2014/02/01

チママンダの真っすぐでパワフルなことば! うん、よく分かる。

このサイトに注目!


STAP細胞の画期的な製作方法を発見した研究の中心となった若い日本の研究者、
理化学研究所の小保方博士について「日本のメディア報道がいかに偏向しているか
(どのような研究かという事実をまず伝える報道の使命を放棄して、
研究者が若い女性であるという点ばかり、
些末な情報を加え、拡大して伝える)」と、
イギリス、フランス、イタリア、ドイツ、韓国、中国、台湾の記事と
比較して論じる谷本さんという方のサイトです。
一見の価値あり! 膨大なコメント。facebookに「いいね」が2.4万件!

この日本メディアの「偏向」の根がどこにあるか、もう一度よく考えてみたい。
そこで思い出したのが:

「男のエゴを慎重に扱うこと、野心はもっても男以上の成功をしないこと、
でなければ、男たちの脅威になるから・・・」
うまく立ち回って、そこそこに、うまくやりなさい、と・・・親たちが娘に言う・・・


アフリカ大陸にも、このアジア地域にも、地球上のどの社会にも、
程度の差こそあれ(この「程度の差」こそが、じつは、大きな問題なのだけれど)、
まだまだ蔓延しつづけるマチスモ=男尊女卑とたたかうための、
アディーチェからの、まっすぐで、パワフルなことばたち。

アディーチェは痩せすぎじゃないでしょ!
メディアに出るモデルが強要され、仕方なく受け入れている
「病的な痩せすぎ」ではないところに注目してね。
チママンダの写真は
「美は内面にある/Beautyisinside.com」というサイトからです!
Yes!


2014/01/30

今月の一曲/マリザ・モンチ

たまたま見ていたサイトで発見した、少しまえのマリザ・モンチの曲。Vilareho=「Village/村」という意味。なんか、いいなあ。彼女の声が。映像もいい。



Lyrics to Vilarejo :

Há um vilarejo ali
Onde areja um vento bom
Na varanda, quem descansa

Vê o horizonte deitar no chão


小さな村があって
いい風が吹いている
ベランダでゆっくりすれば
地平線が草原に横たわるのが見られる


Pra acalmar o coração
Lá o mundo tem razão
Terra de heróis, lares de mãe
Paraiso se mudou para lá


そして心が鎮められ
その世界は正しい
英雄たちの土地、母のかまど
天国がそこへ引っ越してきた


Por cima das casas, cal
Frutas em qualquer quintal
Peitos fartos, filhos fortes
Sonho semeando o mundo real


家々の上には石灰が
どこかに菜園には果実が
胸はたっぷり、息子は強く
現実世界に種をまく夢を見る


Toda gente cabe lá
Palestina, Shangri-lá
Vem andar e voa
Vem andar e voa
Vem andar e voa


だれでもが入れる場所
パレスチナ、シャングリラ
歩いておいで、そして飛んで


Lá o tempo espera
Lá é primavera
Portas e janelas ficam sempre abertas

Pra sorte entrar

そこでは時間が待っている
そこは春
扉も窓もいつでも開いてて
入ったらいいことがある


Em todas as mesas, pão
Flores enfeitando
Os caminhos, os vestidos, os destinos
E essa canção


どのテーブルにもパンがあって
花が飾られ
道があって、服があって、未来があって
そしてこの歌があって


Tem um verdadeiro amor
Para quando você for


ほんとうの恋がある
あなたが行くならいつまででも



MSさんが訳してくれました。感激!

2014/01/23

カミングアウトしたビニャヴァンガ・ワイナイナ

このところアフリカ大陸で勢いを増している、アンチ・ゲイの風潮に抗して、ケニア出身で、2002年のケイン賞受賞作家、ビニャヴァンガ・ワイナイナがこんな動画をアップしています。



 これは全6本のうちの1本です。

 さきごろナイジェリアで反ゲイ法に大統領が署名したり(14年の懲役!!!)、ウガンダで大統領が世界的な抗議のため一時ひっこめた法律を、国会議員たちが昨年12月にまた議会を通過させたり(死刑!!!!!  ヨウェリ・ムセゲニ大統領がふたたび拒否権を発揮したが.....)、このところアフリカ大陸全体に、目に見えたかたちの広がりをみせる「ホモフォビア」。これは子供たちの想像力をはばたかせるためには植民地主義とおなじくらい有害だ、とワイナイナが YOU TUBE にアップした動画で示唆している、と述べるのはこのサイト


 それに先立ち、英国の「ガーディアン」に記事が載りました。そこでワイナイナは、僕はパンアフリカにストだ、しょっちゅう訪問しているナイジェリアには、これまで通り行くつもりだけれど、それが「冒険」になってしまった、と述べています。彼はバード・カレッジのチヌア・アチェベセンターのディレクターで、昨年からケニアに戻りナイロビに住んでいるようです。この記事からは彼が自著『One Day I Will Write About This Place』には入れなかった、母親の臨終のベッドで彼が吐露する「short story」に飛べるようになっています。この話は心打たれます。

 ナイジェリア出身のチママンダ・ンゴズィ・アディーチェは、「ホモセクシュアルはヨーロッパ白人がアフリカに持ち込んだものだ、と主張する人がいるけれど、それは違う、アフリカにもずっと前からあったものだ、大事なのは愛だ」ときっぱり。

 ワイナイナについては、「神奈川大学評論」の3月刊行号に「アフリカのことをどう書くか/How to Write About Africa」という、彼の辛口エッセイが載ります。

2014/01/17

ビヨンセとアディーチェがコラボ

ひさびさにアディーチェの話題です。

 すでにあちこちで話題になっていますが、かのビヨンセが、昨年暮れにまったく予告なしに発表したニューアルバムに、なんとチママンダ・ンゴズィ・アディーチェのTEDトーク“We Should All Be Feminists”の一部が入っているのです。

 このトークについては、以前、このブログでも取りあげましたが、ビヨンセのアルバムには、そのときのチママンダの声そのものがフィーチャーされています。

 曲のタイトルは:Flawless.  11曲目です。YOUTUBE にビデオがありました。遅ればせながら、ここに貼付けます。

2014/01/14

大辻都著『渡りの文学』/マリーズ・コンデの魅力

マリーズ・コンデの本格的研究書『渡りの文学』(法政大学出版)が出た。

 研究書といっても、非常に明解かつ読みやすい文章で書かれているので、誰もがアクセスできる。そこがなんといっても嬉しい。この本の著者、大辻都さんの話を聞く会が昨日、下北沢のB&Bで開かれた。

 大辻さんは長年、マリーズ・コンデを研究してきた人だ。この作家は、カリブ海は小アンティーユ諸島に浮かぶ蝶々のような形をしたグアドループという島に1937年に生まれている。大辻さんはその島々にも何度も足を運び、著者コンデの生まれ育った場所も訪れている。昨日は島の写真のスライドショーから始まって、管啓次郎さんのテンポのいい司会で、マリーズ・コンデという作家とその作品の魅力が縦横に語られる会になった。

 まずマリーズ・コンデとはどんな作家か、という大辻さんの話があり、それからゲストの小野正嗣さんがコンデの作品を歯に衣着せず分析し(小野さんは小説家であるだけでなく、このマリーズ・コンデで博士論文を書いている研究者なのだ!)、さらに作家の性格や生きざまに大胆に突っ込みを入れた。小野さんのぶっちゃけた話しっぷりと大辻さんとの絶妙なやりとりが、じつに面白かった。

 管さんの訳書『生命の樹』からの朗読をはさんで、話はカリブ海出身の文学者たちとコンデという作家の位置関係や、1950年代末に、当時アメリカスの黒人たち誰もがあこがれた故郷「アフリカ」へ、実際に行ってしまったコンデってすごいという話になって、そこで「あこがれのアフリカ」のイメージは粉々に打ち砕かれ、アフリカ社会内で彼女が女として体験したであろう、さまざまな困難辛苦へと聴衆の想像力をぐいぐい誘った。

 とりわけコンデの最初の作品『ヘレマコノン』が書かれるまでの、マリーズ・コンデという作家が誕生していくプロセスの興味深さ。この作品をまず彼女に書かせた一筋縄では行かない「体験」と彼女の思想のせめぎあい、そこに作家コンデの核となるものが埋まっている。それはいまでは、誰もが一致する意見だと思う。だが、この作品、読解は一筋縄ではいかない。読み手の「アフリカ理解」がぎりぎりと問われてくるのだ。

 コンデがたんにカリブ海文学の作家におさまりきらないところを理解するには、彼女がギニア人と結婚してコートディヴォワール、ギニア、ガーナ、セネガルと移り住むことによって経験した「アフリカ」をどう位置づけるかが鍵になる。だが、まだまだ日本の読者は、わたしも含めて「遠い点景」としての「アフリカ」しかイメージできないところにいる。
 その部分がやわらかく耕されていくなら、つまり登場人物がひとりひとりの個性をもった人間としてイメージでき、その背景まで含めて作品全体が浮かぶようになれば、マリーズ・コンデの作品と彼女がたどった行路とその奇跡が具体的に見える視野が開けるかもしれない。
 1976年の出版当時はほとんど無視されたというこの作品、たしかに、そう簡単にわかってたまるか、といった表情をしている。1976年というのは、それほど作家の「書く現場」と読者の「机上」の距離が大きく隔絶していた時代だったのだと思う。


 しかし、それ以後のコンデの作品行為は『渡りの文学』というこの本のタイトルがいみじくも示す通りだ。カリブ海/グアドループ、ヨーロッパ/フランス、アフリカ/ギニアやセネガルなど西アフリカ諸国、そしてアメリカ合州国、を往還したマリーズ・コンデという作家の人生の奇跡は、18、19世紀の大西洋をめぐる三角貿易の地理的移動とかさなり、そのまま、人間の移動、文化的移植の経路ともかさなって、現代にいたっているのだ。その作品世界は掘り起こされるのを待っている宝物のような気がする。
 
イギリス文学、フランス文学、アメリカ文学といった枠をすべて取っ払って考えざるをえない人間の営みを、地理的にも歴史的にも、彼女の作品ははっきりと示している。だから、コンデを読むということは、その奇跡のうえに読者が自分を置いてみる試みとならざるをえないのだ。

 ようやく、時代がマリーズ・コンデの作品に追いついた、ということなのだろう。

 ついでに、昨年、コンデについて毎日新聞書いたコラムをここにリンクしておこう!


2014/01/10

キツツキを見た日

今日、葉をすっかり落としたこぶしの樹の幹を、キツツキがつついていた。最初、枯れ木と枯れ木をぶつけあうようなボツボツという音が聞こえたので、思わずあたりを見まわしたけれど、誰もいない。そして頭上に動くものが・・・

 みると体をまっすぐ縦にして、くすんだ灰緑色の幹と同色の鳥らしき姿があった。かなり高いところを長い嘴でつついている。たぶんキツツキだ。キツツキだとわかると、今度は、耳にコツコツと聞こえるから不思議、というか、耳から入る音をどう聞くかは、聴く者の先入観によって決まるのかもしれない。

 下から見あげるかたちだったので、頭のてっぺんが赤いかどうかまでは確認できなかった。
 でも、いつもなら2月に入ってから見かける鳥。早々とやってきたのか。なんとなく嬉しい。(カメラは持っていなかったので、写真はネット上のものを拝借しました。)

2014/01/04

誕生日にこんなプレゼント!



詩人のYSさんから、今日の誕生日にこんなプレゼントをいただきました。大好きなセザリア・エヴォラです。
 facebook がまる一日つながらなかったので、たったいま大勢の人たちからお祝いのメッセージをいただいたのを発見しました。このプレゼントもそうです。
 こういうふうに不都合が一日つづいて、夜になってぱっとサプライズに変化するというのも悪くない経験だなあ、と思いました。
 みなさん、どうもありがとうございました。

2014/01/03

2014/01/01

賀正/ポプラ通り12番から

あけましておめでとうございます。 

今年もどうぞよろしくお願いします。

ヴスターの町外れの、鉄道線路と国道に挟まれた住宅地に彼らは住んでいる。住宅地を走る通りには樹木の名前がついているが、樹木はまだない。住所はポプラ通り十二番。住宅地の家はどれも新しくて・・・・・・」──自伝的三部作第一部『少年時代』の冒頭。


 元旦からどさりと届いた、クッツェーの『少年時代』のゲラ読み。今年もまた、まずは、明けても暮れてもクッツェー漬けの毎日だ。

 ポプラ通り/POPULIERLN=Populier Laan/Poplar Avenue は、少年ジョンが住んでいたころ、まだ樹木は一本もない新興開発住宅地だった。2011年11月に訪ねたときは、写真のように、緑のおいしげる住宅街になっていた。


 春には、彼の自伝的三部作を店頭にならべなければ。ゲラ読み、あとがき、年譜、などなど、まだ作業は残っているけれど、それは訳者にとっては愉楽のときだ。
 ポール・オースターとの往復書簡集もある。これもまた楽しみな作業だ。そして。念願の詩集『記憶のゆきを踏んで』もクッツェー三部作とほぼ同時に完成する。さらにさらに、アディーチェの新作『アメリカーナ』も待っている。

 2014年、それは「ことば」が試される年かもしれない。ことばを使う人間が試される年でもあるだろう。あたうるかぎり意識の殻をやぶって。あたうるかぎり国境も、言語の壁も、押し寄せる偏狭なパトリの暴力も超え、伝え合う広々とした空間へ、「ことば」が人を誘うことができるかどうか。実りの年となることを祈って!


2013/12/31

反アパルトヘイト・ニュースレター、全ページがアップ


2013年がもうすぐ終る。今年はドリス・レッシング、チヌア・アチェベ、そしてネルソン・マンデラが逝った。来年早々にはそのネルソン・マンデラ追悼特集があちこちの雑誌に掲載されることだろう。1950年代にアパルトヘイトに抗して抵抗運動を組織したネルソン・マンデラとその仲間たち。たぐいまれな品格と、その意志と思想の強さで、27年という獄中生活を耐えた人は、南アフリカの抵抗運動、解放運動のシンボルとなっていった。

 日本でも古くは60年代初頭に、南アフリカの人びとと繋がろうとする反アパルトヘイト運動が芽吹いた。70年代初めにマジシ・クネーネが来日して当時の若者たちにあたえた「クネーネ・ショック」、それを契機に運動は着実に継続され、ネルソン・マンデラ解放時に最盛期を迎えた。この運動についてはもっと知られてもいいだろう。また当時の日本社会がどんなようすだったかも振り返ってみるのは悪くない。
 その運動のおおまかな歴史(日本各地に自発的につくられたグループがあり、それぞれに思い思いのかたちで展開された)を、東京のグループである「アフリカ行動委員会」の実質的中心人物、楠原彰氏がまとめたものがここで読める

 わたしが知っているのは80年代末、そのマジシ・クネーネというズールー詩人の叙事詩の翻訳で悪戦苦闘していたころからネルソン・マンデラが解放され、来日した時代のことだ。それについては中村和恵編『世界中のアフリカへ行こう』(岩波書店 2009)に詳しく書いたので、ぜひ。
 特筆にあたいするのは、日本における反アパルトヘイト運動が、それまでわたしが抱いていた「運動」のイメージを快く裏切ってくれたことだ。つまり、組織特有の束縛が一切なく、あくまで自発的個人の意思による活動の場として確保されていたのだ。これは60年代末の全共闘に端を発する運動がセクト化してやせほそり内向きになっていくのを学内でちらちら横目で見ていた者には、じつに新鮮だった。
 だから、集団がからきしダメというわたしのような人間もすっと入ることができた。つまり、あの運動は「あ、それ、わたしがやります!」と手をあげて事実やってしまう人間の集まりであり(そのなかでみんな力をつけた)、命令とか指令とか動員とか、上下関係とか、初心者とかベテランとか、先輩とか後輩とか、そういうものとは無縁だったのだ。人と人の関係が、いわゆる「縦系」の縛りから完全に解放されていた。

 きみもぼくもわたしもあなたも、来る者はこばまず、去る者は追わず。ほんの数年ではあったけれど、のびのびと、やりたいことをやらせてもらったように思う。自分の仕事ともリンクさせることができたし、大いなる学びの場として、また、面倒な人間関係もおなじ志を仲立ちにしてのりこえ、深めていけることも学んだ。だから、心地よく裏切られたり勘違いしたりしたこともあったけれど、恨みとか怨嗟とは無縁だった。世はバブルたけなわ、喧噪とは縁のないわたしの30代から40代にかけての例外的事件だった。

 先日、20年ぶりにそのころの仲間数人とテーブルを囲む会があった。同窓会などとは違って、すっとあの時期に戻っておしゃべりできて、さらに現在この社会で起きていることをも気兼ねなく話題にできた。そういう人間関係。これは貴重。
 運動の最盛期、東京を中心に活動していた「アフリカ行動委員会」は「あんちアパルトヘイト・ニュースレター」を毎月発行し、定期購読者に郵送していた。1987年の準備号を出した森下ヒバリ編集長から始まり、つぎの高柳美奈子編集長が第三種郵便にする努力を惜しまず、それを引き継いだ須関知昭編集長の超人的な遠路往復で、1995年まで全85号が発行された。その全ページがその須関氏の努力で「アーカイヴ」にpdf ファイルとしてアップされ、読めるようになった。

 当時はまだインターネットはなかった。ようやく小型のワープロが出まわってきたころで、紙面はそれを駆使して打った原稿をそのまま写植で起こして即印刷された。そのため、字間行間に独特のニュアンスが残る。購読料だけでやりくりしたので、経費上ざらっとした紙が使われ、当時はまだコピーも上質ではないため、滲みも多い。いまから見れば紙面は苦労がしのばれるものではあるが、わずか20年のあいだに、われわれを取り巻く活字媒体の変化は恐ろしいほど変化したことをも実証している。
 
 あのころの南アフリカと日本の関係がどうだったのか、バブルにわく日本社会の裏側で、南アフリカの解放運動を横目でながめながら、経済的に裕福になった不名誉な、恥知らずの「名誉白人」がどう振る舞ったのか。80年代に白人アパルトヘイト政権下の議員たちと「友好議員連名」なるものをつくり事務局長をやった当時の国会議員、のちに長らく東京都知事をやった人の名前も登場する。あの時代に若者だった人たち、子供だった人たち、そしていま社会の最前線で活躍する人たちが、なにを得てなにを失い、なにを引きずっているのか。
 いずれ、各号の「目次」もできるはずだ。そうなれば、もっと使いやすくなるだろう。これはまちがいなく貴重な記録だ。2013年大晦日の、わたしからのプレゼント。


 では、みなさま、よいお年をお迎えください。

*****
付記:2017.5.28──昨日開かれた「反アパルトヘイト運動と女性、文学」の場で、アフリカ行動委員会のニュースレターのアーカイヴが移設された先を知ったので、上のリンクをいくつか更新しました。

2013/12/29

J. M. クッツェー:ノーベル文学賞受賞から10年

facebook でクッツェー・ファンクラブと思われるアカウントが、2003年のノーベル文学賞授賞式のバンケットスピーチをアップしていました。ここにもアップしちゃおう!

 あれからちょうど10年。



 63歳のジョン・クッツェーです。スピーチの内容は、パートナーのドロシーとの会話から始まり、生きていたら99歳半になっていたはずの母親との、時間を超えた想像上のやりとりをつづった小話で、なかなか心にしみるものがあります。途中、会場ではどっと笑い声があがりますが、10年前にこの映像を見たときは、クッツェーが笑いをとっている、とちょっと子気味よい驚きがありました。
 ドロシーさんがなにやら笑っているのは、また、ジョンったら、作り話して・・・なんて思っているのかもしれません(笑)。

 でも、この小話、ちょうどいま、彼の三部からなる自伝的作品の第一部『少年時代』のゲラを読んでいる63歳の訳者には、なんだかしんみり心に響いてきます。

2013/12/27

アディーチェの新作短編が「ガーディアン」に

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの新作短編が「ガーディアン」に載っていました。

クリスマスの幽霊ものがたりです。挿絵がすごい!

 内容は、シンプルな、しかし、奥の深い話です。女の子の弟が鍵をかけて部屋にとじこめられている。その弟に対する母親の態度を(おまえの息子、という父親のことも)じっと観察する女の子。
 隣家に引っ越してきた若いカップル。奥さんのほうが、どうやら呪術を使う人らしく・・・最後は・・・これはぜひ、続きが読みたいな、と思わせる作品です。