2009/06/17

Davy Sicard──KABAR

いま聴いているのは、パリから帰ってきたばかりの友人が送ってくれたCD。フランスの海外県、レユニオン島出身のダヴィ・シカールのアルバムだ。どちらかというと高めの、少しだけハスキーな、なかなかしぶくて良い声で、切々と歌う。私の好きな音楽です。

 タイトルの語「KABAR」は「村の木陰で開かれる話し合いの会」といった意味らしい。15曲入っているが、クレオール語がほとんどで(後半にフランス語もちらほら聞こえてくるけれど)、意味は残念ながらよくわからない。

 しばらくは、毎日、このCDをかけて暮らそう。
 

2009/06/15

ペティナ・ガッパ ── ジンバブエ文学の輝く新星

ジンバブエから大型新人作家が登場!

 Petina Gappah/ペティナ・ガッパ

 2007年のアフリカン・ペン賞で第2位になった作品「At the sound of the Last Post」を読んで、この人、なかなか辛辣な調子でムガベ政権を批判する作品を書くなあ、と強く印象に残りましたが、やはり、ぐんぐん頭角をあらわしてきました。

 新人ながら、出たばかりの短篇集『An Elegy for Easterly/イースタリーへの悲歌』は今年のフランク・オコナー短篇賞のロングリストにも入っています。表題作にある「イースタリー」というのは、ジンバブエの首都郊外のスラムの名前。物語はちょっと悲劇的ですが、書き方はさらりとしています。上手い。

*********************
付記:7月6日、フランク・オコナー賞のショートリストにも残ったことが分かりました。わくわくします。

2009/06/12

「オン・ザ・ルンバ・リヴァー」──ジャック・サラザン監督

「On The Rumba River」──by Jacques Sarasin

旧ザイール、現コンゴ民主共和国の音楽については「リンガラ」くらいしか思い浮かばない「シロウト」ですが、ルンバと呼ばれるキューバ発祥の音楽には、もちろん、いろんなものが含まれているのは知っています。根幹には、アフリカから大西洋をわたった人たちが創り出した「アフリカン・アメリカン文化」があります。
 この映画は「ルンバ・リヴァー」という語がタイトルに入っていますが、出てくるのはコンゴ川です。つい最近まで地図にはザイール川とも書かれていました。そこに浮かぶ、いまにも壊れそうな、旧式の船がなんとも印象的。

1960年前後、コンゴは独立のために、初代首相になったルムンバを初めとして多くの人が血を流しました。この映画の主人公、ウェンド・コロソイは1920年代の生まれで、独立当時は一世を風靡していたミュージッシャン。ところが、動乱のとき彼は逮捕され、ルムンバは殺されてモブツが大統領になった。以来、音楽の世界から遠ざかっていた彼が、モブツ亡きあと、音楽シーンへ復帰する。この映画はその物語を「記録」しています。
 なかなか一筋縄ではいかない映画ですが、コンゴ川対岸のブラザヴィルから盟友が背広にネクタイ姿でぴしっと決めて、ウェンドを訪ねてくるあたり(ウーン、どんなドラマが背後にあったのかなあ、いま彼はなにをしているのかなあ、と思わず考えてしまいましたが)、複雑な歴史的背景がここには埋もれていることが推測できます。

 それにしても、「コンゴは内戦によって400万人の人が死んだ」と字幕が流れると、打ちのめされる思いがします。ものすごい人数です。90年代、あるいは2000年以降も紛争は続いていますから。それが外部に適切に報道されるかどうかを決めるのは、決して巻き込まれた人たちの「数」ではないことを、この数字はよくよく物語っている。
 
 とはいえ、この映画には貴重なシーンがたくさんあります。道路で遊ぶ子供たちの姿が一瞬、見えたり、家々の軒先に綱から下がるたくさんの洗濯物、ポリバケツ、鶏肉の煮物、でっぷり太ったアフリカンママたちが着る素敵なプリントのドレス、壊れそうな家々の壁にペンキで描かれた「SHOP」という文字、ずらりとならぶ錆びたトタン屋根、ごぼっと穴のあいた下水路、ゆったりと流れる広い川の水に揺れながら川下へ押し流されて行く植物。そういった、一見どうでもよさそうな細部が、私にはとても面白かった。屋外のカフェ風のテーブルにならぶ白い椅子が、ハイチの街角の椅子とそっくりおなじ、というのも面白かった。フランス製なんでしょうか。

 ちなみに、先月出たばかりの『世界中のアフリカへ行こう』には、この国出身の在日コンゴ人、ムンシ・バンジラ・ロジェさんの貴重な話「コンゴはどうして貧しいか」が載っています。

2009/06/09

アフリカン・ラブ・ストーリー

 アフリカ、といえば、飢餓、紛争、汚職、あるいは、広大な平原に沈む大きな太陽と野生動物、さらには人類の発祥の地、希少金属の埋まっている大陸、奴隷貿易、大きくたくましいアフリカン・ママの姿、とさまざまなキーワードが浮かんでくるけれど、この本はその名も『African Love Stories』。そう、「ラブ・ストーリー」の本です。

ええっ? アフリカのラブストーリー? なにそれ?

 そうねえ、「ジャーパニーズ・ラブストーリー」というと、やっぱり、なにそれ? という感じがしますよね。ごもっとも。でもね、ほら、表紙がとってもきれいでしょ。
 ウガンダの作家モニカ・アラク・デ・ニイェコ/Monica Arac de Nyekoの「2007年ケイン賞受賞作/Jambula Tree」という金色のシールも貼ってあって。編者はガーナの大御所作家、アマ・アタ・アイドゥー/Ama Ata Aidooです。ちなみに表紙は、アマンダ・キャロルという人の絵。

 ちょっとだけ、中身を──といっても「もくじ」だけね──ご紹介しちゃいます。

'Something Old, Something New' by Leila Aboulela
'Marriage and other Impediments' by Tomi Adeaga
'Transition to Glory' by Chimamanda Ngozi Adichie
'The Lawless' by Sefi Atta
'The Rival' by Yaba Badoe
'Tropical Fish' by Doreen Baingana
'Scars of Earth' by Mildred Kiconco Barya
'Ojo and the Armed Robbers' by Rounke Coker
'Ebube Dike!' by Anthonia C Kalu
'Three [Love] Stories in Brackets' by Antjie Krog
'Modi's Bride' by Sindiwe Magona
'Modupe' by Sarah Ladipo Manyika
'Counting down the Hours' by Blessing Musariri
'Jambula Tree' by Monica Arac de Nyeko
'Needles of the Heart' by Promise Ogochukwu
'Give Us That Spade!' by Molara Ogundipe
'The Telltale Heart' by Helen Oyeyemi
'The Veil' by Nawal El Saadawi
'A Sunny Afternoon' by Véronique Tadjo
'Possessing the Secret of Joy' by Chika Unigwe
'Deep Sea Fishing' by Wangui wa Goro

2009/06/02

500マイル by Peter, Paul & Mary と Dusklands

ある人のブログでたまたま見つけて、何気なくのぞいてみた YOUTUBE で、いきなり胸を突かれました。
 60年代が舞台の小説を訳しているからではないのですが、この歌は、さまざまな感情を思い出させて、うまく文節化できません。さまざまな感情が断片となった記憶といっしょに襲ってきて、ことばにならないのです。
 でも、PP&Mのこのヴァージョンは、ほかのものと違って、いま見ても、いま聴いても、心打たれます。


Five Hundred Miles by PP&M
(Hedy West)


If you miss the train I'm on, you will know that I am gone
You can hear the whistle blow a hundred miles,
Hundred miles, a hundred miles, a hundred miles, a hundred miles,
You can hear the whistle blow a hundred miles.

Lord I'm one, lord I'm two, lord I'm three, lord I'm four,
Lord I'm five hundred miles from my home.
Five hundred miles, five hundred miles, five hundred miles, five hundred miles
Lord I'm five hundred miles from my home.

Not a shirt on my back, not a penny to my name
Lord I can't go a-home this a-way
This a-way, this a-way, this a-way, this a-way,
Lord I can't go a-home this a-way.

If you miss the train I'm on, you will know that I am gone
You can hear the whistle blow a hundred miles.


******
ヴェトナム戦争まっさかりの60年代 USAから発信された曲を(ジョーン・バエズの「DONNA DONNA」とか)、北海道の片田舎で聴いていたこと。東京に出てきてからも、ヴェトナム戦争は烈しさを増し、立川の米軍基地へと中央線を走って行く黒いタンク車を目にしながら、反戦デモの末尾にぼそぼそとくっついて行ったころのこと。さまざまなことを思い出しますが、いまあらためて考えるのは、1974年にJ.M.クッツェーが第一作目として出した「ダスクランズ/Dusklands」のことです(原タイトルの最後の複数の「s」に注目してください)。

 第一部が「The Vietnam Project」、そして第二部が「The Narrative of Jacobus Coetzee」。前者がヴェトナム戦争時の米国を舞台にした物語、後者がアパルトヘイト体制へいたる南アフリカの植民の歴史を根源まで遡る物語、その両者を「黄昏の国々」という意味のひとつの作品におさめ、細部をたがいに響き合わせる小説として発表したクッツェー。彼はこの作品で「作家」になりました。この作品から歩き出した、といってもいいでしょう。

 クッツェーは1968〜71年という時期をバッファローのニューヨーク州立大学ですごし、大学内の反戦集会*に参加して逮捕され(学内にいただけで全員逮捕、ということが当時よくありました。私が通っていた東京の大学でもありました。)、彼の場合は外国人ですからヴィザがおりなくなってしまった。その当時のことを「my political patrons dropped me like a hot potato」(DP-p338)と後に語っています。「ホットポテトを落っことすようにして、彼の厄介事を見捨てた」という意味でしょうか。

 あれからほぼ40年の時がすぎました。

**************
注記:2013.11.1──*「反戦集会」というと、ヴェトナム戦争に反対する集会と思ってしまいますが、後にカンネメイヤーが書いた詳細によると、これは大学内に警察が常駐することに対して教職員が反対し、学長に対して抗議する集会だったようで、その場にいあわせた参加者全員が逮捕された、ということのようです。

2009/06/01

映画「Disgrace/恥辱」の評──オーストラリアの書評誌より

映画「Disgrace」の面白い評を見つけました。Brian McFarlane という人が「Australian Book Review」に書いた評です。

 少しだけ抜き書きしてみます。

Coetzee maintains a distance, an observational detachment from David Lurie, making the reader privy to the essential passages of his life in a spare prose almost lapidary in its precision and refusal of commentary and decorative effect.

  ──中略──

it is as if he(Jacobs)has also intended to preserve Coetzee’s curious tone of objectivity in the chronicling of these events; as though only by such an approach could he ensure our thinking about the issues put before us. There is perhaps a Brechtian denial of easy emotional involvement in favour of a tougher engagement with tough matters.

評者マクファーレンは、クッツェーの小説「Disgrace」をSteve Jacobs 監督が映画化した同名の作品と、フィリップ・ロスの小説「The Dying Animal」をIsabel Coixetが監督した映画「Elegy」とを比較しながら論じています。しかし、重点がおかれるのはもっぱら「Disgrace」。

 作家クッツェーは主人公デイヴィッド・ルーリーから距離を置き、あくまで客観的な剥離/分離を維持しながら、読者をエッセンシャルな話の流れに巻き込んで行く、それも「ほとんど宝石細工のように研磨された精確、かつ簡潔な文体で、説明や装飾効果をいっさい拒否して」──と。

 そして、映画化したジェイコブズ監督もまた、そういった「好奇心をそそる客観的トーン」を踏襲しながら作品内で起きる出来事を追っているが、そうすることでのみ、われわれに、確実に、作品内で扱われていることをありありと考えさせることができるといわんばかり──と論じます。ウーン!! この指摘は「Disgrace」というクッツェー作品を考えるうえでも、また、映画化という行為を考えるうえでも、なかなか重要なポイントを含んでいるように思えます。

 クッツェーは2作目の小説「In the Heart of the Country」をもとにした映画「Dust」にいたく不満足だと伝えられています。「Disgrace」の映画化にあたっては、大きな映画会社が企画した脚本にNOを出しつづけ、最終的にOKを出したのは、原作に非常に忠実なヴァージョンだったとか。若いころから映画好きのクッツェーは、いくら売るためだからといって、自分の作品がゆがめられて映画化されることには耐えられなかったのでしょう。

 ともかく、ジョン・マルコヴィッチ主演のこの映画、はやく観たいものです。

*********
<2009.6.28追加情報>
予告編はこちらへ

2009/05/30

『世界中のアフリカへ行こう』──<むしめがね>編

この、中村和恵編『世界中のアフリカへ行こう』(岩波書店)には、わたしもちょこっと書きました。

「ちょこっと」という言い方が、ちょうどいいでしょう、たぶん。「南アフリカへの机上の旅」という1章です。登場するのは、知る人ぞ知るズールー民族の大詩人、マジシ・クネーネ、さらに、裕福な家庭で育った白人を母に、その家の厩番で名前も分からなかった黒人を父にもって生まれた作家、ベッシー・ヘッド、そしてジョン・マクスウェル・クッツェーです。
 つまりは、わたしが訳した、南アフリカ出身の3人の詩人、作家ということですが、彼らの作品との出会いや、具体的な作品を紹介しながら(拙訳の、かなり長い引用もあります)、南アフリカ文学のスポット的紹介になっています。むしめがね片手に部分拡大して紹介、といった感じです。
 クッツェー氏が来日したとき、彼の口から飛び出したある質問に思わず絶句、という今回初公開のエピソードもあります。

 本屋さんで、ぱらぱらぱらりとめくってみてください。

2009/05/29

世界中のアフリカへ行こう──<なかみ>編

5月27日『世界中のアフリカへ行こう』(岩波書店)が発売になりました。

これは「アフリカのガイドブック」ではありません。<旅するアフリカ文化>のガイド、つまり、過去何百年かにわたって世界に散らばってきた「アフリカ文化」のガイドブックです。
 今回は、その<なかみ>をご紹介しちゃいます。

 個性豊かな書き手のスタンス、独自色あざやかな文章もさることながら、関連地図がすごい!
 それぞれの国名と主要都市名入りのアフリカ大陸全図にはじまり、その隣には、この本に登場するおもなアフリカの国々の基本データ(平均寿命と男女別識字率が入っているのがユニーク)がならび、大西洋の奴隷貿易の図、全カリブ海地域地図(国名と首都名入り)および、おもな国別データとつづきます。これは資料として使える! とっても便利。
 各章内には、もちろん、写真、図版などが豊富に入っています。

次に「もくじ」:

 はじめに「文化は旅をする」──中村和恵
 関連地図
I アフリカ点描──継承されるもの、変化するもの
 1 呪術/旅する魔法──中村和恵
 2 物語/南アフリカへの机上の旅──くぼたのぞみ
 3 教育/キプシギスの成年式と学校教育──小馬徹
 4 新植民地主義/コンゴはどうして貧しいか──ムンシ・ヴァンジラ・ロジェ
II ディアスポラ・アフリカ案内──旅する文化の軌跡
 1 食物/アフロ・アメリカの旅──旦敬介
 2 音楽/ 混交への回帰/脱出──鈴木慎一郎
 3 ダンス/腰が語る──岡崎彰
 4 文学/黒いイギリス──中村和恵
 5 スタイル/「アフリカ」が旅するとき──管啓次郎

来年は、サッカーのワールドカップが南アフリカで開催されますが、アフリカ各国チームが国をあげて用いる「呪術」のすごさ、これには本当に目をみはります。どういうことかって? ぜひこの本を手に取ってみてください。謎は解けます。

さらに詳しい情報は、こちらへ

2009/05/26

世界中のアフリカへ行こう──<おしらせ>編

出ました! ついに! なにがって、本です!!  ただの本ではありませんよ。アフリカ文化のガイドブックです。こんなタイプの本は初めてじゃないかなあ、たぶん。
 明日発売です。

世界中のアフリカへ行こう』 (岩波書店、1995円)

「〈旅する文化〉のガイドブック」というサブタイトルがついているように、中身は「世界中に散らばったアフリカ」なんです。

 といっても、じつは実物はまだ見ていないのですが…。版元のサイトにカバー写真が出たばかりなのです。いやあ、書き手は編者の中村和恵さんはじめ、そうそうたるメンバー──(私もちょこっと書きました)。まあ、詳しいご案内は本が届いてから。とにかく一刻も早く、カバーを見ていただきたくて載せました。

2009/05/21

J・M・クッツェーを読むということ

「あること」を書きながらその「あること以外」の存在を、それとなく、しかし確実に感知させるように書く、それがクッツェーだ。だから読者は作中人物にぴったり自分を重ねて読むことができない。ざらりとした感触が残る。最初は違和感が強い。しかし、クッツェーの作品はつい読ませてしまう、読んでしまう。何冊か読むうちに、もう1冊、もう1冊、と読みたくなる。そしていつしか、クッツェー文学のとりこになる。
 このパターン。なんだろう、これは。そう、珈琲とか、ビールとか、ワインとか。一種のアディクトに似ていなくもない。ほとんど中毒のようになっていくところが。

 それは読み手のなかに、それまで気づかなかったなにかの存在を喚起するからだ。名づけえないもの。でも、気になる。一度、気がつくや、もう無視できないなにか。そのような存在との出会いが、クッツェーを読むという行為のなかに含まれているように思えてならない。
 それは間違いなく、新しい世界観への扉となる。風通しのあまりよくない部屋にいるとき、光と、風をほおに感じたいとき、窓をあけて、首を少しだけ上に向けてみる、そんな行為にも似ている、なにか。


photo ©Bert Nienhuis

2009/05/17

リバティ アカデミー「先住民」編

昨日は駿河台の明治大学で「リバティ アカデミー 先住民編」第2回がありました。文化人類学がご専門の阿部珠理さんの、北米のネイティヴ・アメリカン/アメリカ・インディアンについてのお話。北米先住民の歴史と現在を統計上の数字を示しながら、具体的に、かいつまんで教えていただくという興味深い内容でした。とても面白かった。

 受講生のなかに、このブログを見て申し込んでくださった方がいらっしゃいましたが、それもまたとても嬉しいことでした。この講座は、講師が自分の担当以外の回も出席して他の講師の話を聴き、学び合う、という密度の濃い講座になっています。

 一昨年の、「アフリカ編」が今月末に本になって書店にならびます。『世界中のアフリカへ行こう!』(岩波書店)。コンゴ民主共和国出身のムンシ・ヴァンジラ・ロジェさんの話がすごい。ほかにも面白そうな話がたくさん。とっても楽しみ!

2009/05/11

『デイヴィッドの物語』──ゾーイ・ウィカム著

<南アフリカ解放闘争と先住民グリクワのナラティヴ・ヒストリー>

 ゾーイ・ウィカムの『デイヴィッドの物語/David's Story』は、さまざまなテーマが色とりどりの糸で編み込まれた一枚の布のような物語である。スリラー、ゴシック、あるいはポストモダン小説。

 主人公のデイヴィッド・ディルクセはカラードのフリーダムファイター、時代は1980年代後半から1991年、アパルトヘイトからの解放が間近に迫る、南アフリカ社会の転換期だ。

 それまで自分のアイデンティティのことなど深く考えることのなかったデイヴィッドだが、あるとき思い立って、グリクワとしてのルーツ探しの旅に出る。グリクワとは、南部アフリカの先住民族「コイサン・ピープルズ」に属する一民族のこと。コイサンとは、ヨーロッパ人がつけた蔑称「ホッテントット」や「ブッシュマン」という呼び名によって日本にも伝えられていた人たちのことだ。
 解放闘争の裏面史的性格をもつこの作品は、だから、グリクワ民族の歴史物語ということにもなる。デイヴィッドの祖母や曾祖母たちの語りによって、20世紀初頭にナマクワランドからオレンジ川流域へ、さらにコックスタッドへ、それからふたたび東ケープ北部へとグリクワの首長たちに率いられてトレックする人たちの姿が、くっきりと浮かびあがる仕掛けになっているのだ。ここに「白人」対「黒人」という二項対立で見られがちな「アパルトヘイト」の裏側、歴史の細部を伝える物語が展開される。

 さらにこれは女たちの物語でもある。デイヴィッドの妻サリー(やはりフリーダムファイター)や、同志ダルシー(拷問を受けた身体をもつ女性)の語りが活写するのは、解放闘争にリクルートされたカラードの女たちの姿だ。物語が進むにつれて、外部からは見えなかった解放組織の内実、その知られざる姿が影絵のように浮かびあがる。旅の途中、デイヴィッドは自分が「抹殺者予定リスト」に載っていることを知る。ダルシーとデイヴィッドの関係も、なるほど、そうか──と、じつにスリリング。ここが、現在の南ア政権党=ANCの内部性格を理解するうえで役立つ。ある意味、この物語の最大のポイントかもしれない。
 ゾーイ・ウィカムの重層的なナラティヴのなかに、じわじわと浮上して像を結びだすのは、解放運動の活動家、スパイ、破壊工作員、地下活動者たちの相矛盾するいくつもの真実だ。それは、アパルトヘイトからは解放されたが、苦悩に満ちた過去の重みから、いまだ解き放たれていないこの国の人々の現在ともリアルに重なる。

 この小説は南アの解放からわずか6年後の2000年に出版された。ジンバブエなど、解放闘争の真実が文学作品として描かれるまでに10年待たなければならなかったことを考えると、それもまた驚きというべきか。          
 
* ** ** ** ** ** ** ** ** ** *
<讃辞>  
「何年ものあいだ、アパルトヘイト後の南アフリカ文学はどのようなものになるだろうかと、私たちはずっと待っていた。いま、ゾーイ・ウィカムがその逸品を届けてくれた。ウィットに富んだ語調、洗練された技法、多層的に織り込まれた言語、そして政治的にはだれの恩恵も受けていない『デイヴィッドの物語』は、途轍もない偉業であり、南アフリカの小説を創り直す大きな一歩でもある」
   ──J.M.クッツェー

「目撃することのパラドックス、民族解放の確かさと底辺層のハイブリッドなアイデンティティの不確かさ、性交の神秘、政治的フィクションの苦さに導かれて読む、繊細でパワフルな小説。ウィカムの本は、マリーズ・コンデやイヴェット・クリスチャンセとおなじ書棚に置かれるべきだ」
   ──ガヤトリ・チャクラヴォルティ・スピヴァク