これも記録のために書いておく。
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4月18-19日にまずウェスタンケープ大学で開かれたコンフェランスの記録が、雑誌 English in Africa Volume 52, Issue1-2 にアップされている。発表された論文のなかでは、キャロル・クラークスンとハーマン・ウィッテンバーグのRe-readingDusklands、デイヴィッド・アトウェルのDusklands and the Postcolonial Turn あたりがおもしろそうだ。
クラークスンとアトウェルはオランダやイギリスの大学で教えていたが、現在はケープタウンに戻っている。この常連たちにつづいて、若手研究者の論文がならぶ。概略はそれぞれのリンク先で読めるが、本文は購読手続きが必要だ。
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だが出版元のレイバン社はそれを採用せずに、田園風景をぼんやり遠くから描いた絵を使った。1974年の南アフリカの読者層を考えると、あるいは、検閲制度を考えると、どういうことだったのか、あらためて考えざるをえない。というよりも、植民地主義をどう考えるか、クッツェーという作家の仕事を、50年というときの経過から考えるとき何が見えてくるか、ということなんだろう。
1974年、アパルトヘイト政策が開始されて26年、クッツェーは34歳。
1994年、アパルトヘイト撤廃、作家54歳。
2024年、『ダスクランズ』発表から50年、作家84歳。
アデレードで開催されたコンフェランスは、もっぱら文学理論上のテーマなどでクッツェー作品を分析し論じる会だったようだ。アデレード在住のクッツェーは出席者たちに、3年後に『その国の奥で』50周年なんてのはもうやらないでほしい、と釘を刺したらしい。ふ〜ん、やっぱり。62歳でオーストラリアへ移住したクッツェーが、自分はそれほど南アフリカから遠ざかったわけではない、と言ったのをまた思い出してしまうな。
先日はベルギー、オランダ、スペイン、ポルトガルなどを訪ねた長旅の最後に、南アフリカを再訪して、ステレンボッシュ大学のNobel in Africaで
アブドゥルラザク・グルナたちとステージに上がっていたっけ。