Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2013/05/04

クッツェーの『青年時代』── いよいよ開始!

さて、準備は整った。
 五月晴れの今日、5月4日から本格的に翻訳を開始するのは、南半球の旧植民地、旧属州である「ザ・ケープ」から寒い、寒い北のメトロポリスへ逃亡する青年の物語。
 すでに全体の4分の1ほどは訳してあるので、それをまず見直す作業から始めよう。1章から4章までは、まだジョン青年がケープタウン大学へ通っていたころの話だ。

 両親の家を出てモーブレー駅のそばに部屋を借り、その家賃や、学費を支払うためにどんなアルバイトをしたか、その種類と賃金が細かく、細かく書き出されていく。食べ物のこと、衣服のこと、冬の雨のなかをサンダル履きで大通りを歩いたこと。こういった細部はクッツェーのメモワールの際立った特徴である。19歳にして親から仕送りなどなくても人は生きていけることを示すために、細部を延々と述べるところが彼らしい。

 He is proving something: that each man is island; that you don't need parents.(彼はあることを証明しようとしている。つまり、人は誰もがひとつの島であり、親は不要だということを。)──『Scenes from Provincial Life, p144』

 第1章に、ケープタウン大学の図書館で夜間、アルバイトをしていたときのことが出てくる。学生のジョンが、白いドレスの美女といっしょに裏山のスロープへふらふら彷徨い出ることを夢想する場面。この大学は山の急斜面に建てられていた。2011年11月に現地を訪れたとき、その場面を思い出して、ここかと納得した。

 年度末試験もほぼ終わって学生の姿がほとんどないキャンパスをぶらぶら歩いたり、図書館の係の方に以前使用されていた古風な閲覧室や、地下の製本室まで(たちこめる古文書のダスト臭にマスクをして)見せていただいた。
 UCTを訪ねる前に訳したところをいま改めて見直すと、わくわくするような感覚がある。思い浮かぶ情景の鮮度がまるで違うのだ。そこでまた、この作品のエピグラフにあるゲーテのことばを思い出すことになる。

 Wer den Dichter will verstehen muß in Dichters Lande Gehen. ──Goethe(詩人を理解しよう思う者は、詩人の国に行かねばならない──ゲーテ)

 ここしばらくは、頭が1960年前後のケープタウンにトリップすることになりそう!