Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2019/09/16

トニ・モリスン『他者の起源』より

今年8月5日に88歳で他界したアフリカン・アメリカンの作家、トニ・モリスンが2016年にハーヴァード大学で6回にわたって行った講義の記録、『The Origin of Others/他者の起源』(2017)を読んでいる。

 キーワードは「Other/他者」、「Stranger/よそ者」、「Foreigner/異邦人」、「Outsider/アウトサイダー」といったいくつかの語で示されているが、なかでも「アフリカ」や「ブラック」「ニガー」という語が抽象的な意味合いで文学作品にあらわれるとき、それは作者のどのような心理を照らし出しているかを分析するモリスンの舌鋒は鋭く、たいへん興味深い。興味深いだけではなく、『白さと想像力』(1992)からしばらくご無沙汰していたせいか、ここまで明確に言語化されるようになったかと、感慨深いものがある。

 昨日42歳になったナイジェリア出身の作家、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ(お誕生日おめでとう、チママンダ!)は『アメリカーナ』のなかで主人公イフェメルに、自分はアメリカに渡って「人種」を発見したといわせたが、そんな若手の作品を訳したあとで、モリスンの分析を読むと、モリスンが描いてきた作品の風景がまったく異なったものとして立ち上がってくるのだ。

 とりわけ『The Origin of Others/他者の起源』の最終章に、次のような文章が出てきたときは、書き写さずにいられなかった。記録として、ここに引用しておく。


 With one or two exceptions, literary Africa was an inexhaustible playground for tourists and foreigners. In the works of Joseph Conrad, Isak Dinesen, Saul Bellow, and Ernest Hemingway, whether imbued with or struggling against conventional Western views of a benighted Africa, their protagonists found the world’s second largest continent to be as empty ...... The Origin of Others by Toni Morrison (2017)

 ひとつふたつの例外はあっても、文学作品に出てくるアフリカは、旅人やよそ者にとって無尽蔵の活動の場だった。ジョゼフ・コンラッド、イサク・ディネセン、ソウル・ベロウ、アーネスト・ヘミングウェイの作品のなかで、未開のアフリカという型通りの西欧的視点に染まっていようが、それに抗い奮闘していようが、主人公たちは世界第二の巨大な大陸をからっぽと見なした......
                                          『他者の起源』、トニ・モリスン(2017)

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 読みながら、かれこれ11年も前にJMクッツェーの『鉄の時代』を訳していたとき、メモを取ったことを思い出した。アフリカ大陸に対する文学者たちの「からっぽ」という認識は、クッツェーが南アフリカの白人文学について書いたエッセイホワイト・ライティング/White Writingで、明確に論じられていたことでもあったのだ。1988年にイェール大学出版局から出た本だ。

 クッツェーは、1652年にアフリカ大陸南端の喜望峰にヨーロッパ人がはじめて植民地をつくってから、ヨーロッパ系植民者がどのような視点から文学を紡ぎだしてきたか、それを詩や、農場を舞台にした小説を具体的に論じながら解明した。そして、植民者たちがどのような人間的退廃をたどっていったかを明らかにしたのだ。