J・M・クッツェーが、またまた旅に出るようです。旅に出て、そこに長く滞在せず、またすぐ旅に出る。これはもう「草庵に暫く居ては打ち破り」の俳諧師、松尾芭蕉そっくりです。78歳の現在、残りの生涯を「一所不在」としたのでしょうか。すでにそうなっていますね。
これは、クッツェーの名前が冠せられた、この都市の暮らしをテーマにした若者向けの短編集コンテストが今年で第4回を迎え、その授賞式にやってくるということですね。
それから、10月9日(火曜日)に、シカゴ大学でGrowing Up with The Children's Encyclopediaという講演をするようです。「子供向け百科事典とともに成長して」あるいは「子供向け百科事典とともに成長すること」でしょうか。面白いですねえ。この作家がいま注目するのは若者や「子供」です。古巣のシカゴ大学には社会思想委員会のメンバーとして元同僚で、アデレードのシンポで基調講演をしたジョナサン・リアがいました。
ポルトガル語版「学校時代」 |
『イエスの幼子時代』に出てくる少年にはセルバンテスの『ドン・キホーテ』があたえられます。『イエスの学校時代』も2年前に出したいま、少年と百科事典の関係をどんなふうに話すのでしょうか。
数年前に南アフリカの、たしか、ヴィッツ大学の大学院修了式で大学院を終えた学生に対してクッツェーは小学校教師になることの意義を説いて、経済的な上昇志向の強い人たちからブーイングを飛ばされました。だって、修士課程を終えて経済界や他分野に進む意気込みでいる男子学生に、幼い子供とともにいることはその人のためになる、といったんですから。これは印象的、というより、ちょっと驚きです。
スペイン語版「学校時代」 |
とにかく、現在のクッツェーは自分の人生を振り返って、最重要なことを残された時間にやろうとしてます。まるで「イエスの連作」という「死後世界(あれは afterlifeと著者みずからがスペインのイベントで語っていました)」で5歳の少年ダビドを育てる初老の男性シモン(クッツェーの分身)のように。クッツェー自身が、若くして他界した自分の息子ニコラスを育て直しているように思えてなりません。連作は、自分の子育ての方法はどうだったのか、とみずから自問、自省しながら、ことばを紡いでいくプロセスと見えてしまいます。もちろんフィクションですが。