Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2013/05/04

昨年12月にケープタウン大学で朗読するクッツェー

facebook でも紹介したけれど、こちらにも貼付けておこう。
 2013年に古巣のケープタウン大学の階段教室で『The Childhood of Jesus』から朗読するクッツェーさんです。この大学でクッツェー研究をしているキャロル・クラークソン教授が「Welcome home, John」と彼を紹介していて、ジョンもとてもリラックスしている感じです。
 読んでいるのは、19章と20章かな。pooh が続出して笑い声が.......聴衆を映し出す映像がまた、Disgrace の映画の場面を思い出させて興味深い。



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2013.5.5  付記:これを聴いてあらためて思ったのは、クッツェーがDavid をダヴィド/ダビドとは読んでいないことです。デイヴィッドと読んでいます。Simon もシモンではなくサイモンのままです。どっちでもいいのかしらね。南アフリカだからでしょうか? 言語間の揺らぎがなんとなくわかれば。。。
 こういう場合、しかし、翻訳者はどうすればいいのだろう? わあ、大変だなあ.....とりわけスペイン語に訳す人はどうするのだろう? 英語文をスペイン語にして、スペイン語の部分は英語にでもするのかしら? それともフランス語かなにかにするのかな? まさかね。原文の言語間の差異を際立たせるためには、どんな処理をするのか、スペイン語の翻訳が出たら確かめてみたい。いずれにしても、いくつも織り込まれている言語世界全体の差異を塊として可視化させるために、翻訳者は苦労しますね、これは。

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2014.10.24 付記:キャロル・クラークソンの著書『J.M.Coetzee: Countervoices』について書いたので、この投稿にリンクを貼りましたが、再度、クッツェーの動画を見ていて彼が最初に述べていることを書いておきます。
『The Childhood of Jesus』から読むクッツェーは、前置きとして、この小説を本当はカバーもタイトルページも真っ白にして出版したかった。読者は小説をすべて読み終わってから、最後に、このタイトルを見るようにしたかった──と述べています。これは要注意。この作品をどのようなものとして読んでほしいか、ということがはっきり出ているところですから。