2009/05/30

『世界中のアフリカへ行こう』──<むしめがね>編

この、中村和恵編『世界中のアフリカへ行こう』(岩波書店)には、わたしもちょこっと書きました。

「ちょこっと」という言い方が、ちょうどいいでしょう、たぶん。「南アフリカへの机上の旅」という1章です。登場するのは、知る人ぞ知るズールー民族の大詩人、マジシ・クネーネ、さらに、裕福な家庭で育った白人を母に、その家の厩番で名前も分からなかった黒人を父にもって生まれた作家、ベッシー・ヘッド、そしてジョン・マクスウェル・クッツェーです。
 つまりは、わたしが訳した、南アフリカ出身の3人の詩人、作家ということですが、彼らの作品との出会いや、具体的な作品を紹介しながら(拙訳の、かなり長い引用もあります)、南アフリカ文学のスポット的紹介になっています。むしめがね片手に部分拡大して紹介、といった感じです。
 クッツェー氏が来日したとき、彼の口から飛び出したある質問に思わず絶句、という今回初公開のエピソードもあります。

 本屋さんで、ぱらぱらぱらりとめくってみてください。

2009/05/29

世界中のアフリカへ行こう──<なかみ>編

5月27日『世界中のアフリカへ行こう』(岩波書店)が発売になりました。

これは「アフリカのガイドブック」ではありません。<旅するアフリカ文化>のガイド、つまり、過去何百年かにわたって世界に散らばってきた「アフリカ文化」のガイドブックです。
 今回は、その<なかみ>をご紹介しちゃいます。

 個性豊かな書き手のスタンス、独自色あざやかな文章もさることながら、関連地図がすごい!
 それぞれの国名と主要都市名入りのアフリカ大陸全図にはじまり、その隣には、この本に登場するおもなアフリカの国々の基本データ(平均寿命と男女別識字率が入っているのがユニーク)がならび、大西洋の奴隷貿易の図、全カリブ海地域地図(国名と首都名入り)および、おもな国別データとつづきます。これは資料として使える! とっても便利。
 各章内には、もちろん、写真、図版などが豊富に入っています。

次に「もくじ」:

 はじめに「文化は旅をする」──中村和恵
 関連地図
I アフリカ点描──継承されるもの、変化するもの
 1 呪術/旅する魔法──中村和恵
 2 物語/南アフリカへの机上の旅──くぼたのぞみ
 3 教育/キプシギスの成年式と学校教育──小馬徹
 4 新植民地主義/コンゴはどうして貧しいか──ムンシ・ヴァンジラ・ロジェ
II ディアスポラ・アフリカ案内──旅する文化の軌跡
 1 食物/アフロ・アメリカの旅──旦敬介
 2 音楽/ 混交への回帰/脱出──鈴木慎一郎
 3 ダンス/腰が語る──岡崎彰
 4 文学/黒いイギリス──中村和恵
 5 スタイル/「アフリカ」が旅するとき──管啓次郎

来年は、サッカーのワールドカップが南アフリカで開催されますが、アフリカ各国チームが国をあげて用いる「呪術」のすごさ、これには本当に目をみはります。どういうことかって? ぜひこの本を手に取ってみてください。謎は解けます。

さらに詳しい情報は、こちらへ

2009/05/26

世界中のアフリカへ行こう──<おしらせ>編

出ました! ついに! なにがって、本です!!  ただの本ではありませんよ。アフリカ文化のガイドブックです。こんなタイプの本は初めてじゃないかなあ、たぶん。
 明日発売です。

世界中のアフリカへ行こう』 (岩波書店、1995円)

「〈旅する文化〉のガイドブック」というサブタイトルがついているように、中身は「世界中に散らばったアフリカ」なんです。

 といっても、じつは実物はまだ見ていないのですが…。版元のサイトにカバー写真が出たばかりなのです。いやあ、書き手は編者の中村和恵さんはじめ、そうそうたるメンバー──(私もちょこっと書きました)。まあ、詳しいご案内は本が届いてから。とにかく一刻も早く、カバーを見ていただきたくて載せました。

2009/05/21

J・M・クッツェーを読むということ

「あること」を書きながらその「あること以外」の存在を、それとなく、しかし確実に感知させるように書く、それがクッツェーだ。だから読者は作中人物にぴったり自分を重ねて読むことができない。ざらりとした感触が残る。最初は違和感が強い。しかし、クッツェーの作品はつい読ませてしまう、読んでしまう。何冊か読むうちに、もう1冊、もう1冊、と読みたくなる。そしていつしか、クッツェー文学のとりこになる。
 このパターン。なんだろう、これは。そう、珈琲とか、ビールとか、ワインとか。一種のアディクトに似ていなくもない。ほとんど中毒のようになっていくところが。

 それは読み手のなかに、それまで気づかなかったなにかの存在を喚起するからだ。名づけえないもの。でも、気になる。一度、気がつくや、もう無視できないなにか。そのような存在との出会いが、クッツェーを読むという行為のなかに含まれているように思えてならない。
 それは間違いなく、新しい世界観への扉となる。風通しのあまりよくない部屋にいるとき、光と、風をほおに感じたいとき、窓をあけて、首を少しだけ上に向けてみる、そんな行為にも似ている、なにか。


photo ©Bert Nienhuis

2009/05/17

リバティ アカデミー「先住民」編

昨日は駿河台の明治大学で「リバティ アカデミー 先住民編」第2回がありました。文化人類学がご専門の阿部珠理さんの、北米のネイティヴ・アメリカン/アメリカ・インディアンについてのお話。北米先住民の歴史と現在を統計上の数字を示しながら、具体的に、かいつまんで教えていただくという興味深い内容でした。とても面白かった。

 受講生のなかに、このブログを見て申し込んでくださった方がいらっしゃいましたが、それもまたとても嬉しいことでした。この講座は、講師が自分の担当以外の回も出席して他の講師の話を聴き、学び合う、という密度の濃い講座になっています。

 一昨年の、「アフリカ編」が今月末に本になって書店にならびます。『世界中のアフリカへ行こう!』(岩波書店)。コンゴ民主共和国出身のムンシ・ヴァンジラ・ロジェさんの話がすごい。ほかにも面白そうな話がたくさん。とっても楽しみ!

2009/05/11

『デイヴィッドの物語』──ゾーイ・ウィカム著

<南アフリカ解放闘争と先住民グリクワのナラティヴ・ヒストリー>

 ゾーイ・ウィカムの『デイヴィッドの物語/David's Story』は、さまざまなテーマが色とりどりの糸で編み込まれた一枚の布のような物語である。スリラー、ゴシック、あるいはポストモダン小説。

 主人公のデイヴィッド・ディルクセはカラードのフリーダムファイター、時代は1980年代後半から1991年、アパルトヘイトからの解放が間近に迫る、南アフリカ社会の転換期だ。

 それまで自分のアイデンティティのことなど深く考えることのなかったデイヴィッドだが、あるとき思い立って、グリクワとしてのルーツ探しの旅に出る。グリクワとは、南部アフリカの先住民族「コイサン・ピープルズ」に属する一民族のこと。コイサンとは、ヨーロッパ人がつけた蔑称「ホッテントット」や「ブッシュマン」という呼び名によって日本にも伝えられていた人たちのことだ。
 解放闘争の裏面史的性格をもつこの作品は、だから、グリクワ民族の歴史物語ということにもなる。デイヴィッドの祖母や曾祖母たちの語りによって、20世紀初頭にナマクワランドからオレンジ川流域へ、さらにコックスタッドへ、それからふたたび東ケープ北部へとグリクワの首長たちに率いられてトレックする人たちの姿が、くっきりと浮かびあがる仕掛けになっているのだ。ここに「白人」対「黒人」という二項対立で見られがちな「アパルトヘイト」の裏側、歴史の細部を伝える物語が展開される。

 さらにこれは女たちの物語でもある。デイヴィッドの妻サリー(やはりフリーダムファイター)や、同志ダルシー(拷問を受けた身体をもつ女性)の語りが活写するのは、解放闘争にリクルートされたカラードの女たちの姿だ。物語が進むにつれて、外部からは見えなかった解放組織の内実、その知られざる姿が影絵のように浮かびあがる。旅の途中、デイヴィッドは自分が「抹殺者予定リスト」に載っていることを知る。ダルシーとデイヴィッドの関係も、なるほど、そうか──と、じつにスリリング。ここが、現在の南ア政権党=ANCの内部性格を理解するうえで役立つ。ある意味、この物語の最大のポイントかもしれない。
 ゾーイ・ウィカムの重層的なナラティヴのなかに、じわじわと浮上して像を結びだすのは、解放運動の活動家、スパイ、破壊工作員、地下活動者たちの相矛盾するいくつもの真実だ。それは、アパルトヘイトからは解放されたが、苦悩に満ちた過去の重みから、いまだ解き放たれていないこの国の人々の現在ともリアルに重なる。

 この小説は南アの解放からわずか6年後の2000年に出版された。ジンバブエなど、解放闘争の真実が文学作品として描かれるまでに10年待たなければならなかったことを考えると、それもまた驚きというべきか。          
 
* ** ** ** ** ** ** ** ** ** *
<讃辞>  
「何年ものあいだ、アパルトヘイト後の南アフリカ文学はどのようなものになるだろうかと、私たちはずっと待っていた。いま、ゾーイ・ウィカムがその逸品を届けてくれた。ウィットに富んだ語調、洗練された技法、多層的に織り込まれた言語、そして政治的にはだれの恩恵も受けていない『デイヴィッドの物語』は、途轍もない偉業であり、南アフリカの小説を創り直す大きな一歩でもある」
   ──J.M.クッツェー

「目撃することのパラドックス、民族解放の確かさと底辺層のハイブリッドなアイデンティティの不確かさ、性交の神秘、政治的フィクションの苦さに導かれて読む、繊細でパワフルな小説。ウィカムの本は、マリーズ・コンデやイヴェット・クリスチャンセとおなじ書棚に置かれるべきだ」
   ──ガヤトリ・チャクラヴォルティ・スピヴァク

2009/05/02

日本イラク通信社

5月1日「水牛だより」より、勝手に転載します。(お許しあれ!)

”佐藤真紀さんたちが「日本イラク通信社」というのを立ち上げて、イラク関連のニュースをYouTubeで配信しはじめました。ニュースショーそのままの演出が笑わせてくれます。キャスターは佐藤真紀さんです。現地で撮影された映像をこんなふうに見せる工夫がすばらしい。スタッフも募集しているようなので、興味のあるかたはぜひ。”とのこと。

わたしは佐藤真紀さんが毎月「水牛のように」に書いている文章のファンです。ずいぶん前からです。彼の書き方はいい。現場のことが、過剰な感情を排した、じつに的確な表現で伝わってきます。それでいて「笑えます」。そこがすばらしい。

2009/04/27

三鷹「文鳥舎」で、マチョイネ=西江雅之さんの話をきく

ジャズはアフリカ起源の音楽だ、なんてのは違う。ぼくは何年か前に数人の学者とその議論をして論破した──と語るのは、言語学と文化人類学を専門とするマチョ・イネこと西江雅之さんだ。

 昨夜は三鷹の「文鳥舎」で「世界中に散るフランスという国」なるトークショーを楽しんだ。西江さんの話しっぷりは、本当に面白い。噺家のようなのだ。「フランス語が話されている世界の地域」のことではなくて「フランスという国そのものが、ヨーロッパ本国と、マルチニック、グアドループ、レユニオン、フランス・ギアナといった海外県と、カナダの大西洋側にあるサンピエール・エ・ミクロン、インド洋のマヨットといった特別自治体と、さらには、ニューカレドニア、フランス・ポリネシア、ワリス・フトゥナ、南極の一部といったフランス領をすべて含めた、世界中に散在する国、として成り立っている」というお話だった。

 頭のなかでかたまっている「フランス」というステロタイプのイメージがゆさゆさ揺れて、そこかしこに風通しのよい穴があき、崩れる。そして新たなイメージで「フランスという国家」をながめやる目が養われる。西江さんの話はいつも聴き終わったあとが爽快で、気持ちよい。

 最初のジャズの話は懇親会で聴いたもの。前日、ツトム・ヤマシタとのコラボレーションのため京都へ行っていたそうだから、その流れから出てきたものかもしれない。それを聴いて、ありありと思い出したことがある。それは1970年前後の日本の、いわゆる「ジャズ・シーン」をめぐる熱い語りにみられた、ある傾向のことだ。

 当時、情報は、なんでもかんでも米国発のものが勢いをもっていた。というより、いま以上に、憧れをもって肯定的に語られていたというべきか。ヒッピー、フォーク、ロック(ときどきブリティッシュ)、文学だって、やれケルアックだ、ギンズバーグだ、サリンジャーだ、と圧倒的に「アメリカもの」で、さまざまなものが入り込む余地があまりなかった。見えていなかった。つまみ食いのようにして少しは読んだけれど、米国発の文学で興味を引かれるものは、ブローティガンが紹介されるまで、ほとんどなかった。でも、音楽は別、ジャズは別だった。

 あの当時のジャズ聴きたちは「ジャズ=黒人/アフリカ人の音楽」という固定観念から離れられなかったように思う。だから、ヨーロッパのジャズは二級扱いされ、極端な人は、白人プレーヤーのジャズは「白人だからダメ」とまでいう始末。いったい、どんな耳をしていたのやら。いや、どんな頭をというべきか──私も含めて。
 ジャズを演奏する人たちのなかにもまた「黒人のように」演奏すること、より「黒い」音楽を演奏すること、さらには「黒人のようになること」にまで(そんなこと不可能なのは分かりきっているのに)究極の目標を細めていく人もあらわれ、それを肯定する左派めいた論客もまた、人気を博していたように思う。それは「黒っぽいフィーリング」があるかないか、というふうに論じられた。
 なんか変だと思いながらもきっぱり反論できなくて、嘘くさいその手のライナーノーツや解説なるものを読まなくなったのは、そのせいだったのかもしれない、といまになると理由をつけることもできる──だって、じゃあ、なんで日本人がジャズをやるの、なんでロックをやるの、ということになるでしょ? 60年代後半って、そういう時代でもあったのだ。

 音楽も、文学も、人種と不可分に結びつくものなんかない。結局、それは「文化」なのだから。文化は「創り出すもの」で、アフリカン・アメリカンと呼ばれる人たちは、白人文化が命じる器のなかで、アフリカ起源のものをベースに、手近にある、さまざまな道具、アイディアを混入させながら、独自のものを創り出していった。彼らの創造性はそこにある。それは黒人でなければできないものではない。ただ、間違いなく彼らがやったことなのだ。そこのところを同一視すると、すごく間違う。その流れでいくと、日本人でなければ日本(語)文学は書けないという考えに(そう信じている人はある年齢層以上に、いまだって間違いなく、いる)反駁できない。

 日本人のすばらしいジャズメンはたくさんいるし、黒人でなければジャズができないなんて、いまじゃ誰も思わない。白人たちはジャズまで奪っていった、という黒人サイドの発言も聞いたことがあるけれど、それは見方を変えるなら、彼ら/彼女たちの「文化」が白人文化を凌駕したということにもなる。文化も、伝統も、きわめて創造的な、つまりは、恣意的なものなのだ。西江さんの話を聴くとすっきりするのは、その辺と大いに関係がある。自分を縛ってきたしがらみや不安から、解き放たれたような気持ちになるのだ。

2009/04/25

どのように永遠のひと時──ファファレーイの詩

現代詩手帖 5月号」に、スリナム生まれのオランダの詩人、ハンス・アントニウス・ファファレーイ(1933〜90)の詩をいくつか訳出しました。

 ファファレーイのことは「現代詩手帖 1月号」でも「世界の波頭」で、詩を引用しながら少しだけ紹介しましたが、今回は詩作品そのものを楽しんでいただけます。翻訳には力を入れました。

 ファファレーイの作品はたいていがサイクルになっています。あるタイトルのもとに、各ページに数行から十数行におよぶ詩句がならび、それが数ページまとまって一篇の詩を構成する、そんな連詩形式なのです。
 今回もフランシス・R・ジョーンズ氏の英訳アンソロジー『忘却にあらがい/Against the Forgetting』(New Directions, 2004)からの日本語訳ですが、すでに入手してある8冊のオランダ語のオリジナルも、行の移り、連の移りの部分など、少しだけ参照しました。それで改めて確認したのは、どうやらオランダ語と英語は、言語としては二卵性双生児みたいな関係にあるらしいということ。面白い。

「宝石のように美しい詩篇は、本を閉じたあとも永く、エコーのように心のなかに響きわたる」とJ・M・クッツェーが述べた、この詩人の澄明な詩のことばをうまく日本語に転換できていることを願って・・・冒頭の部分を少しだけ写しておきましょう。

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「どのように永遠のひと時」より

  *

  恋する女が
  身をまかせようか、まかせまいか、

  思いあぐねているように、
  一枚のカエデの葉が、ひさしく前から
  落ちかけ、それでもなお
  枝から離れずにいる。

  わたしの唇のうえの水のしずく
  ・・・・・・・・・・・
  ・・・・・・・・・・・
写真はオリジナル詩集『忘却にあらがい/Tegen het vergeten 』(1988)

2009/04/16

「博物館」──レイラ・アブルエラー/Leila Aboulela

スーダン出身の英語で書く作家、レイラ・アブルエラーの短篇「博物館/The Museum」を「神奈川大学評論 62号」に訳出しました。
 
 スコットランドのアバディーンを舞台に、スーダンからの留学生シャディァと、彼女が出会ったスコットランド人学生ブライアンとの淡い恋物語が描かれます。故国に裕福な実業家の婚約者がいるシャディァは、母親の強いすすめで、修士号をとるためスコットランドに留学しますが、北国の寒くて雨の多い暮らしのなかで体験する違和感や、授業についていけない焦り、孤独感に悩まされます。そんな彼女がノートを貸してもらったブライアンと初めていっしょに出かけたのが博物館でした。ところが、そこに展示されていた「アフリカ」に、ブライアンは強い関心を示しますが、シャディァはショックといたたまれなさを感じて・・・。

 アブルエラーは1964年、カイロ生まれ。母親がエジプト人、父親がスーダン人、育ったのはハルツームで、20代に英国に渡り、1990年代から作家活動に入ります。80年代にスーダン南部で石油が発見され、クーデタが起きましたが、アブルエラーの渡英はそれと無関係ではなさそうです。

 2000年の第1回ケイン賞の受賞者で、「博物館」はそのときの受賞作。ケイン賞というのは「アフリカン・ブッカー」の異名をとる、英語で書くアフリカ人作家の短篇に毎年あたえられる賞です。
 これまでに、ナイジェリア出身のヘロン・ハビラや、ケニヤ出身のビンヤヴァンガ・ワイナイナ、南アフリカ出身のメアリー・ワトスン、ヘンリエッタ・ローズ=イネスといった若手作家を輩出しています。

 今回訳出したアブルエラーの「博物館」は、その後、短篇集「Coloured Lights」に収められました。そのほかこの作家には『The Translator』、『Minaret』と長編が2作あり、いずれも高い評価をえています。(以前、このサイトでこの作家の名前を「アブーレラ」と紹介しましたが、「アブルエラー」が元のアラビア語の音に近い表記だそうです。)

 ちなみに、日本独自の短篇集として出したチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの『アメリカにいる、きみ』(河出書房新社、2007)の表題作「You in America」は、2002年のケイン賞のショートリストに残った作品でした。

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アフリカの同時代文学では、日常を描こうとすると「政治的要素」がかならず入り込んできます。でもそれは「日本の読者にとって政治的と思える要素」といいかえる必要がありそうです。なぜなら、そこに住み暮らす人にとっては、とりわけ「政治的」とことわる必要もない、ごく日常的なものだからです。
 そういう意味で、残念ながら、日本に住み暮らす者にとって、アフリカの人々の暮らしは「情報としても」やはり「遠い」といわざるをえません。

 スーダンといえば「ダルフール」という地名を思い浮かべる人がいるかもしれませんね。「ダルフール問題」について、すっきり理解できるサイトがあるのでリンクしておきます。YOUTUBEで直接見るにはこちら

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 ☆お詫びと訂正☆ このブログ等で、これまで幾度か「ケイン賞」を「ケインズ賞」と誤表記したことがありました。ごめんなさい。正しくは「ケイン賞/Caine Prize」です。

2009/04/13

朝の光、ローレルの花

今年もまたローレルの花が咲いた。

 桜、レンギョウ、すみれ、ユキヤナギ、チューリップ、コデマリ、ハナズオウ、と鮮やかな色の花々が咲き乱れる春に、人目につかずにひっそりと咲く、月桂樹の花。
 
 秋のうちから、固い拳のような、ちいさな花蕾を準備し、冬をやりすごして春を待ち、ほかの花々がにぎやかに咲いて散るころ、ゆっくりと開く。
 色も、青磁を思わせる薄い半透明の緑色をさらに薄めたような色あいで、まことに地味。花のまんなかに少し濃い黄緑色の芯がのぞく。幹から交互に伸びる葉の付け根のところに茎を立ちあげ、その先に、いくつかの花が房になって咲く。

 コデマリもハナズオウも、わたしが育った北の土地にはなかった植物。もちろん月桂樹もそう。

 開花の時期が、今年は昨年よりも1週間ほど早い。


撮影:M.M.