雪で、花粉たちもやや鳴りを潜めている。雪道をざくざくと踏みしめながら、投票場まで足を運んだ。今日は、都知事選の日なのだ。
 クッツェー・ファンの方たちも、今日だけは「マイケル・K」にならわずに(笑)、投票場まで足を運び、せめて、マイケルにはあたえられていなかった「投票権」を行使しよう!!