2009/01/21

ゾーイ・ウィカム──「ディスグレイス」を「真夜中」に

南アフリカ出身の作家、ゾーイ・ウィカム Zoë Wicomb の短篇「ディスグレイス/Disgrace」を訳しました。1月22日発売の雑誌「季刊 真夜中 No.4」(リトルモア刊)に載っています。
(2009.6.28注記/「真夜中」に発表当時は「ウィコム」の表記でした。)

 主人公のグレイスが、なにやらディスグレイス(不面目)なことになってしまう話で、昨年、南アの出版社 UMUZI から出たばかりの短篇集「THE ONE THAT GOT AWAY」に入っています。クッツェーが表紙に賛辞を寄せています。

 ぜひ本屋さんで、ぱらりぱらりと!!
 

2009/01/17

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ──『半分のぼった黄色い太陽』

今年は、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの長編小説『Half of a Yellow Sun/半分のぼった黄色い太陽』を訳している。

 パレスチナではガザへの空爆から地上侵攻へ、どんどん死者数が増えて。死者は分かっているだけで1100人を越えた。民間人が7割、それも女性と子どもが多い。国連施設まで爆撃されて、小麦も燃料もない状態へ追い込まれている。
 暮れから、イスラエル人ジャーナリスト、アミラ・ハスの記事を訳してきたが、思うところあって、この辺で本来の仕事に専念したいと思う。

 いま訳している小説は、1967年7月から70年1月まで、アフリカのナイジェリアと呼ばれる土地で起きた、ビアフラ戦争がテーマだ。この戦争では、戦闘による死者が10万人、餓死者が50万とも200万ともいわれている。ものすごい数字だ。でも、小説はただただ「悲惨な話」を書いているわけではなく、そこで生きる人間の有り様が活写されている。統計上の数字にちらりと出て終わるものが、名前をあたえられ、顔をあたえられ、語ることばをあたえられる。
 
 若い作家が、祖父母、父母が体験した戦争を描く。ナイジェリアでは話題にすることがタブー視されてきた戦争を。それも女性の目から見た話として。そこが読みどころ。

2009/01/16

アミラ・ハス──空爆標的の実践

ハアレツ紙/Last update - 21:04 15/01/2009
アミラ・ハス

空爆標的の実務経験

マルク・ガーラスコはペンタゴンで7年間働いた。「私は空爆標的の実務をやっていました──空軍司令部の人たちに、どこに爆弾を落とすべきかを伝える仕事です。イラク戦争で。」その前はコソボで。2001年9月11日の米国防省へのアルカイダの攻撃によって、彼はたくさん同僚を失った。ペンタゴンでは、アルカイダとサダム・フセインのあいだに結びつきがあるかどうか、彼は質問された。「ないことは知っていました」と彼はいう。「なぜならサダム・フセインの動きを追跡することが私の職務でしたから」

それが、彼が幻想から目覚める始まりだった。そのとき彼は自分の任務が政治的なもので、軍事的なものではないことに気づいたという。イラク攻撃が開始される前に、彼はヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)へ立候補したが、自分には市民に被害をあたえないようにすることができると考え、ペンタゴンで働きつづける決心をした。バグダッドでサダムの像が引き倒された2日後、彼はペンタゴンを去った。HRWの代表としてイラクへ行き、新たな立場からその目で、初めて「本物の」爆撃を見た。その後も(2004年と2005年に)レバノンで、グルジアで、ガザで。
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略記/イスラエルは違法兵器をガザで使用?(旧:ロケット砲の赤い炎のなかで)
マルク・ガーラスコが、現在イスラエル軍が使用している兵器がどのようなもので、どこで、いつごろ、どのような目的で開発され、何という会社がつくったものか、具体的に名前をあげて述べている記事です。使用法が国際法違反といわれる白燐弾は、水に触れるとさらに激しく燃えるもので、米国のGeneral Dynamicsが製造。先週、国連運営の学校を直撃したのは、イスラエルの兵器産業と米国のアリアントという会社が2006~7年に開発したGPS(全地球位置把握システム)誘導の迫撃砲。イスラエル軍は誤差30メートルの誤爆だというが、ガーラスコは標的への誤差は3メートルしか起きないはずだと述べる。
 今回使われている兵器の多くが米国製で、冷戦期にロシアの戦車を破壊するために開発された古い兵器。新兵器も実験的に使用され、イスラエルの要請で米国が売った1000の新型爆弾GBU-39は、ボーイング社製。

 この記事は、それぞれの兵器が一般市民にどのような甚大な被害をあたえるか、といったことが具体的に述べられている。ガザ市内で医療にあたる人びとから得たハスの情報も、使われた兵器の具体的な殺傷力の激しさを示している。

 ガザ地区には、外部のジャーナリストを含め、彼のような第三者が入ることをイスラエルが禁じているため、外側からの観測および写真などによって、ガーラスコは判断しているが、その指摘による「イスラエルの武器使用の国際法違反」は極めて濃厚だと思える。詳しくは
↓
http://www.haaretz.com/hasen/spages/1055927.html

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2009/01/15

アミラ・ハス──パレスチナ人医師、治療中にイスラエル軍によって殺される

ハアレツ紙/ Last update - 07:30 14/01/2009
アミラ・ハス

パレスチナ人医師、治療中にイスラエル軍によって殺される

ガザの人権団体「ミザン」によると、ガザのジャバリヤ難民キャンプの28歳のパレスチナ人医師が、今週イスラエル軍の砲撃によって殺された。イスラエル軍ミサイルの標的となった建物から、負傷者を運び出している最中にだった。

彼の死によって、12月27日以降、イスラエル軍によって殺された医療関係者は7人になった、と人権団体は語った。

さらに、3つの病院と4つのクリニックが、この数日の銃撃によって損害を受けた、とパレスチナの情報筋はいう。

イッサ・サラーフ医師は、パレスチナ民間自衛サイービスのメンバーで、彼のチームが負傷者のいる建物に到着したのは、月曜の午後4時半すぎだった。その数分後、建物はイスラエル軍のヘリコプターが発射したミサイルの直撃を受けた。

住人たちは走って逃げた。最初のミサイルが、次々と落とされるミサイルで建物が破壊される前に、建物から避難しろ、という警告を意味することを知っていたからだ。

しかし全員が間に合ったわけではない。2発目のミサイルが直撃したとき、18歳の少女が殺され、2人の子どもを含む4人の住人が怪我をした。

サラーフは3発目のミサイルが直撃したときに殺された。彼の同僚もひとり怪我をした。その場から女性と4人の住人を避難させ、手当を受けさせようとしていたところだった。

一方、死んだ女性の23歳の妹と、20歳のもう一人の女性もまた、その建物に対するイスラエル軍の、続けざまの砲撃によって殺された。

ほかにも5人が怪我をした。

サラーフ医師の死は、負傷者をその場から移送するとき、パレスチナ人が直面している困難を際立たせている。

パレスチナの情報筋によると、昨夜までに、パレスチナの救急隊がイスラエル軍と調整して、負傷者を避難させることがほとんど不可能になっている地区が、少なくとも4つあるという。それは、ジャバリヤ、ガザ市近郊のサジャイエフ、トゥファフ、ゼイトゥンである。

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2009/01/14

アミラ・ハス──歴史はカッサムロケットで始まったわけではない

ハアレツ紙/Last update - 02:33 14/01/2009
アミラ・ハス

歴史はカッサムロケットで始まったわけではない

歴史はカッサムロケットで始まったわけではない。だが、われわれイスラエル人にとって、歴史はいつでもパレスチナ人がわれわれを傷つけるときに始まる。そのため苦痛が、完全に状況から切り離されたものになってしまう。われわれはパレスチナ人に、もっともっと大きな苦痛をあたえれば、最後には彼らも教訓を学ぶだろうと考えている。ある用語でこれを「成果」という。

しかしながら、多くのイスラエル人にとっては、その「教訓」が抽象的なままだ。イスラエルのメディアはその消費者に、情報ひかえめ、真実ひかえめの、厳格な食事療法を処方している。軍司令部の人間とその仲間たちのことだけはたっぷり含まれた療法だ。それは慎み深く、自国が達成した成果を自慢することはない──つまり、殺害された子どもたちや、廃墟のなかで腐敗していくその遺体、自国の兵士たちが救急隊員を銃撃したため血を流しながら死んでいった負傷者たち、さまざまな型の武器によってひどい怪我をしたため脚を切断された幼い少女たち、打ちのめされて辛い涙を流す父親たち、跡形もなく消し去られた住宅地区、白燐による激しい火傷、そして小規模移転──自分の家から追い出された何千何万という人たち、そしてこうしているいまも追い出され、命令によって家屋密集地域へ押し込められ、その地域はさらに頻々と狭くなっていき、なおかつ絶え間ない爆撃と砲撃にさらされていること、それが達成した成果だ。

パレスチナ政府が樹立されてからというもの、イスラエルの広報活動装置は、パレスチナ人がわれわれに見せかける軍事的な威嚇の危険性をおおげさに強調してきた。彼らが石から小銃に、火炎瓶から自爆攻撃に、路上の爆弾からカッサムロケットに、カッサムからグラッドに、そしてPLOからハマスに移ったとき、われわれは大声をあげて「だからいったじゃないか。彼らは反ユダヤ主義者だって」といったのだ。かくして、われわれは凶暴な行動にでる権利を得たわけだ。

イスラエル軍の凶行を可能にしたもの──それを表現するための正確なことばが私の辞書には見つからない──それは、着実に進められたガザ地区の隔離だ。隔離はガザ住民を、名前もなく住所もなく、さらに歴史もない──武装した男たちの住所を例外として──抽象的なモノに変えた。シンベトの公安警察によって決定された日付は別として。

ガザ包囲は、ハマスがガザ地区の警備機関を掌握したときに始まったわけではない。それが始まったのはギラド・シャリット(イスラエル軍伍長)が拘束されたときでも、ハマスが民主的選挙によって選ばれたときでもない。包囲は1991年に始まった──自爆攻撃が開始される前のことだ。それ以来、包囲はさらに巧妙に洗練されたものへと変形されただけで、2005年にピークに達した。
 
イスラエル広報活動装置は手際よく、恥知らずに事実を軽視しながら、(ガザからの入植地)撤退を占領の終了であると発表した。隔離と封鎖は、軍事的必須事項だと発表した。しかし、われわれは成人した男女であり、「軍事的必須事項」と首尾一貫した嘘が、国家の目標に与するものであることを知っている。その目標とは、二国家解決案を巧妙に阻むことである。この解決案は、1990年、冷戦の終了時に世界がその実現を一度は期待したものだった。完全な解決案ではないにしろ、しかしパレスチナ人はそのとき、この解決案を受け入れる用意があったのだ。

ガザは、その隣にある、平和を愛する小国、イスラエルを攻撃する軍事力などではない。ガザは、イスラエルが1976年に、西岸地区ともども占領した一地区なのだ。そこに住む人たちはパレスチナ民族の一部であり、この民族がその土地と故国を失ったのは1948年のことだ。

1993年(オスロ合意)、イスラエルはたった一度、世界に対して、われわれについて語られていることは真実ではないと告げる、またとないチャンスを得た──つまり、イスラエルは生来の植民地国家ではないこと、一民族をその土地から追放し、人々をその家から追放し、ユダヤ人を入植させるためにパレスチナ人の土地を強奪することが、国家としての存在の基本でも本質でもないことを告げるチャンスを、である。

1990年代に、イスラエルは1948年がそのパラダイムではないことを立証するチャンスがあったのだ。ところがイスラエルはその絶好のチャンスを逃してしまった。代わりに、ひたすら、土地を強奪し、人々を住んでいる家から追放し、パレスチナ人を隔離した飛び地へと追い込んでいった。そしていま、この暗くおぞましい日々にイスラエルは、1948年は決して終わらないと立証しているのだ。

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2009/01/13

アミラ・ハス──砲火と農地、ノーマンズランドに閉じ込められたガザ住民

ハアレツ紙/Last update - 08:07 13/01/2009
アミラ・ハス

砲火と農地、ノーマンズランドに閉じ込められたガザ住民

ガザ地区の周辺にある農業地域のなかで、多くのパレスチナ人が──いったい何人いるかは不明──イスラエル軍陣地に取り囲まれた小さな飛び地に、閉じ込められている。その飛び地を離れようとする者を、兵士は無差別に銃撃する、と彼らはいった。

彼らは、この地区にイスラエル軍が侵攻したとき、逃げることができなかったか、家に留まることにした人たちだ。しかし、親戚や、近くの町や村から、これほど長期間、切り離されるとはまったく思わなかっただろう。

そんな飛び地から断片的に入ってくる報告は、包囲されたパレスチナ人が次第に水、医療品、食料の窮乏に苦しめられていることを示している。少なくともジャバリヤの東にある飛び地には、薬が切れてしまったガン患者が1人いることを、ハアレツ紙は知っている。別の飛び地では、そこから糖尿病の患者と高齢者を避難させる試みが失敗に終わった。そこを離れようとする者を、飛び地を取り囲むイスラエル軍部隊が無差別に銃撃するのだ。

外部から完全に断ち切られ、ほかの飛び地とも、数キロ先の親戚との連絡も、まったく途絶えてしまった人たちもいる。たとえばベイト・ラヒアの北、シーファでは、ある包囲された地区の家屋に住む1人の女性とその息子が生きているのか、死んでしまったのか、親戚も隣人も知る手段がまったくない。彼らの要請によって、ハアレツ紙は、HaMoked(個人の権利防衛センター)と他のイスラエル人権団体に助けを依頼した。

HaMokedは包囲された人々の幾人かと連絡をとり、イスラエル軍と調整して、シーファに閉じ込められている約120人に食料の配達を手配しようとした。

日曜日にごくわずかな備品、医薬品、食料が配達されたが、イスラエル軍の一時的な砲撃停止が終わったため、配達は途中で中断された。

イスラエル軍は、閉じ込められた人たちの親戚に、ロバの引く荷車で品物を運ぶよう強要した。

配達を急ぐため、家族はもう1台の荷車を馬に引かせるよう、イスラエル軍と話をつけた。ところが、荷車がトラックに近づいたとき、兵士たちが馬を銃撃して、殺したという。

イスラエル軍の砲弾によって怪我をした、高齢の女性2人と4人の子どもを含む約20人のアル=アイディ家の人たちは、この週末に家から避難した──砲撃を受けてから1週間もすぎていた。彼らが怪我をした翌日、「赤十字」と「人権のための医師団」が病院へ避難させようとしたが、できなかったのだ。

一週間たち、ようやく救急の努力が実を結んだとき、救急車はガザ市の南東にある彼らの家に近づくことができなかった。家がイスラエル軍の陣地と銃撃目標のあいだにあるためだ。彼らは約2キロの道を歩かなければならなかった。

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2009/01/12

アミラ・ハス──死者の統計数に入らないよう、全力をつくすガザ住民

ハアレツ紙/Last update - 05:25 12/01/2009
アミラ・ハス
死者の統計数に入らないよう、最善をつくすガザ住民


昨日午前8時45分、ムスタファが電話をかけてきて、家を離れたという。8時10分、車を所有している、勇気ある友人に電話して、子どもたちを車に乗せ、北へ2キロ離れた、ガザ市近郊リマルにある義理の弟が借りたアパートへ連れていったのだ。義理の弟がそのアパートを借りたのは一週間前、ガザ市北端の自家から家族をつれて逃げだあとのことだ。ガザ市北端は爆撃、銃撃地帯だ。いまでは2部屋のアパートに15人が住んでいる。もちろん水はない。とにかく肝心なのは爆撃音が少しでも小さいことなのだ。

(爆撃が開始されて)15日がすぎて、シェイク・アジリーン地区へ戦車が入ってくるプレッシャーに彼らは耐えられなくなっていた。夜中、絶え間なくつづく銃撃音、海から撃ち込まれる迫撃砲。ヘリコプターからどさりと投げ出され、人々に家から出るよう呼びかけるパンフレット──それもまた神経を逆なでする。しかしなんといっても恐ろしかったのは、近くのアパート群に撃ち込まれたミサイルだ。近所の人が何人も殺され、そこにはヤセル・アラファトの公式フォトグラファーと、その一家も含まれていた。

昨日まで、ガザ市内の通りは逃げ出す人々でごったがえしていた──さえぎるもののない畑と農家のあるシェイク・アジリーン地区からも、人は逃げてきた。ハマス銃撃隊とイスラエル軍兵士のあいだの戦闘が起きている地区だが、その周辺の地区からも逃げてきていた。だれもが家財道具を運んで。

こうしてムスタファとその家族は、日増しに増加する、被退去者の統計数字に新たに加えられたわけだ。そのうち比較的少数の2万人が、UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の学校へ避難し、それよりはるかに多くの人たちが、ガザ市、ラファ、ハーン・ユニス、ベイト・ハヌーン、そしてヌセイラト難民キャンプの、親戚や友人のところに身を寄せたのだ。

軍部は「人口密集地域」とされるエリアをじりじりと内部へ押し込めている。その周辺地区を「一掃しながら」──まず農地、そしていま農地の周辺の地区を──人々をさらに狭い領土へとどんどん追い込んでいるのだ。

死者をすべて数えあげることは難しい。しかし、家族全員が殺されたという報告はいくつもある。おなじ家族の人間が多数殺された例は、とりわけ住民が追い立てられた地区の周辺地区で多い。住民は死者の統計数に入れられないよう、全力を尽くしている。

先週の木曜日、午後3時40分、医療班が瓦礫のなかから4人の遺体を引き出した──そのうち3人が子どもだった──ベイト・ラヒヤの南西にあるアタトラ地区でのことだ。報告によると、4人は死後数日たっていた。金曜日の午後3時30分、無人飛行機がジャバリヤのファイズ・サルハの家に、警告のためのミサイルを撃ち込んだ。家族は、さらに大きな迫撃砲が2分後に撃ち込まれる前に、すぐに家屋から外へでることができず、家族6人が殺された。

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2009/01/11

アミラ・ハス──PAがガザ侵攻に抗議する人たちを追い散らす

ハアレツ紙/2009.1.11
PAがガザ侵攻に抗議する人たちを追い散らす・・・金曜日、ラマラ住民は衝撃を受けた。イスラエル軍のガザ侵攻に抗議する人たちを、パレスチナ自治政府の警察が催涙ガスと警棒によって追い散らしたのだ。

 →この日のデモについてはこちらへ、詳細なようす、アミラ・ハスとの会話も

ガザの戦闘地帯での暮らし・・・イスラエルとの境界に近い新しい墓地へ行くことを妨げられて、増える一方の死者を古い墓地に埋葬することを余儀なくされている。

2009/01/10

『夷狄を待ちながら』──最終章はいらない?

年末の2日間、J・M・クッツェーの出世作『Waiting for the Barbarians/夷狄を待ちながら』を再読した。最初に読んだのは、キングペンギン版のペーパーバックで、『Life & Times of Michael K/マイケル・K』といっしょに2冊まとめて読んだときだから、ほとんど20年ぶりだ。

この小説は「帝国」と「夷狄/野蛮人」という二項対立で語られることが多いが、今回あらためて通読して、いくつも発見があった。そのひとつが、主人公である初老の執政官の、男としての性的欲望の描かれ方に関するものだ。『Disgrace/恥辱』の、やはり初老の主人公の場合のそれと、重なったり、ずれていたり。そうか、70年代後半(作家は30代後半)に書かれた作品ではこんな風だったのが、90年代後半(50代後半)ではああなるのか、と非常に興味深く読んだ。もちろん架空の帝国およびその植民地とポストアパルトヘイトの南アフリカという背景の違いも大きい。

 再読のきっかけは、5、6歳年上のある男性作家から「最後の章は要らないのじゃない?」という問いを受けたことだ。そのときは返すことばに詰まった。質問の内容を作品に照らして具体的に考えるための情報が、私の頭のなかから消えていたからだ。いくら好きな作家の作品でも、20年前に読んだものの細部までは覚えていない。今回しっかり読み直して気づいたのは、終章は要らないどころか不可欠のもので、作品全体にくっきりとしたパースペクティヴをあたえていることである。それが確認できたのは大きな収穫だった。
 
 物語の概要はこうだ。架空の帝国が支配権をもつ辺境の植民地(季節の移り変わりと月の関係からみて北半球を想定)で執政官を長年勤める主人公(名前はない)のところへ、夷狄の襲来を懸念する帝国の第三局(ロシアの秘密警察を想起させる)から、ジョル大佐という人物が派遣される。そして夷狄狩りが始まる。ジョル大佐率いる部隊に連行されてきた夷狄は、人間以下の扱いを受け、尋問され、拷問を受ける。
 父親を殺され、自分も両足を潰され、視野も狂って、仲間に置き去りにされ、物乞いをする夷狄の娘を街から拾ってきた執政官は、自分の本来の職務は法と正義を行うことにあるはずだ──と、ジョルの行為や自分の立場をあがなうかのように、娘の足に油を塗り、撫でさすり、寝床をともにする。しかし性交に至ることがない。これまで女をつぎつぎと渡り歩いてきて何の疑問も持たなかった主人公は、そこで、自分の性的欲望について熟考することになる。
 旅籠屋の女たちに対しては何の問題も生じない。女を「欲望することは彼女を掻き抱き彼女のなかに入ることを意味する、彼女の表面に穴を穿ち、その内部の静まりを掻き混ぜて恍惚の嵐を起こすこと、それから退き、終息し、欲望がふたたび結集するのを待つ。ところが、この女はまるで内部などないかのようで…」(p43)と作家は男の性的欲望について詳らかに言語化する。これはそっくり、新しい土地(いみじくも「処女地」などという語が使われたりする)に対して帝国が抱く野望や欲望と重なるもので、ある種のアナロジーとも読める。

 主人公にも、褐色の肌の夷狄の女にも、名前があたえられることはなく、作中で名前があたえられるのはわずか3人。ジョル大佐、青い目のマンデル准尉(夷狄の娘を仲間に返してきた主人公を逮捕して拷問する)、そして旅籠屋の料理女メイである。料理女は最初登場したときは名前がない。その息子が獄舎の主人公に食事を運んでくる場面はあっても、母親のほうに名前があたえられるのは物語が終盤に入ってからだ。これは読んでいていささか唐突な感じさえする。それまで影のような、顔のなかった人物が突然、表情をもった固有の人物に変わって、主人公の前にあらわれるのだから。

 しかし、このメイは最終章できわめて大きな役割をはたす。主人公の語りを「聞く相手」──相対化の視点を運び込む役──として、さらに、主人公にはついに聞き取れなかった「夷狄の娘のことば」を伝える者として登場するのだ。つまり、夷狄をめぐる嵐のような一年の出来事:ジョルの到来、夷狄の捕獲、娘の返還の旅、主人公の逮捕、さらなる夷狄狩り、拷問、ゲリラ戦で消耗した軍の破滅、大挙して逃げ出す住民たちのエグゾダス、残された少数の人々との暮らし──といったプロセスが、おもに主人公の内面で生起することば(幻想/妄想も含む)によって展開されるわけだが、その時間の経過を相対化する視点が、この終章で入るのだ。そのことで主人公の経験と、その結果彼に起きた変化が、ひとつの俯瞰図のなかにくっきり見えるようになる。
 したがって、終章はまさにエピローグとして機能し、物語はクライマックスで終わることなく、頂点を冷静に見つめる視点で終わる。そして視界は一気に見通しがよくなるのだ。これはクッツェーのすべての作品にいえる、きわめて重要なポイントかもしれない。この章を読んでいて私はクッツェー作品を読む醍醐味を味わうことができた。

 さらに思い出すのは、3部構成の『マイケル・K』をめぐる、あるインタビューだ。クッツェー作品の本質を考えるうえで示唆的なやりとりである。
 第3部は不要ではないか、というインタビュアーの問いに対してクッツェーはこう答えるのだ。「この本が第2部だけで終わるなら、それは明らかに責任回避になります。この本から、Kが、天使として立ちあらわれないことが重要なのです」(FROM SOUTH AFRICA, Chicago Univ.,1988──p457)

2009/01/09

ガザ侵攻へ抗議する人たち──世界各地の写真(2)

ガザ侵攻へ抗議する人たち

上から順に、ロンドン、イエルサレム、ヨルダン川西岸ラマラに近いビリン村、オークランド(NZ)──1月7日と8日。

アミラ・ハス──イスラエル軍は民家にまず犬を送り込み、それから兵士が

w w w . h a a r e t z . c o m
ハアレツ紙/Last update - 05:59 09/01/2009
アミラ・ハス

イスラエル軍はガザの民家に、まず犬を送り込み、それから兵士が

パレスチナ人たちがいうには、イスラエル兵は戦車のなかに残っていて、最後の最後に、ガザの住居に乗り込んでくる。「兵士たちはわざわざ戦車から出て、われわれの家に入ってくることはありません──先に犬を送り込んでから、その地域を一掃するんです」とガザ北部の家から強制退去させられたパレスチナ人たちはいう。

Mは、ジャバリヤ難民キャンプの住人で、ハアレツ紙にこう語った。「軍はすごくゆっくり動きます。戦車が家々に近づくと、そこで彼らは犬を送り込みます。もしもその家が3階建てなら、3匹の犬を送り込むんです。犬は片方の足にカメラを装着されていて、もう一方の足にウォーキートーキー(携帯用の送受信両用の無線電話機)を装着されています。そうやって、犬に家のなかにあるものを伝達させています。それから、戦車が塀に乗り上げ、入口のところまで近づき、そこで兵士が戦車から出てくるんです」

Mによれば、兵士が入っていっても、女性と、子どもたちと、高齢者しかいないという。50歳以下の男たちは全員、拡声機で、学校へ集まるよういわれたからだ。

「国連が避難場所として開設した学校へ行ったり、モスクに身を隠すのを、みんなものすごく恐がっています。イスラエル軍がそこも爆撃するからです」とMは言い足した。

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今日のもう一つのハスの記事は:「人権グループが負傷したパレスチナ人への医療アクセスを要求」

学校への砲撃は誤爆──イスラエル軍将校が認める

01:55 UN: IDF officers admitted Gaza school shelling was by mistake (Haaretz)

  ガザの学校への砲撃は誤りだった、とイスラエル将校が認めた。

イスラエルの新聞「ハアレツ紙」が「フラッシュニュース」で伝える情報です。
↓
http://www.haaretz.com/