2016/09/02

雑誌「すばる 10月号」に J・M・クッツェーの短編を訳出

「スペインの家/A House in Spain」 

J・M・クッツェーの短編「スペインの家」を、集英社の雑誌「すばる 10月号」に訳出した。「海外文学の実り」という特集で、ほかにもマーガレット・アトウッド、アリ・スミスなどがずらり。発売は9月6日。

 翻訳にとりかかったのは、アディーチェの長編『アメリカーナ』を訳し終えたときだった。ふたたび簡素で、力強いことばの滋味をフルに出せるよう、自分の言語脳と身体感覚を大きく切り替えた。

 アディーチェの文体は、読み手が理解できるように、どこまでも丁寧にことばを使って語るので、ある意味、とても解りやすいし流れもゆるやか。だから、ことばが自由に動いていくように、肩の力を抜いて波に乗る。長いので(1500枚)、マラソンのようにペースを考えながら、とにかく最後まで走りきる。

 一方、クッツェーの作品は長編といっても、長くて800枚程度だし、だいたいノベラの長さだ。密度の高い数ヶ月間は、心地よい緊張感を持続できるよう調整する。
 今回は短編だからぐんと短い。ぐんと短いけれど、一語一語に込められた中身の質は高く、ひねりも効いている。いつもながら、彼の文章は解釈的な説明や装飾をつけて訳すことはできない。慎重に(とにかく「注意深く訳してください」とクッツェーはいう)、行間の透明感に耳を澄まし、ほんのりと灯る温かい光の密度が均一に保たれるよう心がけた。ひたすら作家のことばと真摯に向き合い、そのリズムと流れに身をまかせる。逆らわない。それしかないのだと思う、クッツェーの文章を訳すには。


「スペインの家」は短いが、いぶし銀のような作品である。2000年に発表されたこの短編は、クッツェーが南アフリカからオーストラリアへ移住する直前に書かれたもので、大学で教える講義のコマ数を減らして(給料も減らして)、書くことに全力投球した『恥辱』(1999)のあとの、肩の力を抜いた開放感が感じられる。作品内に見え隠れする「女性観」が、『恥辱』の主人公のそれとは対照的で、こっちが作家の本音に近いかな、と興味深く読める。
 それまでの彼の文体やスタンスが微妙に変化するプロセスも垣間見える。「晩年のスタイル」(『ヒア・アンド・ナウ』参照)ともいうべき作風へ移行する直前の手触りがあるのだ。解説ではそのことを中心に書いた。

「鯨」のいないクッツェー──それが解説のタイトル。