いま聴いているのは、パリから帰ってきたばかりの友人が送ってくれたCD。フランスの海外県、レユニオン島出身のダヴィ・シカールのアルバムだ。どちらかというと高めの、少しだけハスキーな、なかなかしぶくて良い声で、切々と歌う。私の好きな音楽です。タイトルの語「KABAR」は「村の木陰で開かれる話し合いの会」といった意味らしい。15曲入っているが、クレオール語がほとんどで(後半にフランス語もちらほら聞こえてくるけれど)、意味は残念ながらよくわからない。
しばらくは、毎日、このCDをかけて暮らそう。
ジンバブエから大型新人作家が登場!
1960年前後、コンゴは独立のために、初代首相になったルムンバを初めとして多くの人が血を流しました。この映画の主人公、ウェンド・コロソイは1920年代の生まれで、独立当時は一世を風靡していたミュージッシャン。ところが、動乱のとき彼は逮捕され、ルムンバは殺されてモブツが大統領になった。以来、音楽の世界から遠ざかっていた彼が、モブツ亡きあと、音楽シーンへ復帰する。この映画はその物語を「記録」しています。
アフリカ、といえば、飢餓、紛争、汚職、あるいは、広大な平原に沈む大きな太陽と野生動物、さらには人類の発祥の地、希少金属の埋まっている大陸、奴隷貿易、大きくたくましいアフリカン・ママの姿、とさまざまなキーワードが浮かんでくるけれど、この本はその名も『African Love Stories』。そう、「ラブ・ストーリー」の本です。
第一部が「The Vietnam Project」、そして第二部が「The Narrative of Jacobus Coetzee」。前者がヴェトナム戦争時の米国を舞台にした物語、後者がアパルトヘイト体制へいたる南アフリカの植民の歴史を根源まで遡る物語、その両者を「黄昏の国々」という意味のひとつの作品におさめ、細部をたがいに響き合わせる小説として発表したクッツェー。彼はこの作品で「作家」になりました。この作品から歩き出した、といってもいいでしょう。
映画「Disgrace」の面白い評を見つけました。Brian McFarlane という人が「Australian Book Review」に書いた評です。
評者マクファーレンは、クッツェーの小説「Disgrace」をSteve Jacobs 監督が映画化した同名の作品と、フィリップ・ロスの小説「The Dying Animal」をIsabel Coixetが監督した映画「Elegy」とを比較しながら論じています。しかし、重点がおかれるのはもっぱら「Disgrace」。
この、中村和恵編『世界中のアフリカへ行こう』(岩波書店)には、わたしもちょこっと書きました。
5月27日『世界中のアフリカへ行こう』(岩波書店)が発売になりました。
出ました! ついに! なにがって、本です!! ただの本ではありませんよ。アフリカ文化のガイドブックです。こんなタイプの本は初めてじゃないかなあ、たぶん。
「あること」を書きながらその「あること以外」の存在を、それとなく、しかし確実に感知させるように書く、それがクッツェーだ。だから読者は作中人物にぴったり自分を重ねて読むことができない。ざらりとした感触が残る。最初は違和感が強い。しかし、クッツェーの作品はつい読ませてしまう、読んでしまう。何冊か読むうちに、もう1冊、もう1冊、と読みたくなる。そしていつしか、クッツェー文学のとりこになる。
受講生のなかに、このブログを見て申し込んでくださった方がいらっしゃいましたが、それもまたとても嬉しいことでした。この講座は、講師が自分の担当以外の回も出席して他の講師の話を聴き、学び合う、という密度の濃い講座になっています。
<南アフリカ解放闘争と先住民グリクワのナラティヴ・ヒストリー>