2023/05/21

カバーがアップされた──J・M・クッツェー最新作『ポーランドの人』:翻訳作業備忘録(3)


英語版より一足お先に日本語でお届けするJ・M・クッツェーの最新作『ポーランドの人』(白水社)のカバー写真が、版元サイトにアップされた。使われているのは、ナビ派の画家エドゥアール・ヴュイヤール(Édouard Vuillard)の「緑の室内」。

 じつはこの本の裏表紙には、ある楽譜が透けて見えるのだ。ショパン自身の手書きの楽譜である。なんの曲かって? ショパンがジョルジュ・サンドと逃避行したマヨルカ島で作曲したことがヒント。『ポーランドの人』は、その時代の精神が基本になっている、とクッツェー自身も語っているのだ。

 ダンテの『新生』や『神曲』が下敷きになっていることはすでに書いた。(『神曲』の原題が La Divina Commedia、「コメディ」だというのは重要なポイント。)

 この作家特有のシンプルで端正な文体で、サラリと書かれた短めの作品とはいえ、中身はまことに濃密だ。古典的な恋愛に強烈な光があたる。骨まで透けるような光だ。近づいて見れば悲劇的、でも遠くから見ればニヤリとなる辛口コメディに仕上がっている。もちろん読む人のジェンダー、年齢、恋愛観、経験などによって、その感じ方、考え方は大きく異なるだろう。

 ジョン・クッツェーは1940年ケープタウン生まれ、この時代にアフリカ南端の地でヨーロッパ系入植者の家計に生まれて育つことでどんな恋愛観を育むことになったか、それは『青年時代』に細かく描かれている。1960年代初頭にロンドンへ渡った若者が、時代の先端を行く態度を身につけようと必死になる地方出身者の姿だ。芸術至上主義、恋愛至上主義っぽいモダニストをめざす青年ジョン。

 この『ポーランドの人』には、そんな、クッツェーが生きてきた時代の恋愛観が総集編的に描かれているようだ。作家個人の姿はほとんど見えない。いくつかの会話やエピソードの下敷きになっているのが朧げにわかる程度。なにしろ80歳前後で人生を振り返るようにして書いた恋愛小説なのだから、そりゃあ骨っぽくもなるだろう。これはひょっとして「R〇〇指定」の作品かな、と思ったりもする。「〇〇」にどんな数字が入るかは、読者によって大きく異なるところだろうか。その理由は……読めば、たぶん、わかる、かな、きっと、わかる。

 とはいえ、72歳のポーランド人ショパン弾きヴィトルトの姿には、ここまで書くかというほど「リアルな」細部がちりばめられていて、「読者の想像力」を挑発してくる。なぜ挑発かというと、72歳のピアニストの心理を解剖するのが、49歳の保守的なアッパーミドルクラスの女性という設定だからだ。その内面を書いているのは80代の男性作家……。このよじれ(笑)。

 というわけで、クッツェーという作家が描いてきた「女性像」の変遷を振り返ってみずにはいられない。時代や舞台の設定はそれぞれ異なるとはいえ、第二作目『In the Heart of the Country/その国の奥で』のマグダ、五作目『フォー』のスーザン・バートン、それに続く『鉄の時代』のミセス・カレン、そして一連の作品に出てくるエリザベス・コステロ。

 しかしなんといっても『ポーランドの人』のベアトリスにその片鱗が見える人物たちは、『サマータイム』のジュリア、アドリアーナ、ソフィーだろうか。女性が語りの前面に出てくるクッツェー作品は多い。時代とともに、登場人物の設定によってなにが変わってきたか、変わらないものはなにか。しかし大きなヒントは『モラルの話』に含まれたある短篇にあったのだけれど。それについては「訳者あとがき」に書いたのでぜひ!

 この作品をガルシア=マルケスの晩年の作品と比べてみるのも面白いかも。ここまで違うかと。

 80歳を過ぎてなおマイペースのクッツェーは快調というしかない!


2023/05/04

翻訳作業備忘録(2):J・M・クッツェーUS版『ポーランドの人』

 日本にいる読者が、ネットショップなどで最初に入手しやすい英語版の『ポーランドの人/THE POLE』は、USのLiveright社から出版される。

 これまで米国では、クッツェーの本はずっとViking社から出版されていたが、今回から Norton という、ちょっと懐かしい名前の入った系列の出版社へと変わった。発売は9月の予定。

 先日そのアドヴァンスコピーが届いた。ザックリしたざら紙に印刷されたパルプフィクションふうの作りで、表のカバーに「ADVANCE READING COPY/NOT FOR SALE」とある。ひっくり返して裏を見ると「ADVANCE UNCORRETED PROOFS」とあって、まだこれから修正が入るということがわかる。開くと、確かに、ポーランド語のドットや修飾記号が未修正のままだ。ポーランド人女性のファミリーネームJabloṅska も「n」の真上にドットがついていない。「n'」のように、アポストロフィーっぽい位置についている。

 3月下旬に一行一行、全面的に照合したテクストはこれで、作家から「修正リスト」なるPDFがさらに送られてきたのだった。

 日本語版の編集・校正などは既に翻訳者の手を離れた。微妙な細部をつめるやりとりも今日、つい先ほど終わった。あとは入稿されて、印刷されて、製本されて、出来上がりを待つばかり。みほんが届くのが楽しみ! 発売は5月30日(白水社)だが、ネット書店などは6月1日になっている。

 どんなアートワークになったかって? とっても素敵なカバーになりました。楽譜の写真も使われて。それもショパンじきじきの手書きの楽譜です。どうぞご期待ください。

 とりあえず、連休半ばのご報告です。

2023/04/04

翻訳作業備忘録(1):J・M・クッツェーの最新作『ポーランドの人』

翻訳中のJ・M・クッツェーの最新作『ポーランドの人』の初校を返した。ふうう。

付箋だらけのスペイン語版とオランダ語版
 以下は備忘のための記録。

 The Pole として草稿が送られてきたのが2022年初めで、本格的に翻訳を開始したのが初夏だったか(アディーチェ『パープル・ハイビスカス』の仕事が終わったころ)、訳を仕上げたのが今年1月、翌月下旬に初校ゲラが手元に来た。

 昨年7月にまずスペイン語訳(写真左)がアルゼンチンの「アリアドネの糸」から出版されたが、今年3月にはオランダ語訳(写真右)も出て、続いて5月にドイツ語版が出る予定。そのことはここに書いた。

 ドイツ語版とほぼ同時に、カタルーニャ語版も出るようだ。作品の舞台となった都市バルセロナはカタルーニャにある。日本語版『ポーランドの人』もドイツ語版とほぼ同時に、、、という予定だったが、さて。

 スペイン語版が出たあと、昨年9月のEL PAÍSのメールインタビューで、作家は訳者ディモプロスと共同作業で作品を仕上げたと述べていた。取り寄せたスペイン語版をパラパラすると、確かに、最初に送られてきた英文テクストとは異なる内容が含まれている。あ、女性の身体部分について述べる微妙なところからウナギがいなくなったのね、とか、ベッドシーンで語られるトンチンカンな表現「ミ・カーラ」が「カリーニョ」になったんだ、とか、そういうことかと納得した(笑)。だって、舞台はスペインで訳者は登場人物のベアトリスと年齢が近い女性だものね。

オーストラリア版
 英語版の出版はまだだから、スペイン語訳で変更された部分も含め、改訂された新しい英文テクストが送られてくるだろうと待っていた。でも、どんどん時間が過ぎてゲラ読み作業まで進んでしまった。そこへ注文していたオランダ語版の本が届いた。さっそく問題のところを見ると、やっぱり書き換えられている。スペイン語版の内容に合わせてあるのだ。

 いや、これは困った。いったいどっちのテクストを使うべきなのか、英語の最新テクストを送ってほしいと作家にメールすると即座に、まるで空から降ってくるみたいに、改訂バージョンのPDFが送られてきた。エージェント経由で何度も催促してきたのに、なぜか届かなかったので大助かりではあるけれど、この期に及んで、一行一句、新旧のテクストをまるごと照合しなければならない。

イギリス版
 いやはや。でもやりましたよ。突き合わせ作業というのは一字一句の違いを見逃さないように緊張姿勢で読むため、背中が痛くなる。一週間かけて照合し、書き換えられた部分(ずいぶんありました!)を訳しなおしてゲラに反映させた。具体的には、訂正された日本語訳を部分的に印刷して切り取り、ペタペタとゲラに貼りつける。さらに作家から追っかけて修正リストまで送られてきて(細かなポーランド文字のドットなどの確認で、日本語訳には影響はなかったけど)、それではと思い切ってポーランド人の姓の発音をめぐる突っ込んだ質問をした。カタカナ表記付きでやりとりすると、これは興味津々の結果となった。

ヤブロンスカ Jabloṅska/ヤブウォンスカ Jabłońska」問題。


 訳者あとがきは、フレデリク・ショパンとジョルジュ・サンドのマヨルカ島への逃避行とか、ロマン主義的な恋愛観の「殿堂入り」とか、クッツェーがDiary of a Bad Yearでロマン派音楽についてここぞとばかりに書いている「音楽について」にも触れながら書きました。『ポーランドの人』はロマンチックラブを扱う「恋愛小説」なんです。72歳のショパン弾きヴィトルトと49歳の銀行家の妻ベアトリスの、まことに真剣な辛口のラブコメディ。ベアトリスが名前だけではなく銀行家の妻ってとこまで、ダンテのベアトリーチェを踏襲している。

 初夏には書店にならびます!

2023/03/10

読書記録──三浦英之著『太陽の子』

三浦英之著『太陽の子、日本がアフリカに置き去りにした秘密』(集英社、2022)を一気読みした。

 1960年代からコンゴ民主共和国で大規模な鉱山開発をした日本企業があった。鉱物資源企業「日本鉱業」だ。それはちょうど石炭が斜陽になっていった時期と重なる。資源を持たない国は必然的に、必要に応じてこの地球上で鉱山資源が埋まっている場所を試掘し、採掘し、精錬し、輸送し、と大規模展開をすることになる。
 そして、その企業活動のために、コンゴに約500名の日本人が住んでいた時期がある。1970年代から80年代にかけてだ。銅を採掘するための拠点として、事業所はもちろん、企業活動をする人たちのために住宅、宿舎、学校、病院などが建設された。

 何年もの労働と生活の場としてのコンゴで、コンゴ人女性と「結婚」して子供を作った日本人男性たちがいた。問題は女性たちが10代の少女だったことだ。日本人男性は20-40代。企業が撤退することになったとき、妻と子供たちは置き去りにされた。それはどういうことだったのか。その時代のコンゴと日本の社会状況、世界経済の波、さまざまな要因を考え合せながら、朝日新聞のアフリカ特派員、三浦英之は6年という歳月をかけて深く、長く取材を重ねていく。

「お父さんに会いたい、お父さんを探してください。僕は、私は、日本人なんです」

2006年版ペーパーバック
 そう語る「残された子どもたち」のインタビューが「フランス24」に流れ、さらにBBCの記事にもなったことは、わたしも鮮明に記憶している。日本人の病院でコンゴ人女性が産んだ赤ん坊が殺されたという噂がたった。それがニュースになった。これは、その報道内容がどこまで事実で、どこまでが「裏付けなしの一方的な報道」かを検証した報告書である。労を惜しまずに多くの人に直接インタビューをして書かれた報告書は、読みはじめたら止まらなくなり、最後まで一気に読んだ。
 コンゴの、できるだけ多くの人たちに直接インタビューをして話を聞いていく。日本に帰国した時は鉱山会社の人、コンゴで働いていた男性たちを探し出して話を聞く。そんな三浦記者を支えていたのは、長年コンゴに住み暮らしてきた70代の2人(いや在コンゴ日本大使館の人もいたから3人)の日本人カトリック教徒だったことが印象的だ。

 コンゴで鉱山開発が行われた60-70年代というのは、九州や北海道の炭鉱が相次いで閉山に追い込まれた時期でもあって、失職した炭鉱労働者がコンゴへ「出稼ぎ」に行ったことは想像に難くない。また著者が「あとがき」で「アフリカで鉱山開発に携わった少なくない数の労働者たちが帰国後、新しい、「純国産エネルギー」を支えるため、各地の原子力発電所へ送られている」と書いていることも忘れがたい。


 一時期「ザイール」という名になり、いまはまた「コンゴ」に戻ったこの国は、アフリカで最も広い面積を持っている国だ。かつては生ゴムの最大の輸出国でもあった。コンゴ河が海に流れこむ地域はフランス、ベルギー、イギリスなどの帝国による争奪戦になった。やがてウェールズ生まれの「ジャーナリストで探検家」スタンリーとベルギー国王レオポルド2世の結託で、長期にわたり「国王の私有地」となり、自動車のタイヤの爆発的なニーズによってゴム生産で巨大な富を生み出すようになる。そして第二次世界大戦後は、南東部カタンガ州がとりわけ鉱山資源が豊かなゆえに、ヨーロッパ諸国をはじめ世界中から熱い視線を浴びつつける。PCなどの蓄電池に欠かせないレアメタル、タンタルを含むコルタンの産出では他の追随を許さないからだ。アフリカのこの地域を長期にわたり「紛争地」にしておくことで利を得ている人たちがいるのだ。

 アフリカ諸国が次々と独立する1960年に、ベルギー領コンゴもまた独立。初代大統領にパトリス・ルムンバが選出された。だが、カタンガ州の鉱物資源の利権をめぐる権力闘争ゆえに暗殺された。『ルムンバの叫び』という映画にもなった。つい最近もこの暗殺にCIAとベルギー政府が絡んでいたことが明らかになったばかりだ。

 コンゴ事情を知るために三浦記者が参考資料としてあげている、藤永茂著『『闇の奥』の奥』(三交社、2006)は、出版されたときすぐに読んだ。だが、残念でならないのは、この本を書く動機になったというアダム・ホックシールドAdam Hochschildの名著『レオポルド王の亡霊/ King Leopold's Ghost, A Story of Greed, Terror and Heroism in Colonial Africa』(2006アップデート版)が日本語に翻訳されていないことだ。当時、企画会議にかけた出版社もあったと伝え聞くが、出版にいたらなかったのは日本の読者にとっても残念極まりない。

 なぜなら『レオポルド王の亡霊』という本は、現在のコンゴがなぜあのような国でありつづけるのか、レアメタルをめぐる紛争と筆舌に尽くし難い女性への性暴力の根幹を知るための必読書といえるからだ。ノーベル平和賞を受賞したムクウェゲ医師のところで止まらずに、いまからでも遅くないので、ぜひ、どこかの出版社がこの『レオポルド王の亡霊』を出さないものだろうか。

  調べてみると、原著はペーパーバックの表紙が何種類も出てくる。何度も版をあらためて、長期にわたって読み継がれているようだ。最近ではバーバラ・キングソルヴァーの序文がついた版もあるし、電子版もあるので、試し読みができる。コンゴについての基本的な史実を知りたい人には、いや、世界経済の根幹をなす「資源」について知りたい人に、超おすすめです。

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2023.3.11──昨夜、このブログを書きながら写真をうまくアップできずにいるうちに、消えてしまった部分があったことを、ある人から教えていただいた。それは図らずも今日で12年目を迎える「3.11」の原発事故と深く関係する部分でもあった。それを補ったことを付記しておく。


2023/03/08

「海外文学の森へ 51」:ジャン・フランソワ・ビレテール著・笠間直穂子訳『北京での出会い もうひとりのオーレリア』

東京新聞の「海外文学の森へ」(2023.3.7夕刊)で、ジャン・フランソワ・ビレテール著・笠間直穂子訳『北京での出会い もうひとりのオーレリア』(みすず書房)を紹介しました。

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 最愛の伴侶を失ったとき、人はそれをどう悼むのか。本書には一九三九年スイス生まれの中国思想研究者ジャン・フランソワ・ビレテールの二冊の著書が収められている。前半『北京での出会い』は若き留学生が北京へやってきた六三年から書き起こされるが、先に書かれたのは後半『もうひとりのオーレリア』だ。

 一般人が外部世界とのやりとりを厳しく制限されていた北京で、ビレテールは医師の崔文(ツイウェン)に出会う。困難を潜り抜けて結婚にたどり着いた二人は、文化大革命が始まるころ危機一髪、シベリア鉄道経由でスイスへ向かう。だがその後長いあいだ文は家族と連絡が取れなかった。


 やがて読者は、文の家族が置かれていた状況を、彼女の次兄の語りによって知ることになる。六〇年代中国社会が、内部で生きた者の証言によって、詳細に照らし出されていく。当時は知り得なかった暮らしの細部を伝えるナラティブに、思わず手に汗握って読みふけってしまった。


 中国へ再入国できなくなったビレテールと文は、やむなく日本へやってきて京都に滞在した。六〇年代末の大学のようすを「五月のパリ」と比べる日本人に、ビレテールは「錯覚です」と応じる。五月のパリを実体験し、中国社会の内部をその目で見た者の視線の確かさが光る箇所だ。


 にべもないその応答に、わたしは視界から一気に曇りが吹き払われる思いがした。六〇年代末の日本で、ある種ファッションだった紅衛兵帽や、大学の壁に太く描かれた「造反有理」グラフィティの記憶に、異なる角度から強い光が当たったからだ。


 後半『もうひとりのオーレリア』には不意に逝った妻への追想が、日記風に記される。芸術作品の「使用法を教えてくれる案内書」と解説にあるように、これはネルヴァルの著作を下敷に、文と共に生きた時間を忘却と創作の力で新たなロマンスの殿堂へ再構築する試みといえるだろうか。


 記憶のなかで揺れる「わたしたち」の細部を固定しようとする情動の不確かさを、穏やかで淡々とした、見事な翻訳がすくいあげていく。


 ことばそのものを深く味わえる一冊である。


  くぼたのぞみ(翻訳家・詩人)


2023/02/28

雪のなかの早春譜──2月も今日で終わり

西日本新聞にエッセイが載りました。2023年2月26日(日曜日)

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⛄️ 雪のなかの早春譜 ⛄️

生まれ育った北国から東京に移り住んで半世紀あまりが過ぎた。一月は一年でいちばん寒い季節で、寒さの底へ降りていく感じがスリリングだ。でも東京は陽の光も多い。気温の変化が安定しているためか仕事が進む。


 二月はそうはいかない。曇り空に風が吹く。紅梅白梅の香りにふっと気持ちが緩んでも、風は強い。そして冷たい。冷たい風に吹かれると、つい口からこぼれる歌がある──「早春譜」だ。 

©︎ Brian Smallshaw

 春は名のみの風の寒さや

 谷のうぐいす歌は思えど

 時にあらずと声も立てず


 初めて耳にしたのはいつだったのだろう。目を閉じると、台所仕事をしながら歌うメゾソプラノの母の声が微かに聞こえる。「早春譜」「庭の千草」「スコットランドの釣鐘草」、朗々と歌う声が雪に埋もれた家のなかに響いていた。


 テレビさえまだない時代、家のなかで耳にした音楽といえば、母の歌と、ラジオから流れる音楽と、父が我流で弾いたバイオリンくらいだったかもしれない。やがて兄といっしょにバイオリンを習いはじめ、バスや汽車を乗り継ぎ遠くまで通った。


 田舎では家と家のあいだがずいぶん離れていたので、大声で歌も歌えたし、バイオリンの練習も遠慮なくできた。そう気づいたのは十八歳で東京に住みはじめてからだ。

 東京という街は家と家の間隔がなんて近いんだろうと最初は緊張した。建物群のあいだを走る狭い通路を「路地」と呼ぶことを知った。それはとても濃密な空間で、凍える手をポケットに突っ込んで足繁く通ったジャズ喫茶も、たいてい路地の一角にあった。


 でも「早春譜」とともに真っ先に目に浮かんでくる光景は、深く積もった雪原なのだ。

 北海道の雪は日本海側の雪にくらべて乾いていると言われる。たしかに、粉雪がひたすら降り積もった。晴れた日は、雪原にスカーンと空が青く、遠く広がる。積雪量の多い地域に住んでいたため、雪かきが大変だった。吹雪くと一階の窓は外が見えなくなる。二月はまだ正真正銘の真冬だった。温暖化で雪の量が減ってきたとはいえ、先日も知人から、雪下ろしをしていて脚立から落ちたという話を聞いたばかり。


 そういえば小学生のころ、春が近づくと学校で告げられる「注意事項」があった──軒下を歩かないこと。太い氷柱が垂れ下がる屋根の庇から、積もり積もった雪が春近い日差しに溶けて、ザザザザーッ、ズシン! と地響きを立てて落ちる。子供はあっけなく下敷きになる。大人だって生き埋めになりかねない。



 北国では雪が半年近く「そこにある」。そんな雪の記憶はだんだん遠くなっていくけれど、冬はいまも雪の恋しい季節だ。空から舞い落ちる雪片の美しさは比類ない。ミトンの手にふわりと受けた雪のひとひらが、そのまま結晶を形づくる不思議に、溶けるのを惜しんで見入った。


 東京にも以前はよく雪が降った。立春のころとか、三月に牡丹雪とか。今年はまだ降らない。降るかな、降るかな、と曇り空を今日も見あげる──と書いた翌日、東京に雪が降った。

 そしてあっけなく溶けた。


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2023/02/21

アンジェイ・ムンクの『パサジェルカ/Pasażerka』を観る

 1963年のポーランド映画だ。監督のアンジェイ・ムンクはこの映画を制作中に、なんと39歳の若さで交通事故で急死してしまった。残されたスチール写真と動画をもとに、仲間が仕上げたという作品だ。映画の最初にその事情が語られる。『パサジェルカ/Pasażerka/乗客』。

 舞台は一艘の客船。時代は1960年。第二次世界大戦の記憶もまだ薄れていないころだ。

 船に乗っているドイツ人女性リザが、階段を登ってくる一人の女性を見て、突然、仕舞い込まれていた記憶に引き戻される。リザは戦争中はSSで「義務として、仕事として」きわめて職務に忠実に、ユダヤ人強制収容所の監視をやっていた。彼女の突然の狼狽に、いっしょに旅をしていた夫に問いかけられても、結婚前の出来事はあなたに語っていないから理解できない、とそっけなくリザは答える。

 収容所での出来事。ユダヤ人女性マルタにリザがかけた厚情をめぐって起きた事件と、その記録、記憶、記憶の揺れ、不確実性。

 60年も前の映画だけれど、少しも古びていないどころか、次々と発見がある。観終わった後に、あれ、あそこはどうなっていたっけ? そうか、もう一度見なくちゃ、確認しなくちゃ、と思わせる映画だ。たぶん、もう一度観るのだろう。58分にしてはじつに中身の濃い、事実とその記憶をめぐる、懐疑と内省を掻き立てる作品なのだ。

 J・M・クッツェーが『In the Heart of the Country/その国の奥で』を書くにあたって、クリス・マルケルのLa Jetée とともに、この作品から強い影響を受けたのが納得できる。

*2023.2.28 追記:写真は左上が英語字幕バージョン、右下が日本語字幕バージョン。両方見ましたが、細部までよくわかるのは、当然ながら、日本語字幕の方ですね。ぶつ切りにされたシーンにナレーションがかぶさることで、観客が積極的にコミットして理解するよう作られている映画なので。

2023/02/11

サイモンズタウンで朗読するクッツェー、クロッホ、アグアルーザ

 2月10日、サイモンズタウンの文学フェアで朗読するJ.M.クッツェーらの情報がtwitter (Book on the Bay :主催者の方ですね) にアップされました。ここでも記録のためにシェアします。

2023.2.10  @サイモンズタウンのSt Francis 教会

読んだのは「短いメモワール」──新作でしょうか──で、子どものころの先生について回想しながら、「自分は非常に静かな子どもだった。不自然なほど静かだった、といまは思う」と語ったとか。

アンキー・クロッホ

 なんとこの文学フェアには、クッツェーやアンキー・クロッホのほかにジョゼ・アグアルーザも参加しています。すでに木下眞穂さんの翻訳『忘却についての一般論』(白水社)で日本にも紹介されているアンゴラ出身の作家です。アンゴラってナミビアの北に位置する南部アフリカの大きな国です。

 作家はその著作『忘却についての一般論/Teoria Geral do Esquecimento』(A General Theory of Oblivion)から朗読。アグアルーザを紹介したデイヴィッド・アトウェルは、彼の作品を「乾いた根に降る雨のよう」だと述べたとか。

アグアルーザ


 イベントの会場となった聖フランシス教会はこんな感じ↓です。2月の暑い日の夕べに、朗読を聞きに教会に集まった人たち、そして、中央やや左に立って白いシャツの背中を見せているのがジョン・クッツェーですね。元気そうで何よりです。

追記:2021.2.15   お知らせしたサイモンズタウンのイベント、ここで詳細なリポートが読めます。サイモンズタウン・ハイスクールのバンドによる音楽付き!(ジョン・クッツェーがめずしく、 Gパンをはいてます!)

2023/02/09

2月9日はジョン・クッツェーの誕生日

Happy Birthday, John Coetzee!

February 9, 2023

🌹   🌹   🌹

J・M・クッツェー、故郷に帰る。

 83歳になるジョン・クッツェーが、10日午後、サイモンズタウンのイベントにあらわれます。ケープタウンからフォールス湾沿いに半島を南下したところにある港町。イベントでは7月に出版予定の新作 The Pole から朗読するのでしょうか。

(facebookのデイヴィッド・アトウェルさん情報をシェア!)


***追記***

このイベントにはアンキー・クロッホも参加するみたい。真実和解委員会のドキュメントを徹底ルポした『カントリー・オブ・マイ・スカル』(現代企画室)の著者、アフリカーンス語の詩人ですね。



2023/02/06

『スペインの家』の書評が「すばる 3月号」に、評者は小野正嗣さん!

  今日発売になった雑誌「すばる 3月号」に斎藤真理子さんとの往復書簡の最終回が掲載されています。1980年代に森崎和江は読者にどんなふうに読まれたか、そして読まれ続けてきたかという鋭くも的確な指摘。それが斎藤真理子ならではの、とても柔らかい筆致で書かれています。

 手紙は、パク・ミンギュが「ブローティガンとの決闘」でどんな落とし前をつけたかで結ばれました。虹色の「うんこ」をした主人公が(なぜ虹色かは読んでね!)それを粉末にして首からかけていたが、それをブローティガンに飲ませるなんて、もうどういったらいいのかわからない話ですが、そこにはきちんと韓国と米国の微妙な関係も書かれていました。最終回の斎藤真理子さんのお手紙、みごとに決まりましたね。

 1年間、お付き合いくださって、真理子さん、どうもありがとうございました。編集の2人のKさん、本当にお世話になりました。読んでくださった読者の方々に深く感謝します!

 そして、そして。今月号では小野正嗣さんがJ・M・クッツェー『スペインの家 三つの物語』(白水社)の書評を書いてくださってます。同時代作家としてのクッツェーの最も重要なポイントを指摘し、人間クッツェーと作家クッツェーへの敬意と愛が溢れる、とても丁寧で心温まる評です。拙著『J・M・クッツェーと真実』のタイトルが「クッツェーの真実」ではなく「クッツェーと真実」であることの含意にも触れられていて、読んでいて身が引き締まる思いがしました。
 小野さんがロンドンでクッツェーに会ったシンポジウムの話がとても印象的です。そのときクッツェーが『スペインの家』の二つ目に収められた「ニートフェルローレン」を朗読するのを、小野さんは直に聞いていたんですね。

 小野さん、どうもありがとうございました。


2023/01/22

ペ・スア著・斎藤真理子訳『遠きにありて、ウルは遅れるだろう』の入口で痺れまくる

 J・M・クッツェーの最新作『ポーランドの人/The Pole』の翻訳原稿をメールで送って、ひと息。机の上でじっと待っていてくれた書物たちの山に手をのばして、少しずつ崩していく。

 まず最初に、そこにあって強い単色の光を放っていた『遠きにありて、ウルは遅れるだろう』斎藤真理子訳(白水社)を手に取る。ペ・スアという韓国の作家の作品だ。カバーがいい。「いい」を通り越して、気になって仕方がなかった。

 何人かの人がSNSでこの作品について語っているのを横目で見ながら、ああ、近くにありながら、わたしは遅れてしまう、遅れてしまった、と思いながら今日を迎えた。でも、晴れて一年でいちばん寒い季節にこの本を開いて、いい時期に当たったかもしれないと思う。北国の、雪に閉ざされた家のなかで、ストーブの熱を浴びながら読んだ数々の本たちのことを思い出すからだ。この季節は、東京はまだ雪こそ降っていないけれど、わたしにとって「冴えわたる」 と呼び変えてもいいかと記憶されている時期で──たんに記憶の連鎖によるもので、実際は違うのだが──そこがまた奇妙にこの作品と絡まり合って面白い。

 まず、ペ・スアのこの作品を日本語で読めることがありがたい。斎藤真理子さん、ありがとう。編集者さんたち、ありがとう。本のカバーをめくり、扉の絵に驚嘆し、訳者あとがきを読んで興奮し、本文を読みはじめて度肝を抜かれる。

 訳者あとがきにクリス・マルケルの名前を発見したとき興奮したのは理由がある。フランスのこの映像作家、というか、むかしふうに言うと「映画監督」は1962年に La Jeteé というモンタージュ風の短い作品を作っていて(昨年何度か観た)、それから大いなる影響を受けたのがJ・M・クッツェーだったからだ。クッツェーはその影響下に第二作『その国の奥で』を書いた。

『遠きにありて、ウルは遅れるだろう』を書いたペ・スアという作家がドイツ語から韓国語へ翻訳をしてきた作家だというのがまた気になる。自作は韓国語で書くが、韓国にいるときはドイツ語から韓国語への翻訳をして、ドイツに滞在しながら韓国語で作品を書くのだという。この距離感が何にも増してその作品を特徴づけているらしい。でも翻訳はもうたっぷりやったといって打ち止めにしたようだ。誤訳した部分をめぐる発言がまた、創作者ならではの視点で語られていて、非常に興味深い。

 ある作品から最初に受けた印象は、作品を読めば読むほどどんどんそれとは異なるものによって上書きされ、更新されて薄まっていくものだ。だからとにかく忘却の彼方へ消えないうちに、どれほど新鮮な「痺れ」感覚があったか、ここにメモとして残しておく。杭を立てておかなければ不明瞭になってしまうのだ。メモとしてのこの杭はあとで必ず立ち戻るときが来る。

 さあ、本文へ突入しよう。

2023/01/07

J・M・クッツェー『ポーランドの人』絶賛翻訳中

 今年の初仕事はやはりJ・M・クッツェーでした。3日から、翻訳中の『ポーランドの人/The Pole』の訳文見なおしをコツコツ進めて、今日7日にほぼ目処がつきました。

 昨年中に、3月に出るオランダ語版 De Pool と5月に出るドイツ語版 Der Pole の情報がアップされ、昨年暮れにはオーストラリア英語版の情報もシドニー・モーニング・ヘラルドとオーストラリアンの二紙に出ました。英語版は7月にText Publishing から出るようです。

 コッセ出版から出るオランダ語版の表紙が渋いこと! 左の木版画です。髭を蓄えた男性がピアノに向かっていて、白黒世界のはずが、燭台の2本の灯りだけ黄色く色がついています。

 これを見た友人が「あ、これはヴァロットン!」と教えてくれました。調べてみると現在、東京でヴァロットンの展覧会が開かれているんですね。29日まで。ヴァロットンとは、19世紀末から20世紀初頭にかけてパリを中心に活躍した、スイス生まれの版画家・画家だそうです。

 ネット上に最初に出たのがフィッシャー社のドイツ語版の表紙でした。絵柄は、室内から黒っぽいカーテンがかかった窓ごしに、どこか地中海沿岸の田舎を思わせる風景です。バルセロナ? それともやっぱりマヨルカ島かな、それとも、それとも……

 物語の舞台はおもにバルセロナ、マヨルカ島、そしてワルシャワです。多出するヨーロッパ言語の人名、地名などの固有名の読みを確認すること、それが今後の課題。スペイン語、イタリア語、ラテン語、ポーランド語、ロシア語などいろいろ出てくるところが、クッツェーらしい。

初夏には日本語版で読めるよう奮闘努力の最中です。