2012/10/31

J・M・クッツェーの伝記が届いた!

短い札幌の旅からもどると、ケープタウンの Clarke's Bookshop から本が届いていた。J・C・カンネメイヤーが書いた J・M・クッツェーの伝記、JM Coetzee:A Life in Writingである。

 パッキンの入った袋があまりに分厚いためか、日本の税関でいったん開封された痕跡があった。補修テープのうえにそのことを示す日本語が書かれていたのだ。南アフリカから書籍を取り寄せるようになって20数年になるが、こんなことは初めてだ。なにが疑われたのだろう。まあアットランダムにピックするのかもしれないが、とにかく、これから航空便で投函する(+R400)、という知らせがあってから10日後には届いた。この速さはありがたい。

 この書籍、本当に分厚い。ページ数は本文だけで616ページ、註や索引をすべて含めると710ページもある。さらに四部に分かれてカラーおよび白黒の写真が8ページづつはさみこまれている。縦246×横160×厚60cmという大部な書籍、まさに枕本だ。

 Johnathan Ball Publishers という出版社から出たばかりのこの本は、ご覧のように、フロントカバーにクッツェーの若いころのにこやかなプロフィール写真があり、バックカバーにはおなじみデイヴィッド・アットウェル、デレク・アトリッジ、さらにラーズ・イングルの讃辞がならんでいる。これまでプライベートライフに関する質問は受け付けない、書いた作品自体に語らせることが最重要であり作品に関する言及は避け、そのためインタビューは受けない、と明言してきた作家が、アフリカーンス文学研究で名高いカンネメイヤーに自分のプライベートな書類へのアクセスを許可し、2週間にわたりアデレードでインタビューを受けて、率直に、あるときは熱心に応答し、さらにメールでの追加質問にも丁寧に答えている。その結果、事実を書くこと、を条件にまとめられた中身の濃い伝記が仕上がった。しかし、カンネメイヤーはこの伝記を書き上げた直後、昨年のクリスマスにこの世を去った。絶句してしまいそうな出来事だ。

 写真がまたクッツェーファンにはあっと驚くようなものが多い。ヨーロッパからやってきた曾祖父バルタザール・ドゥ・ビールと妻の写真からはじまって、ビッグマンになった祖父ゲリット・マクスウェル・クッツェーとその妻、そして父母の写真、ジョンの幼いころの写真、両親や弟といっしょの写真、ボーイスカウトのユニフォームを着て犬と撮った写真、フューエルフォンテインの屋敷の写真、高校時代のクリケットチムーの写真、コウモリ傘に革鞄を手にケープタウンを闊歩する20代初めの写真、フィリッパ・ジャバーと結婚したころケンブリッジで撮影した写真、フィリッパのプロフィール、さらにクッツェー自身が10代から暗室をもつほどの写真マニアであったことを物語る彼自身が撮影した親戚一家の写真、そして作家として名をなすようになってからのおなじみの写真がならんでいる。若くして他界した息子の顔写真は胸をうつ。ヘルメットをかぶり短パンで自転車をこぐクッツェー自身の写真や、娘とフランスを自転車で長距離走破したときの写真など、彼の自転車への情熱を伝えるもの、1990年代初めに自然公園で家族や作家の友人たちとお手製の料理を広げてピクニックをしている写真など、見ていると興味はつきない。
 なかに手書き原稿の写真が一枚ある。最初の小説 Dusklands の草稿だ。几帳面な細字が大学ノートにぎっしりならび、赤字で添削してある。また、Slow Man はなんと半年という短期間に25回も書き直して仕上げた作品だという。すごい集中、すごい密度である。(付記:2013.5.9──書き直し回数が「5回」と誤記されていたので訂正しました。正しくは25回です。作家はこの作品を2004年7月13日に書き始めて12月に最終テクストを完成、とあります。p595)

 自伝的三部作は Boyhood Youth の部分はおおまかにいって事実に基づいた記述といえるが(といっても細部を見ると、微妙に入れ替えてあったり、省略してあったりするので要注意なのだけれど)、ご存知 Summertime はがらりと様相を変えた、誰が見てもフィクションとわかる書き方である。作家がすでに死んでいるのだから!
 机上にこの大部な本を置きながら、どこまでが事実で、どこまでが創作かを、あらためて行間に透かし見ながら自伝的三部作を翻訳することになった。これまでにない発見、また発見の日々がつづきそうだ。わくわく、どきどき、未経験の作業がつづく。こんなスリリングな体験は初めてである。ちなみに3枚目の写真はオーストラリアのペンギンから出版されるバージョンだ。

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2012.11.12付記:もうじきオランダ語版も書店にならぶようです。そのオランダ語版のカバー写真と、左に山のように積まれているのは原稿とゲラのようですね。

2012/10/29

毎日新聞「新世紀 世界文学ナビ」にシスネロスについて

今朝の毎日新聞文化欄の「新世紀 世界文学ナビ」に、サンドラ・シスネロスについて書きました。「ラティーノ・ラティーナ編です」。よかったら、ぜひ。

 シスネロスはつい最近、Have You Seen Marie? という新刊も出たばかり。

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2012.11.30付記:ここで読めるようになりました。

2014.1.21追記:毎日新聞デジタル版は古い記事をどんどん消すことにしたみたいです/残念、涙。シスネロスについての記事をここで読めるようにしました。よかったら!

2012/10/27

クッツェーがスタンフォード大学で

10月22日にスタンフォード大学でJ・M・クッツェーを迎えて開かれた会のようすが、The Stanford Daily のサイトで読めるようになりました。

 来年3月に出版される The Childhood of Jesus からリーディングをしたあと、スタンフォード大の比較文学の教授たち、アメリカ文学の教授たちとディスカッションをしたようです。質問には短く、ストイックに答えていた、とあります。

彼の作品は自伝的だといわれるが、クッツェー自身は登場人物と作家のあいだには一定の距離があることを強く主張した、というのはむべなるかな。フィクションはひとたび作家の手を離れると、それ自身の生を生きはじめるのだから、場合によっては、そのフィクションについて質問をする相手としてその作家はふさわしくないこともある、と。これは彼がいつもいっていることですね。

 「沈黙の扱い方を熟知している」作家クッツェーの「ことば」に対する倫理性と厳しさは、他のフィクションの書き手たちの追随を許さないところがありますが、それを身をもってしめし続けているのが、彼の行動を追いかけているとよく分かります。

 9月初めにドイツ、フランス、イギリスといったヨーロッパ諸国から始まった今回の長旅は、これでそろそろ終わりでしょうか。お疲れさま。
 

2012/10/21

アディーチェの新作「Americanah/アメリカーナ」

来年のことをいまからいうと・・・ですが、2013年5月にチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの次の小説が出る、と facebook で彼女自身のアカウントから発表がありました。

 現在、Amazon でヒットするのは左にあげた表紙の、Fourth Estateから出る予定の一冊だけで、まだ発売日が4月のままになっています。いずれUS版も出るのでしょう。ページ数も、推測するに、これは決定ではないような・・・。ま、いずれにしても来年出ることは間違いないはずです。
 どんな物語かって? それはいまはまだ内緒、なんていっても、すでにこのサイトには載っていますね。
明日は遠すぎて』に入った「シーリング」の登場人物、イフェメルとオビンゼがどうやらメインキャラクターになるみたいです。この短編は、2010年に「群像」に Granta との共同企画でいち早く、日本語訳として掲載された作品でした。

 来年は映画「半分のぼった黄色い太陽」も公開されるし、アディーチェをめぐって、またにぎやかな話題がかけめぐることになりそう!!
 

2012/10/17

クッツェーとオースターが「バートルビー」について語る

2012年10月、オールバニで開かれたクッツェーとオースターのディスカッションで取りあげられたのは、なんと、かのメルヴィルの「バーとルビー」ではなくて「バートルビー」だった。

 詳しくはこちらへ
 ついでに映像も貼り付けちゃおう。



この動画はおそらくディスカッションの最後のほうで、おもにバートルビーがじっと眺めていた壁の話を、「モビーディック」の白い顔と関連させて語るクッツェーのことばが記録されています。

「バートルビー」は、こちらで柴田元幸さんの日本語訳が読めます。ラッキー! また、原文の「BARTLEBY, THE SCRIVENER. A STORY OF WALL-STREET.」はここで読めます。

「マイケル・K」もまたまちがいなく、20世紀末にアフリカの南端で生まれた、「バートルビーの仲間」だよなあ〜

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付記:2012.10.18    昨夜、クッツェーとオースターの映像を見つけてここに貼り付け、今朝、ふたたびPCを立ちあげて驚いた。Google がメルヴィル仕様になっているのだ。モビーディック仕様というべきか。なんと! なんと! の偶然。

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付記:2012.11.25   あらためて思うのはこの「バートルビー」の物語の原文についているサブタイトル「A Story of Wall-Street ウォール・ストリートの物語」の部分である。そうか。そうだったんだ! いまや世界中の株、いや金融の中心地、であるこのストリートでバートルビーは当時、働いていた/いなかった、という物語なんだ。


2012/10/15

スタジオイワトの「トロイメライ」──2012.10.14


昨日、10月14日は小雨ふるなか、水道橋のスタジオイワトへ「トロイメライ」を観にいった。すごくよかった。この出し物は何度目かだったけれど、今回ほど心にしみることはなかったな。ことばも、音楽も。

   都市 それは ゆるぎなき全体
   絶対的な広がりを持ち 把握を許さず 息づき 疲れ 蹴おとし
   そこでは 全てが 置き去りにされて 関わりあうことなしに
   ぶよぶよと 共存するのみ
   個ハ 辺境ニアリ
   タダ 辺境ニアリ
   楽しみは あまりに稚なくて ざわめきのみが たゆたい続ける
   こんな夜に 正しいなんてことが 何になるのさ

 これは、1980年代初めに劇作家、如月小春が書いた「トロイメライ」のせりふの一部だ。2008年にシアターイワトで演じられたときより、今回はことばがぐんとくっきり、こちらに入ってきた。

 びらの最初にあるように、2008年のときは即興だった音楽が、今回は細部まで作曲されていた。これも実によかった。おなじみの「トロイメライ」のメロディーが、美しいピアノタッチで流れるたびに、こころがじんとなった。

 それは、なぜか、まあ、深く考えなくてもわかるいくつかの理由、たとえば、空間がちいさめで、演じる人たちと観客の距離があまりなくて密接な空間だった、とか──でも、いや、それだけだろうか、と再考してみる時間が、いま充ちてくる。

2012/10/14

花咲く丘に涙して by ウィルマ・ゴイク

昨日、弘田三枝子の歌をYOUTUBEでくりかえし聴いたせいか、なんだか、ちょっと二日酔みたいな気分だ/笑。

  しかし、60年代にはすごくいい歌もたくさん入ってきた。なかでも、この曲はピカイチ。
    ボビー・ソロの「ほほにかかる涙」もよかったけれど、伊東ゆかりもわるくなかったけれど、65年のサンレモからきた、ウィルマ・ゴイクのこの歌「花咲く丘に涙して」がなんといっても白眉! 「砂に消えた涙」の翌年だったのか〜。




 演歌調のこぶしをきかせて泣きを入れる、捨てられた「女の歌」ばかりがもてはやされた時代、この歌は救いだった。
 いや、「泣き」を入れはじめたのは、69年〜70年ころだったかも。奥村チヨの「恋の奴隷」もこのころだ。かんべんしてくれ、と思いながら、これは流行るわ、と確信したのも思い出す。それってなんだったんだろう? 浅川マキが歌いたくなかった歌「カモメ」とか。過剰な演出とヒット。それを演じる女たち。


ついでに、もう一曲、これもよかった。「花のささやき/In Un Fiore」by Wilma Goich.
意味がわかならいまま、歌詞を音で全部おぼえて歌っていたなあ。10代って面白い時期だ。



In Un Fiore

Se non corri tu potrai vedere 
Le cose belle che stanno intorno a te. 
Non sai che in un fiore 
C'è un mondo pieno d'amore 
Non sai che nei miei occhi c'è 
Amore per te. 

Se non corri tu potrai trovare 
In mezzo ai sassi 
Un diamante tutto per te. 
Non sai che in un fiore 
C'è un mondo pieno d'amore 
Non sai che nei miei occhi c'è 
Amore per te. 
Non sai che in un fiore 
C'è un mondo pieno d'amore 
Non sai che nei miei occhi c'è 
Amore per te. 

Se ti fermi tu potrai capire 
Che hai corso tanto 
Ma sei rimasto sempre qui. 
Non sai che in un fiore 
C'è un mondo pieno d'amore 
Non sai che nei miei occhi c'è 
Amore per te. 
Non sai che in un fiore 
C'è un mondo pieno d'amore 
Non sai che nei miei occhi c'è 
Amore per te. 
Non sai che in un fiore 
C'è un mondo pieno d'amore 
Non sai che nei miei occhi c'è 

Amore per te

(作詞:RAPETTI MOGOL GIULIO/MOGOL  作曲:DONIDA LABATI CARLO )

2012/10/13

砂に消えた涙 by 弘田三枝子

今日、訳していた文章のなかに corazón de melón ということばが出てきたので、あれ、どこかで聞いたことがあるなあ、と思って調べてみると、むかしむかし流行った曲の名前じゃないか、そう、日本では森山加代子がヒットさせた曲だ。「コラソン・デ・メロン・デ・メロン・メロン、メロン、メロン・メロン」で始まる、あの曲だ。
 YOUTUBE でいろいろ見ていると、つぎつぎに懐かしい曲が出てきて、芋づる式。ついに、この曲に行き当たった。

「砂に消えた涙」

 ミーナの曲だというのは知っていたけれど、なんといっても最初に聞いたのは弘田三枝子の歌でだったし、60年代の初めに出てきたシンガーで、弘田三枝子を超えるリズム感をもっていた人をわたしは知らない。

(付記:2013.11.8──リンクしておいたYOUTUBEがなくなったので、こちらで

 文句なく、これは懐かしい。いま聴いても古くない。その後、東京で大晦日に新宿厚生年金会館で開かれた恒例のジャズフェスティヴァルに、「人形の家」でレコード大賞を獲ったばかりの弘田三枝子がやってきて歌ったのを、いちばん前の列に座って、間近に見て、聴いたことがあったけれど、さすが、と思ったな。

 当時、いっぱしのジャズ通たちは、こんなのは歌謡曲にすぎない、と馬鹿にしていたけれど、わたしはこの人の歌の力はすごいと当時も思ったし、すごかったといまも思う。

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付記:それにしても、歌詞はしょうもないね/笑。とりわけ当時の売れっ子作詞家の手になる「人形の家」の歌詞のひどさは耳を覆う。60年代、60年代って懐かしがってるけれど、リブやフェミが生まれた土壌を考えるための参考テクストにはなりますかね。

2012/10/11

La vie sans fards──マリーズ・コンデの新著

届いたばかりのマリーズ・コンデの新著「La vie sans fards」を読みはじめたら、止まらない!
 だって、この本は2002年に(おお、10年前だ!)わたしが訳出した『心は泣いたり笑ったり』(青土社)の続編なのだから。

心は泣いたり笑ったり』は、1937年にカリブ海の島グアドループで生まれたマリーズが、少女時代とパリに留学した青春時代の最初のころを、匂いたつような生き生きとした文体で書いた自伝だった。でも、1950年代のパリで、ハイチの青年と出会ってサン・ミシェル大通りをいっしょに歩いていくところで物語は終わってしまう。

 さあ、そのあとはどうなるの? と気になってしかたがなかった。だって、そのあと彼女は別の人と結婚してアフリカへ渡り、苦労して子どもを何人も産んで育てて、ああ、やっぱりまたパリへ戻ろう、ということになって‥‥と波瀾万丈の部分は前著には少しも書かれていなくて、このつづきはまたね、という感じなのだもの。

 この La vie sans fards(虚飾のない生)が、そのつづきなのだ。タイトルからみても、まさに「すっぴん人生」、ぶっちゃけた話はこうだったの、身もふたもなく言っちゃうとこうなの、という感じで、自分の生きてきた道に情け容赦ない光をあてて、当時の心理を分析し、書き出している。
 
 帯に使われているマリーズと子どもたちの写真をみても分かるけれど、彼女は4人の子どもの母親だ。それも1人目はすごく若いときに産んでいる。4人の子どもをアフリカで育てながら、仕事をして、決意してパリへ戻って、博士号を取って、作品を書いて、それから、それから‥‥
 もう、止まらないよ〜〜

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2012年のノーベル文学賞は中国の作家、莫言/モーイェン氏が受賞しました! Congratulations! 来年はそろそろアフリカ系の女性作家が獲ってもよさそうなんだが。

2012/10/02

水牛に馬の話を書きました

八巻美恵さん編集の「水牛のように」に馬の話を書きました。「道産子」と呼ばれる/呼ばれた馬のことです。隣の家にいた、茶色の、ずんぐりとした、脚の短い、農耕馬。冬は馬橇、夏は馬車、田圃も畑もこの馬が耕しました。

 今月は詩ではなくて散文。2012年9月17日付け北海道新聞朝刊に掲載されたコラム「記憶のなかのピンネシリ」の続きです。