イリナ・グリゴレ『優しい地獄』(亜紀書房)について東京新聞に書きました。「海外文学の森へ」というコラムです。最初に「優しい地獄の天国行き」というタイトルをつけて送ったのですが、予想通り、そのタイトルはサラリと却下されました・笑。
でも、そんなふうに、天国行き、という表現を使いたくなる何かがこの本にはあるんです。だから、却下されて文字には残らなかったけれど(まあ、当然でしょうが)、自分でも忘れてしまわないように、ここに記録しておきます。
ルーマニア北部の農村で生まれて育ったイリナ・グリゴレという人が書いた本です。とにかく、すごい迫力の日本語でのっけから頭をガツンとやられます。その切迫性がもろに伝わってくるところがこの本の最大の魅力なんだけれど、書くことに対する厳しい方法論にも、映像文化人類学者であるイリナさんの美しいまでの矜持が感じられます。
読んでいくと、1984年にチェルノブイリの近くで(ルーマニア北部からそれほど遠くないのだ)生まれ育ったことによる影響を、同じ世代の人たちがモロに受けていることが、じわじわと滲み出てくる内容でもあって、がっつり視野が開かれます。
9月20日東京新聞夕刊の記事を、ここに全文貼り付けます。
優しい地獄の天国行き
この切実さはなんだろう? と思いながらページをめくる手が止まらない。
赤ん坊がいきなり世界に放り出されるときはこんな感じなのか。素描される世界のイメージと、それを感知する生身の感覚が、ざらりとした詩的表現として迫ってくる。
土と木と畑の匂いが立ちのぼる。畑から素手でもいだトマトの味がよみがえる。著者はルーマニアの農村で生まれ、祖父母が作る畑と近くの森で採れた食べ物で育つ。家の前の桜の木の実、森のきのこや山菜。畑で葡萄を作り、育てた豚を屠り肉を貯蔵する。どの家にも地下に貯蔵室がある。お昼ご飯はいつも畑のそばの胡桃の木の下で食べた。それは自分もまた生き物であることを認識する、かけがえのない感覚であり記憶だ。
母や父は町で教師として、工場労働者として働く社会主義時代。だが著者が生まれた二年後にチェルノブイリ原発事故が起き(詳細を知るのはずっと後)、五年後にチャウシェスク政権が打倒される。
町の学校に通うようになったイリナは、十四歳のときここから出ていきたいと切実に思う。本当は映画監督になりたかった。でも、女性が映画監督になるには…分厚い壁が立ちはだかる。
「トンネルを抜けると雪国」と始まる川端康成の小説を読んでこれだと思った。日本語を学び、日本へやってきた。舞踏にのめりこみ、文化人類学者として獅子舞の研究を始める。現在は大学で映像人類学を教えながら二人の娘を育てている。寝る前の娘にダンテの『神曲』の話をしたときのやりとりから、この本のタイトルは生まれたという。
自分の身体を舞台にして、そこで展開される生そのもののイメージを、獲得した言語で突き放すように書くオートエスノグラフィー。文学のオートフィクションへ通じる斬新さは「翻訳されて生まれてきた/born translated」ことばたちに支えられている。
そんなことばが読み手に激しく流れこむとき、壁が音もなく崩れ落ちて、見えない境界がいくつもあったことを知らされた。
この世に生まれて、<ある>、という違和感を、そのひび割れを満たしてくれる本だ。