東京新聞火曜日の夕刊に隔週で掲載されるリレーコラム「海外文学の森へ」が始まったのは2021年1月だった。早いもので、あれから2年半が過ぎて、すでに63回 。
今回は2023年9月5日夕刊に、「アメリカ小説界の静かな巨人」と言われるリディア・デイヴィスについて書いた。岸本佐知子さんの翻訳で『ほとんど記憶のない女』『話の終わり』『分解する』『サミュエル・ジョンソンが怒っている』の順に、単行本として出版されたものが相次いで白水Uブックスに入った。今回取り上げた『サミュエル・ジョンソンが怒っている』は、なんといってもそのタイトルが不思議におかしくて、泣かせる。
さらに、つい最近、4冊とも電子書籍化されたことも嬉しい。
********「海外文学の森へ 63」******
リディア・デイヴィスの作品はどこから読み始めてもいい。そこが好きだ。
この『サミュエル・ジョンソンが怒っている』は『話の終わり』『分解する』と立て続けに白水Uブックスに入った、デイヴィスの訳書四冊の最後にあたる。単行本は書架にあるけれど、寝転んで読める軽い形は大歓迎、とわたしは小躍りして喜んでいる。
『サミュエル・ジョンソンが怒っている』はとても風変わりな短編集だ。タイトルになった作品はたった一行──蘇格蘭(ルビ・スコットランド)には樹というものがまるでない──だけで、エエッと声をあげたくなる。断章とか短文を集めたような構成で、味の際立つ逸品がならぶオードブルプレートみたいなのだ。ワイングラス片手に読むとその味が冴える。電車のなかでワインなしで読んでも、もちろん美味しい。
気分が煮詰まってくると手を伸ばし、はらりとページを開く。するといきなり実況中継ふうの物語が始まって、書き手の外と内の世界が絡まり、出来事や場面が刻々と変化する。クイっと入って一つ読む、気分がカラッとする、切なくてじわっとくる。奥深い感覚描写に、唸る。
カップルのすれ違いを詳述する少し長めの「「古女房」と「仏頂面」」を読んだときは声をあげて笑ってしまった。日常の微細な心理をここまで書くか、と作家の覚悟がひしひしと伝わってきたのだ。
リディア・デイヴィスの名前を知ったのは『ほとんど記憶のない女』が出た二〇〇五年だった。五年後の『話の終わり』でハマって、いまはなきTV番組「週刊ブックレビュー」でイチオシ本に選んだ。傑出した自己洞察とヒリヒリするような繊細な文章に驚いたのを覚えている。
父は大学教授、母は作家。とても知的な環境で育ったデイヴィスは、フーコー、ブランショなどを英訳し、プルースト『スワン家のほうへ』やフローベール『ボヴァリー夫人』の新訳も手がけている。
ルシア・ベルリンがアメリカ本国で再評価されるきっかけとなった『掃除婦のための手引き書』にも序文を寄せるデイヴィス。訳者、岸本佐知子さんの「アメリカ小説界の静かな巨人」という紹介に深くうなずいてしまった。
くぼたのぞみ(翻訳家、詩人)