Elizabeth Costello : I believe in what does not bother to believe in me.──J. M. Coetzee

2013/05/17

「クッツェーとりびあ」全開!


昨日は曇り空の下、新緑の樹木のあいだを抜けてたどりついた一橋大学の東キャンパス。そこの大学院の授業で「クッツェーを訳しながら考えたこと」という題で話をしました。午後3時スタートでしたが、時間がずいぶん延びて、朗読、質疑応答などなど2時間以上になったかな。
 クッツェーの作品を順番に講読している授業なので、参加者の関心の持ち方が深く、鋭く、応答も非常にビビッド。それぞれの人たちが研究課題との取り組みを述べながら、すごく活発に質問や意見を聞かせてくれたのが嬉しかった。
 
 わたしとしては過去25年間のクッツェー作品との格闘や、その過程で経験した視点の広がりと深まり、翻訳にたずさわる姿勢の変化──外側から作品を読み評価する姿勢から、あたうるかぎり作家の脳内に入り込む、あるいは、書いている机のそばに立つような、内側から読み解く姿勢へ──などなど率直に述べることができました。
 いま訳している三部作の「少年時代」からエディー少年が出てくる章をアレンジして朗読し、ある質問への応答のかたちで、最後に、ケープタウンへ行ったときに書いた詩「きみのいない岬の街で」を読んで締めました。

 まさに、「クッツェーとりびあ」全開でした!

 二次会は、雨のぱらつくなかを国立の斜めに走る通りの、地下のお店へ。そこで出てきたのが、大好きなホッキ貝のお刺身。大満足。どういうわけか、60年代、70年代ジャズの話で局地的にもりあがったりして/笑。20代、30代の若者たちとクッツェーについての突っ込んだ話ができたのは得難い体験でした。気持ちのいい時間を過ごすことができました。

 みなさん、ありがとう。呼んでくれた中井亜佐子さん、ありがとう。